ANA国内線【PR】
Judas Priest - Reckless

ドラッカーは『組織にはカリスマはいらない』と書いている。

何にでも精通していて、最高の判断を一人でこなせるカリスマというのは存在せず、必ずそれらのニセカリスマは失敗して悲惨な人生を送る。本当に成果を生み出せるリーダーは、部下の力を引き出せる、きちんと下の者を働かせられる者だと。

確かに、ナポレオンにしてもヒトラーにしても、晩年は悲惨なことになっている。むしろ、自分とは違う意見を吐く者を常に身近に置いていたチャーチルは結果としては成果を残した。ドラッカーはアレクサンドロス大王がカリスマだというのは早死にしたからだとしている。確かにアレクサンドロス大王よりも父親のピリッポス2世の方が業績は素晴らしいかもしれない。

といえども、歴史に名を残したのはアレキサンドロス大王だと想うし、チャーチルよりもヒトラーやナポレオンの方が世界史に対するインパクトはあったと俺は想う。生涯に渡る輝きは維持できなかったけれども、ヒトラーだって輝きに満ちていた時はとてつもないスターだった。

社会の中で有用な人間かどうかという側面で考えれば、確かにカリスマというのはむしろいらないのかもしれない。社会と言うのは組織だから、ドラッカーのいうことは正しいと想う。

でも、一人の個人としてどちらを目指すかと言えば、俺はカリスマ的な人間を目指したいと想うんだよなぁ。命を燃やすって言うか、激烈な生涯を送りたい欲望はやっぱり俺は捨てられないかもしれない。生涯のほとんどが暗くても、一瞬の爆発的な輝きがあればそれでいい。と想ってしまう。まぁ俺の場合、人生26年で過去に2度爆発的な輝き期間が起きてて、大体爆発的な輝きを産み出す方法も解ってきたから、あとはそれを応用すればいいだけの話だ。

で、俺の間違いは、別にカリスマになりたくない普通の人に対して<お前も逸脱しろ!命を燃やせ!!!!!!>と強要した点だった。普通の人生を送りたい人に異常な人生を送れといったのはいけないことだった。

だってそうだよな。クラプトンだってビートルズだって薬中だし、ロックスターは大抵早死にだw早死にしてる奴はカッコ良くて、良く老いるだとか、長生きしたいだとかを目指さない人間が社会の主流になっちゃったらその社会は滅んじゃうからなwこいつはいけない。大人に生まれた時のような獣に生れというようなものだ。

また、これはつい昨日に言われたんだけれども、昨日公ちゃんと富士まで行った時に俺が<旅人モード>に入りそうになった時に公ちゃんに「めんどくさい、疲れるからそれは阻止する」ってやられたんだよね。まぁ、ロックスターが身近にいたら、そりゃ迷惑だよな。俺に理解を示してくれる公ちゃんですらそうなんだから、みなが俺が調子に乗ってたときに俺に感じてためんどくささといったら計り知れなかっただろう。

みる分にはいいけれども、プライベートで関わるのは嫌だ。というのが一般人がそーいう<異常に燃え輝いてる人>に想う気持ちなんだろう。だって自分はそうはなれないから。その点を俺は考えなかったのは頭が足りなかった。細く長く生きる人に命を燃えつくす位瞬間輝きたいと想う人間の気持ちは共有できないし、理解してもそれをじぶんでやろうとは想わないもんだ。

俺は俺自身を普通にしたかったけど、そいつはおそらく無理だ。
かといって俺が普通になるのも無理だ。だって俺は俺なりに普通に考えた結果として今があるんだから。

だから、俺は他人には寛容に、そして自分にも寛容に生きていこうと想う。そりゃ社会的な意味でも付き合うし、当面の目標は『自分の稼ぎでパラサイト脱出を目指す』だけれども、自分の特殊性に対して、自分の生き方に関しては、己の道を突き詰めて生きていこうと想う。そこに妥協はやっぱりいらない。最近の俺は他人ウケを気にし過ぎてたりだとか、女子にモテようだとか、余計な雑念に駆られていたようだ。他人はどうであれ、俺は俺の道を歩んで宇宙の獣と化さなければ、と思い直した卯月の十八番。


Iron Maiden - Alexander the Great
# by wavesll | 2011-04-18 01:54 | 私信
俺、TVみるのほんと好きなんだけど、ほんまでっかTVは特に好きだ。最近のTVの中では。

色々な説が語られるんだけれども、心理学やら、脳科学やら、生理学やら、色々な面から人間の本能が語られてるんだよね。動物としての人間の行動が論理として説明されていて面白い。

もちろん、たとえ動物であっても、理論で完全に行動が説明できる動物はいないように、大脳が発達した人間では、いわゆる<合理的な行動>というのはなかなか取られないけれども、少なくとも多数の人間をまとまりとして眺めた時に、ある傾向が見受けられるというのは、人間も動物なんだという感じがして俺は好きだ。

普段は偉そうに人間は他の動植物とは違うんだとやっていても、所詮は本能に操られている部分があるというのが、俺は好きなんだ。人間の中に自然を見いだせるような気がして。

自然と言えば、BSプレミアムで放送された『アメイジングヴォイス』も良かった。
今回はフィリピンで民族音楽をやってたグレース・ノノさんが登場していた。彼女はアメリカンロックシンガーをやっていたのだけれども、自分の本当の歌をもとめてフィリピンの島々に棲むシャーマン(たいていはおばあちゃん)から民族音楽を習い、精霊の歌を歌い継いでいた。

フィリピンには7000もの島々があって、7000もの言語があるらしい。それだけの世界があれば、民族に伝わる歌を収集するのもやりがいがある仕事だなぁと想った。

それと、これは前々から感じていたんだけれど、東南アジアの民族楽器って、電子音楽的な音が出るんだよね。文明が発達した先に辿りついた音が太古から伝わる音だというのは、やっぱり人間の本能はそんな昔から変わっていなくて、本能的に素晴らしいと想うものは古代や中世から現代までそんなに変わらないということを意味するし、やっぱり人間の中に自然が見いだせて、俺は嬉しい。

そして深夜に再放送してた『コズミック・フロント』では地球外生命の可能性が語られていた。
土星の衛星の一つであるエンケラドスという星の南極には100kmも水蒸気と氷が吹き出るクレバス群があるらしい。
本来太陽からあまりに距離があるエンケラドスでは水は氷であるだけのはずだが、星星の引力の具合によってエンケラドスに地殻変動をもたらし、その摩擦熱によって水がつくられるらしい。
そしてその中では生命がいる可能性が高いらしい!

生命がいるというのも大変な話だが、正直100kmも水蒸気と氷が吹き出るクレバス群の写真があまりに美しくて、それに見惚れてしまった。

未来に太陽系旅行が可能になったら、火星の標高27kmのオリンポス山と並んでエンケラドスは人気観光スポットになりそうだなと想った。現在の技術だと行くのに片道7年かかるけど。

俺は正直、人間が産み出した政治的・社会的ルールの中には、人間の自然から離れすぎたものがあると思って、正直あまり気にしたくはないのだけれども、人間の本能に訴えかけるって言うかな。宇宙を感じるものは凄い好きだなぁ。

一匹の宇宙の獣として、自然の理と共に生きられたら最高だと想う。
そしてできれば、電子音楽が東南アジアの伝統音楽に似たものを見出したように、自分が捻りだした藝が、この宇宙の理の幹に届いて欲しいなと想う。自然の神秘を解き明かすことにこそ、価値があると想ってる。あ、だから人間に対してなんか動物を相手にするみたいに接しちゃって相手になんか偉そうに接してると思われるのかもしれねーナw俺個人としては俺自身が一番既存の理論にあわない行動をする変な動物なんだがwwww


RASMUS FABER feat. FRIDA / HIDDEN THOUGHTS
# by wavesll | 2011-04-17 23:14 | 私信
GO!GO!7188/ええじゃないか


若者パワーがついに炸裂!~高円寺・反原発デモに15000人

【現地レポ】高円寺『反原発デモ』の様子

高円寺・反原発デモ/ 4.10 NO NUKES

4月10日に高円寺で1万5000人が参加する反原発デモがあった。
俺はなんにせよこうして声を上げる人たちが出てきたこと自体は素晴らしいと思う。

こういうものに対して<現実的な代替案も用意せずに>だとか、<お祭り気分で不謹慎だ>とか言う人もいるけど、それは的外れだと思う。

大体、デモなんてのは<良く分からないけど、現状は絶対に間違ってる>という強い気持ちで起こすもんで、そこにお利口な論理は必要ないと思う。

むしろ、そういう<お利口な論理>を求めた結果、革マル派のような反社会的な原理主義が生まれてしまったのではないだろうか?今回だったら<やっぱり原発ダメ絶対>という連呼をまず市民の立場からして、為政者がそれに対する答えを出せばいいと思う。デモというのはまずボールを投げつける作業だと俺は思うんだ。市民の意思表示が行われればいいと思う。

そして意思表示の手段としてお祭り騒ぎがあったっていいと思う。海外のゲイパレードなんかもお祭りだしね。

しかし、今回のデモには運営面で不備があったそうだ。地元商店街に話を徹していなかったり、回避路を用意していなかったらしい。 

これはいけない。デモをする上でも、ルールはある。きちんとすべきところはきちんとしないと、伝わる主張も伝わらなくなる。今回の主催者が今後もデモを執り行うなら、今後はその辺のマネージをしっかりしないといけないだろう。

あと気になるのは何故統一地方選と同日にデモにしたのかという点だ。これではマスメディアの取材リソースが回ってこなくなるだろうと想った。 また選挙に行かずにデモをやるというイメージもできてしまうのではないか?戦略が足りないという感がある。

しかし、主要TVや新聞といったメディアが全く取り上げないのには、それ以外の意図もあるのかもしれないな、というのは勘ぐりだろうか?官に慮ってデモを黙殺したりだとか、スポンサーの意向で取り上げなかったりとかしていたとしたら、この国にはジャーナリズムはないなぁ、という気はする。特にNHKが海外の反原発デモを取り上げる割には、国内のデモをあまり取り上げないのは、市民にまとまられると困る人たちがいるのではないかと邪推したくなるなぁ、まぁこれは考え過ぎだと思うけど。


赤犬 ええじゃないか
# by wavesll | 2011-04-12 01:18 | 小ネタ
石原の姿をみていると思いだす一文がある。
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』だ。

これはドイツのルター派牧師であり反ナチス行動で知られるマルティン・ニーメラーが描いた詩だ。
ちょっと引用しよう。


彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

////////////////////////////////////////////////////
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。
////////////////////////////////////////////////////

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。


石原は、今まで中国人、韓国人や、性的マイノリティや、オタクや、パチンコなど、彼が<社会道徳的に認められない>と想うものを攻撃してきた。そして、多くの人達は石原と同じように彼らマイノリティに対する負の感情があったから、つまり見苦しいだとか、嫌だとか、調子に乗るなとか思っているから、石原へ肯定の票を与えてきている。つまり石原は彼に投票した人々の負の気持ちを代弁してくれたんだ。

それはナチに関しても同じかもしれない。大多数のドイツ人にとっては過ごしやすい世界をナチは創り上げてくれたんだ。だからドイツでは敗戦直後ですら結構ナチは人気があった。

しかし、大多数からいざ自分が外れた時に、あぁなんて自分は残酷な事をやられてるんだろうと思うはずだ。社会から抹殺されてしまう。その時に、自分が今までやってきた罪に目が行くかはわからないけど。

俺は煙草を吸う人の事を昔は嫌っていた。なんであんな嫌な煙を出すんだ。と。
しかし、俺自身も酒を飲んで発散することを覚えた時に、<あぁ、煙草で救われる人もきっといるんだろな>と想ったんだよね。

救われるんならば、やってもいいと思う。
それによって人に迷惑がかかるだろうと人はいうかもしれない。
でも、人に全く迷惑をかけてない人はいないだろう。誰もが誰かに頼って生きている。というか自分の敵の行動に自粛を求める行為こそが、自分の敵に対して迷惑をかけているという意識があっていいと思う。

結局、多種多様な価値観を持った人が同時に住める社会が佳い社会だと思う。
様々な価値観を持った人がそれぞれ活き活きと生きられるのが佳い社会である。と俺はしたい。
清くて正しいけど厳しい社会より、少し濁ってるけどお互いに寛容な社会の方が生きやすいと思う。

その時、必要なのは、自分の意見と違う人を尊重する姿勢だ。<汝の敵を愛せ>という言葉が最も大事なんだろう。相手が何故そういう行動をとるのか想像して、想像できない分は相手の意見を聞いて、自分と違う場合は、自分の意見は言いながらも、相手の言い分もきちんと相手の論理で考えてあげて、正す場合は相手の理論の上に載ってあげた方がいいと思う。

そして、下にいる人間の自由を認めてあげられる人間こそが、上に立つ人間の資質だと思う。
その時一番大事なのは<正義>でなく<温かみ>なんだろう。

だから、やっぱり去年俺がmixiでイイネを求めた態度はいけなかったんだな、と今となっては想う。俺としてはやる気を失ってしまった奴らの言い分を代弁したつもりだったけど、途中から俺自身のための発言と化してしまった。

というか、イイネの1クリックでも自己表現になると思って、みんなに1クリックの自己表現をしてもらいたくて求めていた点もあったんだけど、そこは伝わらなかったみたいだ><

まぁあの時俺は読んでるみんなより人生楽しんでたんだから、それ以上を求めたのは求めすぎなんだなと想った。イイネというのは自発的にするからいいものであって、強制的にさせられるもんでもないんだなと想ったよ。

やはり調子に乗ってる人は、調子が出ない人のことを慮らなければならない。なぜなら調子が悪い人が自分のことを調子が悪いとは絶対に認めたくないから。そりゃそうだよな。そこら辺の気が回らなかったのは本当に悪かった。

俺は人の下で動くことばっかりだったから、人の上で下の自由を赦すやり方がわからなかったんだな。下働きしすぎた。敵に対して厳しい態度を取りすぎた。いわゆる<普通の人>に対しても厳しい態度をとりすぎたと反省してる。

昔は、<どうせ俺の事を理解できる奴はいない>となめていて、こないだまでは自分の意見を撒き散らしていたけど、これからは、言うべきことは言うけど、許すところは寛容に行こうと思う。
寛容に生きていくよ、俺は。やっぱり俺は敵を憎むよりかは愛する方が善いと思うから。
# by wavesll | 2011-04-11 10:29 | 私信
supercell 君の知らない物語


<<知識労働者の労働者としての寿命が組織の寿命を越える時代>>
ドラッカーは20世紀をどのような時代だと捉えているかと言うと、世界人口の爆発的な伸びと、先進諸国における高齢化をもたらす平均寿命の爆発的な伸びの時代だとしている。

また労働者の質的な転換としては肉体労働者から知識労働者へのシフトが起きていることをあげている。先進諸国において20世紀初めは労働人口の90%から95%は肉体労働者だった。知識労働者はわずかだった。しかし今日アメリカでは知識労働者が40%を占める。

知識労働者は肉体労働者より長く働くことができる。普通ある組織が繁栄できる期間は30年程である。しかし知識労働者は30年を越えて成果を上げ続けることができる。つまり組織が繁栄できる期間を越えて労働者が働く時代が来ている。

つまり一人の人間が労働者として成果を上げ成長していく為には、一つの組織だけではなく、第二の人生を歩む必要が来るという事を示唆している。そのために組織のマネジメントに頼らない<自己マネジメント>が必要な時代になってきているとしている。


<<テクネが知識となる時代>>
テクネとは技能のこと。かつて知識とは自己認識、すなわち自らの知的・道徳的・精神的成長のためのものか、何をいかに言うかをしるか、すなわち論理・文法・修辞であった。つまり知識は行為に関わるものではなく、効用を与えるものではなかった。生産に関わるものではなかった。テクネは職人の間での秘伝とされていた。

しかし、18世紀に、ドゥニ・ディドロとジャン・ダランベールが『百科全書』を編纂した。これらは技能に関するあらゆる知識を体系的にまとめ、徒弟にならずとも技能技術者になれることを目指していた。つまりテクネが知識となった。

つまり『百科全書』や初期の技術学校はテクネ(秘伝の技術)を体系的にまとめ、公開することで、経験を知識に、徒弟制を教科書に、秘伝を方法論に、作業を知識に置き換えた。

これによって社会と文明が技術によって世界規模で転換したのが産業革命だった。

技術は、生産の集中すなわち工場を必要とした。技術は数万に及ぶ職人の作業場には適用できない。技術は生産が一つの屋根の下に集中されて初めて適用できた。

<<成果を生むのは資本ではなく専門知識の時代>>
資本主義社会では、組織が持つ資本が生産の主要な関数だった。しかし、今は会社で働く上でPCが生産を産み出しているわけではない。PCを使いこなす知識を持った人間が、生産の主要な関数だ。つまり生産は資本ではなく人間が持つ専門知識が産み出すものとなってきている。

つまり、技術が人一人一人の仕事場に適用できるようになり、資本が持っていた優位性が低下する一方で、人一人一人が持つ知識(テクネ)こそが生産に関与するようになったというわけ。


前回書いたように、ドラッカーは教養と言うものを重視している。それはグローバル化する世界において、一般教養と言う全人類に共通の知識があることで相互理解が行えるからだ。相互にお互いの立場を一般教養によって理解できる。

その上で、成果を生み出すのはテクネだとしている。これら専門知識の習得こそが成果を生み出せる人間になるために必要なことだとドラッカーは述べている。


Northern Bright & Shakazombie 「GET YOURSELF ARRESTED」
# by wavesll | 2011-03-30 11:39 | 小噺
サニーデイ・サービス「ふたつのハート」


ここ10日くらい『はじめて読むドラッカー【自己実現編】プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』を読んでいた。

本自体は歯医者に勤める母親が勤め先の先生に勧められて持ってきたのを適当に読んだのだが、なかなかどうしてドラッカー、ただ売れてるだけじゃなくて本当に内容がある人で、特に<知識社会が来ているし、来る>という考えは俺が大学生の頃に考えてたのと同じだったし、他にも個人的に腑に落ちまくる点がありまくる好著だった。これを気に他のエッセンシャル版も読んでみようかと想った。

そこで今回から数回にわたり、この本の中で印象に残った部分を紹介していきたい。


<<コミュニケーションは発信する側ではなく、受け取る側が重要>>
コミュニケーションをする上で、<人は自分の期待するものしか知覚しない>という大原則を忘れてはならない。期待に反するコミュニケーションをされると、人はそれを無視するか、反発する。

だから、コミュニケーションの発話者は受け手の理解できる言葉で話すべきだし、受け手が何を求めているのかを理解することが重要だ。

しかしそれ以上に<受け手が発話者のことを理解することが重要である>。
例えば部下に自分がやっているような意思決定の責任を与えることで、上司が直面している問題に対する理解が生まれ、普段何故上司が部下に対しそのようなことを言っているかに共感できるようになる。

つまり自分自身がコミュニケーションのプレイヤーとしての能力を問われる時、最も重要なのは<何をどのように言えるか>ではなく<何をどのように理解できるか>である。


つまり、コミュニケーションされた物事に対して相手の意見をいかに理解できるかが本来コミュニケーションにおいては大事だという事。もちろん発話者の立場に立った時でも相手の事を理解して、相手に伝わるようにコミュニケーションは行われなければならない。そしてその為には、相手の立場をロールプレイするといいということだった。


<<教育をこれからの社会の中で活かしていく為に>>
今の若者は大学を卒業して数年後には、「勉強してきたことに意味はない。現在していることや、関心あることや、なりたいと思っているものと関係ない」として教養課程も一般教養も完全に拒否している。

しかし、ポスト資本主義社会においてはこれまでのどの社会よりも教育ある人間を必要とする。もちろん人文主義者の言うような書物偏重主義は超越され、教育的な人間は分析的な能力だけでなく、経験的な知覚を持つ。

ポスト資本主義社会は「知識社会」であると共に「組織社会」である。この二つの社会は相互依存でありながら概念・世界観・価値観を異にする。知識人は組織を手段として見る。

つまり組織のおかげで彼らの専門化された知識を適用することができる。一方で経営管理者は知識を組織の目的を実現する為の手段として見る。

知識人にとっては組織が無いと<好きな事をするだけ>になり、意味あるものが無くなる。逆に組織人の世界も、知識人による均衡がなければ、組織人が支配する無気力な灰色の世界になってしまう。

これからの人々は、知識社会と組織社会両方に属し、生きていかなければならない。

そして、知識人は自分の専門知識を一般知識としてわかりやすく発信することで、社会の構成員同士での相互理解を進めなければならない。つまり社会の中で活きた知識が教養にならなければならない。

その際、他の専門分野の理解において必要なのは、それが「何についてのものか」「何をしようとするものか」「中心的な関心事は何か」「中心的な理論は何か」「どのような新しい洞察を与えてくれるか」「それについて知られていない事は何か」「問題や関心は何か」ということだ。裏を返せばこれらのことを発信することで、真の知識人として意味あるものになれる。


俺はこの世界からブラックボックスなくしたい。すべてとは言わずとも、中心的な部分に関しては色々な業界の<常識>を理解できて、<話せる奴>になりたい。その為にできるだけ色々な業界で、その業界のコアな部分を話してくれる人たちと付き合って、様々な<本当に使える教養>を身につけたいと思っている。


サニーデイ・サーヴィス 『青春狂走曲』
今朝の風はなんだかちょっと
冷たく肌に吹いてくるんだ
ぼんやりした頭が少ししゃんとするんだ
憶えてない夢のせいで心が
何メートルか沈み込むんだ
熱い濃いコーヒーを飲みたいんだ
そっちはどうだい うまくやってるかい
こっちはこうさ どうにもならんよ
今んとこはまあ そんな感じなんだ

夏の朝がぼくに呼びかける
「調子はどうだい うまくやっているかい」
気分が良くなって外へ飛び出すんだ
愉快な話どこかにないかい?
そんなふうなこと口にしてみれば
街を歩く足どりも軽くなるから不思議さ
そっちはどうだい うまくやってるかい
こっちはこうさ どうにもならんよ
今んとこはまあ そんな感じなんだ

きみに会ったらどんなふうな話をしよう
そんなこと考えると楽しくなるんです

そっちはどうだい うまくやっているかい
こっちはこうさ どうにもならんよ
今んとこはまあ そんな感じなんだ
# by wavesll | 2011-03-28 12:08 | 小噺
人間発電所(CLASSIC MIX)-Buddha Brand

振り返ってみると、やはりみなはwebで自己表現をそもそもそんなにしたくないんだなぁと想。webで自己表現する必要性を感じていないし、それをそんな大事なことだと思っていない。結果としてwebで自己表現できないんだなと想った。

俺自身は自分の好きな事を好きなだけ発表できるという事でwebでプライベートに情報発信することは楽しいことだったし、コミュニケーション欲も人並み以上にあったし、物事を考えたり調べたり学んだりするのが好きだったからできたんだろう。<いつか神話を画きたい>という夢もあったしね。

いわば俺は個人の悟りを目指す上座部仏教のスタイルでやってきたわけだ。
で、去年twitterで小説風のものを画き終えて、いわば<悟りに達した>んだよね。目標に達した。
そこで俺が想ったのは<じゃあ今度は大乗をやろう>ということだったんだw

しかし、俺はおそらく大乗の意味を取り間違えていた。
俺は大乗は<みなを悟りに導くこと>だとして、みんなに俺と同じように上座部スタイルの修業を課すことを求めて仕舞った。でも本当は大乗ってのは<衆生を救う>ことだから、もっと楽にできること。例えば<南無弥陀仏と唱える>レベルの事をやれば救われるよレベルのことを課すべきだったんだ。

たぶん俺がやったのは大乗としてはレベルが高すぎたんだろう。特に今年に入ってからのエントリは。みんなそもそもやる気が無いんだから、いきなりこのレベルのものをやれだとか理解しろだとか言うのは難しすぎてますますやる気を失ってしまったんじゃないだろうか?

これから大乗をやりたいのであれば、よりシンプルにエントリをまとめることが重要になるだろう。
だからこれからは俺は上座部タイプのエントリと大乗タイプのエントリを画くようにこころがけようと想。
# by wavesll | 2011-03-25 22:56 | 私信
アイネ・クライネ・ナハトムジーク第一楽章 モーツァルト


一昨日の事でなんで俺がムカついたかと言えば、奴の方が頭がよいかのような空気になったからだ。

しかし、考えてみれば奴は俺に新しいモノの見方を教えてくれたという面もある。あの場ではやり込められた感はあったけれども、そもそも国際的な安全保障は奴のフィールドなのだから、あいつの方が理論が詰まってて当たり前だ。そこは自分の意見と違っても、合気というか、乗っかるのも手だ。

乗っかった先にアウフヘーベンして、ジンテーゼを生み出せばよい。
別に対談相手は敵じゃない。2人で論述を組み立てる仲間なんだ。そこで相手の方が情報気圧が高かったらパサーになってもいいと想。

俺が知識だとか情報とかが好きなのは抽象的な事柄には熱力学の第一法則が働かないからだ。つまり情報には質量が無い。人から人へ無限にコピーできるという利点がある。そしてお金と違ってゼロサムではなくいくらでも産み出せる。一旦教えられた側は、つまり知った時点で<知っている>という点では教えた側と同等だ。まぁ<教えられる>ように使いこなせるレベルや<創りだすレベル>と言うのは更にもう一段深い理解が必要になるけれども。

人類の歴史と言うのは抽象空間の進化の歴史でもあるかもしれない。
言語や非言語によって顕される抽象空間(情報)が時間の経過とともに積み重なって行く。
それらの堆積の表面が現代と言う地層なんだ。俺たちは仏陀やエジソン、モーツァルトを自在に使いこなせることができる。これは幸せなことだと想う。

こと抽象空間の進化と言う点においては歴史が進むにつれ進歩と調和が産み出され続けていると想。

ちなみにクラシックの重ね聴きは抽象的な感覚を養うらしいよ(^^)

Turkish March (Mozart)


Wolfgang Amadeus Mozart - Symphony 40 in G min KV 550


Mozart - Requiem


Wolfgang Amadeus Mozart - Piano Concerto No. 21 - Andante

Mozart The Magic Flute Queen of the Night Aria

Mozart - The Magic Flute - Overture (Levine/Met Orch)
# by wavesll | 2011-03-25 08:01 | 私信
Cocco ニライカナイ


今日俺はダチと横浜で飲んだ。
そいつは青学の奴で、肉の会でもっとも遅くに大学を卒業する社会不適合っぷりでは俺をしのぐ奴なのだが、卒業式の答辞を任されるくらい真摯に勉強して、正直俺なんかよりもよっぽど賢く、本も読んでいる奴だ。

今日俺は久しぶりに話し相手に圧倒された。何処までも続くかのような口上。口を挟む暇もないような論理の積み重ね。正直ストレスが溜まったw聴いててwwwwwまるで自分の言ってることが認められない感じw俺自身が周りの人に与えてるのはこーいうストレスなのかなと想った。奴自身には悪気はまるでない。むしろ俺自身の不勉強さゆえのストレスだというのも更にストレスだったw

やはり、自らの身をもって体験しないとわからない感覚ってあるよなー。色々なROLLを体験することで人は大きくなれる気がする。実際、奴が言ってた「話してる最中に気になる点があったら口をはさんでほしい」というのは俺が想ってたことそのものだったから、俺も頑張って話についていって最終的には互角と言うか、負けてはいるんだけど言うべきことは言う、相違点と同意点をはっきりさせることまではやった。俺の場合は両方の立場が分かる中間管理職的な立場なのでより大変なのだがw

両方の立場が分かるといえば俺自身は昔は右翼と言うか、日本礼賛な人間だったのだが、日本社会が毎年3万人以上自殺を産み出していることを実感して逆に左翼になった人間なので、正直体制側の意見もわかる微妙な立場にいる。というかこの<微妙>というのが乙なもので、0か100かどちらか一方ではなく、間の妥協点を探ることがこれからの日本には求められていることだと想う。

学校教育の中で様々なROLL(立場)を体験できるといいと想うんだけどなぁ。

社会で暮していく上で、ルサンチマンが溜まることはある。

例えば上司に対してルサンチマンが溜まる。
例えば天下りの官僚に対してルサンチマンが溜まる。

しかし、これらの仕事を自分でやるとすれば、その辛さを身を持って知れば<仕方のないこと>というのは分かると想う。逆に言えば<それでも許せない事>もあると想う。 この場合でもROLL PLAYすることは大事だ。

俺は、自分自身が善く生きるためにも、様々なROLLを体験したい。本当は身を持って体験したいけれども、人生の機会は限られてるから、どうしても仮想体験になる。上手い具合に色んな立場を仮想体験できるゲームや小説や楽曲があればいいなぁと常々想っている。

そして、少なくとも俺の人生については他者が仮想体験できるように、web上に記録を残していきたいと想っている。


二階堂和美 - 今日を問う Part2
歩き疲れちゃった今日のあの娘どうだろうか
今日は待ちに待った休み 電話で誘って 

ワン ツー

切実にハツラツとファイト見せる態度
「勘定は俺が持つ」と声がうわずった
言おうか今日は、でも、迷う
夢の中ガツンとキメの言葉振舞った見せ場は?
「あのね、後で・・」後でって、何が待つんだ?
晴れた空に向かって地図を描いた
質問ばっか言って話それていって
でもねもしか気づかれちゃったら、それって?
心臓ばくばく高まると詰まる間
熱くなるとアスファルト泣いてくれるか?
合格不合格仕切り入れて比率
電卓叩く所まで心触れて
終わったらば後の祭り 駄目元で攻めろ!
駅を抜けて15分後到着
キンコンカンコン金属音チャイム鳴らす
夕方の3時に最初で最後か!?
川の土手を歩く二人のらりくらり会話交わし
こんな時間ごめんねって固い顔で眼を合わし
時が止まり 
声が詰まり 
見つめ合いが続き
その空気が急遽本題に突入!の途端
携帯うるさく鳴り出してあの娘も思わず出てしまい、その先は?
想う心あって屋上登ってビルは西にそっぽ向いて太陽振り切って
今度は崩さず外さないタイミング
ジョークは優しく明日(あした)の君に
目掛けて狙って愛を振りまくって
その内奇跡的に
いやいや
いや!もっと意図的に
うん

歩き疲れちゃった今日の俺はどうだろうか?
想い疲れちゃった今日の俺はどうだどうだ



歩き疲れちゃった今日の彼はどうだろうか?
テンポよく店舗並び歩く商店街

スリー フォー

切実にハツラツとファイト見せた彼の
感情がそうさせたのかと思うと
本気なのか?クエスチョンこれまでも何度か優しかった事が有った 
んーだけどまあ
何せナンセンスな服装だから
仮にそうとすれば彼に着いて行けるかな?
知らない所やっぱ多すぎてどうも
不安だけど楽しみって、これって?まるで
想う心あって屋上登ってビルは西にそっぽ向いて太陽振り切って
多くは話さず外さないタイミング
ウインクは優しく明日(あした)の君に
今からスカッとカットしてもらって
その内見せるときに
いやいや
これから見せに行こか
なんてね
歩き疲れちゃった今日の恋が転がって
歩き過ぎた距離だけ二人は近づいた
# by wavesll | 2011-03-24 00:40 | 私信
俺は人間というものは糞袋だと想っていた。いや、今もその点はその通りだと想っている。

生命は他者を傷つけて生きている。特に人間は傍若無人に他の種を危険にさらして平気な顔をしているような最悪の種だ。滅んだ方が善いと想っていた。いや、今もその点はその通りだと想っている。

しかし、そんな俺でも去年、ほんとに死ぬかと想うような出来事があった時に想ったのは<死にたくない>という想いだった。誰しも生きていきたいんだという非常に基本的なことにようやく気付けた。

俺は福本先生の描いたアカギの思想に感化されて、常に自由に、成功を貯めず、身は軽く、半ば死を望みながら生きる生き方をしてきたいと想っていた。それがロックだと想ったから。今でもなるだけ自由に、身は軽く生きていたい。

その結果、一人きりでやれることは或る程度限界までやれたと想う。26年間で俺は俺自身が到達できる結構上の方まで到達できたという感覚はある。何しろ、妄想の中とは言え、宗教団体と敵対して自爆テロかまし、これまた暗示の中かも知れないがUFOに追われてるんだからwんでもってモテたいという欲求も南米で晴れたしw小説っぽい書き物もかけたし。大学出た時は26までにここまでのことになるとは想えなかった。

そして今思うのはある女の子が俺に言った「ロックじゃなくてもいいじゃないですか、相手を幸せにするためならば」という言葉だ。

確かに、今まで俺は自分のことばかりを考えて、周りの事をそんなに考えてなかったのかもしれない。というか、周りの人間も我慢せずにやりたいことをやっているもんだと想っていたが、おそらくは言いたい事も言わず、やりたいこともやらない人生を送っているんだろう。

俺自身がこれかやるべきことは、俺個人の幸福や自由を追求することと共に、手の届く範囲の人々の幸福や自由を達成することなのかもしれないなぁと想う。

俺はこれまでの生き方を少し変えようと、去年の末くらいから想っている。それはコミュニケーションすることだ。おそらく、自己主張をしてこなかった人達はそれに慣れて仕舞って、自己主張がそもそもできない体になってしまっている。そういう人たちに働きかけて、自己表現できる、アシストだけでなく自分でゴールが決められる人へCoachingしていくことが、これから俺がしていきたいことだ。

人生一度きり、やりたいことをやりきる勇気を与えられるような人間になりたい。

それだけでなく、ロックの定義も変えることにした。
死に向うだけでなく、生きて還ってくる。愛する人と共に生きるということを、当り前だが大切にしたい。俺は昔は自分自身の命も大切に扱わなかったが、それでは俺を想ってくれている人の気持ちを傷つけて仕舞っていることにようやく気付いた。もちろん俺の気持ちも大事なのだが、これからは周りの気持ちも大事にしようと想う。対話し、コミュニケーションする中で、より善い生を歩めればいいなと想。


椎名林檎 -- ありあまる富

僕らが手にしている富は見えないよ
彼らは奪えないし壊すこともない
世界はただ妬むばっかり

もしも彼らが君の何かを盜んだとして
それはくだらないものだよ
返して貰うまでもない筈
何故なら価値は生命に従って付いている

彼らが手にしている富は買えるんだ
僕らは数えないし失くすこともない
世界はまだ不幸だってさ

もしも君が彼らの言葉に嘆いたとして
それはつまらないことだよ
なみだ流すまでもない筈
何故ならいつも言葉は嘘を孕んでいる

君の影が揺れている
今日限り逢える日時計
何時もの夏がすぐそこにある証
君の喜ぶものはありあまるほどにある
すべて君のもの
笑顏を見せて

もしも彼らが君の何かを盜んだとして
それはくだらないものだよ
返して貰うまでもない筈
何故なら価値は生命に從って付いている

ほらね君には富が溢れている
# by wavesll | 2011-03-23 05:11 | 私信