三島由紀夫 『葉隠入門』に想起する侍の魂、男のマナーそして現代を生き抜く術

c0002171_2053267.jpg三島由紀夫 『葉隠入門』を読みました。この新潮文庫版には『葉隠入門』の他、笠原伸夫訳の『「葉隠」名言抄』も収録されていて、鍋島藩に仕えた山本常朝自身の言葉も見ることができました。

さて『葉隠』。佐賀出身NUMBERGIRLのNum-Ami-Dabutzを初めとして幾度となく聴いてきた『武士道とは死ぬことと見つけたり』の理論。無論この精神姿勢は本書の哲学の中心となる概念ですが、思った以上に侍でない現代の人々、とりわけサラリーマンに響く箴言達だと感じました。

例えば"批判の仕方"に関して

意見して人の欠点を直すのは大切だが、意見の仕方に骨を折る必要がある。他人のやってることを批判するのは簡単で、言いにくいことを言ってやるのが親切だと大方の人は考えるようだが、これは何ら役立たずだ。いたずらに人に恥をかかせる悪口で、気晴らしの類でしかない。
意見はまずその人がそれを受け入れるか否か良く見分け、相手と親しくなり信用されるようにしむけるところから始めなければならない。その上で趣味の方面から入って、言い方も工夫し時節も考え或いは手紙、或いは帰りがけに、自分の失敗を話したり、相手の良いところを褒めたり、そうした上で欠点を直してゆくというのが意見である


どうです?かなり『葉隠』のイメージ、変わりませんか?この他”欠伸を止める方法”や”翌日のことは前の晩から考えておくこと”、”色んな事態を前もって検討しておくこと”、”まず勇気をもって着手せよ”、或いは”上役は倹約ばかり説かず、少しは見逃したりすることで下が安穏できる”とか、"正義に惑溺すると真理を見失う、第三者に相談して傍目八目を利用するのも書物で古人に学ぶのも良い"とか、"過ちの一つもない人間は信用できない"、"利口さを顔に出すものは成功しない"、"名人も人なら、我もまた人"、"役職者は上には厳しく目付けし、部下は褒めること"、"初対面のつつましさで付き合うこと"、"好人物は人に後れを取る、強み(バイタリティー)にあふれている人間でなくてはならない"や"昔は良かったと懐かしがってばかりいてはいけないし、逆に現代風ばかりよいと想うのも思慮が浅い"、"会議の前に根回ししておくべし"、"刀(意地)は抜き身ばかりだと人が寄り付かず、納めてばかりいると錆び付く"等、現代人でも通じる渡世術に満ちていました。

一方で武士ならではのダンディズムというか男らしさを示すものも多く、何事も自分一人で国を背負うくらいの高慢さを持って事を行えとか、威厳を保つために言動を厳しく律したり、顔色が悪い時は紅を指しても威を示す身繕いなど、男としてのマナーがかなり語られていて、こういう形でのマナー論だとしっくり受け止められるなと想いながら読んでいました。

さて、そういったプラグマティックな付録がありながら、『葉隠入門』はしかし三島自身の哲学も色濃く『葉隠』を読み解いたテキストでした。

『葉隠』が書かれたのは天下泰平の時代における死への欲望であり、三島がこの文章を書いた平和な戦後においても、メメント・モリが魅惑をもって輝くという論拠。死が遠ざかるほど、人は死を求めるのではないか、三島はそう説くのです。

男の女性化が進み、意気のある、秘する闇のある人間がいなくなっていく明るい時代への反骨の精神。福祉国家の倦怠、社会主義の抑圧、穏やかな世の中に対する怒りを三島の文章からは感じます。生が薄くなることへの怒り。爆発的なエネルギーを持って死ぬ気で物事を為す、一瞬一瞬を生き、失敗したら死ぬくらいの気概が逆に人間を解き放つことになるという『葉隠』の哲学に三島は魅了されたのだと想います。

単純な功利主義では"死ぬより生きた方が得だ"となり誰かの為に殉じることも何かを為すため身を投じることも小賢しい人間はできない。西洋は生の哲学を日本に教えたが、享楽や利殖を追うだけの人生に何の価値があろうか?この問題意識はマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でニーチェの"末人"を引用して伝えたものに通じる気がします。

神風特攻で死ぬことも、或いは自分で自殺を選ぶことも、運命と自己選択の両方が(程度の差はあれ)混じっていて、真理としてただ圧倒的な死だけがある。そして死を身近に想うことが生を輝かす。三島はそう論じています。

三島のこの思想に触れた時に私の頭に浮かんだのは村上龍最良の後継者であり震災後文学の最高傑作としての『シン・ゴジラ』(飯田一史)でした。この記事の中で語られる村上龍の変遷は、興味深い提示になると想います。

つまり、『限りなく透明に近いブルー』の頃は、経済発展の平和に倦む人間たちが生を実感するには暴力かセックスかスポーツしかなく戦争を起こすことでしか日本という国は生への切実な思いは得られないと考えていた村上龍が近年『カンブリア宮殿』等を手掛けるのは、"長らく続く不況の中で、企業こそが『生き抜く危機意識』を体現した存在となっている"ことに気付いたからだという論旨。

今現在の日本は、長らく続いた昭和・平成の"戦後の平和"が翳りつつあります。震災による津波の衝撃、福島原発という不安・穢れの残存、毎年数万人の自殺者が出る経済状況、そしてイスラム過激派による全球的なテロ。台頭する中共、暴走しそうな北鮮。さらには安倍首相による"戦前"を思わせる政治的な動きは、"戦後"に蹴りをつける段階に日本も否応なしに至ってきたことを示していると想います。

そういった中で、惰眠を貪れる贅沢な状況は日本においては終わり、三島がこの書を書いた頃とはパラダイムが完全に変化したようにも想うのです。今、特に若者はかなり死に近いものを身近に感じる時代になりつつあるというか、楽に生きれる時代はとうに過ぎ去ってしまった。そう私は感じます。

そのストレス状態で更に死を想うのは鬱送りになってしまう恐れもありますが、私自身は鬱の末に『もし俺が死にたいのなら今すぐ死んでいるはずだ。俺は生きているのだから、生きていたいんだ。みな、色んなことを勘案したうえで生き方を選択しているのだから、全部ひっくるめたうえで"みなやりたいことをやりたいようにやっているんだ"』というアドラー心理学的な意識へ達したので何事も突き詰めるのはいいことかもしれないなとは思います。死んだら終わりだけど、最悪でも死ねばもう自分の生は関係なくなる、この考えで楽になる人はいると想います。

侍の魂を現在へ受け継ぎながらも、今はどちらかというと武者というより実務家としての侍のメソッドを会得して、江戸町人的な「いき」の塩梅も活かしつつ、この時代をSurviveして渡っていければいい、それで何かを成せれば万々歳。今私はそう思う次第です。


cf.
SMiLE.dk 『Butterfly』

Ay, iyaiyai,
Ay, iyaiyai
A-a-a iyaiyai,
私のサムライは何処?

あの人を探しにきた
ニッポンに
私のサムライを探すために
強い人
ちょっとシャイな人
そんなサムライが私には必要なの

Ay, ay, ay,
私はあなたのチョウチョだから
グリーンやブラックやブルーの蝶々が
空を染め上げる
Ay, ay, ay,
そんなチョウチョみたいなものよ
グリーンやブラックやブルーの蝶々が
空を染め上げる

森の中を探す
丘の上を捜す
私のサムライを探し回る
後ろ向きにならない人
私を掴んで離さない人
そんなサムライが私には必要なの


エレファントカシマシ 『昔の侍』
ウルフルズ 『サムライソウル』
Lance Mungia 『SIX STRING SAMURAI』


Samurai - Djavan - Luz

Ah,
多くの欲望
わが心の内に…

Ah,
俺を苦しめてくれ
殺しかけてくれ
殺さないことが、俺を傷つける

やれ…
何も言わずに
受難の館で

離れてくれ…
君が望んだときに
侮辱してくれ
そして俺の肌を撫でてくれ

月よ満ちてくれ
深く耀くために
熱情の暗黒

闘おうとした
愛の力に反逆しようとした
しかし俺は破れ勝者に跪いた
奴隷になった
サムライの奴隷

しかし俺は幸福だ
それは愛だと噂される
魅了される


SHERBET(浅井健一) きせき
 ―平和な世界がやってきたらきっと僕は退屈で生きてはいけないだろう 生きてはいけないさ

by wavesll | 2016-09-08 22:15 | 私信 | Comments(0)
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