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初詣-海辺の墓地-No man's land / Xen-リヴァイアサン-火の玉ホール→謹賀新年

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初詣の帰り、ふと道路で耳を澄ますと、まだ松が明けていない朝の丘から鳥の囀りが響いていました。それにクルマの走行音が加わり、まるでエクスペリメンタルなコラージュのような音だなと、世界には素晴らしい音像が囁くように、呻るように、鳴っていると感慨深く想いました。ただ、魔法のような瞬間は走行音が増していき掻き消えてしまいましたが。

そして今日、岩波文庫の鈴木信太郎訳、ポール・ヴァレリー詩集を手に取り、東横線に乗りました。
これは大分前に絶版になってしまい、AMAZONのマーケットプレイスで購入し、その壮麗な文章に惚れ惚れしながら読んでいたのは良かったのですが、いつのまにかどこかへ行ってしまい、なんだよー畜生、と思っていたのですが、昨年末の大掃除で見付かり、また愉しめると、ささやかな歓びを味わっていたものでした。

渋谷タワレコで入江陽さんの新譜『仕事』なんかを物色し、生活感と感性を両立していて素晴らしい出来だなぁと一通り思った後、2Fのカフェで先ほど述べた『ヴァレリー詩集』を読みました。

その中でも『海辺の墓地』という詩が素晴らしかった。

懶惰な生活を送り、独りきりで海辺の寺院に訪ねた男が、その環境、自然・彫像・君・記憶・死者達に圧倒され、人生の光闇を省察し、打ちのめされるように墓の先の海を眺める。そして不意に風が起きる。生きねばならぬ。と覚る詩。

ヴァレリーの、この旧仮名遣いで訳された詩集を読む楽しみの大半はその宝玉のような表現に酔う為で、意味は大して分かりません。だがこの『風たちぬ』冒頭に引用された『海辺の墓地』は、理解できる。それは"解らない"という美しい霧が晴れてしまうことではありますが、現れた風景に心揺さぶられてしまいました。

前回のエントリで、ここ数年に私に起きた個人的な躁鬱バブル後の"失われた4年"のようなものを書きましたが、この詩を読み終わったとき、私の霧も晴れたというか、自分の過去の中で"失われている時期"というものはなく、それは蛹のように体内での変容と、新たな経験を得続けてきて、今自分には未来しかないとでもいうような、過去と連続する現在の先端を肯定的に認識できる境地を味わえました。本当に素晴らしい藝術は、体験するものの認知に大きく作用するものですね。

その時自分の中に響いていたのは、Chris WatsonのNo Man's Landでした。

海鳥の声、風音、波音から彫り込まれた嵐の音像。それを浜辺か、岸壁か、眺めている。精神と肉体を風が抜けていき、飲み込まれるこのフィールド・レコーディング作品が、『海辺の墓地』にはうってつけの音だなと思いながら山手線に揺られ高田馬場へ向かいました。

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早稲田松竹で観たのは『リヴァイアサン』。これは弩級の映像と音によるパンクでソリッドな交響詩でした。あまりに良すぎて、そしてどうやって撮ったのかが知りたくて10数年買っていなかったパンフを購入してしまいました。

ハーバード大学「感覚民族誌学研究所」のルーシアン・キャステーヌ=テイラーとヴェレナ・パラヴェルによって撮られたこの作品。『白鯨』を産んだ海での漁を写したセリフのない90分間。
当初持ち込んだ通常のカメラが海に飲まれたことで、GoProを漁師の腕や網、魚につけ、あの海蛇のはらわたの中のような映像が記録されていました。

その粗さもある、しかし生々しくうねるはらわたが飛び出た魚達の画、空を飛ぶのか天と地が定かでない光悦のアートのようなカモメ達。まるで息継ぎをするように水中と海面をゆくカメラ。凄まじい映像の波状に驚かされると共に、感動させられたのはそのサウンドでした。

生々しいチェーンの響き、水へ突入しまた飛び出る音像、絶え間ない波とモーター音。まるでフィールド・レコーディングのような、パンク・アンビエントのような。そう、Chris Watson/No Man's Landの先の音が鳴っていました。

その音像はArca、D/P/I、shotahiramaへ通じるような、いやNo Man's LandとXenを止揚したような凄まじく生々しく、自然の命の遣り取り、海の霊魂の本質に迫るような音が編纂されていました。

Arca - Xen [Full Album]


『Leviathan』は、夜も昼もない、時間が引き伸ばされた危険な空間での生を克明に寫していると共に、文化人類学と天然自然の本質をえぐる、全貌が見えない魅力に満ちた作品で、これをみて自分はどこか目標を与えられたような、この高みにまで届くよう、この鉱脈を進められるような力まで努めたいと想いました。

なんか、一年がようやく始まったような、そんな気分です。

P.S.これ書き終わってPirate Radio聴いたら沖縄は火の玉ホールの最高にハイなパーリーの現場が流れてて、新年あけましておめでとうございますって気になりました。謹賀新年!

火の玉ホール Documentary Film [KIICHI]

by wavesll | 2015-01-07 01:31 | 私信 | Comments(0)
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