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櫻流れて

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宇多田ヒカル の『桜流し』をXperiaでかけながら、公園を歩きました。

夜桜は儚くて、宵闇に白く浮かび上がって生命力が零れ落ちるような盛りを迎えていました。

この公園、以前『桜風』というエントリで紹介したところなのですが、一番見事だった箇所が歩道の造成工事で桜が伐採され、今はさびしくなってしまったなぁ、この桜の残骸、はらはらと崩れる桜の儚さに、しみじみ『桜流し』が沁みました。

桜の花は、今この時に溌剌と咲き、散っていきます。その移り変わりに、ある人は今を生きる姿を見るのでしょうし、ある人は翌年の桜や、昨年の桜を想うのでしょう。私はどうかな?今は今しか考えられないかもしれません。未来につながる岩盤を砕くには、あるいは溶かすには、まだ私には時間が必要だと感じています。それが叶えられるかはまた別の問いですが。。

今、桜流しを流したら、宇多田ヒカルのライヴ動画が連続再生されました。

私からすると、早熟な彼女が自分と同世代なことは驚きを禁じえませんが、彼女を見ていると何度でも花を咲かせて、休んで、一生分の経験を何周もすることができるのだなと思います。(活動休止直前のライヴビューイングを鴨居の映画館で見た時、思わず「何回生きてんだあんたは」といったことを思い出しました。)

自分は彼女から何周も引き離されていますが、今年の櫻が散り流れた後の葉桜の若々しさ、冬の幹の質実剛健さ、そしてまた初々しく来年咲くまで、とりあえず一年、流れを泳いで行こうと思いました。変わるために、変わらないために、泳ぎ、深い河を渡って、また櫻を愛でられたらいいなと思いました。

来年は彼女でもできたら六義園の枝垂桜でも観に行きたいですね。いや、実は先日駒込まで出かけたのですが、あんまりにも行列が長くて踵返しちまったので、そこら辺も来年こそはって感じですw
by wavesll | 2015-03-31 21:40 | 私信 | Comments(0)
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