承認欲求を求めてもいいし、みなに好かれなくてもいいし、全てに肯定的でなくていい

pokka pokka / Fishmans


NUMBER GIRL - I don't know (ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2002) LIVE


私は面と向かって相手の気分を害することを言うことが苦手で。その癖Webなんかだと駄々洩れさせたりとかして口ならぬキーボードから災いを招いたりしてしまって。空リプの誤配もあったり、結局陰口ですしね。

また、「分からないこと」が我慢ならなくて。人から何かを薦められたときなんかも、その時魅力が分からなくても”この人が薦めるものなのだから、きっといいものなのだろう”と期待値を込めて肯定的な返答をしたりしてしまいます。

その後魅力が分かった時に「最初は分かってなかったのだけれども魅力が分かった!」と興奮気味に伝えて、「何で最初分からなかったときにそう言わないのか」と言われたことがあって。

"そうか、期待値込みでポジティヴを装うのも、それが期待値で今は分かってないと伝えないと裏切りになるのか"と気づかされました。

そう想って振り返ると、世の人は"わからないこと"には寛容なのだなと。

相手の魅力が分からない内は最強というか、どんなに無礼な発言をしても罪悪感は感じないというか。”そもそも価値がないことを分かっているんだ”というスタンスかもしれません。

寧ろ”価値があるんだ”と力説することの方がみっともないことと想われている節があります。いわゆる「承認欲求叩き」なんかも相手が今ある評価に満足せずに承認をさらに求めることに対するいらだちというか。

ただ、そもそも承認欲求それ自体はマズローの欲求5段階説の中のタームで。ネガティヴな色はありません。

食欲・性欲・睡眠欲の生理的欲求、風雨や危険をしのげる安心な暮らしがしたい安全欲求、集団に属したり仲間を得て孤独から逃れる社会的欲求(帰属欲求)が満たされた人間が、次に求めるのが、他者から認められたい、尊敬されたいという尊厳欲求(承認欲求)です。

私も昔はコミュニケーション欲とでもいうか、分解すれば社会的欲求と承認欲求が欲しくて欲しくてクレクレ乞食な無様なこともやってしまって。Blogやmixiにコメントが付かないのに悩んだ時期もありました。

ただそれは狭い村社会に属していたから起きた問題で。Webの公海に出て、Twitterなんかで800人弱の人をフォローして、十数人の方々と良くやり取りをして、そこそこの頻度でいいねなんかが来て、たまに返信コメントが付いたりするとそれで結構満足する自分を発見します。

逆にこのTweetなんか830RTされて1500いいねとかされているんですが、正直言うと通知がひっきりなしに来る感覚で。数字だけだと自分の器では体感を越えているし、寧ろ体感するくらいのリアクションが来たら対応できないと。普通のTweetで3, 4いいねがつくくらいが一番いいというか。

ひとりの人間が親しくつながっていられる最大数は50人から150人程度だという説もありますが、現在のリアルとオンラインのコミュニケーション量で、社会欲求も承認欲求も飽和に近いなと。

そういった意味で、今は"他人にウケることを目的にしているではなく自分が読みたいことを書くためにWebをやってる"、なんてマズローでいえば自己実現欲めいたことを言えるのですが、これも4段階まで満たされたから言えることで。他者からの評価を得るために頑張るって至極真っ当な動機だと想います。

だいぶ話がそれました。元に戻すと、"わからない人間"を相手にするときは相当骨が折れるのが常だと覚悟するか、そもそものターゲットを絞るのが、生業にし数字を求めないなら有効な方策ということ。

”分かっている人相手”でも相当な人数が存在するし、可処分時間でコミュニケーションに割ける分なんかそれで埋まるのが、私は実際の処です。

また、"わからないコトはわからない/わかってはいない”と言うのが誠実だと。

昔の私は傲慢で、身近な人のいうことは何でも理解できて適切に面白さをこちらは判断できるのに周りはこちらの感性を理解しえないことが多いと驕っていました。

しかし、Webの大海に出て、自分自身が大切にしている分野でも先達はいくらでもいて、前は理解できなかったものでも時を経ると良さがわかることを知って。一方で自分自身の理解にも限界があることも知って。

面白く感じていないモノを、わざわざ声高に貶す必要はないけれど、おべんちゃらを無理に言うのも不誠実なのだと今は感じています。無知の知を知った上で、誠実に発言することの大事さを知りました。

こういうサイトを結構な頻度で更新したいと思うとついネタに妥協というか、本心でない褒めをやってしまいそうになります。

でも、金を得ているわけでもないインディーメディアなのだから、本当に書きたいものだけを書くことこそがレゾンデートルだよなと。昔の仲間には"どうせ分からないからぬるいことを言っておけばいい"と考えていましたが、自分で推すものは、誠の心をもって今は発言したいです。

それで読まれなかった時でも"これ読まないなんてもったいないことしてるなぁ"と想える水準を出すのが理想だと。

社会的欲求と承認欲求が満たされたから、自己実現を目指せる。案外私の欲求の器は無尽蔵でもありませんでした。

もしかしたらその先に、マズローが晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると唱えた「自己超越」という段階へ行ける時もあるのかもしれません。

”「目的の遂行・達成『だけ』を純粋に求める」という領域で、見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れてただ目的のみに没頭し、何かの課題や使命、職業や大切な仕事に貢献している状態”。なんだか読み切りの『ZETMAN』みたいな話ですね。

スピッツ / チェリー

by wavesll | 2017-07-06 23:19 | 私信 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://kamomelog.exblog.jp/tb/26794956
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
<< Animals of Tamm... Estrada Orchest... >>