夏目漱石の妻 -石に漱ぎ流れに枕す男の妻の心意気

NHK土曜ドラマ『夏目漱石の妻』は秋ドラで一番のお気に入りでした。
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私は漱石に憧憬を持っていて。神経衰弱になったり、教師から物書きを想い馳せる姿や私小説的な文豪の姿にも好感があって。
そんな特別な作家の漱石のことを知りたくて、漱石の家族が書いた回想録も幾つか読んでいて。なので世間的には悪妻といわれる鏡子さんが実はしっかりした良い女性なことも知っていたのですが、妻の視点で描かれるこのドラマは漱石と漱石の家族に対する観じ方が大きく変わるくらいの衝撃がありました。

第一回のお見合いの回で漱石が鏡子さんを「口を開けて笑うのがいい」と言っていたところくらいは微笑ましく見れていたのですが、さすが"石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す"という故事から筆名を採った漱石。その気難しさというか、精神を病んでしまったあたりからの機能不全家族ぶりには”鏡子さん本当に大変だな…”と。

文面で”神経衰弱”と読むだけでは想起しきれなかった身体を持った夏目金之助のリアルな姿。ちょっとドラマに感化されすぎかもしれませんが、彼の書いたものから想像される漱石像に対して大分驚愕がありました。

明治期の時代背景というか、男は稼ぐが甲斐性で、その実際的な能力を研げれば"家庭的な優しさ"はいらないとされる時代だったのかなとも想います。その漱石に愛を注ぐ鏡子さんの姿。

私は結婚観で、”漱石のようにさっと見合いして、共に暮らす中で『夫婦』になっていけばいい”なんて考えていたのですが、実際は結婚生活にはとてつもない苦労があることをこの劇から改めて分かったというか。理念理想と身体を伴う実体は異なるのだなと改めて思いました。

その上で鏡子さんの愛が、物語を愛で埋めています。実際的に生き、漱石を愛す鏡子さんが微笑ましく、逞しくみえました。夏目に嫁いで、当初は入水自殺も試みたお嬢様が、揺ぎ無い良妻になっていった一代記でした。

ラストシーンで鏡子さんが漱石に「『坊ちゃん』の清のモデルは私でしょう?」と問い、漱石が「そういうことにしておこう」と言います。漱石自身が鏡子さんの愛で包まれていることを表現していたこの場面によって読後感が良く感じました。明治の気難しいオッサンでもあった漱石の鏡子さんへの愛がみれて。

と、同時に”完璧な家族”なんて存在しないというか、現実の家族はほとんど全てがどこかしら機能不全的に欠けていて。家族って、そしてパートナーって割れ鍋に綴じ蓋だからこそ、ぴったり嵌って恋人/夫婦になるのではないかなとも想ったり。

余りに完璧を求めすぎると逆に軋轢を生んでしまうから、"ここまでできていたらOK、その先はボーナスのようなもの"みたいなラインを設定していくと、上手に家庭が回るのかもしれないと想いました。理想を求め努力を重ねる姿勢と、現実として実際を回す姿勢、その両輪が他者と他者が共に生きる上で大事。そんなことを学んだラヴ・ストーリーでした。
by wavesll | 2016-10-29 11:11 | 書評 | Trackback | Comments(0)
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