アダム・スミス著/山岡 洋一訳 『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』第二・三編読書メモ

c0002171_19491881.jpgアダム・スミス 著, 山岡 洋一 訳 『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』 第一編 読書メモに続き、上巻を読み切りました。

第一編では"富とは何か、何を持って価値とみなすか、その原理とメカニズム"について論じられましたが、第二編では資本の分類、そしていかにして資本が増大していくか、その蓄積と利用について語られ、第三編では富を管理する政治の側面の分析がなされていました。

アダム・スミスの視点だと、単純な快楽に金を使うのは浅ましい行為で、日々の娯楽に消費するのではなくで、資本は資本を増やしていく為に使うのが素晴らしい使い方だとしているのが印象的でした。しかし、こうした消費快楽が、大領主が富を家来たちを喰わせるのではなく宝物を買いあさることに使わせ、結果として都市国家の成立、つまり商人・手工業者の独立に繋がったと、第三編では論じていました。

また、第二編では銀行による信用創造が解説されるのですが、面白かったのは、過去の歴史を辿って、”無法図な貸し出しは必ず破綻する。世の企業家は「なぜ貸し渋りをするのか」と騒ぎ立てるが、そんな声に惑わされず、慎重な貸し出し業務を行うべきだ"という論陣が張られていること。それから200年以上たち、量的緩和やゼロ金利政策が行われる現代日本からすると、隔世の感というか、実際2世紀過ぎてるんだもんなぁと想いました。

生産的労働、つまり社会資本のストックとしてモノが残る労働と、非生産的労働、宗教・法律・医者・文人・エンターテイメント産業の人々を分けるのも興味深かったです。当時は著作権と言うものが無かったから、これらのサービス業者はフローとしてしかみなされなかったのでしょうか?"遊び好きは怠惰で貧しい"といわれるのは耳の痛い言葉ですね(苦笑 第三次産業が発達する現代の先進国は、コモディティから抜け出すためにデザイン性やエンターテイメント性、あるいは好感度なサーヴィスが求められることを想うと、数世紀前は貴族が暮らしていた生活高度を庶民が愉しむようになったと。アダム・スミスが現在を見たら、驚くでしょうね。或いは嘆くかもしれないw

それでも、スミスは"大国が民間人の浪費や無謀な経営で貧しくなることはないが、政府の浪費や無謀な政策でまずしくなることはある"と述べます。ここでやり玉に挙がるのは軍事費と宮殿や教会の煌びやかな建築費。憲法改憲や新国立競技場で揺れるどこかの国にも適用できるような話です。

政治と税の使い方に関して、本書を読んで興味がわきました。第三編では国王や大領主が如何に民衆を支配していたかが語られるのですが、そこでは集められた税は、支配層の贅沢や、軍を維持する費用、政治を行う費用に与えられていた。この税の利用の移り変わりと言うか、いかに”富の再分配”に遷移していったかの歴史、気になるなぁ。その前に政治、法、軍(当時の領主は判事でもあり総司令官でもあった)というのが社会のリーダー層に求められることなのだろうなぁと。アダム・スミスを読んでいると小さな政府の信奉者になりそうでもありましたwケインズも読みたくなりました。

また、"人は誰でも農業がやりたい。生きていくものを自分の手で誰にも指示されずにコントロールしたいから。その次は製造業、最後に一番結果をコントロールできない貿易がやりたいものだが、リスクを取った分だけ儲けも大きくなっていく"とか、"領主は自分の土地を改良してより生産的にしようとはしないが、商人は成功の見込みが見えたら、どんどん資本を投下して改良していく"という話も、リターンを得るためにはリスクを取れるか、計画性があるか、決断できるかにかかってるんだなぁと想いました。

いよいよ次の編からは下巻。アダム・スミス教授の話は面白く、学びと言う贅沢な時間を過ごせて幸せですが、スミス教授からは「生産しろ!」とどやされそうですねw

アダム・スミス著/山岡 洋一訳 『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』第四・五編読書メモ
アダム・スミス著 村井章子+北川知子訳『道徳感情論』"もしアダ"が書きたくなる稀代の"いいね論"
by wavesll | 2016-04-07 20:36 | 書評 | Trackback | Comments(0)
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