電通巨悪観(広告=悪)から一歩進んで

要旨:
・好いか悪いかのスタートラインに立つ為の宣伝は意義がある
・寧ろマスの媒体が"枠"に載せるか否かの目利きが低質だから澱みが生まれている
・"これは広告です"と"作為"を隠さず、その上で拡散したくなるものが今の"刺さるアド"ではないか


TVをみていて「最近いやに同じ事物が取り上げられてるな」とか想うことないですか?

「おぉ!コレが今熱いのか!!」というのが期待されている反応なのかもしれませんが自分は穿った人間なので「あぁ電通に金払って番組内広告してるのだな、アドか、アドw」と想ったりします。

私はマスコミのゴリ押しとかが大嫌いだし"宣伝で魅力を水増しするなんてナンセンス、良質なものが必要とされる処に届くシステムをWebが達成するのが一番いい"と想っているのですが、実は最近"宣伝の意義"を感じたりしていて。

それは実はこのBlogに立脚した話でして。天へ挑む究道者 ETV特集「曜変~陶工・魔性の輝きに挑む~」 をみてとかが、ETVで再放送されたり鑑定団で曜変天目が取り上げられてアクセス数がドカっと来たりしてることがあって。

また過去記事ってそんなにアクセス数を集めるものはないのですが、Twitterで例えば「そういやYASHIBU Vol.3でブレイク前のSuchmosみたなー」とか呟くとlink踏まれたりして。

記事があることが分かった上で"興味ない"とされるならまだしも"存在を知ってたら読んだけど、存在すら知らないから読むきっかけもない"こともあると、宣伝=悪ではないのかもしれない、と。

今でも"宣伝で商品の魅力を水増し"したり"良質なものが低品質なものに宣伝量で負ける"とかには嫌悪感がありますが、"スタートラインに立つ為の為のアド"は必要だし、そこでの擽り方を考えるのは正当な活動なのだと想いました。

広告代理店はクライアントの商品を売り込むために必死に働き、営業・宣伝は"努力"なのだと想います。では何故"広告は悪"だと想ったか。それは営業・宣伝されるプロダクトが、質の面で広告で推されてなく売れてないモノより質が低く感じるからでしょう。

実際、私も90年代にTVの音楽情報がTKプロデュースで埋め尽くされたときは"小室ウゼー"と想ってましたし、AKBなんかは最悪で、初期の頃、可愛くもないメンバーが週刊誌のグラビアを埋めたり、或いは音楽番組の"枠"を埋めたり、握手券チートでCDランキングを詰まらない曲でハッキングしたりするのは、明確に邪悪だと感じてました。

宣伝担当や営業担当が全精力でハイプを仕掛けてくるのは必要悪として、そこでメディアの人間が"質"を見抜いて自分の媒体の"枠"に載せるかどうかが最も重要で。

それは逆の意味でも大事というか、小室楽曲はいいのも多かったし、最近だと『君の名は。』をキネ旬が無視せずに年間ベストに組み入れた方が価値観の流布としても効果的だったと感じます。また私はもう坊主憎けりゃ袈裟まで憎いレベルになってますけれどもAKB系でもいい曲は良い曲なのでしょうし、N.E.5.5. / The Choice Is Yours × サイレントマジョリティなんかは面白いですしね。

すべて是々非々に"正当に質を評価する目利き"こそメディアが信頼されるポイントだとすれば、コンテンツと広告がごっちゃになるのは悪で。
そうしないと製作費が捻出できない現実の事情はありながらも、"枠が買われる"自体になると指標が指標として機能しない悪循環が起きます。

冒頭で"あーこれアドだと、アド(嗤"としたのは、広告なのに広告じゃないように装っているから。
今の時代は"自然を装った作為"を嫌いますから、寧ろ広告は<広告です!>と"作為"を主張した方が信頼されるのではとも想うのです。

私自身の中では広告の見え方は変わりましたが、広告屋が「最近の客はノリが悪い」というのは阿呆な発言だなと想うし、今の時代に"躍らせる広告"の革新が社会企業的な方向も絡んで起きたらいいなぁと想います。

今はWebで拡散が起きる時代ですから、「マス&個人メディアが取り上げたくなるプレゼンテーション」が現代の広告技術の指標になるのだろうなと想う次第です。

cf.
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by wavesll | 2017-01-12 01:57 | 小ネタ | Comments(0)
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