今年は初めて秋が好きになったと自覚できた年でした。
想えばこの数年、私は春から夏にかけての時期を最も好み、夏が過ぎたのちは"「夏は楽しかったね、いい加減な事、言っていた気がするよね」とベンジーが歌っていたなぁ"等とあの熱の影を求めて、寒冷な季節を歩いていました。
そんな自分が秋が好きになったのは、デング熱が去った代々木公園を歩いたら、夕映えの樹々が赤銅色に、滲黄に燃え枯れ、肌に凍みる風と足元の葉を踏みしめる感触が、たまらなく心に響いたからでした。
今年は人間的にも、社会との関わりとしても、学んだことが多くあり、その出会いと別れ、選択の結果を受け入れる事、と共に自分もまた"若葉"を自分の属性としてみなせないフェーズに、徐々に、しかしいよいよ漸く入ったのだなと想ったから、あの秋の夕が自分の心臓の襞に吸い付き、新たな楽章が鳴り始めているのだななんて想います。
今、自分にとっては懐メロとも違うのですが、生徒、学生の頃にリリースされた音源に、揺り動かされます。それも当時はあまり魅力を感じなかった楽曲に。
バンドの、彼らの当時の年齢に自分が近づき、心情の熱運動が、若葉から深緑、そして朱黄に変化していく過程なのかもしれません。
"別れ"の感傷を想起させる曲、あるいは夏の熱が冷えた後に鳴らす音。そんな音として今秋に良く聴いたのは『AJICO SHOW』でした。
Blankey Jet City解散の後、様々なバンドが組まれましたが、ベンジーがやった中で、現時点の自分が一番好きなのは、このあっという間に去っていったajicoというバンドです。
当時の中高生だった自分には、あまりにも大人で、渋すぎると感じていた楽曲が、今心地よい。どころかエンターテイメントとしてのサービスな甘さも特にギターに十分ジューシーに含まれ、舌も苦みが美味しく感じるようになったものなぁと感慨深く思います。
地元から共にやっていた仲間と離れ、社会の中で出会った人脈で組んだスーパー・バンドの化学反応。あっという間に散ってしまった深緑色した焔。この音が響く耳になったのは、俺にはまた豊かな未開地が開けた気がし、痛みも苦みも、幸福の一種なのだなと感じる晩秋になりました。
”Pepin”
”深緑”
ブランキーには再結成してほしくないし、少なくともあの三人で昔の曲やられたら、喜んでも悲しい。
きっとajicoもあれきりだから美しいのだと思います。
更に俺が老けて、丸くなって、柔らかくなってしまったら、その頃にはみなまろやかになってロックンロール鳴らすのかな、あるいは"楽しそうだからまたやろうぜ"みたいになるのを喜べるようになるかもしれません。それはちょっと見てみたい気もしますが、ナイフの切れ味が錆びるのを喜ぶほど、まだ自分はまろやかではないですね。でもベンジーが「またどっかで会おうぜ」って言ったのは、単純に嬉しかったです。