本日から8日間ボリビアへ行ってきます。

LOS KJARKAS : MIX EXCLUSIVO DJ. CRIS 2013 ...!! (AUDIO)


前回南米へ足を踏み入れた時は日本に帰ってきてすぐに311が。そして今回の南米旅行は3月11日の直後。
何かが掴みとれたらいいなという気持ちと、気楽にワクワクドキドキして楽しめたらという気持ちその両方を携えてボリビアへ行ってきます。

映像はボリビアで人気のフォルクローレバンド。チャランゴが効いてます◎

帰りは23日の予定です。それでは一時 i Hasta la vista !

cf.
ボリビア・スクレの聖女 X Tyondai Braxton / Central Market 第21回音の貝合わせ

# by wavesll | 2017-03-16 00:01 | 私信 | Comments(0)

yMusic ーBrooklyn発、Indie Classicalの俊英

Eleven


Son Lux: Beautiful Mechanical (yMusic)


TwitterやMikikiで八木皓平さんが推しているのを見掛けた「インディー・クラシック」というジャンル。

Pitchfolkにも2012年にMaking Overtures: The Emergence of Indie Classicalという記事がありました。ポスト・クラシカルがエレクトロニカやポストロックに影響を受けたクラシック的音楽とするとインディークラシックはもっと明るいポップスやインディーロック的な音楽との融合とのこと。

今年に入って雑誌LATINAで取り上げられたりして、愈々ブレイクかと想っていた處に成田佳洋さんのTwitterで紹介されていたyMusicというIndie Classicalのコレクティヴが素晴らしくて(今はバンドの事をコレクティヴって言うのですね)。

yMusicはブルックリンを拠点に活動する、管弦6人によるチェンバー・アンサンブル。NYP(ニューヨーク・フィルハーモニック)のメンバーを中心に、それぞれが多彩なキャリアと活動範囲を誇るリサイタリスト/編曲家集団である。インディー・ロックやジャズに至るジャンルを越えた先鋭的アーティストたちとの共演も多く、<インディー・クラシック>シーンの中核として多方面から注目を集めている。2011年作『Beautiful Mechanical』、2014年作『Balance Problems』はともに、タイム・アウト・ニューヨークが選ぶ<クラシック・レコード・オブ・ザ・イヤー>の第一位に選出。グループとしての共演歴を挙げるだけでも、ベン・フォールズ、アノーニ(アントニー&ザ・ジョンソンズ)、スフィアン・スティーブンス、ダーティー・プロジェクターズ、ホセ・ゴンザレス、ボン・イヴェール、マイ・ブライテスト・ダイアモンド…といった人気アーティストとの録音、ツアーでの共演も多数。2016年にはNYの殿堂カーネギー・ホールでもコンサートを敢行、ソールドアウト。いまやNYの幅広い音楽シーンにおける最注目グループのひとつといっても過言ではない。(NRT)
という音楽集団。

yMusic - Music In Circles (Official Video)


ギターのカッティングのような弦の響かせ方がRadiohead / Burn The Witchを彷彿とさせます。ここ数年私自身の関心もクラシックというか、オーケストラやチェンバー・ミュージックへ行っていたのもあり、面白い。

実は数年前から「インディークラシック」というジャンル名は見掛けていたのですが、Tyondai Braxton / Central Marketとかも含まれるとか、一時期の邦楽の「シティポップ」みたいにかなりざっくりした括りなんだなと想っていました。

そこにyMusicを認識し、Indie Classicalの真打と言うか、まさに名は体を表すコレクティヴが存在するのだなと。

彼らはBen Foldsと組んでアルバムを出したり、或いはPaul Simonと共にフェスに出たり。現在のブルックリンの先端のグループと言うのも頷けます。

Spotifyでも2011年の盤『Beautiful Mechanical』と2013年の『Year of the Dragon』が聴けます。NRTから今出ている『First』Soundcloud上にある『Balance Problems』と合わせて楽しみたい。個人的にはアルバムだと『Beautiful Mechanical』が好きです。

ジャンルの壁を越えたクラシックとして先日オペラシティで聴いたSteve Reich 80th Anniversary『Tehillim』に心臓を撃ち抜かれたのですが、今また新しい流儀で奏でられるクラシカル音楽の潮流に今後とも耳を澄まして行きたいです。

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# by wavesll | 2017-03-15 06:37 | Sound Gem | Comments(0)

Grand Budapest Hotel Original Soundtrack

The Grand Budapest Hotel Original Soundtrack #32 Traditional Arrangement 'Moonshine' OST BSO


The Grand Budapest Hotel Original Soundtrack #31 Kamarinskaya OST BSO


Grand Budapest Hotel ost


ウェス・アンダーソン監督による『グランド・ブタペスト・ホテル』をみました。
御伽の国のような可愛らしく洒脱な映像で繰り広げられるコンシェルジュの冒険譚、大変楽しめました。

ここ2・3年の嵌りゴトなのですが、映画音楽に惹かれる様になりまして。
この映画もエンドロールを始めとして、中欧・東欧のエキゾ・ヨーロピアン音楽がとても愉しくて。

YoutubeにO.S.T.があがっていて今聴いているのですが、やはり最高。

この西欧と中東が融け合った狭間の音はどこの国の音なのだろう?とWebを回遊してみると、
音楽もユニークな『グランド・ブダペスト・ホテル』(Figaro.jp)
という記事が。

曰く
アンダーソン監督とスタッフは、東ヨーロッパを旅して歴史あるホテルを多々取材し、最終的には使われていなかった百貨店をアンダーソン監督特有の色遣いやエッセンスを加味して改装(中略)音楽に関しても時間をかけて独創性に富んだ音楽を研究し、自ら命名した"ズブロウキアン・ミュージック"を完成させ

たとのこと。

映画のプレスリリースによれば、作曲を依頼されたアレクサンドル・デスプラは従来のオーケストラ用の楽器を一切使わず、バラライカ(三角形の本体に3本の弦を張ったロシア産のマンドリンの一種)やツィンバロン(ピアノの原形で、弦をハンマーで叩いて音を出す打楽器ハンマー・ダルシマーの一種)などを取り入れたそう。彼の言葉を引用すると、「中部ヨーロッパのイメージにするために、モルダビア人のシンバロンからアルペンホルン、ヨーデルや修道士の歌、バラライカまで様々な音を使った」、「魂のこもった、いつまでも耳に残る音を組み合わせ、明るい気持ちから暗い気持ちまで様々な感情を網羅した。キャラクターの過去や将来、心に秘めた思いを表現するために、プロとして一度もやったことのない実験的な音楽を作曲した」とのこと。アルペンホルンとはアルプホルンとも呼ばれ、離れて位置する村と村とのコミュニケーション手段として活躍してきた金管楽器のことです。サウンドトラックでは全32曲中、彼が28曲を手掛け

たそうです。

ツィンバロムというと、1月1日に漱ぐ 清冽なイランのサントゥールで取り上げたイランの楽器サントゥールがその原型。ここら辺から"ちょっと中東の香りがする"と想ったのかもしれません。

フィガロのページには
アンダーソン監督が、「私とランドール・ポスターが発見し、この映画の音楽を作り上げる際にヒントにした音楽の一部を下記に列記しておく。これらの音楽は、いずれも作品に独特の色合いを与えている」と
記したオンガクの動画も載っていて、いい記事でした。

お洒落泥棒サンだけでなくミュージックラヴァー達にも『グランド・ブタペスト・ホテル』、お薦めです。

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cf.
◆長谷川等伯『松林図屏風』X Silence (Original Motion Picture Soundtrack) 第27回音の貝合わせ

◆霧中行 American Beauty Original Soundtrack by Thomas Newman
◆『新幹線大爆破』 劇は世につれ男の色気は挑みにつれ
◆第十回 酒と小皿と音楽婚礼 - セルゲイ・パラジャーノフ / アシク・ケリブ & 余市12年 WOODY & VANILLIC
# by wavesll | 2017-03-14 21:18 | Sound Gem | Comments(0)

ラルンガル・ゴンパ 天空の“宗教都市”~チベット仏教・紅の信仰の世界~をみて

NHKBSプレミアムでセルタン・ラルン五明仏学院(ラルンガル・ゴンパ)への取材がされていました。
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世界最大の仏教僧院。斜面にひしめいているのは1万を超える修行僧の小屋。
仏の教えに生涯をささげる修業が行われているチベット仏教都市。

中心にある大経堂で僧に話を聴くと"チベット仏教の話はしたい、しかしそれ以外の話は何もしたくない"、と。
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止語(私語禁止)の、お堂の中で唱えられるお経は、JVCのワールドミュージックシリーズとは異なり、寧ろ南太平洋の島国の歌のような柔らかなハーモニーがありました。
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ケンポ・ジグメ・プンツォ師が何もなかった土地に粗末な小屋を建てて修業をはじめたラルンガル・ゴンパ。"他者を害することなく自己を律しろ"という遺言は固く守られているそう。
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お堂の前では"問答"の修業が行われていました。
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『例えば花瓶の存在を考える 花瓶が"生滅変化する形成物"でない「苦」であるならそれは"生滅変化する形成仏"ではないのか?』
『同意する』
『ではその同意の意味は何ぞや?』
『同意したでしょう』

チベット仏教ではあらゆるものが如何に存在するか厳密な論理があり、それを理解するために問答の修業が重視されているそうです。
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女性もジョモ(尼僧)という修行者がいて、結婚することなく仏の教えに生涯をささげています。

修行者も建物も統一されている紅の赤は、世俗を離れ仏門の世界に入った神聖な色。
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山の上のギトゥル・ラカン(幻化堂)にはチベット人だけでなく漢族も各地からやってきてマニ車を回していました。
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手足を投げ出し仏に祈る"五体投地"という礼拝もされていました。
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"善い来世のため"に北京から祈りに来る女性もいました。
"輪廻転生"から解脱し極楽浄土の世界へ行くための地。

番組ではツェテン・トゥンドゥプさんという31歳の僧侶に取材します。
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肉は一切食べず、毎朝真言を7000回唱える。

もう17年も世俗の社会から離れ、悟りの境地、解脱に達して将来この世のすべての命、衆生を救うために修業を重ねています。
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「世俗の行いに時間を費やすべきではありません」と語るツェテンさん。31才、私と同世代の彼の言葉に衝撃が沁みてきました。

彼らの生活は家族からの送金や一般信者からのお布施で賄われています。
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この地では宗教で悟りを目指すことが価値ある姿だと認められ、社会の中で尊ばれている。

先ほどの問答もそうですが、世俗にいる私の眼から見ると、言葉は言葉であり、身体的な行為の実装を伴わなければ実行力がないと。

アダム・スミスが『国富論』で語ったように、宗教の社会的な価値は余った財で貧困な人々を食わせる事だと考えていたのでした。

そこに『人生は幻』、命は今のこの世だけでなく輪廻転生する、この世で功徳を積み、来世へ繋ぐことを信じる彼らの人生観は、"人はパンのみにして生きるにあらず"を超えて、世俗的価値観、より富を高めていくこととは違う精神世界がこの星で成り立っているのだと。

先ほどの問答もそうですが、仏教を一つの学問を究める道だとすれば、"チベット仏教の話はしたい、しかしそれ以外の話は何もしたくない"、と言う言葉も分かります。

学問の道を究めることは一つ世俗とは離れる處がある、そう思います。

それでも、現金収入を得るために中国企業で働くチベット人が増加し、子供への教育も中国語で行われ、中国化がここチベットでも進んでいます。

利便性・物質的な豊かさの誘惑と、伝統的な文化の独立性・精神的な豊かさの対立が、ここでも起きているのか…と想っていると、ある僧侶の部屋にはリンカーンとオバマのポスターが張られていました。

曰く、「(平等な)社会を作るための貢献をし、彼らの言葉は仏教の言葉に似ている、社会の問題を解決したから貼っている」と。
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現代社会の矛盾を大きく孕む合衆国に、古来の伝統を大切に守るチベット僧が共感を得ているというのは本質的な自由さとは何かを考える上では面白いと想うと共に、それでも多く食える人が増えることは幸せなことだし、"何が価値なのか"をみていて逡巡しました。

競争や争いが人間の本能に組み込まれたものだとしたら。殺生を禁じる宗教は貴いけれども、現実の権力闘争は精神的な行いでは止められていない。

自分を守るための矛がなければ、他者を害することなく自己を律すことすら無理なのではないか?
欲望を利用し"理想"を試みるバーリトゥードな相手と対峙しなければならないのだから…。

そう感じながら番組をみていると、中国共産党がラルンガル・ゴンパに仕掛けてきました。
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山の中腹に掲げられた<プンツォ様 私たちをお守りください>というチベット文字の横に中国語で<共産党と心をひとつにし"中国の夢"を築こう>というスローガンが掲げられている。

ラルンガル・ゴンパから人が消え、皆が小屋の中でひっそりとしました。

"他者を害することなく自己を律しろ"という教えは、信仰は本来個人的に高みへ達する事であり、他者に強いるものではないことを示しています。

本来は思想や主義もそう、完全に自由な中で意思決定がなされるのが理想。

しかしこの世の中には"他者を意のままに巻き込みたい"とする勢力がいて。

そして様々な組織、個人が人の上に立とうと争い続けている中、"自分だけが世界とは関係なく解脱を目指す"ことが不可能に近くあると共に、自慰的な行為なのではないか?人を治める世俗的な指導者がいないと、理想は空転してしまうのではないか?そう想いながらみていました。

その上で、世俗的・物質的に"人々が生命活動を行うことができる"上で、"どう生きるべきか"という精神的な問いが必要になってくると想ったのです。

ラルンガル・ゴンパでは十年間の仏教理論の学習が求められます。
毎年”問い方”と"答え方"の試験が行われます。
難解な知識の理解が15分の問答試験で行われ、その後3時間の筆記試験が。
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この"問い方"を求められることがいいなと。

大学教育における卒業論文もそうであるように本来学びの道にいる者には"良い答える"だけでなく"良い問いを生み出すこと"が求められるし、それは聖俗関係なく必要な能力だと想ったからです。

"情報"の価値がインターネットによって完全に破壊されてしまった現代、単純に情報量があるだけでは、もう価値がない今、"情報の身体性"はつまるところ"良い問いを生み出すこと"と"良い解を出すこと"。

古来からの学問のシンプルなセオリーですが、何かをインプットするときは、"問いと解"を意識しなければならない。単なる情報の羅列では価値は生まれない、そして知識・知恵に溺れることなく、"善い人間であろうとする心"を持たないと、全ては虚ろなものになってしまう、そう改めて思いました。

番組終盤、チベット仏教で行われる"鳥葬"が取り上げられました。
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人が死を迎えたとき、魂はその肉体から分離し、この世で漂い始める。ジョモ(尼僧)の真言は魂を慈悲深く供養すると信じられている。その後49日をかけ魂から人間的な感覚が失われ、次の再生の世界へ向かう。

亡骸が鳥葬場に運ばれ、閻魔の衣装を纏った鳥葬師によって、ハゲタカに捧げられる。
ハゲタカは魂を天界に運ぶ女神、"空行母"と信じられていて、ハゲタカに食べられることで、ハゲタカは腹いっぱいになれば他の動物を襲わず、別の命が救われる。

善き生まれ変わりになるための最後の功徳が鳥葬。

鳥葬師に輪廻転生の話を聴かせてほしいと頼むと、彼は「そのような質問に答えたこともないし、答える言葉も持ち合わせていない」と断った。

その代わり、お経を唱え始めたのです。

"この世に我も他者も存在しない 神も悪魔も存在しない
全ては無であり 悪も善もない 苦も楽もない 世俗も解脱もない
私の躰は供物として 鳥である空行母い献じます"
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まるでジョン・レノンの『イマジン』にような歌詞じゃないか。
"ポワ(魂の移転)"のお経だそうです。ポワってオウム真理教によって穢されてしまったけれど、本来はこんなにもロックな、身も蓋もない真実を言い放つ詩だったのか。

ボブ・ディランがノーベル文学賞を獲ったのも記憶に新しいですが、ロックミュージックの真価は真実を歌うことで社会に風穴を開けることで、だからこそ宗教指導者のような凄味を持っていたのだなと、ラルンガルの光景からそんなことを想起しました。

最後にツェテンさんのチベット語の読み書きを教える学校での活動と、2017年1月にツェテンさんの妹のユシィちゃんを訪ねた映像が。

"自分の故郷をどう思う?"という問いに応えたユシィちゃんの笑顔が眩しかったです。
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cf.
コーカサスに想う敬虔な質実さと都会の華美さのあいだ

# by wavesll | 2017-03-13 21:01 | 私信 | Comments(0)

吉岡徳仁 / スペクトル at 資生堂ギャラリー

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# by wavesll | 2017-03-12 17:28 | 展覧会 | Comments(0)

3.11から6年 刹那と継続

波よせて(石垣島、米原)


【小沢健二】流動体について (TV-LIVE)


3.11の時。一番苛烈な心情だった頃。

その時私は死が近かった心持から"お前らも漸く死を近くに感じたか"とかの呪いの気持ちと、"生き延びたことを先ずは気付かねばなるまい"という動転からSNSで東京の人々に向けて惨いことを口走っていました。

間接的な暴挙ではありますが、そこに被災者の方々への思い遣りはなく、我欲のみでした。

3.11で"普通の有り難み"に気づいた方々は多かったことでしょう。一方で、今も自殺者は2万人/年を超え、毎年3.11以上の厄災が起きていることは"普通の人々"からは"最終的には自己責任だし、仕方ないこと"とされる。結局”自分事”でないことは"他人事"、そんな"普通の人々"への恨みだったと今は想います。

誰しも"自分自身の視線"がスタンダード、デフォルトであって。"人生の重み"なんてのは自分で計ればいいことで他人に押し付けるものでは、ないですね。

あの時の自分は今平静から振り返ると惨いものがありました。音楽で安楽を伝えようとしてSNSで『波よせて』を薦めたり。津波があったばかりなのに。

時を経て今は"普通の人が普通の人生を成り立たせるためにどれだけ努力と研鑽をしているか"が身に沁みます。

"普通の人の無関心の冷酷さ"も認識した6、7年前。今は自分自身の未熟さや甘ったれさを認識すると共に、ただ大声で叫ぶだけでは逆効果、ということも振り返れば理解できます。

アダム・スミスも”施しは度を超えない”と書いていました。端的に言えば愛と尊厳が足りているからこそ、他者へ慈しみを持てるし、度を越えた慈愛の施しは寧ろ虚栄心から来て、犠牲感の無理を産むものなのかもしれません。

情報は幾らでも増殖しインフレーションを起こしますが、結果として身体性を伴わない虚像を産む恐れがあるのかもしれない、そしてそれは『西瓜糖の日々』のインボイル達のようにカタストロフへ繋がっていくのかもしれない…。

音楽や言葉は認知に働きかけるけれども、その魔法の前提、ファンダメンタルに関わる"世を成り立たせる仕事"もまた貴い。魔法を上滑りさせずに実体化するには、刹那の継続、身体性が必要なのかもしれない、朱夏に入りそんなことを想うようになりました。

そうした時に、小沢健二の新譜『流動体について』が心に浮上して。

最初聴いたときは焼き直しというか、“毎日の環境学の先がこれ?”と想ったのですがリリースから数日経って、不意に口ずさんでしまうメロディと“もしも過ちに気がつくことがなかったのなら”とリブートを示す歌詞に、王子さまではなくなったかも知らないけれど生身の人間等身大の身体性を感じて。

藝能の現場でサヴァイヴしていくには激烈なI/Oをやり抜かねばなりません。
その一種狂気を孕んだShowをMust Go Onして行く螺旋から降りて。サンプリングや引用といった自分以上の拡大から距離を離れて、その上で今『流動体について』に"再到達"したことが心に沁みたのです。

閑話休題。最近みた夢で、私はブログの記事について電話で釈明していました。その記事は書く書く言ってまるで書かなかった記事で。

高倉健を題材に“過ちを犯した後で、贖罪するにはどうすれば良いか”を書く予定のもの。どこかで刑務所から戻って来て、その罪の意識を背負った上で生きざるを得ない幸せの黄色いハンカチの高倉健は、侵略戦争の罪を負った上で国際社会で生きていかざるを得ない戦後日本のメタファだと聴いたのが深層意識に残っていたのだと想います。

私は結局、真に謝らずに筋通さずに生きてきてしまいました。

率直に謝る前段階の"過ちがあった"と認めるだけの事にこんなにも長い時間が掛かってしまいました。ただ、軽薄な謝罪の言葉よりも、自分は不遜だったと本心で認める方が私にとっては本質的なことでした。

色々な場所で失態を重ね、鬼門が増えてきた私にとっては世界の広さは救いでもあります。そして、そのひ弱さは邪悪ですらある、と今は想います。

過去は変えられないし、もう交わることもなくそれぞれの人生が伸びて行く事もあると想います。自分の身体で生活を営むだけでもタフな行為だし、博愛と虚栄は峻別しなければなりません。

摩擦や衝突に無理に身を突っ込むこともないだろうと想います。寧ろ相手に迷惑になることもあるだろうと想います。

その上で、今の自分で手が届く範囲には、一人の個人としてキャパを知った上で援けが出来る時していければ。"意識高い系"は要は"口だけ"だと想うので"刹那と継続の行為"で成していくことを積み重ねていきたい。些細なことから。

そして、言葉を積み重ねる事。言葉は言葉でしかないけれど、言葉。

一つ一つは紙のような薄さ/軽さでも、刹那を積み重ねて継続することで、情報は厚みと言う身体を、そして投下された正の時間分の重みを持つのだと想います。

結局のところ己は己の悩みしか負えません。他者と本気で向き合いたければ究極的には当事者となるしかないし、そうでないと薄っぺらになる。何かに真剣に向き合おうとするならば、時をかけて"自分事"にする他ありません。

起点はいつでもある。実は自身が権益や関係を持っていたり当事者性があることに気づくことだってあると想います。

無論、内部の"お約束"を無視した黒船的提案がさくっと盲点をついてケミストリーやパラダイムシフトを起こすこともあります。

しかし化学反応を起こす原料を作るのは時の積み重ね、技の積み重ねではないかなぁと今は想うのです。未開拓な道を示すのは素晴らしいけれど、言葉は仮想で。アイディアだけの空論と言われないためには身体を伴った行為、或いは実験、せめてアルゴリズムまで示す必要があると想います。

そして行為を為したらその結果を虚心坦懐に受け止めていく。文を認めることで澱と火と仁を浄めて。平成が終わりかけていくときに、私自身も何かの変容が来ていると感じます。幸運か、不運か。スロウスピードながら。

cf.
本音2.0

# by wavesll | 2017-03-11 12:08 | 小噺 | Comments(0)

透き通る文体の奥にある生と我 / リチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』個人的な読み解き

c0002171_21454752.jpgこの感想文はネタバレを含みます。ご注意を。ただ、この物語は文体や質感を味わう作品だと想います。

Richard Brautigan (原著), 藤本 和子 (翻訳) / 西瓜糖の日々を読みました。2度読みました。

2度、とあえて断ったのは初回の読後感が、まさにスイカの甘みのような、美味しいんだけれどどう感想を書いていいかがわからないものだったという事があったのです。

非常に繊細な"わたし"が身を寄せる、心の機微が尊重されるiDEATHというコミューンの姿とそこから弾かれた人達の破壊衝動の対比が西瓜糖のほのかな甘みの文体の先にありました。

そして今2回目の読書を終えて想うのはこの本は淡々とした現実的な時間進行でありながら、おとぎ話やSF的な要素の層を持ちながら、枠組みとしては『我と生』という存在を描こうとしたものであろう、ということです。

物語は大きく2つの構造があります。一つは組織対組織、一つは個人対個人。

この物語には「町」以外に、主人公が身を寄せるiDEATH(アイデス)に対してインボイルという狼藉者が暮らす『わすれられた世界』の一団、そして虎の群体という集団があります。

『西瓜糖の日々』では多くの事が完全に解説されずに話が進んでいくのですが、この『わすれられた世界』についてもそう。

ただ多くのファンタジーではこういった存在は"文明崩壊後の世界の側から見た現代社会をロストテクノロジーとして捉えたもの"であり、この本でもそれで大まかにはあっていると想います。

そうしてみるとマーガレットにとっては非常に面白いモノが落っこちているという、そして"わたし"にとっては醜悪なものが多いという『わすれられた世界』は"欲望が渦巻く現代消費世界の残骸"と捉えられます。

そして『iDEATH』とは『我執を捨てた者たちのコミューン』という意味なのではないか、と想うのです。

そう考えるとインボイルが「虎を殺してはならなかった」といい、己達を血みどろし死ぬことでアイデスを蘇らせようとしたことは、人食い虎達は暴力的な存在であるけれども、自然のままに生きている存在で、iDEATHが忌避する"資本主義的な欲望"から最も遠い存在でもあったからだと想います。

実際最後の虎達が殺されて燃やされた跡地にiDEATHが鱒の孵化場を創るのは「狩りから畜産」という"資本の蓄積"がiDEATH自身の内にあることを示しているのではないかと。

しかし結局のところ、欲望に溺れその原理を追求したインボイル達は自ら命を絶つ結果となりました。iDEATHという死を冠した組織の方が存続しました。

サステイナブルという観点で"進歩・発展"がない、或いは遅々として進まないiDEATHのような在り方の方が破滅へは至らず世界を消費しきらない、ということなのかもしれません。

ここでもう一つの構造、個人対個人に話を移したいと想います。

『西瓜糖の日々』は一言でいえば『"わたし"とマーガレットの話』です。
"わたし"はこの物語で描かれている日々、常にマーガレットに捉われています。

昔の恋人、しかしマーガレットは『わすれられた世界』の物達に魅了され、そのことに嫌悪感を持った"わたし"の心は離れ、今は"わたし"はポーリーンと付き合っている。

しかしマーガレットは未だに"わたし"に執着していて、マーガレットの親友だったポーリーンも気を病んでいる。

私は"わたし"の気持ちも分かるし、マーガレットやインボイルの気持ちも分かります。

単純に面白いことや刺激を追い求めたいマーガレットの探究心も分かるし、その刺激的な世界に身を置いているインボイルの側から見るとiDEATHの連中は愚鈍でお花畑で、現実をみていないようにみえるのもわかります。

逆に"わたし"等iDEATHの面々から見ると"何故不必要な快楽を得たいとするのか"とマーガレットやインボイルに嫌悪感を抱く。自分の中にない欲望を持った人間を人は忌避してしまう。

そうした無理解を受けたインボイルやマーガレットが、最初は理不尽からの悲しみを、そして怒りを覚え、対立、破壊衝動に駆られていく…。

快楽に身をゆだねる人は弱さを抱えていて、そして段々と"快楽を必要としている"から意識が"こんなに凄い快楽を得られる自分は凄い"になっていく。私自身もそういうところがあるので、この本を読んでいてちょっと心が痛んだところもありました。

"生の歓び"を謳歌しようとしたときに、その歓びが"大人しい人々"からは嫌悪の眼で見られる事、あると想います。

例えば私は中高の頃はクラスの端で寝てた人間なので、クラスの中心で騒いでいた連中をどこか斜めの眼でみていましたし、今だってFacebookのリア充自慢はちょっと見てられないなと想います。

一方で私自身も自分の気の合う人々とコミューンではないですが緩いつながりをもって、私自身の生の歓びを追求している。"i"を"DEATH"はさせられない、そうして日々を過ごしてます。

そして"わたし"自身もマーガレットに正面から向き合わず、避けることで彼女を死へと追い詰める、そしてそれを罪とも感じないドライさも、リチャード・ブローティガンは描き出しています。

この物語はどちらの肩を持つこともなく、明確な正解を出すわけでもない。或いはこうした物語構造としてのパースペクティヴをはっきりと示しているわけでもありません。

この”西瓜糖”の甘みのような、ほんのりした、すらすらと過ぎていく文章自体がこの物語の価値で、その曖昧として明確な解がないことが、この物語を"現実の比喩"に在らせているのだと想います。

自然の掟の虎でも、我執と欲望に駆られたインボイル一派でも、或いは西瓜糖のような生のiDEATHともまた違った、しかしそのトライアングルの内側のP点に私の人生は座標がある、そんな感想を持ちました。
# by wavesll | 2017-03-10 22:34 | 書評 | Comments(0)

中島健太初期作品 X 飛龍高校 和太鼓部 - 第2回全国高校生太鼓甲子園 最優秀賞 第28回音の貝合わせ

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飛龍高校 和太鼓部 - 第2回全国高校生太鼓甲子園 最優秀賞


火の心迸るMusicとArt.

中島健太さんは先日BS Fujiプライムマルシェで知ったとてもリアルな筆致の方で、番組では肖像画を描く権利をTVショッピングしていて。

番組では美術が生業と覚悟を決める前の、我が出た絵として紹介された大学時代のこの絵がとても気に入りました。

この情熱的な画に何を掛け合わせようかと想った時に思いついたのが和太鼓。
富士山太鼓まつりで披露された高校生たちの熱情あふるる好演が気合入っていいなと。
ほぼ打音のみと言うのがLee Gambleのようなハードコア・ビート感覚も。

全力、120%、200%と焔を昂る姿は、寧ろ生業ではないからこその凝縮なのかもしれませんね。

cf.
ホキ美術館 3つの個性―表現の可能性を探る― に行ってきた

# by wavesll | 2017-03-09 05:45 | La Musique Mariage | Comments(0)

東京富士美術館にて『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』をみる

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MOA美術館 熱海にて紅白梅図屏風をみるに続き八王子の東京富士美術館にWeekdayアート訪問。

目当てはナポレオンの白馬での峠越えの絵だったのですが、その他も大ボリュームでした。

ノエル=ニコラ・コワベル / ヴィーナスの誕生
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テオドール・ジェリコー / 突撃するナポレオン軍の将軍
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ロベール・ルフェーヴル / ナポレオン1世
ジャック=ルイ・ダヴィッドの工房 / 戴冠式の皇帝ナポレオン
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フランス・ウーテルス / アントニウスとクレオパトラ
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ジャン=マルク・ナティエ / ボーヴォー王女
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ピーテル・ブリューゲル(子) / 雪中の狩人
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ジャック=ノエル=マリー・フレミー / 皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式
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カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル) / ヴィネツィア、サンマルコ広場
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ピーテル・ブリューゲル (子) / 農民の結婚式
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フランソワ・ブーシェ / ヴィーナスの勝利
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ジャック・ルイ=ダヴィッドの工房 / サン=ベルナール峠を越えるボナパルト
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フランソワ・ジェラールの工房 / ナポレオン1世
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ルイ・ロランス・トランクス / 夜会の後で
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ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル / ユピテルとテティス
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ジョシュア・レノルズ / 少女と犬
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ウィリアム・アドルフ・ブーグロー / 漁師の娘
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ジャン=ジャック・エンネル / 少女の横顔
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ジョルジュ・クロエガート / 婦人像
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ジュール・ジェーム・ルージュロン / 鏡の前の装い
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ミケーレ・ゴルディジャーニ / シルクのソファー
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エウジェニオ・エドワルド・ザンビーギ / マンドリンを持つ女
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作者不詳 / 収穫のアレゴリー
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イポリット=カミーユ・デルピ / 夕暮れの舟遊び
ルイ・アレクサンドル・カビエ / 河畔
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クロード・モネ / 海辺の船
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クロード・モネ / プールヴィルの断崖
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ベルト・モリゾ / テラスにて
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ベルト・モリゾ / バラ色の服の少女
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メアリー・カサット / 団扇を持つバラ色の服の女
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エドガー・ドガ / 舞台の袖の踊り子
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フランソワ=シャルル・カシュー / 神秘的な月明かり
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この他、レオナルド・ダ・ヴィンチに基づく『タヴォラ・ドーリア』など写真NGのものがあって。その多くは現代絵画だったのですが、これが素晴らしかった。

アンディ・ウォーホル / ジャック・ニクラウスの肖像

マン・レイ / コンポジション(黄+青) 原色の躍動が美しい

マルク・シャガール / 曲馬

マリー・ローランサン / 二人の女

マン・レイ / スパニッシュ・ダンサー はギターラがリズミカルに配置され。
マン・レイ / オブリビア はちょっとエジプトっぽい感じ。

マックス・エルンスト / 青い背景の太陽は今回の展覧会の中でもイチオシな逸品。

ルネ・マグリット / 再開

ルーチョ・フォンターナ / 空間概念

ラルフ・ローゼンボーグ / アメリカ風景画、丘、河、そして岸辺

コンラッド・マルカ=レッリ / ミスター241 は金属的な地に赤の差し色

アンドリュー・ワイエス / 滝 の黒い滝

カレル・アペル / 鳥と猫 の色の乱脈

ジェール・オリツキイ / 美しい女性 の抽象ノイズ地

ジャン=ポール・リオペル / 喫煙者たち のメチャメチャな白

アーネスト・トローヴァ / ディプティク 黒地に白と赤で人物が抜かれてる抽象風景画

ブライアン・ワイルドスミス / 『お月さまと王女』原画〔「ぜったいいや!」〕(7~8)

アンディ・ウォーホル / キャンベル・スープ缶

アンディ・ウォーホル / ウーマン

アンディ・ウォーホル / ドロシー・ハミルの肖像

アンディ・ウォーホル / ブラスナー氏の肖像 これは結構アヴァンな色遣いで良かった。

アンディ・ウォーホル / ベルリン帝国議事堂

MOA美術館も世界救世教でしたがここは創価学会かー。宗教団体は美術を蒐集しますね。800円で写真もOKというのは恐るべし。アートと金は清濁ありますな。聖俗も。八王子からバスで15分強かかりましたが行っただけのことはありました。
# by wavesll | 2017-03-08 19:22 | 展覧会 | Comments(0)

YMO集団弾き逃げ -公共の楽器という概念

コジマ電気で「東風」を集団弾き逃げ


ベスト電器で「ライディーン」を集団弾き逃げ


コジマ電気で「千のナイフ」を集団弾き逃げ


弾き逃げなる行為、音楽のゲリラ活動でYMOっぽさある。
ドキュメント72時間「宮崎 路上ピアノが奏でる音は」でも感じたけれど、"公共の楽器"って概念自体が眩しい。スポーツでもそうだけど、"鑑賞"と"実演"の間にある壁を取っ払うのはアート行為だと想。
# by wavesll | 2017-03-08 03:19 | Sound Gem | Comments(0)