落日の夏。熱幻に噎せ返る奔流。されどしゃらりとした華奢さに此の国を感じる

NATSUMEN / No Reason up to the Death [PV]


夏が終わると決まって自分はNATSUMENをかけたくなります。
「夏を古くするな…」と見知らぬオッチャンからメッセージを託され結成された8人組プログレッシブハードコアフリージャズアグレッシブインプロビゼーションロックバンド。
出る出ると言われて全然でない3rdに待ちくたびれながら(NETWORKSも2nd出しましたよ、関係ないけど。AXSXEさんそろそろお願いっす><)、それでも聴いちゃうこのバンド。一種日本におけるプログレッシヴ・ハード・ラテンというか、凶暴なサウダージをこのバンドの音からは感じて、その淋しさが燃えながら海へ潜っていくような景色が、1年を1日にした時、あぁこれで陽が沈み、夜が始まるんだと予感させる、私にとってNATSUMENはそんなバンドです。Septemujinaの季語ですねw

この間行ったサントリー美術館での藤田美術館の至宝 国宝 曜変天目茶碗と日本の美展で改めて想ったのですが、つくづく自分は日本の人間でした。

美術の見始め、それこそ小中学生の頃なんかは油絵、それもどぎついの、ゴッホやムンクが大好きで、日本画なんか地味だし、興味も持てなかったのですが、歳を重ねるごとに日本美術がどんどん好きになっていく自分がいます。

勿論、桃山文化の様な華美なものや、現代的な感性を先取りしたかのようなデザイン性の高いものも好きなのですが、特にここ1・2年で好むようになったものに仏画と焼き物があります。

それまでもへうげものによって焼き物や茶器を見る目が代わって、極渋という観点で日本美術をみたり、あるいはギャラリーフェイク的なパースペクティヴで日本の美を視たりしていたのですが、決定的に開眼させられたのは日本国宝展。あそこで展示されていた孔雀明王の絵と象に載った普賢菩薩の絵に、新世界を啓かれました。(ぐぐったら画像出てくるのですが、特に孔雀明王は実物の感動からは程遠いのでlinkは貼りません)

今年は今年で琳派400年なこともあり、その非・バランスな平衡感覚の極致に感銘を受ける年になっているのですが、先日の六本木での展覧会で久々にたおやかな日本美術の質感に触れ、あぁ、これが俺にとって一番心地いい、魂の土地の感覚だ、本当にしっくりきて居心地のいい藝術だと、しみじみ蕩けてしまいました。

薄さ、か細さ、アンバランスなバランス。日本の美はこんなにも素晴らしい、本当に好きだ。日本。と想わされました。

NATSUMENの音を聴いていると、派手だし、尖っているし、西洋の楽器や作法で奏でられた音楽なのだけれども、その華奢な音像の広がりに、日本の自然の美を感じる自分がいます。

他者を通じてしか自己を規定できない"人間"の国において、西洋を初めとする国際化は未だにそこかしこをもにょらせている嫌いもありますが(例えばホテルオークラの建て替えにしたってそういう価値観の軋轢な面もあると思う。直接の理由は耐震強化と高層化だとしても)、今まさにこの国はこの星の中でのポジションと思想を創り上げようと悪戦苦闘しているパラダイムシフトの時期だと思うし、もしTOKYO2020に何かしらの意味があるならば、平成の時代の日本が現代グローバル文明の中でいかに生きていくかの意思表明の場になればいいなと、かなり論に飛躍がありますが思いましたw

また蛇足ですけれども、東京五輪に纏わる都市開発思想や開会式の演目に関して、現代文化を扱っているプロデューサーやらデザイナー・建築家の意見も大事でしょうけれども、古来からの日本美術に精通した人間の意見を反映させてほしいなと思いました。骨が通るというか、この國の自然にあったカルチャーを見せられるんじゃないかなぁ、私はそう思いますね。
by wavesll | 2015-09-01 22:25 | 小噺 | Comments(0)
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