金閣寺読了

昨年末からちょびちょび読んできて、ようやく読み終わった三島の『金閣寺』、途中経過の時も書いたが、豊饒な表現に酔いしれた。美についての懊悩、人生の挫折と破滅への運命的なまでの堕ち方。その暗い耀きに共感してしまう私はアラサーの中二だな。破滅を起こしたのちに生きようと思う身勝手さも人間の業としてリアルだ。本当に面白かった。

吃りにより世界に置き去りにされる感覚はコミュニケーション力に劣る人には己の事のように思えると思う。異性に対する苦手さから『人生』を進めていないと考え更に拗らせるのも若者の一典型だと感じた。アウトサイダーの持つ重力は適正な距離を保ちながら描写され人間の一つの真実を画いていた。

悪友の柏木のキャラもいい。賢しく世を渡り悪の道を主人公に示す彼が悟ったように語る美の論はなんとなく得心が言った。美は虫歯のように四六時中頭を悩ませるが、それを切り捨ててみるとなんでこんなものに頭を悩まされていたんだろうと感じるものであり、しかしいくら悩まされたとしても、それに耐えていくことこそが社会における解だという。

それに対し、主人公は最後は押し流されるかのように美を切り捨ててしまう。

それまで憧れ、憎み、圧倒され時に落胆した金閣の美が舞い狂う。その絢爛な幻との対決に彼は勝利したのか?南仙和尚が猫を殺したように美を灰塵に帰したのだろうか。彼に待っているのは重い未来。しかし小説は最高潮で終る。それまでの生の重みが爆発し解放された状態で終るのが蛇足なく美しい。

しかしある意味で自分のことのようにこの『金閣寺』を読んだ私にとって一番知りたいのは、爆発の後の人生は、出涸らしだったのかどうかという事だ。物語では描かれない、その後の生に興味があった。

この小説は現実に起きた金閣寺放火焼失事件を基にしている。

金閣寺の放火犯人である林承賢は、7年の刑期の間に統合失調症と結核を悪化させ、病院で病死している。結局狂った人間は狂ったまま死んでいくのかもしれない。彼の人生のクライマックスはまさしく金閣寺放火の瞬間だったのかもしれない。

しかし三島の描いた青年の今後の人生は現実とは異なった経過を見せそうだなと、最後に示された生の意志から感じた。その人生において彼は幸せを掴めるかはわからない。むしろ不幸な一生を送ることになったかもしれないが、生は続く。無様でも生きていくという結末を三島が書いたことが、私は嬉しかった。

確かに、主人公は物語の中で自分から見ても他人から見ても平凡な人から外れ、異常者としてみられながら今後の生を生きることになるだろう。実際、人の道を踏み外してしまったのかもしれない。普通の幸せとは全く別の所に幸福を求めた彼の行動は、社会的に見れば狂っているだろう。 この小説は、世間でまっとうに『人生』を送っている人には響かないかもしれない。

しかし彼の行為は彼の人生からしたら必然であり、その後その負の影響を受けながらも生を生きていくにしても、彼の人生を丸ごとかけてみた幻は、その認識は決して平凡な人生では味わえなかったものなのだろうと、三島の名文から感じられた。人生や社会における狂人には狂人にしかみられない特別な景色がある。それを普通の人に伝達する筆力を、『金閣寺』から感じた。

そしてそれは、私が小説に求めるものそのものだった。
by wavesll | 2013-01-28 02:46 | 書評 | Trackback | Comments(0)
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