BLANKEY JET CITY LAST STAGE FUJIROCK2000(full)
真夜中に"ロメオ"が聴きたくなってYoutubeで再生してたら、連続再生されたのがこの、ブランキーによるFujirock 2000年のヘッドライナーの映像でした。
「おぉ!これ、当時WOWOWみれる友達に録ってもらったなぁ、MXでアンコールのBABYBABYの現地録音MP3落として、音質悪すぎるのに食い入るように聴いてたなぁ」なんて感慨に耽りながら流していました。
ただ、やはり15年経ったからかもしれませんが、ブランキーと自分のモードが離れてしまった気がします。純粋な、純粋なロックンロール(まぁブランキーの場合ロカビリーも入ってるとは思いますが)。三人の鳴らすR'N'Rに物凄い切実な熱狂が起こる苗場をみて、あぁ、狂おしくロケンローを求めた自分の純粋さは、あれから15年たって少し年を喰ったのかもしれないと感じました。
自分の一番大切な、純粋な音楽への想いは今もBlankeyを聴くと感じるし、そういったサンクチュアリな音楽ではあるのだけれども、15年、経ったなぁと想うのです。
逆に以前
「(失っていたとみられた)ゼロ年代邦楽ベストと現在の都市インディー」というエントリに書いたように、SherbetsやAjicoがとても響く心身に今はなっているのです。
後はブラックミュージック。今年みたD'AngeloやP-FUNKのライヴは生涯ベスト級の感動がありましたし、JTNC系のジャズやFly-loのようなLAビートが今の生活に寄り添っている感覚はあります。
そしてロック系だとノイズ、シューゲイザーを聴くようにもなりました。Dommuneをきっかけにクラブへも足を運ぶようにもなって、ノイズ系の音楽を好むようになったし、Fujirockで興味がわきマイブラ、スロウダイヴ、ライドなんかも聴くようになりました。
更にいえば、ヘヴィメタルを聴くようになりました。直接的には2013年のサマソニでメタリカを体験し、それまで食わず嫌いだったメタルに対する扉が開かれ、上に書いたようなノイズ・シューゲイザーを通過して、この夏は
アルゼンチン産ブラックメタルバンド、Downfall of Nurや今更
SlipknotのIowaに嵌ってしまっておりますw
へヴィで厚みのある音に魅了されるのは何も自分だけでない気がします。
今年サマソニでZEDDをみて想ったのは、メタルとEDMは表裏一体の現象なのではないかという事でした。
ZEDDの音楽は、図太く通底し連打されるビート、派手にかき鳴らされるメロディも快楽を刺激しますが、メロディというよりもビートで揚げる音楽なのだなと感じたのです。
片やウィーイ、片や地獄の音楽でありながら、それを求める心のベクトルは違っても、求めるものは肚に響くラウドミュージックなのではないかなと。
EDMはちゃらちゃらした音楽だと偏見を持っていたのですが、実際にマリンのヴィジョンに映る10代・20代前半のオーディエンスの切なく堪らなく食い入るようにZEDDを求める顔を見て、少し印象が変わりました。これは何度も書いているのですが、全部歌えるのが凄い。本当に自分が中高生の頃、それこそブランキーやブルーハーツを何度も何度も聴いて完全に歌えるようになってたなぁという頃を思い出しました。
今、この文章を書きながらブランキーのフジロックを流しているのですが、逆に今の耳で聞くと、一つのジャンル音楽というか、ブランキーの持つロカビリーの要素が面白く聴こえます。それにやっぱり自分はロックの要素が無い音楽はなかなか聞けないなぁ、自分の血肉にロックはなっているのだなぁとも思います。
さて、これまでR'N'Rから離れた地まで来た旅路を書いてきたのですが、実は最近、自分の中で特別な感情を持つバンドが生まれています。
Brue Straightというバンドで、高円寺を中心に活躍する3ピースバンド、なんとベースの女の子は凄い髪の色をした白人という、ぱっと見でもインパクトのあるバンドなのです。
2014/07/14 高円寺CLUB MISSION'S①
この東京おんりぃわんというライヴハウス・サーキットを敢行し、先日は赤坂BLITZでも演ったりしているブルーストレート。
このバンドのドラム、マサキさんは私の大学のサークルの一つ上の人で、まぁ、もう正直マサさんのこの10年強のバンド活動を見ている身としては正直心情的にもう客観的にはみていないかもしれませんw
私自身、今年3回くらいライヴをみているのですが、バンドの成長をまざまざと感じて、マサさん以外のキンちゃん、コーラルそれぞれの心意気にも刺激を受けるし、色々バンドは聴いてきたけれど、こんな心情的距離感をロック・バンドに持つのは初めてかもしれません。こういう感情でロックを提示されると、なんかロックの初期衝動がダイレクトに響き自分の中で蘇る気がします。
こうしてエントリの出発点と着地点がやっぱりロックになったのですが、色々聴いた上でロックに対して想うのは、ロックの神髄は己の心情を歌い上げることにあるなぁということ。伝えたいことがあって、それを刺さるように鳴らすために音がある気がします。その精神性がロックの背骨。勿論、刺激的なサウンドが魅力的なバンドはたくさんあるし、その楽しさもロックなのだけれども、今ロックを聴いたときに、信条や哲学・気持ちがこんなに乗る音楽ってないなぁと、改めて想った朝でした。てか5時起きてしてロックの話していましたwどーしようもねーな俺も、これでも勤め人なのですけれどもね(苦笑