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アンドレイ・タルコフスキー/サクリファイス感想 憂鬱な日常と世界崩壊の先

MOVIE : OFFRET (The Sacrifice) [1986]


『惑星ソラリス』につづき、タルコフスキー監督の『サクリファイス』を観ました。

※この記事では『サクリファイス』に関するネタバレが含まれるので、ご注意を。

映像ではソラリスの方が美しかったのですが、物語や台詞が示唆に富んでいて、色々と想起させられる映画でした。

物語は元名優の主人公のおじさん家族が、どこかの平原の中で文学談義をしたり、軋轢や憂鬱はあるけれども日常を過ごすのが描かれ、正直其処は観ているこちらも退屈なのですが、その終わりなき、しかし澱が溜まってきている日常が、戦闘機が空を裂く音で破壊され、急転直下世界滅亡の危機自体になり、そこで家族の軋轢が一気に噴出して行きます。

この冒頭からのシークエンスで何度か出てくるのが「今は真実の生ではない、真実の生が来るのを待っている」という台詞。カイジでも「今生きているのが"仮の生"のつもりなんじゃないか?これは現実なんだよ」と言ったような台詞がありましたが、今生きている自分の人生が、本当は過ごしたかった人生ではない、という人、結構いるのではないか、と想うのです。

「毎日がつまらない」中年男性の72%が回答というニュースに関する2chのスレッドが最近面白かったのですが、そこでは逆説的に「今自分はこれが面白いと想う」みたいな書き込みが多かったんですよね。子どもや趣味といったものが生き甲斐になっていると。

これはサクリファイスの主人公が息子が生まれて、人生に倦んでいたのがすっかり変わった。と言っていたり、登場人物の郵便配達人のが世界のミステリーな出来事の蒐集で楽しんでいる、という話もそうで、時代と場所が変わっても、人生の楽しみはそう変わらないものなのだなぁと想います。

一方で、件のスレには「中年は人生がつまらなくて当たり前。毎日が楽しい中年なんかどこか不味い」とか「毎日が楽しい人は一つ崩れると一気に壊れる危険があり、ストレス耐性を鍛えることができていない」みたいな話があり、"社会的にやるべきことをやるだけで手一杯、寧ろつまらなくて当たり前で、毎日が面白いなんて中年はやるべきことをやってない遊び人だ"という意味かなとも、複雑な気持ちになり、一理はあるかもしれないとも想いました。

その一方、映画のキャラクターで一番不満を溜めていた妻が、ストレスがヘドロとなっている、「仮の生」を生きているのは彼女自身が人生に対して自主的な運動が出来ていない、籠の鳥から動けていない/動く気力を出していないから、とも思います。与えられるものだけで生きて自分で何かを獲得している感覚が無いと、"自分の人生において自分が第一運動になっている"感覚が持てないのかもしれません。

さて、そうした憂鬱な終わりなき日常が崩壊し、それまで抑えられていた不満が爆発した状態、ここら辺の感覚はラース・フォン・トリアー『メランコリア』に通ずる鬱の意識がカタストロフする描写だなと想いました。そして、それが一人の女性から愛を受けることで救われるという聖なる性行為のような解決法が、セカイ系の様。老人によるセカイ系な物語が1986年に描かれていたとは!?未来が過去にあったような衝撃がありました。

ただ、カタストロフが晴れた後、主人公のおじさんが発狂してしまったような展開は、陰陽マークが書いてある袴と共にちょっと残念だったかな。日本趣味の音楽が家が壊れていく音と重なっていくシーンはまた美しく、興味深い音だなとは想いましたが。

この映画が造られた当時は冷戦もあり、戦争の可能性というストレスが世界を覆っていたのかもしれません。その核戦争のカタストロフへの怯えは、現代日本では大震災とそれに伴う原発事故によって故郷が生きる場所として壊れ住めなくなる恐怖と共鳴するなと想うのです。『サクリファイス』は今でも大きな力のある示唆に富んだ作品だと想います。

しかし、その意味で、私自身が今見てみたい作品は「カタストロフ以後の日常が再生し生命が萌える様子」とでも言いましょうか、「カタストロフの後にはそれを超えるドラマは生まれえないのか」という事なのです。

世界が壊れるのは一瞬で、世界を創るのは日々の積み重ねの日常なのかもしれません。それを短時間の劇でみせるのは、刺激がたりないものになるのか、しかしそれこそ、今描かれるべき物語なのでは、、と想ったり。

そう考えた時、セカイ系繋がりのラノベ/アニメ作品の『涼宮ハルヒ』シリーズは、"世界が崩壊しそうになったのを乗り越えた後の日常を如何に面白くできるか"を描こうとした佳作なのではとも想います。SOS団(世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団)というコンセプトは面白い狙いだったなぁと。それは『日常系アニメ』に繋がって行きましたね。ただ、お菓子のような味より、重く苦い中の澄明な空がみたい。

『サクリファイス』の物語やオカルトといったものが持つ毒、或いはセックスを中心とした性愛の刺激が持つ毒、これらの毒性も描きながら、しかしそれが世界を救っていったりもする描写は、文化刺激を愉しむものとしてアドヴァイスを頂いたような気もしました。世界は壊すよりも、或いは救うよりも、営々と繋げていくのがより愛おしいのかもしれない。そんなことを逆説的に感じられる映画でした。

Η Θυσία (1986) - Αντρέι Ταρκόφσκι

by wavesll | 2016-05-16 16:21 | 小噺 | Comments(0)
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