円と棒でみる日記・blog・個人ニュース・新聞
Kourickさんの閲覧者を「積極的な一部の読者」と「圧倒的多数の傍観者」にしばしばわけるのだけど、どちらかというと前者を大事にするのが「Blog」で後者が「個人ニュースサイト」かなって気もします。という文を読んで、この前書いたニュース=世間の出来事とリンクできそうだなぁと思ったので少し書こうと思います。
この図全体をある人の認識宇宙における世間(=その人が興味のある範囲)とします。中心の赤い範囲は自分自身、黄色い範囲はプライベートな出来事(日記レベル)、黄緑が社会の中で特に興味を持った出来事(blogレベル)、水色が世の中全体でちょっと目を引いた出来事(小ネタレベル)を表しています。自分自身からの距離が近ければ近いほどその人にとっては重要なニュースとなります。
次のこの図ではある2人の世間が描かれています。赤く塗りつぶされているのは重なっている部分です。多くの場合、他人のプライベートな情報は当人以外にとってはさして重要ではないので、重なりはblogレベルや小ネタレベルの部分になります。自分から遠ければ遠い情報ほど、他人にとっては面白かったりするのは往々にしてあることだと思います。それは、自分の世間と他人の世間の中心点(自分自身)の位置がほとんどの場合かなりずれているからです。自分の位置というのはその人のこれまでの人生経験によって決まるので、世代や環境が同じだと近い位置になることもあると思います。
個人が情報発信するメリットの1つに「自分の味方(見方)を増やす」ということがあると思います。これは自分の意見を直接書いたり、あるいはニュースのフィルタリングをすることで間接的に自分の意思を示すことで結果的に起こることともいえます。
では、果たしてblogと個人ニュースサイトのどちらの方が自分の見方(味方)を増やせるのでしょうか?
結論から言うと両方同じくらい増やせると思います。というのもこの2つはアプローチのベクトルが異なるので厳密に言うと比べられないのです。
この図は典型的なブロガーと典型的なニュースサイターのある日の更新を表したものです。1日に1人の人間が書ける量には限度というものがありますから量的には彼ら2人のサイトは変わらないと思います。ただ内容面ではかなり異なってきます。ブロガーは特に興味のあるニュースに長文を書くので結果として1日に書けるのはせいぜい2・3本のネタだけですが、ニュースサイターの方は短いコメントをぽんぽんつけていくだけなので1日に10数本のネタを取り扱うのはざらです。だから読み手が持つ感覚はかなり異なります。
上にも示したとおり、思い入れのあるネタに反応してくれる人は思い入れがあるだけ少なくなっていきますから広範囲を扱うニュースサイトの方が多くの人に受け入れられると思います。しかし、同じ思いを持った人からするとブログで長文を読んだほうがはるかに楽しいと思います。つまり、ブログではその人の詳細な考えを流布できるので深い賛同者を見つけやすく、仲間を増やせるというメリットがあります。
一方ニュースサイトでは、数多くのネタを閲覧者と共有することで、思考のバックグラウンドを流布することができます。結果として閲覧者は自分の考えに対して共感を持ちやすくなり、仲間を増やせるというメリットがあるのです。上の図で言えば他人の世間の中心点を自分よりに移動させるということです。このように個人ニュースサイトとblogはそれぞれ異なる方向から閲覧者に訴えかけているといえます。
広範囲に対し長文記事を載せている大手新聞はしかし、社会の公器としての縛りから単一のアイデンティティを示して仲間を集め難いという弱点があると思います。しかしそれは情報マテリアルを提供するという意味でとても意義深いことだと思います。むしろ現在は記事の裏にある意図が丸分かりすぎるので、偏向を更に正す方向でマスメディアは進んでいって欲しいものです。
追記
keloさんが指摘されているとおり、blogとこれまでのウェブサイトとの一番の違いはコメントとトラックバックという仕組みだと思います。しかし、blog以外のサイトにだって掲示板をおいてあるところも多いし、メアドを載せて閲覧者との双方向性を持たせていました。ではそれらのものとコメント・トラバはどこが違うのでしょうか?
まず、ブログの仕組みは公開性と参加性が高いと言えます。例えばメールやweb拍手は出した方がその結果を必ずしも知りえない一方方向のコミュニケーションですが、コメントやトラバは基本的には公開されるものなので閲覧者も書き手としてサイトに参加している感覚を持ちやすく、これが一種のインセンティブとなっているといえます。
反応を更新のインセンティブとしてみるとき、一番分かり易いレスポンスはアクセス数だと思います。特に個人ニュースサイト網に引っかかったときはかなりのアクセスが流れ込んできます。また、個人ニュースサイト同士でも、他のサイトの記事を引用していることを書き込むことで相互にコミュニケートしあっています。このコミュニケーションとblogでのコミュニケーションの違いはどこにあるのでしょうか?
この図の上部はある個人ニュースサイトAとBのコミュニケーションを、下部はあるブログサイトAとBのコミュニケーションの様子を表したものです。四角がそれぞれのサイト、丸が記事を表しています。色がついているところがそれぞれがそれぞれのサイトについて言及しているところです。
例えば個人ニュースサイトAの中の桃色の丸のところは個人ニュースサイトBで取り上げられたネタが載っている、またblogBの水色の丸はblogAにトラックバックしたエントリだと見てください。
この2つの図で違っている箇所は、下の図には白い四角のスペースがくっついているという点です。ここがコメント・トラックバックのスペースです。この部分の書き手はサイト管理人ではなく、閲覧者(サイト参加者)なのでブロガーAがblogBに書き込んだ部分は水色になっています。
この図から、コミュニケーションのスタンスが個人ニュースサイトとblogでは異なることが分かります。いわば個人ニュースサイトは「待ち」のスタンス、blogは「攻め」のスタンスです。
というのも見ての通り個人ニュースサイトのやり方では相手が見ない限りこちらが言及していることがリファラーという間接的な形でしか伝わらないのです。相手が見ることを半ば想定して書けるのは、密接なネットワークを個人ニュースサイト界で構築しているからです。片やblogはこちらが書き込んだという意思表示を相手のサイトの中でしてしまうので当然相手はそれに気づきます。この仕組みによって、個々のサイトが全体としてのネットワークを必要としない、自己完結型のネットワークが構築されることになったのだと思います。
最後に掲示板とブログシステムとの違いを述べると、掲示板での書き込みと比べてコメントやトラバは「記事に直接かかってくる率」が高いと思います。サイト全体でなく、記事単位の重要性がこれによって高まるので、どちらかといえば長文志向にblogはなるのではないでしょうか。また上の方に書いた考え方を使うと、個人ニュースサイトは書き込むネタの量で勝負し、blogは書き込むネタあたりの文量で勝負しているといえるので、こういった両極化が進んでいるのだと思います。
更に追記
tearlessさんが非常に興味深い考察をされていて、確かにblogの方がネタ作りは大変かなぁということと確かに自分で書いた記事にリンク張られたほうが嬉しい気はするなぁと納得したので、ちょっと考えてみたいと思います。
こっちの方がやりやすそうなので、先にリンクについての方を考えてみると、こういう図で説明できるかなと思いました。この図は基本的には上に載せた奴と同じで、左がblog、右がニュースサイトを表しています。そして青く塗りつぶされているところは他のサイトからリンク(言及)された記事です。
この図のとおり、blogの方がリンクされている分量が大きいのです。これはblogの方がたいてい1つの記事の量が多いからなのですが、こういう風に見ると、個人ニュースサイトでの記事へのリンクは当たり前ですが1日あたり全部の更新にかかってくるのではなく、特定の記事にかかっていることが分かりやすいかと思います。つまり、blog的記事にリンクされたほうが評価された分量が大きいので、より嬉しい気がするということなのだと思います。
いよいよ本丸の「blogの方がニュ-スサイトよりネタ作りが大変なように思える」問題に入ろうと思います。

この図は情報マテリアルについて表したものです。マテリアルとはここでは「かたまり」や「素材」という意味で使っています。
情報マテリアルは自然の中では混沌とした状態でころがっています。これをカオス・マテリアルと呼ぶようにします。
自然の中から生まれた法則や、社会のメカニズム、書籍やレコードなど、人間がカオス・マテリアルの中からまとめあげた知識のかたまりをメディア・マテリアルと呼ぶようにします。
例えば新聞など、メディア・マテリアルを更にまとめた知識を作るひともいるでしょう。そのためメディア・マテリアルは常に第N次メディア・マテリアルと書いたほうが精確です。この図では第1次と第2次しか書いていませんが、実際はもっと高次のメディア・マテリアルが存在していると考えてください。
また、この情報ピラミッドは上に行けば行くほど整然と説明されるようになり、読んでいて分かりやすくなっていくようになります。
そして、個人ニュースサイトは他のテキストサイトより高次のメディア・マテリアルを形作っていると言えます。例えばblog等はカオス・マテリアルや新聞などからネタを拾うメディア・マテリアルといえますが、個人ニュースサイトはそれらのサイトを元ネタにしてまとめあげたものだからです。
上に書いたとおり、情報マテリアルは高次に行けば行くほど分かりやすくなります。他のテキストサイトと比べて高次のメディア・マテリアルを元ネタとしているので、情報を掘り返す作業そのものに関しては、比較的個人ニュースサイトのほうが楽です。だからblogのほうがネタ探しが大変だと感じるのだと思います。
しかし、個人ニュースサイトが面白さを提供しているのは、ネタ探しの容易さだけが原因ではないと思います。
と、いうのもニュースサイターは「意識的」にネタ探しを行っているからです。逆に言えば、多くのテキストサイターは日常から無意識にネタを探していると思います。
これは、高次のメディア・マテリアルはそれだけ論理的なので、無意識には読めないというのも理由でしょうし、それこそニュースサイターは更新に対する「意識」が高いからともいえると思います。
ネタ探しが簡単な分、他と差別化して自分のサイトに価値を持たせるためにはより多くの情報にメディア・マテリアル領域で触れなければなりません。そのため、ニュースサイターは日常生活(カオス・マテリアル領域)に加えて、web巡回の時間を大量にとらなければならないのです。
だから、webに向かう時間だけで見たらニュースサイターの方が大変です。けれども、1日24時間全体で見れば、前述したようにブロガーは普段の生活の中で無意識にネタ探しに時間を割いているので、更新にかける労力はニュースサイトもblogも変わらないと思います。
どこをネタ元にとったかの違いはありますが、結局閲覧者をどれだけ面白がらせられるかが1番大事な点だというとてもあたりまえの事実でこのエントリを閉じたいと思います。
この図全体をある人の認識宇宙における世間(=その人が興味のある範囲)とします。中心の赤い範囲は自分自身、黄色い範囲はプライベートな出来事(日記レベル)、黄緑が社会の中で特に興味を持った出来事(blogレベル)、水色が世の中全体でちょっと目を引いた出来事(小ネタレベル)を表しています。自分自身からの距離が近ければ近いほどその人にとっては重要なニュースとなります。
次のこの図ではある2人の世間が描かれています。赤く塗りつぶされているのは重なっている部分です。多くの場合、他人のプライベートな情報は当人以外にとってはさして重要ではないので、重なりはblogレベルや小ネタレベルの部分になります。自分から遠ければ遠い情報ほど、他人にとっては面白かったりするのは往々にしてあることだと思います。それは、自分の世間と他人の世間の中心点(自分自身)の位置がほとんどの場合かなりずれているからです。自分の位置というのはその人のこれまでの人生経験によって決まるので、世代や環境が同じだと近い位置になることもあると思います。個人が情報発信するメリットの1つに「自分の味方(見方)を増やす」ということがあると思います。これは自分の意見を直接書いたり、あるいはニュースのフィルタリングをすることで間接的に自分の意思を示すことで結果的に起こることともいえます。
では、果たしてblogと個人ニュースサイトのどちらの方が自分の見方(味方)を増やせるのでしょうか?
結論から言うと両方同じくらい増やせると思います。というのもこの2つはアプローチのベクトルが異なるので厳密に言うと比べられないのです。
この図は典型的なブロガーと典型的なニュースサイターのある日の更新を表したものです。1日に1人の人間が書ける量には限度というものがありますから量的には彼ら2人のサイトは変わらないと思います。ただ内容面ではかなり異なってきます。ブロガーは特に興味のあるニュースに長文を書くので結果として1日に書けるのはせいぜい2・3本のネタだけですが、ニュースサイターの方は短いコメントをぽんぽんつけていくだけなので1日に10数本のネタを取り扱うのはざらです。だから読み手が持つ感覚はかなり異なります。上にも示したとおり、思い入れのあるネタに反応してくれる人は思い入れがあるだけ少なくなっていきますから広範囲を扱うニュースサイトの方が多くの人に受け入れられると思います。しかし、同じ思いを持った人からするとブログで長文を読んだほうがはるかに楽しいと思います。つまり、ブログではその人の詳細な考えを流布できるので深い賛同者を見つけやすく、仲間を増やせるというメリットがあります。
一方ニュースサイトでは、数多くのネタを閲覧者と共有することで、思考のバックグラウンドを流布することができます。結果として閲覧者は自分の考えに対して共感を持ちやすくなり、仲間を増やせるというメリットがあるのです。上の図で言えば他人の世間の中心点を自分よりに移動させるということです。このように個人ニュースサイトとblogはそれぞれ異なる方向から閲覧者に訴えかけているといえます。
広範囲に対し長文記事を載せている大手新聞はしかし、社会の公器としての縛りから単一のアイデンティティを示して仲間を集め難いという弱点があると思います。しかしそれは情報マテリアルを提供するという意味でとても意義深いことだと思います。むしろ現在は記事の裏にある意図が丸分かりすぎるので、偏向を更に正す方向でマスメディアは進んでいって欲しいものです。
追記
keloさんが指摘されているとおり、blogとこれまでのウェブサイトとの一番の違いはコメントとトラックバックという仕組みだと思います。しかし、blog以外のサイトにだって掲示板をおいてあるところも多いし、メアドを載せて閲覧者との双方向性を持たせていました。ではそれらのものとコメント・トラバはどこが違うのでしょうか?
まず、ブログの仕組みは公開性と参加性が高いと言えます。例えばメールやweb拍手は出した方がその結果を必ずしも知りえない一方方向のコミュニケーションですが、コメントやトラバは基本的には公開されるものなので閲覧者も書き手としてサイトに参加している感覚を持ちやすく、これが一種のインセンティブとなっているといえます。
反応を更新のインセンティブとしてみるとき、一番分かり易いレスポンスはアクセス数だと思います。特に個人ニュースサイト網に引っかかったときはかなりのアクセスが流れ込んできます。また、個人ニュースサイト同士でも、他のサイトの記事を引用していることを書き込むことで相互にコミュニケートしあっています。このコミュニケーションとblogでのコミュニケーションの違いはどこにあるのでしょうか?
この図の上部はある個人ニュースサイトAとBのコミュニケーションを、下部はあるブログサイトAとBのコミュニケーションの様子を表したものです。四角がそれぞれのサイト、丸が記事を表しています。色がついているところがそれぞれがそれぞれのサイトについて言及しているところです。例えば個人ニュースサイトAの中の桃色の丸のところは個人ニュースサイトBで取り上げられたネタが載っている、またblogBの水色の丸はblogAにトラックバックしたエントリだと見てください。
この2つの図で違っている箇所は、下の図には白い四角のスペースがくっついているという点です。ここがコメント・トラックバックのスペースです。この部分の書き手はサイト管理人ではなく、閲覧者(サイト参加者)なのでブロガーAがblogBに書き込んだ部分は水色になっています。
この図から、コミュニケーションのスタンスが個人ニュースサイトとblogでは異なることが分かります。いわば個人ニュースサイトは「待ち」のスタンス、blogは「攻め」のスタンスです。
というのも見ての通り個人ニュースサイトのやり方では相手が見ない限りこちらが言及していることがリファラーという間接的な形でしか伝わらないのです。相手が見ることを半ば想定して書けるのは、密接なネットワークを個人ニュースサイト界で構築しているからです。片やblogはこちらが書き込んだという意思表示を相手のサイトの中でしてしまうので当然相手はそれに気づきます。この仕組みによって、個々のサイトが全体としてのネットワークを必要としない、自己完結型のネットワークが構築されることになったのだと思います。
最後に掲示板とブログシステムとの違いを述べると、掲示板での書き込みと比べてコメントやトラバは「記事に直接かかってくる率」が高いと思います。サイト全体でなく、記事単位の重要性がこれによって高まるので、どちらかといえば長文志向にblogはなるのではないでしょうか。また上の方に書いた考え方を使うと、個人ニュースサイトは書き込むネタの量で勝負し、blogは書き込むネタあたりの文量で勝負しているといえるので、こういった両極化が進んでいるのだと思います。
更に追記
tearlessさんが非常に興味深い考察をされていて、確かにblogの方がネタ作りは大変かなぁということと確かに自分で書いた記事にリンク張られたほうが嬉しい気はするなぁと納得したので、ちょっと考えてみたいと思います。
こっちの方がやりやすそうなので、先にリンクについての方を考えてみると、こういう図で説明できるかなと思いました。この図は基本的には上に載せた奴と同じで、左がblog、右がニュースサイトを表しています。そして青く塗りつぶされているところは他のサイトからリンク(言及)された記事です。この図のとおり、blogの方がリンクされている分量が大きいのです。これはblogの方がたいてい1つの記事の量が多いからなのですが、こういう風に見ると、個人ニュースサイトでの記事へのリンクは当たり前ですが1日あたり全部の更新にかかってくるのではなく、特定の記事にかかっていることが分かりやすいかと思います。つまり、blog的記事にリンクされたほうが評価された分量が大きいので、より嬉しい気がするということなのだと思います。
いよいよ本丸の「blogの方がニュ-スサイトよりネタ作りが大変なように思える」問題に入ろうと思います。

この図は情報マテリアルについて表したものです。マテリアルとはここでは「かたまり」や「素材」という意味で使っています。
情報マテリアルは自然の中では混沌とした状態でころがっています。これをカオス・マテリアルと呼ぶようにします。
自然の中から生まれた法則や、社会のメカニズム、書籍やレコードなど、人間がカオス・マテリアルの中からまとめあげた知識のかたまりをメディア・マテリアルと呼ぶようにします。
例えば新聞など、メディア・マテリアルを更にまとめた知識を作るひともいるでしょう。そのためメディア・マテリアルは常に第N次メディア・マテリアルと書いたほうが精確です。この図では第1次と第2次しか書いていませんが、実際はもっと高次のメディア・マテリアルが存在していると考えてください。
また、この情報ピラミッドは上に行けば行くほど整然と説明されるようになり、読んでいて分かりやすくなっていくようになります。
そして、個人ニュースサイトは他のテキストサイトより高次のメディア・マテリアルを形作っていると言えます。例えばblog等はカオス・マテリアルや新聞などからネタを拾うメディア・マテリアルといえますが、個人ニュースサイトはそれらのサイトを元ネタにしてまとめあげたものだからです。
上に書いたとおり、情報マテリアルは高次に行けば行くほど分かりやすくなります。他のテキストサイトと比べて高次のメディア・マテリアルを元ネタとしているので、情報を掘り返す作業そのものに関しては、比較的個人ニュースサイトのほうが楽です。だからblogのほうがネタ探しが大変だと感じるのだと思います。
しかし、個人ニュースサイトが面白さを提供しているのは、ネタ探しの容易さだけが原因ではないと思います。
と、いうのもニュースサイターは「意識的」にネタ探しを行っているからです。逆に言えば、多くのテキストサイターは日常から無意識にネタを探していると思います。
これは、高次のメディア・マテリアルはそれだけ論理的なので、無意識には読めないというのも理由でしょうし、それこそニュースサイターは更新に対する「意識」が高いからともいえると思います。
ネタ探しが簡単な分、他と差別化して自分のサイトに価値を持たせるためにはより多くの情報にメディア・マテリアル領域で触れなければなりません。そのため、ニュースサイターは日常生活(カオス・マテリアル領域)に加えて、web巡回の時間を大量にとらなければならないのです。
だから、webに向かう時間だけで見たらニュースサイターの方が大変です。けれども、1日24時間全体で見れば、前述したようにブロガーは普段の生活の中で無意識にネタ探しに時間を割いているので、更新にかける労力はニュースサイトもblogも変わらないと思います。
どこをネタ元にとったかの違いはありますが、結局閲覧者をどれだけ面白がらせられるかが1番大事な点だというとてもあたりまえの事実でこのエントリを閉じたいと思います。
by wavesll | 2005-03-03 03:34 | 小噺



























