俺は人間というものは糞袋だと想っていた。いや、今もその点はその通りだと想っている。
生命は他者を傷つけて生きている。特に人間は傍若無人に他の種を危険にさらして平気な顔をしているような最悪の種だ。滅んだ方が善いと想っていた。いや、今もその点はその通りだと想っている。
しかし、そんな俺でも去年、ほんとに死ぬかと想うような出来事があった時に想ったのは<死にたくない>という想いだった。誰しも生きていきたいんだという非常に基本的なことにようやく気付けた。
俺は福本先生の描いた
アカギの思想に感化されて、常に自由に、成功を貯めず、身は軽く、半ば死を望みながら生きる生き方をしてきたいと想っていた。それがロックだと想ったから。今でもなるだけ自由に、身は軽く生きていたい。
その結果、一人きりでやれることは或る程度限界までやれたと想う。26年間で俺は俺自身が到達できる結構上の方まで到達できたという感覚はある。何しろ、妄想の中とは言え、宗教団体と敵対して自爆テロかまし、これまた暗示の中かも知れないがUFOに追われてるんだからwんでもってモテたいという欲求も南米で晴れたしw小説っぽい書き物もかけたし。大学出た時は26までにここまでのことになるとは想えなかった。
そして今思うのはある女の子が俺に言った「ロックじゃなくてもいいじゃないですか、相手を幸せにするためならば」という言葉だ。
確かに、今まで俺は自分のことばかりを考えて、周りの事をそんなに考えてなかったのかもしれない。というか、周りの人間も我慢せずにやりたいことをやっているもんだと想っていたが、おそらくは言いたい事も言わず、やりたいこともやらない人生を送っているんだろう。
俺自身がこれかやるべきことは、俺個人の幸福や自由を追求することと共に、手の届く範囲の人々の幸福や自由を達成することなのかもしれないなぁと想う。
俺はこれまでの生き方を少し変えようと、去年の末くらいから想っている。それはコミュニケーションすることだ。おそらく、自己主張をしてこなかった人達はそれに慣れて仕舞って、自己主張がそもそもできない体になってしまっている。そういう人たちに働きかけて、自己表現できる、アシストだけでなく自分でゴールが決められる人へCoachingしていくことが、これから俺がしていきたいことだ。
人生一度きり、やりたいことをやりきる勇気を与えられるような人間になりたい。
それだけでなく、ロックの定義も変えることにした。
死に向うだけでなく、生きて還ってくる。愛する人と共に生きるということを、当り前だが大切にしたい。俺は昔は自分自身の命も大切に扱わなかったが、それでは俺を想ってくれている人の気持ちを傷つけて仕舞っていることにようやく気付いた。もちろん俺の気持ちも大事なのだが、これからは周りの気持ちも大事にしようと想う。対話し、コミュニケーションする中で、より善い生を歩めればいいなと想。
椎名林檎 -- ありあまる富