リチャード・バック『イリュージョン』 救世主入門テキストを読む

奥田民生 『愛のために』


「鴎」という名前を考えたときに思い浮かべたことはたくさんあった。カゴメトマトジュースに似ているとか、森鴎外もあったな。もちろんその中にはかもめのジョナサン・リヴィングストンの姿もあった。

自分自身をくびきから解放して限界突破する物語だ。この話は「カモメ」に関してある一定のイメージを世の中に広げて、俺も間接的に影響を受けていたんだけど、この夏の松山旅行で実際に『かもめのジョナサン』を読んでみて、改めて俺は勇気付けられた。

でもこの本を翻訳した五木寛之さんは後書きでこの物語にどこか「汚れることを許さない危うさ」を指摘している。確かにジョナサンは大したカモメで、どんどん高みに昇っていくけれども、どっかその生き方には遊びというか、バッファがない気がする。人生の正解は一つだけではないはずだ。

松山旅行ではもうひとつ小説を読んだ。『かもめのジョナサン』の作者のリチャード・バックさんが書いた『イリュージョン』だ。

この主人公は、世界の救世主となる能力を持っているんだけど、自分の人生を最優先してるから、気が向いたときにしか他人を救わない。だけどその分みていて辛いところがひとつもない。

『かもめのジョナサン』には女カモメは母親しか出てこないし、食事シーンも少ないけれど、『イリュージョン』では売春婦も出てくるし、主役達は美味そうにメシを喰う。俺はジョナサンも好きだけど、ドンも大好きなんだ。できれば彼らのようになりたい。

そこでここではドンがリチャードに見せた『救世主入門テキスト』を紹介しよう。


『救世主入門~三歩先を行く精神が心がけるべきこと』

三歩先を見る能力を常に活用せよ、
さもなくば、常に三歩後を歩むことになる。

このページを見れば、忘れていたことに気づく
身辺で起こっているのが真実ではないことを

そのことについて考えよ、

どこから来てどこへ行くのか、
最初の地で、君が引き起こして身を投じた混乱の渦がある。何故そんな事をしたのか、理由が何であったか、思い出そう。
君達はいつか恐ろしい死を遂げる。
それもまた忘れないように。

君にふりかかること全ては訓練として役に立つ。
真実を心にとめておけば、君はそれをもっと楽しむことができる。

しかし、自分の死に際しては厳粛に取り組まなければならない。
三歩先を歩くことのできない保守的な生き物達は、ギロチンに首を突っ込んだまま笑う君のことを理解できないだろう。
君は狂人と呼ばれる。


学習は、すでに知られていることを見つけ出すこと。
行為は、学習の証明。
教育とは、被教育者に、君らに教育者と同じ程度のことを知っているのだと気づかせること。

君達はもちろん学習者であり実行者であり教育者であって、いかなる種類の生や死を選ぼうとも自由だが、生涯を通しての義務というものがあるとすれば、自分に忠実でなければならないよいうことそれ一つだけである。

他人や、他の事情に忠実であることは、不可能なばかりでなく、偽者の救世主であることの証明となる。

最も単純な疑問が最も深い意味を持っている。
君はどこで生まれどこで何をしようとしているのか?
たまには、そうしたことを考えるといい。
答えはひとつでないことがわかる。

一番自分が知りたいことを君は最もうまく教えることができるだろう。


君の行為や表現が世に公表されたとしても決して恥じてはならない。
例え公表されたものが真実ではないとしても、恥じるのでなく、生きるのだ。

友人には、千年付き合ってわかってもらうよりも、初対面の一分のほうがよくわかってもらえるだろう。

責任を回避する一番の方法は「私はすでに責任を果たした」と言うことだ。


人生は終生、君の中にいる何種類もの生き物によって導かれている。
君がある方向へ一歩を踏み出すのは、その中の学習意欲旺盛な一匹によるものである。
好奇心、それが君自身だ。
遊び心いっぱいの精神的な生きもの、それがほんものの自己だ。

起こり得る未来、それから顔を背けるな、

君達にはいつでも選択が任されている。
別の未来、そして別の過去を選ぶのも、いつだって自由だ。


いかなる種類や程度のものであっても、困難は君達に何かを与える。
君達は、言うなれば、困難さを捜しているのである。
人が苦難をもとめるのは、自分のためになるからである。


君の家族をつなぐ絆は血ではない。
おたがいの人生に対する尊敬と喜びだ。
一個の家族が一つ屋根の下で成長しあうことはほとんどない。


限界、常にそれが問題である。
君達自身の限界について議論せよ。
きっとそれが君の限界だ。


イマジン、想像せよ
宇宙は美しく完璧であると、預言者イザヤは君達より少し宇宙を魅力的なものだと想像している。


雲は知ってはいない、なぜ、この方向にこのスピードで動いていくのかを知らない。
雲が感じ取っているのは刺激である…これから向かうのはこっちのほうだというように。
だが空は全ての雲の背後にある理由やパターンを知っている。
君達にもそのことがわかるだろう。
地平線の向こう側が見える程の高みに立った時には。


ある願望が君の中に生まれる。
その時、君にはそれを実現させるパワーが与えられる。
しかしながら、それなりの努力はしなければならないだろう。


世界はドリルであり、そこでおこなわれているのは計算である。
それは真実ではない。
しかし、もし君が望むならそこに真実を書き込むことができる。
また意味のないこと。嘘など何でも書き込むことが出来る。
そして、もちろん、破り捨てるのも自由だ。


原罪を設定することで、自分の中の預言者イザヤを限定してはならない。


小説の登場人物になろうとしたことはなかっただろうか?
もしそういう経験があるならば君達にもわかるかも知れない。
時として、虚構の中の人物の方が、心臓の鼓動を持つ人間よりも強く、真実を語ることを。


良心とは尺度である。
君が自分のエゴにどれだけ忠実であるか
それを決定する尺度に他ならない。


君達全ての者に告げる。
君達が遭遇する事件は全て君達自らが招き寄せたものである。
その事件をどう処理するかを決めるのはもちろん君達であって神ではない。


君達が自己に忠実に話す時、そこに過去や未来は関わりなく、真実が永遠に光り輝く。

自己に忠実に話す、それのみが真実を話すために必要なことだ。


自分の使命が果たされたかどうかは簡単に分かる。
生きていれば、使命は終わっていない。


自由に生きるためには退屈と戦う必要がある。
退屈を殺し灰にしてしまうか、退屈に殺されて家具になるか、激しく根気のいる戦いとなるだろう。


さよならの時にうろたえてはいけない。
別れは再びめぐり逢う前になくてはならないものだから。

友達同士であれば、ある時間を経て、いくつかの人生を巡った後に必ずやってくるものだ。


無知のしるしは不正や悲劇を心の底から信じていることだ。
毛虫が終末と思う、その形態を救世主は蝶と名付けた。


このテキスト程無責任な本はない。
この本にかかれていることを信じないほうがいい。
書かれていることは全て逆の意味かもしれないから。



どーよ、高田純次も裸足で逃げ出すようなテキトーっぷりだろwwwwwww
でも浪漫あるよな。俺は結構好きなんだ。


米米クラブ 『浪漫飛行』
by wavesll | 2007-11-06 00:43 | 書評 | Trackback | Comments(0)
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