"分かっていない他者に届く表現"によるコミュニケーションの話

自分は今でもそうなのですが、何かの引用に自己の思いを投影するコミュニケーション手段を選ぶことが多いのです。

学生の時分は更に輪をかけてその傾向が強く、このBlogの右端にあるカテゴリ欄の想像の旅は何というかハイパーリンクを利したWeb上の暴走の果ての文塊でありました。

学生時代、引用ばかりしていた自分はサークルの中で浮いていて、どうも変な人扱いされ、なーんか軽く見られるというか、"自分はこれだけ有意義なことを言っているはずなのに何故それが理解されないのだろう"と少し不愉快になったし、途中からは自分の仕事の出来なさ、人間関係の中でのオーソリティづくりの下手さにも厭きれて、積極的に奇人変人を目指す道化道を歩み、最終的に想像の旅なんて言う逆走をしてしまうのですが、何にしろ「それはお前の言葉なのか」という命題はプラスの意味でもマイナスの意味でもこの10年突きつけられ続けられた気がします。

引用を使ったハイコンテクストな会話表現はオタク的に成りがちというか、そしてそれはかなりの部分意志疎通に齟齬が出るものでした。情報伝達に古典を使うことこそ教養と想いますが、"その価値を分かってる人向けのコミュニケーション"になってしまう。また塾講師をやった経験から"自分で解っていること"と"人に伝えられるほど理解できていること"が異なることも知り、引用によって単に説明を省いていたのではないかとも考えたり、作品が共通土台足りえない時は自分の生の声が有効だと知ったこの15年でした。

今でも「結局それは君自身の作品なのか」とか、「君自身は何を創っているのか」、「何かつくったら?」とかを訊かれることはあるし、大学生当時、mixi日記にその記事の直感を得るきっかけとなった音楽の詩を載せていたのですが、「歌詞は飛ばして文章だけ読んでる」とか言われ、「その歌こそ自分が伝えたいものなのになぁ」と想っていたのですが、多くの人が自分に求めるのは私自身の生の言葉なのかもしれないと想ったものでした。

以前にも、友達が「ジャズが好き、丈青とか」というので「マイルスとかもいいよね」といって「マイルス?誰それ」と言われる老害ぶりを示してしまったことがありました。マイルスを知らなくてもジャズが好きなのは成り立ちますよね。私もブランキー好きでロック好きな中学生だったけどツェッペリンは聴いてなかったし。流石に音楽好きとか関係なく名前は知っていたけれど。

多分対人コミュニケーションで一番こじれるのは互いの「此れ位は当たり前だろう」の相違からでしょう。ジャズ好きならマイルスの存在を知ってるというのもそうだし、知識に限らず鈴木先生初回の食事で肘をつくとか行動面・躾もそう。「当然」が害されると、人はイライラしがち。だが所変われば、時代が変われば、会社が変われば、家が変われば、人が変われば常識も変わる。そういった意味で「普通」そのものが共同幻想だと30過ぎるとそれぞれの人生・人生観が十人十色に林立してくるから実感としてわかります。想像の旅において漫画『天』は十年前に読んでいたのですが、学生の時分には体感できなかった。人一人が経験しうることは24時間365日の制限を受け、全知全能は叶わない。だからこそ分業があり、人生という未知を解き明かすために各々の道にRespectを持たなければならない、そう想えるようになったのは人生を歩むうちに傲慢さが褪せてきたからかもしれません。

インターネットがもたらした島宇宙化・蛸壺化はガラパゴスがガラパゴスとしてやっていけるだけの集積を電網上に生んだとも言えるし、そうした中でますます「誰にでも通じる共通常識」は削られていく、或いはグローバル・スタンダード的、或いはノン・バーバルな要素が高まり、教養がコンテクストから離れていく現象が起きているようにも想います。個人の感性は何にも当てにならず、数字こそが正義の証明、エヴィデンスにならざるを得ないのかななんて考えたこともありました。

私自身もこの10年Twitterの"関心で繋がる言語空間"に身を置き、或る程度言いっ放しができる状況で文章を流す中で、引用が引用足りうるように噛み砕く、或いは素材の良さが殺されないように説明する方法を探りたいなという思いが昨今在ります。

先に述べた友人に対しても、「丈青が好きなら彼がメンバーのSoil聴くのもいいかもよ」とか、もっと違ったアプローチがあったかもしれない。勿論、それで彼が反応しなかったからと言ってがっかりすることもないし、音楽の好みは千差万別だからリアクションに期待することは詮無いことですが、Twitterの仮想の言いたいようにできる空間で、コミュニケーションに労力を惜しみ、「分かる奴だけ分かればいい」となっていた嫌いがあるかもしれない、説明をサボらず"分かっていない他者に届く表現"、これがこれからのテーマなのかなとも想います。

そしてそれは"情報を発する"より、(私にとっては不得手な)"相手の気持ちの傾聴"こそが鍵になりそう。「どうせこいつはわからないんだから懇切丁寧に話す苦労をかけるまでもないだろう」みたいな傲慢な態度はそろそろ捨てて、他方、相手を自分と同一視して依存することからも卒業して、波風が立ったり無様だったりしても真っすぐ言葉を受け止め、投げ返すフェーズに来ているのかな。そんなことを深まる秋の宵に想いました。

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by wavesll | 2016-09-06 02:37 | 私信 | Trackback | Comments(0)
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