ニュースサイト論の話 プロフィールの話

この鴎庵というサイトでは、ニュースを載せる「小ネタ」と、日記を載せる「私信」と、それ以外のいわゆるblogっぽい文を載せる「小噺」というカテゴリでエントリを分けているのですが、最近その境目が書いてて分からなくなってきました。

ニュースにつけるコメントが小噺並みに長くなるときもあれば、小噺みたいな日記もあれば、ニュースっぽい日記もあるという感じです。

だから、極論を言えば、そんな境目はそもそもなかったのかもしれません。
もっと言えば、blogとニュースサイト、日記サイトをわざわざ分ける意味もないのかもしれません。

このエントリなんかで紹介した図では、日記とblogとニュースは繋がっているように書かれています。だから元々は「テキスト」という一つのものだったものを後から分類したものであって、絶対分けなければならないものではないのかもしれません。

そう考えると、最近のニュースサイト否定論とか、ニュースサイトの意義論なんかは、そもそも分ける必要がないので特になくてもかまわないような気がします。
もしやるなら、自分がやっていることややりたいことの意義を語ればいいと思います。

あたりまえのことですが、個々のサイトは個々のサイトであって、「ニュースサイト」や「blog」という分類そのものではないわけです。「動物」という動物がいるわけではなくて、更に言えば「犬」という犬がいるわけではなくて、実際にいるのは「ポチ」とか「シロ」なわけです。

それでも人間が物事を分類して捉えようとするのは、いってみれば思考の省エネ化のためだけでしょう。まぁいちいち同じことを繰り返すよりは「○○さんはニュースサイトだからきっとこういった書き方をするだろう」という期待を持って眺めたほうが閲覧作業を簡略化できるからでしょう。

でも、面白いことに、時として最初は「思考の省エネ化のためだった分類」が「集団としてのアイデンティティ」に変化してたりします。

「ニュースサイトを否定されると、自分のサイトが否定されるような気になる」。もしくは「自分はblogに属している」から「blogの優位性を打ち出し、ニュースサイトを否定したい」って感じで。
正直、ナンセンスだと思います。

ただ、blogに比べて、ニュースサイトをやっている人が集団への帰属意識を持ちやすいというのは凄く共感できます。ニュースサイトって相互互助の面が凄く大きいですから。

でも、だからといって自分と集団を同一視する必要はないのではないでしょうか。「分類」で割り切れるサイトは、どこにもないのですから。

と、ここまでは「分類すること」に対し、否定的な感じで書いてきたのですが、実際問題分類ってのは便利だし、分類してやっていかないとやっていけないっていうのはありますよね。

mixiの方でもちょっと書いたのですが、僕はプロフィールっていうのにも懐疑的で、確かに便利かもしれないけれど、プロフィールで割り切られて見られるのはやだなぁと思っていたのですが、「色眼鏡をあえて閲覧者にかけさせるのもいいのでは」というアドバイスを頂いて、それもいいかもしれないかなぁとも思って、とりあえず今までの自分の考えを出す形でこのエントリを書いてみました。

プロフィールとか、分類とか、もっといえばブランド、名前なんかは、確かに予測や期待や偏見を生むかもしれないけれど、それを逆に利用して、イメージを促進させたり、イメージを裏切っていくのも面白いかもしれないとは思います。

ただ、その場合でも、そのイメージと自分を同一視するのはやはりナンセンスなことだと思います。
by wavesll | 2005-04-06 22:46 | 小噺 | Trackback | Comments(0)
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