ラルンガル・ゴンパ 天空の“宗教都市”~チベット仏教・紅の信仰の世界~をみて

NHKBSプレミアムでセルタン・ラルン五明仏学院(ラルンガル・ゴンパ)への取材がされていました。
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世界最大の仏教僧院。斜面にひしめいているのは1万を超える修行僧の小屋。
仏の教えに生涯をささげる修業が行われているチベット仏教都市。

中心にある大経堂で僧に話を聴くと"チベット仏教の話はしたい、しかしそれ以外の話は何もしたくない"、と。
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止語(私語禁止)の、お堂の中で唱えられるお経は、JVCのワールドミュージックシリーズとは異なり、寧ろ南太平洋の島国の歌のような柔らかなハーモニーがありました。
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ケンポ・ジグメ・プンツォ師が何もなかった土地に粗末な小屋を建てて修業をはじめたラルンガル・ゴンパ。"他者を害することなく自己を律しろ"という遺言は固く守られているそう。
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お堂の前では"問答"の修業が行われていました。
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『例えば花瓶の存在を考える 花瓶が"生滅変化する形成物"でない「苦」であるならそれは"生滅変化する形成仏"ではないのか?』
『同意する』
『ではその同意の意味は何ぞや?』
『同意したでしょう』

チベット仏教ではあらゆるものが如何に存在するか厳密な論理があり、それを理解するために問答の修業が重視されているそうです。
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女性もジョモ(尼僧)という修行者がいて、結婚することなく仏の教えに生涯をささげています。

修行者も建物も統一されている紅の赤は、世俗を離れ仏門の世界に入った神聖な色。
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山の上のギトゥル・ラカン(幻化堂)にはチベット人だけでなく漢族も各地からやってきてマニ車を回していました。
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手足を投げ出し仏に祈る"五体投地"という礼拝もされていました。
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"善い来世のため"に北京から祈りに来る女性もいました。
"輪廻転生"から解脱し極楽浄土の世界へ行くための地。

番組ではツェテン・トゥンドゥプさんという31歳の僧侶に取材します。
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肉は一切食べず、毎朝真言を7000回唱える。

もう17年も世俗の社会から離れ、悟りの境地、解脱に達して将来この世のすべての命、衆生を救うために修業を重ねています。
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「世俗の行いに時間を費やすべきではありません」と語るツェテンさん。31才、私と同世代の彼の言葉に衝撃が沁みてきました。

彼らの生活は家族からの送金や一般信者からのお布施で賄われています。
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この地では宗教で悟りを目指すことが価値ある姿だと認められ、社会の中で尊ばれている。

先ほどの問答もそうですが、世俗にいる私の眼から見ると、言葉は言葉であり、身体的な行為の実装を伴わなければ実行力がないと。

アダム・スミスが『国富論』で語ったように、宗教の社会的な価値は余った財で貧困な人々を食わせる事だと考えていたのでした。

そこに『人生は幻』、命は今のこの世だけでなく輪廻転生する、この世で功徳を積み、来世へ繋ぐことを信じる彼らの人生観は、"人はパンのみにして生きるにあらず"を超えて、世俗的価値観、より富を高めていくこととは違う精神世界がこの星で成り立っているのだと。

先ほどの問答もそうですが、仏教を一つの学問を究める道だとすれば、"チベット仏教の話はしたい、しかしそれ以外の話は何もしたくない"、と言う言葉も分かります。

学問の道を究めることは一つ世俗とは離れる處がある、そう思います。

それでも、現金収入を得るために中国企業で働くチベット人が増加し、子供への教育も中国語で行われ、中国化がここチベットでも進んでいます。

利便性・物質的な豊かさの誘惑と、伝統的な文化の独立性・精神的な豊かさの対立が、ここでも起きているのか…と想っていると、ある僧侶の部屋にはリンカーンとオバマのポスターが張られていました。

曰く、「(平等な)社会を作るための貢献をし、彼らの言葉は仏教の言葉に似ている、社会の問題を解決したから貼っている」と。
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現代社会の矛盾を大きく孕む合衆国に、古来の伝統を大切に守るチベット僧が共感を得ているというのは本質的な自由さとは何かを考える上では面白いと想うと共に、それでも多く食える人が増えることは幸せなことだし、"何が価値なのか"をみていて逡巡しました。

競争や争いが人間の本能に組み込まれたものだとしたら。殺生を禁じる宗教は貴いけれども、現実の権力闘争は精神的な行いでは止められていない。

自分を守るための矛がなければ、他者を害することなく自己を律すことすら無理なのではないか?
欲望を利用し"理想"を試みるバーリトゥードな相手と対峙しなければならないのだから…。

そう感じながら番組をみていると、中国共産党がラルンガル・ゴンパに仕掛けてきました。
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山の中腹に掲げられた<プンツォ様 私たちをお守りください>というチベット文字の横に中国語で<共産党と心をひとつにし"中国の夢"を築こう>というスローガンが掲げられている。

ラルンガル・ゴンパから人が消え、皆が小屋の中でひっそりとしました。

"他者を害することなく自己を律しろ"という教えは、信仰は本来個人的に高みへ達する事であり、他者に強いるものではないことを示しています。

本来は思想や主義もそう、完全に自由な中で意思決定がなされるのが理想。

しかしこの世の中には"他者を意のままに巻き込みたい"とする勢力がいて。

そして様々な組織、個人が人の上に立とうと争い続けている中、"自分だけが世界とは関係なく解脱を目指す"ことが不可能に近くあると共に、自慰的な行為なのではないか?人を治める世俗的な指導者がいないと、理想は空転してしまうのではないか?そう想いながらみていました。

その上で、世俗的・物質的に"人々が生命活動を行うことができる"上で、"どう生きるべきか"という精神的な問いが必要になってくると想ったのです。

ラルンガル・ゴンパでは十年間の仏教理論の学習が求められます。
毎年”問い方”と"答え方"の試験が行われます。
難解な知識の理解が15分の問答試験で行われ、その後3時間の筆記試験が。
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この"問い方"を求められることがいいなと。

大学教育における卒業論文もそうであるように本来学びの道にいる者には"良い答える"だけでなく"良い問いを生み出すこと"が求められるし、それは聖俗関係なく必要な能力だと想ったからです。

"情報"の価値がインターネットによって完全に破壊されてしまった現代、単純に情報量があるだけでは、もう価値がない今、"情報の身体性"はつまるところ"良い問いを生み出すこと"と"良い解を出すこと"。

古来からの学問のシンプルなセオリーですが、何かをインプットするときは、"問いと解"を意識しなければならない。単なる情報の羅列では価値は生まれない、そして知識・知恵に溺れることなく、"善い人間であろうとする心"を持たないと、全ては虚ろなものになってしまう、そう改めて思いました。

番組終盤、チベット仏教で行われる"鳥葬"が取り上げられました。
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人が死を迎えたとき、魂はその肉体から分離し、この世で漂い始める。ジョモ(尼僧)の真言は魂を慈悲深く供養すると信じられている。その後49日をかけ魂から人間的な感覚が失われ、次の再生の世界へ向かう。

亡骸が鳥葬場に運ばれ、閻魔の衣装を纏った鳥葬師によって、ハゲタカに捧げられる。
ハゲタカは魂を天界に運ぶ女神、"空行母"と信じられていて、ハゲタカに食べられることで、ハゲタカは腹いっぱいになれば他の動物を襲わず、別の命が救われる。

善き生まれ変わりになるための最後の功徳が鳥葬。

鳥葬師に輪廻転生の話を聴かせてほしいと頼むと、彼は「そのような質問に答えたこともないし、答える言葉も持ち合わせていない」と断った。

その代わり、お経を唱え始めたのです。

"この世に我も他者も存在しない 神も悪魔も存在しない
全ては無であり 悪も善もない 苦も楽もない 世俗も解脱もない
私の躰は供物として 鳥である空行母い献じます"
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まるでジョン・レノンの『イマジン』にような歌詞じゃないか。
"ポワ(魂の移転)"のお経だそうです。ポワってオウム真理教によって穢されてしまったけれど、本来はこんなにもロックな、身も蓋もない真実を言い放つ詩だったのか。

ボブ・ディランがノーベル文学賞を獲ったのも記憶に新しいですが、ロックミュージックの真価は真実を歌うことで社会に風穴を開けることで、だからこそ宗教指導者のような凄味を持っていたのだなと、ラルンガルの光景からそんなことを想起しました。

最後にツェテンさんのチベット語の読み書きを教える学校での活動と、2017年1月にツェテンさんの妹のユシィちゃんを訪ねた映像が。

"自分の故郷をどう思う?"という問いに応えたユシィちゃんの笑顔が眩しかったです。
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cf.
コーカサスに想う敬虔な質実さと都会の華美さのあいだ

by wavesll | 2017-03-13 21:01 | 私信 | Trackback | Comments(0)
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