"好きな物しか好きじゃない"人へのアプローチの考察

先日書いた"分かっていない他者に届く表現"によるコミュニケーションの話の裏面というか、逆の立場から私自身が反省すべき論点なのですが、私は"話をしていてもリアクション薄いね"と言われることが結構あって。

自分が話すのは好きなのですが、他者の話がスウィートスポットに入ることが少ないのかな…と猛省するばかりです。自分自身、話すことは好きなので良く知己なんかに会った時は「なんか面白いことあった?」と話を振るのですが、それも不評で。それでも話してくれる友の話題はなるだけ食いつこうと想ってはいるのですが、そうかー、リアクション薄いと"面白くないのかな"と想われてますます話してくれる気を削いでしまうなぁとちょっと凹んでます。

先日視た古川日出男/蓮沼執太/青柳いづみ『偽ガルシア=マルケス』@東京都庭園美術館でも"良い問いをするのは解答するより遥かに難しい"という台詞がありましたが、確かに他人の話を出しに自分の話題へもっていったり、知識自慢のリアクションをするより、本来の意味で話を広げる・掘り下げる質問をするって難しく、私もどうにかしてそういう質問できないものかなぁと想うのです。

ただ、私自身がしゃべりたがりなので何も言われなくても勝手にしゃべる人間だからか"話を引き出す"ことに志向/思考が向かっていなかったというのは正直あって。訊かれたがってるポイントを掴むのが下手というのはあるかもしれません。そういう意味では完成し発表された文章を読むのは、勿論行間はあるけれど基本的には著者が言いたいことは書かれているだろうからやりやすいなと思います。

自分自身、逆の立場になったこともあって。
ある友達は自分の話をするのは大好きでとめどなく話すのだけれども、話していてもこちらの話題には全然関心を示さないように感じて、しゃべっていても軽く不満がたまるというか、そういうことありました。コミュニケーションは交易のようなもので、輸出と輸入がアンバランスで貿易赤字が溜まっていくと話してても詰まらなくなることがあるかもしれません。話していても相手がまるで変化しないというか好きな物以外には興味を示さない態度をとられると、そりゃまぁ好きじゃないものは好きじゃないよねと想いながらもがっかりはしてしまうなぁ。

twitterなんかは呟きを放るだけでリアクションの義務がない處ですから気楽にできるのだけれども"この分野を呟くとこの人は反応するけれども、この人が反応するパターンっていつもこうだな"みたいに感じることもあって。逆に全然普段はリアクションが起こされないけれど、どこか間違いとか不快感を巻き起こした時はリプライが来たりとかすると"おわ!案外読まれてたんだな"と驚くこともあります。まぁ、リアクションもらえてるだけ贅沢な話ではあるのですが。

自分なんかも以前はWebにものを書いても反応が全くないのが小さな悩みだったのですが、最近は"リアクションがあったら嬉しいし、なければ無事の便り"と想うようにしています。自分自身はなるだけ周りの人の話を面白がりたいという気持ちもあってか、結構お気に入りはポンポンやってます。

私自身も含めてこういう"好きな物しか好きじゃない"傾向がある人達は、勿論スウィートスポットが狭いということもあるかもしれませんが、そもそも論で相手の話の面白ポイントに反応する受容体/感性が育まれていないことと、リアクションの筋肉が鍛えられてないのかもしれません。

私は自分のことを結構フットワーク軽い人間と想っていましたが、客観的視点に立てば自分の大好きな分野以外はかなり腰が重かったりするのかも…。いや、面白さがわからないわけじゃなく、興味関心もあるのですが、どこからとっかかればいいのかが解らなくて…美味い質問ができなくていつも歯がゆい思いをしています…。

それでも、そういう人間に面白味を伝えようとされる方々は、面倒臭い話で申し訳ないのですが、何度も何度もアプローチを仕掛けて下さると受容体が育つかもしれません。何度も触れると興味が養われるというか。やっぱり体験して喜びを知るまでが腰が重いところがあるので…人を変えるには苦心しないといけないと『葉隠』にも書いてありましたね…。山本五十六も「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」と言っていましたが、その上で最終的にその物事の面白味を私自身で発見できないと情熱を持てないのだと想います。話を聞かせてもらうことで、その芽が出る種を蒔いてもらっている。そんな気がします。

いや、自分で話してて"こんな面倒なことが必要ならその話はしないよ"となるだろうなと思いました><それこそ対価が絡まないと出来ないレベルかも。後は金銭的負担とかあったら相当嵌らないと二度目はないかもしれないし。ただ、反応がスロースターターな、スウィートスポットが僅かな面積の人間もいるので、気長に感性を開発していってくださると有り難いなと。勿論私自身も"良い問い"ができるよう、いいリアクションができるよう意識して少しでも話し甲斐がある人間になれるように努めていきたいです。

そして、こんな我侭な自分の記事や呟きを読んで下さっている方々には感謝しきれないほどありがたいなと思います。昔は"面白い話を提供してやってる俺は凄い"なんて傲慢な心持ちもありましたし、今でもやっぱり読んで楽しませられる面白いことを書けたら誇らしく想う気持ちはあるのですが、年を重ねると"愉しんであげてくれてるのかも"と想うようになったり。

今は”愉しんであげてる感”を感じさせずにヴォランタリーに読みたくなるような文章を書くのが一つの目標ですが、もう一つ、相手を愉しませるにはこちらが話すのではなく相手を乗せて話を引き出す方が上手くいくのかも、なんて思います。

文章がいいのは直接話すのとは異なる情報体験というか、直接言われるより文字を読む体験の方が冷静に内容を吟味できると想うんです。属人性や同時性からちょっと離れた位置でコミュニケート出来るというか、私から見ても私の文章は私から少し切り離されているというか。フェイス2フェイスの相互のやり取りと時空間が離れた文章によりやり取り、双方を上手く使えていけたらいいなぁと想います。
by wavesll | 2016-09-14 13:15 | 私信 | Trackback | Comments(0)
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