閑さや岩にしみ入蝉の声 芭蕉
『WORLD'S END SUPERNOVA』 くるり
クラシックの躍動性に最近気づきました。『つるぎの舞』はチャリオッツの上でグラディエーターが戦ってるかのようだし。『ハンガリー舞踊第6番』は騎乗位のグライディングを彷彿とさせるし。小学校か中学校の音楽の授業のために買わされたCDだからもうだいぶ傷が入っていて『詩人と農夫』なんかは音飛びがひどいんだけど、それがまた逝っちまって真っ白になった淑女の声にならない叫びみたいで淫靡なことこの上ない。極めて饒舌で極めて上品な猥談を聞いているようで非常に楽しいです。
オンキョーのプレイヤーにレコードを挿入するのはお嬢に『デカメロン』を読み聞かせるのとそう変わらないなぁ。
スピーチとラップとテクノとクラシックは地続きな気がします。
短歌と俳句と演歌と歌謡曲とポップミュージックが地続きなように。
仮にズールー族の歌を聞いたとして何を感じますか?太古の記憶?密林の旋律?
音楽は剥き出しの自然、カオスなクオリアの産物です。これに詩がついていても、聞き取れなかったり、理解できなければ歌っている当人の意図とは違うものを感じることもあるでしょう。
時にはそれが面白い効果を表すこともあります。僕はU2の『Miracle Drug』という曲のサビの"miracle drug"というのをずっと"Americulture"だと思ってました。ドープな合衆国の文化という単語は僕がこの曲を触媒に導き出した言葉ですが、ちょっと気に入っています。
音楽が持つデータは、画像より、文字より全然大きなものです。データ容量を減らす、デコードする、つまり抽象化することで人はより効率的に情報を伝達できるようにしてきました。減った部分、玄米を研ぐ途中になくしてしまったミネラルを、人はエンコード、行間を読むことで再現します。だからもし伝えられるなら出来るだけ大きな情報を出来るだけ小さく折りたたんで、出来るだけ最初に受けた感動を再現したいものです。エンコーダーの性能を日々上げていければいいなぁ。
僕が最初に買ったレコードは前述した『つるぎの舞』か、サザンの『愛の言霊』です。香取信吾と深津絵里が出演していた『透明人間』というドラマのエンディングテーマで、最初聞いた時はアラビア語の歌かと思いました。その後『夜もヒッパレ』でこの歌が日本語の歌であることを知り仰天し、なんどもなんどもテープを繰り返したものでした。
『愛の言霊 ~Spiritual Message』 SOUTHAN ALL STARS
真夜中にTVの砂嵐を起こすノイズの一部は宇宙からの放射線であり、ことによるとビック・バンの時に放たれたものかもしれない。ほら、宇宙はこんなにも近い。あなたを一つの天体だといっても、なんの差し支えもないのだ。