人気ブログランキング | 話題のタグを見る

EDEN

今日は香川に行ってしまう友達と横浜の牛角で飲んだ。

その時いわれたのは、「全然ジェネラルじゃない」「周りに変な人を呼び寄せてる」「研究者に向いている」ということだった。

まー奴は肉の会の中では一般的な感覚を持った奴だからなー、普通の奴から見たら俺はそう見えるんだろう。「個性がありすぎる」らしいし、俺は。まー会社組織で一回失敗するくらいは<規格>から外れたんだろうなー。

でも、<普通>ってのは一体何なんだろうなーと想う。一種の幻想なのではないだろうかとすら思う。考えてみれば<普通の人生>ってのも変な言葉だ。人の人生は個々だし、それぞれ特別なものだからだ。

なんか『人間失格』の「世間とは、お前だろ」という台詞を想い出すことが多い今日この頃だわ。主語が自分じゃない人が多すぎる、日本人は。

みなが考えが違うからこそ、あるいは持っている情報が違うからこそ交換する価値がある。俺はみんなの個性を知りたかったんだ。むしろ俺からすると人から違ったところこそが愛すべきポイントだし、よりみなのことを知るために君らの個性をしりたかった。

しかし、日本人は無個性であろうと努力してるのかもしれない。目立つこと、人から注目を浴びること、出る杭になることを避け、出る杭は打とうとするんだよなー。だから出過ぎた杭になるしかなかった、俺は。

ムラ社会の同調圧力から解き放たれてる人、自己検閲をしない人は、圧力の中にいる人から見ると<なんて自由にやってるのだろう>とみえるかもしれない。しかし、浮いた存在として見られること自体は俺にとってもなんとも居心地が悪い。ああ、この状態にみんななりたくないから自己主張しないんだなって感じだ。

今の日本人はムラの人間が都会に出てきたような、なんかどっちつかずの変な具合だ。
俺自身も変な具合にムラと都会が混じっている。というかこれは明治に夏目漱石が感じた共同体意識と個人主義の軋轢に他ならないのかも。

俺にとって日本社会って、ホームグラウンドというよりアウェイなんだよなー。だから海外の方が好きなのかもしれない。あるいは<旅してる人>ならば最初から<外部の人>だから楽しいのかもなー。

やっぱ俺は海外で就職することも念頭に置いてこの先人生組み立てようかな―、英語のリーディングライティングリスニングを趣味と実益を兼ねて勉強しなおそうかな。

ここではないどこかに約束の地があるという幻想が俺がこの國で生きていく為には必要だなー。


Yes - Sweetness

彼女は雨の午後に陽光を射してくれる
彼女は愛らしさをスプーンで掻きまわしてくれる
彼女は俺をみて、俺を沈んだ気分にはさせない
彼女は優しくしてくれる
彼女は俺を心地よくするために何を言えばいいのか知っている
俺がひとりきりでいたくない時に
今日、彼女は俺を連れ出し彼女が何処にいたのか話してくれた
彼女は俺を落ちつけて、甘美さの中に入れてくれる
どこかに行って見渡さないかと俺は彼女に伝えよう
彼女は愛らしさをみせてくれるはずだ
彼女は晴れ渡った日にする為に何を言えばいいかを知っている
俺が孤独になりたくない時に
君の宇宙が存在しなかったとしたら君がどう感じるか教えて欲しい
誰も抱きしめられなかったら。俺はやりかたが解らない。
俺は今日が今日なことが嬉しい。君がここにいてくれて嬉しい。


この歌、『バッファロー'66』のエンディング曲なんだけど、ギャロの気持ち、わかるなー。多分俺のサンクチュアリはどこにもなくて、ただ関係性の中にあるんだろう。
by wavesll | 2011-03-21 04:55 | 私信 | Comments(0)
<< 箇条書き春分の日 期待値を下げる >>