Footloose 'N' Robocop 虚構が現実をドライヴさせる時

ROBOCOP Original Trailer - 1987 Movie (HD)


BS朝日土曜シアターで『ロボコップ』をみました。
リブートも作られるほどの人気キャラ、ロボコップ。キャラクター自体は知っていても、いざ映画を見ると"こんな話だったのか!?"と驚きがあって。特に印象的だったのは単なるキャラ押し映画ではなくてきちんとドラマがあったこと。

黒人のおじさんがいい味を出してる署の面々がロボコップに驚くのも良かった。ロボコップの世界でもロボコップは当たり前の存在ではなくて、奇妙な新技術であり、警察署はストをするかどうかとか普通の事柄に捕らわれている中でロボコップが波紋をもたらすというのもSF的で。そして警察と癒着する企業が改造人間としてロボコップの技術を生み、その社内でも権力争いがある、というのも単なるジュブナイル向け映画でなくて良かったです。

又、ヴィジュアル的なことを言うと、ロボコップの対抗馬となる敵機が恐らくコマ撮りアニメで描かれていて、クレイアニメのような感覚があって面白かったです。機龍のようなアートアニメ感を(双方意図してはいないだろうけれど)感じました。

またWikipediaをみると監督のバーホーベンからバンダイの村上克司へ『宇宙刑事ギャバン』からのデザイン引用の許諾を求める手紙が送られ、村上が快諾していたとの記述がありますが、改造人間であったり黒幕の存在であったり、仮面ライダーに近しい要素を感じました。

マスクを被ったヒーローってライダーマンしかり、ジャッジドレッドしかりスーパーサイヤマンしかりたいていダサくなるところ、ロボコップは格好良く仕上げてあるのは上手いなと。SFアクションとかファンタジーの物語世界のこうした同時代の他の作品との現実との関連性を探ったりして"フィクションの中の正史のイデア"を想像したりするのは面白い遊びですね。ファンタージエンに囚われてしまっては危険だけれど、ヲタ心をくすぐる襞が想像の世界にはあります。虚構の地層を旅する面白さ。

Footloose - Kenny Loggins

さて、NHKBSP プレミアムシネマでみた『フットルース』もそうした視座で見ても面白い映画かもしれません。
冒頭のテーマ曲に合わせて靴でのダンスシーンなんかサカナクション / ネイティブダンサーの源流?と想起させたり、何よりこないだまでマクドナルドのCMで使われてたのも記憶に新しく、今みる流れがあったなと想いました。他にも劇中歌はBonnie Tyler - Holding Out For A Heroとか聴いたことがあるものが多かったです。

物語も音楽がかなり関わっていて、享楽的な音楽やダンスが禁止されている田舎町にシカゴから主人公の少年がやってきて…という筋書き。ダンスが禁じられてる話が1984年にアメリカでは描かれたけれど、日本では2016年にジャストだというのもちょっと背筋が凍りそうではありますが(苦笑 過保護な親が子供を信頼し自主性を任せるというのは四川帰りに見た『ファインディングニモ』に通ずるテーマだと想いました。

”子どもの健全な成長を熱望する大人”はいつの世も若い連中の感性や快楽を禁じたがるものだと想いながらみていました。それを求める気持ちが理解できないと価値を実感できず、自分が理解できない盛り上がりは腐し禁じたくなる。

人間、良く知らないものについては気軽に批判しがち。私も"アイドルとか萌えアニメとか顔も音も似たようなのばかり"とか"EDMなんかハイプだろ?”とか十把一絡げに批判したくなったりエグザイルを馬鹿にしたくなること、あったりします。ただ、よくよく子細に見ればアイドル音楽も色々あったりするし、今でもアニメは新しいヴィジュアルへの挑戦がクリエイトされてたり、サマソニでみたZEDDに心酔するキッズ達のシンガロングは本物だったし、エグザイル系にしろあれは韓流アイドルへの日本の反撃なのかなともみれるし。コミュニケーションや認識することにコストをかければ、美点もみつかるものだと想います。

勿論、理解するために己の感性を殺せとはいいません。人と人は感性が違うもの。薄く妥協した表現は浅くなる。だから、全てを一色に均すのではなく、相手の自由意思を最大限尊重して、一つ一つの色が際立つ点描画のような社会ができればいいなぁと想います。頭ごなしに腐してもしょうがない。だから表現がある。マイナスの感情を表現に昇華すればいいと想うのです。

更に言えば社会が一色だという幻想は多数派には心地いいし、実際衝突も塗り潰されているのでしょう。『フットルース』には黒人が登場しません。最近は"多文化社会がいいもの"という考えこそが幻想だと理想が剥げてきているように感じます。その上で結局のところ美しく熱く格好良い響く表現こそが人々の軋轢を超えていく力なのだと想います。そうした視点で見るとこの30年で米国ではWASPよりも黒人やマイノリティがArt-Performanceの魅力で存在を発揮してきているのだなと1984年の映画をみることで逆説的に感じました。

虚構の世界は現実の写し絵であり、現実に逆に影響力をもちます。攻殻機動隊1巻でも"疑似体験も夢も存在する情報はすべて現実でありまた幻なんだ…小説や映画が人を変える様に"という台詞がありましたが、現実が虚構を生み、虚構が現実をドライヴさせる世の中で、自然/身体を保ちながら虚実ないまぜの世界を泳いでいく、そういう世の中で、コミュニケーションの為の政治行動や、逆にアートの力でディスコミュニケーションを乗り越えていけたら、徐々に世の中はPeacefulになっていけるのかな、なんて想いました。
by wavesll | 2016-09-12 18:36 | 映画 | Trackback | Comments(0)
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