Exit through the gift shop - "権威/メディア/他者の意見"を参考にする?しない?

"Exit Through The Gift Shop" - Official Trailer [HD]


昨日、AbemaTVにて『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』をみました。
ロスに暮らすヴィデオ記録狂のティエリーがストリートアートのシーンに嵌り、次々と深くへ取材同行しているうちにストリートアートのトップにいる謎のストリートアーティスト、バンクシーに辿り着く…という話

あ、この後ネタバレもあるので、ネタバレが嫌な方はスルーしてしまってください。ネタバレ部分は薄字にしておきました。










バンクシーと親しくなったティエリーは記録したテープで映画を作ってみないか?と言われ、作品を作るがこれがひどい出来。そこでバンクシーはティエリーにアートを作ってみないか?と助言。それでティエリーは一気に舞い上がって暴走していく…。

ティエリーの作品はウォーホルのパクリみたいな出来で、バンクシーやティエリーが撮ったストリートアーティスト達は酷いと思ったのだが、ティエリーの為に善意で推薦文を送る。するとMr. Brainwash(ティエリーの芸名)はそれを宣伝に大々的に使い、「バンクシー推薦の期待の新人」としてメディアが騒ぎ、個展には人が殺到してしまいました。


さて、この映画をすんなりみると、「一般大衆やメディアってバンクシーの推薦文だけ信じて殺到しちゃって馬鹿だなーw」とか、「記録・蒐集欲が物凄い人、あるいはその分野に愛を物凄く持っている人が表現者として有能であれるかは全然違うんだなー」と思いました。

ただ、それは結局バンクシーの手のひら返しの批判をそのまま飲み込んでるだけに過ぎないですよね。バンクシーの推薦をうのみにした大衆と、映画のラストでバンクシー達の批判をうのみにする観客(私)は同じなのではないか?と思うのです。

実際、Mrブレインウォッシュは成功しその後日本でも展覧会を開くような人気アーティストになっていったそうです。彼には確かにパクリみたいな安易なアイディアの流用に感じます。でもそれが結局観客に受け入れられたのは、ストリートアートやポップアートに期待されていたのはそういうものでもあるかもしれない。バンクシーの作品ですら、ほとんどの人が表面や"評判"しか見ていないのでは?と思ったり。

マスへ出た表現っていうのは、そこの観客はほとんど表現者の意図を理解できていないでしょうし、表現者も「解釈は観客に委ねる」と言ったりしていますから、完全な理解なんかマスでは土台無理な話だと思います。この映画をみた私にしたって理解しきれているとは思えません。観客はそれぞれ、自分がつかめるものを汲み取れればいいのだと思います。”表現の価値”はおのおのが決めればよいこと。

ただ、これは音楽に関して自分がそうだったのですが、私も"好きな音楽を好きに聞けばそれでいいじゃないか"と思いますが、"評論や評判を気にせず自分の感性を大事にするタイプ"の友人は結構聞くのがオーソドックスなものばかりだったり逆に狭く深いばかりだったり。。自分は他者の意見を参考にして自分の音楽の趣味を広げてこれたなぁと思うのです。勿論それも自分の選択ではあるのだけれど。

芸能作品とメディアによるBrainwash(洗脳)というと、マスメディアをフルで使った宣伝攻勢がありますね。AKB系なんかを見ているといつからか週刊誌のグラビアがAKB系ばかりになった時期があったり、音楽番組がAKB系ばかりになったり、露出が物凄いことで、地下アイドルがみるまに巨大な産業的存在になっていくのを見た気がします。何しろ飽きられる前に新商品の女の子やグループを投入しているのはコンビニエンスで、凄まじい産業だと思い、日本のTV芸能界は事務所が強ければ売れる確率が物凄い上がるというか、本物を本物として売ることが難しいようなシステムになってしまっていると感じて、私はどちらかというと嫌悪しています。

広告に真の魅力で現れて競えているかというと「否」と思いますが、お金が絡まない、或いは直接の知り合いとかの人付き合いとかが絡まない絶賛は、自分は概ね信じていいと思います。バンクシーがMrブレインウォッシュに推薦文を送ったのは親しい付き合いで頼まれたからでしたものね。勿論「その人を好きになってしまったからどんな作品でも褒める人」なんかもいますが、概ね、金と人脈的利益が絡まない評判を信じていいくらいには私は世の人たちを信頼しているなぁと思うのです。

逆に言うとInternet最大の功績は、今まで寡占状態にあった"意志を発信する媒体"を、金目のマスコミから解放したことだと思います。と、同時にそうした時にプロの評論家の評論っていうのはアマチュアによるジェネリックな評論に対してどう対抗すればいいのか、"プロの目、プロの文"の価値を、どこに表せばいいのだろうかとも思います。さらに言えばプロの評論ほどの"重さ"を大衆は求めていないのかもしれない。この"要求される信頼の重みの、変化"によって有料の評論が消えて、Web上の広告で運営される無料評論≒宣伝だけになったら、それは寂しい。しかしどうすればいいのか?cero、OGRE、D.A.N.の担当者たちが語る、日本インディー15年史(Cinra)のような取材による一次資料を産むのは需要がある気がしますが、有料の文筆文化はどう生き残ればいいのかは生態系づくりの過渡期なのでしょうねとお茶を濁してこの文章を終えます。


P.S. 劇中に登場するストリートアーティスト、スペースインベーダーの作品、中目黒にありますよね。
by wavesll | 2016-05-24 15:52 | 小ネタ | Comments(0)
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