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ドラッカーを読む ~コミュニケーション、教育ある人間としての在り方編~

サニーデイ・サービス「ふたつのハート」


ここ10日くらい『はじめて読むドラッカー【自己実現編】プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』を読んでいた。

本自体は歯医者に勤める母親が勤め先の先生に勧められて持ってきたのを適当に読んだのだが、なかなかどうしてドラッカー、ただ売れてるだけじゃなくて本当に内容がある人で、特に<知識社会が来ているし、来る>という考えは俺が大学生の頃に考えてたのと同じだったし、他にも個人的に腑に落ちまくる点がありまくる好著だった。これを気に他のエッセンシャル版も読んでみようかと想った。

そこで今回から数回にわたり、この本の中で印象に残った部分を紹介していきたい。


<<コミュニケーションは発信する側ではなく、受け取る側が重要>>
コミュニケーションをする上で、<人は自分の期待するものしか知覚しない>という大原則を忘れてはならない。期待に反するコミュニケーションをされると、人はそれを無視するか、反発する。

だから、コミュニケーションの発話者は受け手の理解できる言葉で話すべきだし、受け手が何を求めているのかを理解することが重要だ。

しかしそれ以上に<受け手が発話者のことを理解することが重要である>。
例えば部下に自分がやっているような意思決定の責任を与えることで、上司が直面している問題に対する理解が生まれ、普段何故上司が部下に対しそのようなことを言っているかに共感できるようになる。

つまり自分自身がコミュニケーションのプレイヤーとしての能力を問われる時、最も重要なのは<何をどのように言えるか>ではなく<何をどのように理解できるか>である。


つまり、コミュニケーションされた物事に対して相手の意見をいかに理解できるかが本来コミュニケーションにおいては大事だという事。もちろん発話者の立場に立った時でも相手の事を理解して、相手に伝わるようにコミュニケーションは行われなければならない。そしてその為には、相手の立場をロールプレイするといいということだった。


<<教育をこれからの社会の中で活かしていく為に>>
今の若者は大学を卒業して数年後には、「勉強してきたことに意味はない。現在していることや、関心あることや、なりたいと思っているものと関係ない」として教養課程も一般教養も完全に拒否している。

しかし、ポスト資本主義社会においてはこれまでのどの社会よりも教育ある人間を必要とする。もちろん人文主義者の言うような書物偏重主義は超越され、教育的な人間は分析的な能力だけでなく、経験的な知覚を持つ。

ポスト資本主義社会は「知識社会」であると共に「組織社会」である。この二つの社会は相互依存でありながら概念・世界観・価値観を異にする。知識人は組織を手段として見る。

つまり組織のおかげで彼らの専門化された知識を適用することができる。一方で経営管理者は知識を組織の目的を実現する為の手段として見る。

知識人にとっては組織が無いと<好きな事をするだけ>になり、意味あるものが無くなる。逆に組織人の世界も、知識人による均衡がなければ、組織人が支配する無気力な灰色の世界になってしまう。

これからの人々は、知識社会と組織社会両方に属し、生きていかなければならない。

そして、知識人は自分の専門知識を一般知識としてわかりやすく発信することで、社会の構成員同士での相互理解を進めなければならない。つまり社会の中で活きた知識が教養にならなければならない。

その際、他の専門分野の理解において必要なのは、それが「何についてのものか」「何をしようとするものか」「中心的な関心事は何か」「中心的な理論は何か」「どのような新しい洞察を与えてくれるか」「それについて知られていない事は何か」「問題や関心は何か」ということだ。裏を返せばこれらのことを発信することで、真の知識人として意味あるものになれる。


俺はこの世界からブラックボックスなくしたい。すべてとは言わずとも、中心的な部分に関しては色々な業界の<常識>を理解できて、<話せる奴>になりたい。その為にできるだけ色々な業界で、その業界のコアな部分を話してくれる人たちと付き合って、様々な<本当に使える教養>を身につけたいと思っている。


サニーデイ・サーヴィス 『青春狂走曲』
今朝の風はなんだかちょっと
冷たく肌に吹いてくるんだ
ぼんやりした頭が少ししゃんとするんだ
憶えてない夢のせいで心が
何メートルか沈み込むんだ
熱い濃いコーヒーを飲みたいんだ
そっちはどうだい うまくやってるかい
こっちはこうさ どうにもならんよ
今んとこはまあ そんな感じなんだ

夏の朝がぼくに呼びかける
「調子はどうだい うまくやっているかい」
気分が良くなって外へ飛び出すんだ
愉快な話どこかにないかい?
そんなふうなこと口にしてみれば
街を歩く足どりも軽くなるから不思議さ
そっちはどうだい うまくやってるかい
こっちはこうさ どうにもならんよ
今んとこはまあ そんな感じなんだ

きみに会ったらどんなふうな話をしよう
そんなこと考えると楽しくなるんです

そっちはどうだい うまくやっているかい
こっちはこうさ どうにもならんよ
今んとこはまあ そんな感じなんだ
by wavesll | 2011-03-28 12:08 | 小噺 | Comments(0)
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