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幻実

日本のワールドカップドイツ大会が終わりましたね。
僕のようなサッカー素人でも世界との差をいやおうにも感じる試合でした。
今回、僕自身も1ファンとして観戦させていただいたのですが、スポーツというのはファンを眺めるのも楽しいものですね。

僕はかなり楽観主義で、ミスや、嫌なことをどちらかといえば無視して、期待をかけながら見るタイプなのですが、友人には結構悲観主義で、ミスをきちんと指摘し、その上でいいプレイには賞賛をかけるヒトが多いです。

まぁ、ファンとしては両方ありかなとも思いますが、サッカーを良く知り、よく楽しめているのは後者な気がします。

本気で好きだからこそ、わかっているからこそ、幻想だけではなく、現実の粗がよりよく目に付いて、口を出したくなるってのはありますよね。

ただ楽しさだけを求めるなら前者でもいい(実際僕はサッカーに対してはそうですし)けれども、自分にとって最重要なものとなったら、苦言を呈せるまで真剣になるというのは必要ですよね。

幻想を生み出しているのはぎりぎりまで真剣になった人間の現実なんだなと思いました。

何事もプレパがあってこその本番なんだなと痛感しました。常に最善を目指して頭を働かせていきたいですね。



優雅に見える白鳥は、その実水面下では脚をじたばたさせている。

すばらしい作品ほど、それが必然であるかのように見せかける。

まるで何の苦労もなく、幻想を振りまいているというのはまさしく幻想かもしれません。

しかし、「それをせざるをえなくてしてしまっている天才」という幻想は、捨てるには惜しい。

幻想に浸っていることは幸せかもしれません。

そして、相手に幻想を与えられるようになって初めて、社会に貢献できるのかもしれません。

それじゃあ現実ってなんなのでしょうね?現実は幻想?



現実と幻想がない交ぜに現れ、負の感情が出現したとき、どうすればよいと思いますか?
親しい人が殺されたとき、殺した相手を許すことはできるのでしょうか?

「相手を殺すだろう」という人は、自分が殺人者になったら殺される覚悟でいっているのでしょうか?その危機感を本当に持っていっているのでしょうか?

僕は弱い人間ですから、他人を殺すということには躊躇してしまいます。自分にその権利があるのかと思ってしまうのです。これは法律的な話でなく、純粋に倫理としてです。

真剣に、覚悟を持って行動すればどんな行動も肯定されるというわけではないですが、ないよりは遥かに良い気がします。

罪を自覚したかどうか、本当に反省したかどうかなんてのは、当人にすらもわからないと思います。

それでも、僕は彼らを許せるものなら許したい。たとえ他人がこれを幻想だといっても、これは現実だと思います。
by wavesll | 2006-06-23 06:26 | 私信 | Comments(0)
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