今、mixiの方で一日一本の漫画のレビューを書いていて、明日で40作品になります。こういうことをしているとまるで僕が相当の漫画読みであるかのようなのですが、実質見る人が見れば「こんな有名処ばっかり書いて何が楽しいのか」と思われるくらいのスタンダードなラインナップをレビューしています。
けれども、いわゆる「スタンダード作」の全てを読んでいるというのは、常識の枠を超えることにならないでしょうか。
音楽にしても、分野を限っても、スタンダード作を全て聞いているというのは僕からすると凄いことだし、そういう人は音楽を良く知っている気がします。
最大公約数的な作品を一つ知っているのは珍しくないけれども、これが百個知っているとなると、相当な手だれな感じがするということです。
別の例を出すと、ヴィレッジヴァンガードを利用する人は珍しくないけれども、ヴィレッジヴァンガードの商品を全て知っているというのは店員でも難しくはないでしょうか。
オールマイティーを極めればスペシャリストになるなぁと思った次第です。
そして、オールマイティーであろうとすると、どんどん自分にとっての「スタンダード」の領域が広がっていく気がします。一時期はコンビニにおいてある漫画雑誌全てを読んでいた僕にとっては、いわゆる未開の地はコンビニにおいていない月刊誌や、少女マンガ、同人誌なのですが、最近の盛り上がりを見て、じきに手を出していきたいなと思っています。
これに関連して世の中には「劣勢の優位」というものが存在するなぁと思うのです。
上で言えば女子はもともと少女マンガを読んでいる上に、少年漫画を読んでいるといった具合に、そもそもがマイノリティ、世の中の主流でないものは、自分の属するものに加えてマジョリティーも自然に楽しむようになるといったことです。この逆はあまり想像できません。
例えば音楽一つとっても、世界最大のマーケットを持つ英語圏、殊に合衆国の人々は、他言語の音楽など聴かないのではないでしょうか。それにひきかえ、我が日本国は邦楽を楽しんだ上で洋楽を聴く人も多数います。
漫画でも、そういうことはあるなぁと思うわけです。なまじ自分のところが優秀すぎるために他に目を移す必要性を感じずに、常識の要塞に閉じこもってしまうのは不幸なことだと思います。
さて、mixiでのレビューは今のところ「1作家1作品」を貫いていますが、50作品を超えたら、これを解禁しようかなと思っています。また紹介する漫画の総数自体もいまのところ100を区切りにしようかなと思っています。どうかごひいきに。