ジェローム・スピケ『ナディア・ブーランジェ』 クラシックからポップ領域まで20世紀音楽教育の女傑の生涯

c0002171_3535192.jpgナディア・ブーランジェの名を知ったのはエグベルト・ジスモンチを通して。

フランスでナディアに師事したエグベルトはナディアから"ブラジルの音楽を活かしなさい"と伝えられ、ブラジルに戻った後先住民と共に暮らしたりしてインスピレーションの背骨をつくったという逸話。

同時期にピアソラにも嵌ったのですが、ピアソラにタンゴの道を薦めたのも彼女だと知り、そこから色々検索してみると音楽教育を通して20世紀の音楽に巨大な結果を残したことを知りました。

そんな時に本書『ナディア・ブーランジェ』を知り、彼女の足跡や人となりを読みたいと手に取ったのです。

彼女に厳しく音楽を叩き込み大きな影響をもたらしたロシア人の母ライサと、彼女がコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)にて師事したフランス人音楽家のエルネストの間に生まれたナディア。夭折した妹のリリも稀有な音楽家でした。

ナディアの人生には輝かしい芸術人・文化人の交友関係がありました。
父エルネストの交友関係にはサン=サーンスやジュール・ベルヌなどがいたし、ナディア自身もフォーレに学び、モーリス・ラヴェルとも同じクラスで、後年は公私ともどもストラヴィンスキーと交友を持ったナディア。20世紀のパリにどれだけの才能が集まっていたかが鮮やかに描かれていました。

そして交友関係からもナディアの人となりが伝わるというか、彼女はセレブリティと睦まじくするのが好きで。野心を持っている人間が好きな印象。彼女自身も野心的に自分の才能で栄光へ向かって邁進しましたし、教え子には圧倒的な才能か圧倒的な金銭を求めました(圧倒的な富裕層のおかげで才能あるものに授業料免除を行えたという側面もあったようです)

彼女の教室は数多の音楽人を育てましたが、そのスタンスを表す言葉があります。

「あなたは自分自身でないといけません。いたずらに影響を受け、同調することは危険です。ドビュッシーの人格は強烈でしたから、周辺の人々に影響を及ぼし、多くの人たちの自己形成の妨げになりました。彼らは、自分たちが『ペレアス』の続きを書いているのだと思っていても、実際は並行和声を並べるだけでした。そして、他の人たちは『春の祭典』の反復和声を作ってばかりいました。つまり、二番煎じをしていただけなのです」

教え子たちのアイデンティティを認め、才能と個性を伸ばすことに一心に情熱を傾けたナディア。
アストル・ピアソラに「これこそあなたの分野です。交響曲などやめて、タンゴにあなたの力を注ぎなさい」と述べたのは有名なエピソード。

さらに『ラプソディ・イン・ブルー』などで稀有な才能を発揮していたジョージ・ガーシュインから教えを請われても、寧ろその教えが彼の個性の妨げになると"自分の音楽を書き続けるべきだ"と説得したことからも彼女の哲学が見て取れます。

彼女は20世紀の人物。世界大戦はやはり彼女の人生へ影を落としました。WW2中アメリカへ逃れた彼女が再びパリに帰ってきたとき、親交のあったサン=テグジュペリやポリニャック公爵夫人、ポール・ヴァレリーはこの世から消えようとしていました。

92歳で死ぬまで、音楽教室、指揮、講演など夥しい仕事をとてつもないエネルギッシュさで行ったナディア。Wikipediaには彼女の教え子が列記されています。クインシー・ジョーンズやフィリップ・グラス、レナード・バーンスタイン、ミッシェル・ルグランなど綺羅星のようなミュージシャンの育ての親。現代に続く音楽の龍脈が、そこにありました。
by wavesll | 2017-04-08 05:09 | 書評 | Comments(0)
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