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陰翳礼賛

常々言っていることであるが、人は落ち目に輝くと思う。
落ち目とはマイナスの気持ちになった時、輝くとは鑑賞するに足るものを造り出すという意味だ。

例えば。みなさんの中で日記を書いたことがある人はいるだろうか?夏休みの課題じゃなく、自発的にだ。その出自を考えて欲しい。嫌なことがあって、悩んだからではないだろうか?自分の中で思考が整理できなくなって、吐き出すところを求めて紙にぶちまけたのではないだろうか?俺はそういう行為を美しいと思う。

みなさんの好きなアーティストを思い浮かべて欲しい。その中に椎名林檎やCoccoはいやしないだろうか?そして、彼女たちが精神的に不健康だったときの方が、健全な今より優れた作品を作り出せていたとは思わないだろうか?俺はそう思う。

人が何かをするということは、周りの環境を変えるということだ。たいていの人は周りを良くしようと働きかける。その働きは、その人が持つマイナスの度合いが大きいほどくっきりと明度を増すのだ。

言葉を変えて言えば、人の活動の全ては問題解決である。そして、周りの問題が深刻なときほど、問題解決に力を注げるわけだ。上手くいっているときは問題を発見するところからはじめなければならない。

落ち目の芸術性というのは、つまるところねじれだ。落ち目のやつと言うのはねじれている。何でねじれているのか。ルサンチマンでねじれているのだ。「何故俺はうまくいかないんだ!」という鬱屈した熱情が、彼らを常人から乖離させ、輝かせるのである。

例えばみうらじゅんと伊集院光が提唱するD.T.(おわかりのように童貞性のことだ)。彼らは現実で女の子に発散できない欲望のルサンチマンを妄想で展開するのである。例えば銀杏BOYZの峯田がそうだ。彼は22歳まで童貞であり、童貞を失った後も、ルサンチマンを保ち続け、青少年の魂に響く歌を歌い続けている。

またTommy february6というポップ・イコンに関してもこの論は当てはまる。彼女はもう31だが、こう明言している。「私は『私が本当はこう生きるはずだった青春時代』を今生きているのよ」と。高校時代にたまりにたまったルサンチマンが今、彼女の中でどこまでも甘いポップスとして炎上している様があなたに見えるだろうか。それはとても美しいものだ。

20世紀に生まれた多くの音楽は黒人の手によるものだが彼らも白人に搾取され、抑圧されてきた人々だった。貧困の中で、奴隷制の中で、ソウル、ジャズ、ブルース、レゲエ、ヒップホップ……彼らはいつも悲しみと怒りを歌ってきた。そしてそれは人々の心を打つものだった。

人は鬱屈した悲しみの中で輝く。

なぜこんな文を書いたか?それは今、嫌なことがあったからだ。その悲しみのエネルギーが俺にこの文を書かせたのである。
by wavesll | 2006-03-15 10:54 | 私信 | Comments(3)
Commented at 2006-03-15 23:18 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by にゃんこ at 2006-03-16 10:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

みたい(´・ω・`)
Commented by wavesll at 2006-03-16 10:35
>鍵1さん
確かに!できないだろうねw

>にゃんこさん
こればっかりは管理人の特権ですw
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