長渕剛 『乾杯』 於 FNS歌謡祭に視る"実業としてのアーティスト"の姿

長渕剛 FNS歌謡祭
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FNS歌謡祭、ウルフルズの『笑えれば』や鬼束ちひろの『月光』等が光っていました。が、それらすべてを吹き飛ばすほどの衝撃が鳳の長渕にはありました。

向井秀徳 自問自答トドを殺すな/友川かずき、あるいはKOHH - "Dirt Boys feat. Dutch Montana, Loota" のような語り叫びそしてアコギを掻き鳴らす音、良かったなぁ。

近頃は長渕さん自体をギャグキャラとして馬鹿にする風潮もあるし、今回の歌唱にも「字幕が出ているのだから局の了解を得た上でのパフォーマンスじゃないか、ダセェw」というような反応がありました。

しかし寧ろ私は字幕が出たことは素晴らしいことなのではないかと想って。

歌中ではマスコミ批判、ワイドショー批判、ヒットチャート批判がありましたが、「儲けたもん勝ち、勝ち方より売れたものが正義」という状況に「これこそ音楽だ」とぶち上げたのは単純に素晴らしいし、秋元界隈が勝ち続け、いつしか異論を噤んでいた澱んだぬるい空気を打ち壊す歌唱。ロックだなと。

其の上”局の了解を得た”というのも素晴らしくて。というのもヒットチャートがアイドルにハックされて勝てば官軍になっている今、従来の音楽表現の側のアーティストに”自主規制しなくともきちんと交渉すればここまで歌えるのだ”と示したのはフォーク/ロックという自分の正義を吐露する表現者として、そして邦楽界の年長のアーティストとして賞賛されて良い姿勢だったと想います。

自主規制で口を噤むのではなく、突発的な暴走で言い放つのでもなく、きちんと筋を通して自分の価値観を知らしめる。こうした実業的なアプローチは富士山麓十万人ライヴでプロジェクトを成り立たせるために東奔西走したこともあるかもしれません。(まぁアレは終演後の退場がグデグデでしたが…)

ミュージシャンが社会問題を歌うと近年は"独りよがりのお花畑やクスリ漬けの夢想者がなんかいってら"みたいな嘲笑が蔓延していますが、コトを通すための大人の仁義と音楽的な挑戦を両立させる姿勢は"ロックキッズ"という年齢でもなくなった今だからこそ評価できるアーティストの姿だなと想いました。
by wavesll | 2016-12-08 19:18 | Sound Gem | Trackback | Comments(0)
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