2016年 08月 02日 ( 3 )

伯剌西爾の黄金の教会に於ける黒人のマリア像 + Sonatas del Rosario 第11回音の貝合わせ

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野村佑香さんがブラジルをぐるっと回る番組で訪れた街、サルバドールのサンフランシスコ教会には黒人のマリア像や黒人の聖人像がありました。これは、土着の宗教カンドンブレへの秘めた信仰心を、キリスト教の建前の中で示したものだという話でした。カンドンブレには様々な神様がいて、神様に認められた人にしか作れないソウフルード、アカラジェというのも美味しそうでした。

このサンフランシスコ教会は別名黄金の教会。ブラジルはナポレオンに攻められたポルトガル王が逃げ込んだ土地で、うなる資源によって豪奢な建築物が建てられました。

そんな煌く空間に、虐げられた原住民の想いが滲む…そんな情景に合わせたいのが『ロザリオのソナタ』。これがNHKFMで流れていて、一聴きで惚れてしまいました。全部で2時間弱の楽曲ですが、第一部の動画を載せます。このアルバム、恐らく全てYoutube上にあるので、クリックし楽しんでいただけたら幸いです。

Heinrich Ignaz Franz Von Biber. Sonatas del Rosario. Sonata I, La Anunciación


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cf.
ボリビア・スクレの聖女 X Tyondai Braxton / Central Market 第21回音の貝合わせ

by wavesll | 2016-08-02 22:17 | La Musique Mariage | Trackback | Comments(0)

相模原19人刺殺事件について以前メンタリティが似ていた人間から言えること

先月26日に起きた相模原19人刺殺から一週間経ち、報道も収まってきました。

あの事件は自分にとって非常に衝撃的な事件で、この一週間、このニュースに注目してきました。
それは、少なくとも過去に植松容疑者のようなメンタリティを自分が(勿論実行しないにしても嘯くくらいには)持っていたからです。

植松容疑者は重複障碍者へのヘイトクライムを実行し、"不幸を減らすためやった"という歪んだ正義の意識をみせ、犯行直後には"やってやったぞ"というような笑みを見せていたのですが、私自身も"今の高齢者に対して若者は割を食っている。高齢者からどんどん権限と金を奪ってとっとと死んでもらいたい"くらいのことを、昔は考えていました。

こういった"自分は割を食っている。状況をドラスティックに変えたいと、心の内では皆想っているだろう?"といったような思考は、2ch等のネット空間に入り浸って悪意に満ちた情報を浴びることにより陥りがちだというか、勿論植松容疑者は実行に移すという点で一線を画す狂気を秘めているのですが、彼のどことなく浮ついている表情からは"え?みんなこれやってほしかったんだろ!?自分は秋葉原の加藤と同じダークヒーローさ"くらいのことを考えてそうなお調子者的な"軽さ"を感じます。

ただ、よくよく考えれば、この"割を食っている、この状況は不当だ"という意識の根っこには我が身可愛さがあるし、確かに年金分配の面で今の若者は不利な状況ですが、再分配の問題は凶行ではなく民主的・法的な手続きによって意思を示すべきだと想うのです。植松容疑者の言動は端的に言えば餓鬼の思考といえるでしょう。

餓鬼の思考。それは言わば"自分は特別な存在なのだ"という根拠なき傲慢さ。そこから彼は抜け出れなかったのかもしれません。理想に対して現実が上手くいかない人間ほど天下国家を論じることで自尊心のバランスを保ちがちです。社会に対して関心を持つこと自体は市民として大事なことですが、その前提条件として他者に対する敬意がないといけない。と想うのです。ヒトラーの思想に自らを重ねる植松容疑者には、その餓鬼の思考からの脱却はみられませんでした。

周囲に要介護者や施設に入る親類が多くいる年齢になって想うのは、それでも生きる意志や喜びを表す親類は自分にとって喜びだし、彼らの望みをできるだけかなえたい、叶えられない現実には心苦く想う、一種の親心のような心持ちです。"障碍者の親類の為にも殺した"等という植松容疑者は、あまりに幼稚でした。ただ、これを若者、それもいきがっている男に求めるのは少し酷かもしれないとも想います。凶行に及ぶ前になんらかの罰というか痛みを(大麻使用などで)味わせられれば、"罪がもたらすリアルな痛み"を伝えられたのかもしれません。

人はみな意志を持っていて、生きる権利が平等にある。職業や知能、或いは体力の差異はあれど、それぞれ異なる経験をもって世界を為しているからこそ、みなリスペクトし、リスペクトされる存在なのだ。これが民主主義社会の根幹です。一人ひとり皆、尊ばれるべきワンオブゼム。これが揺らぐことは、全体主義やファシズムが蔓延する流れを生んでしまいます。

ただ、彼を単なるサイコパス、自らと全く隔絶した人間とは、自分は断じられません。
大麻・刺青、UFOをみたことがあるなんて話は嘲笑されがちな因子ですが、ここだけの話、実は自分もUFOをみたことがあってw(自分の信頼度も相当落ちるかな…。
「科学で説明できないことはない。UFOなんて嘘っぱちだ」という人ほど、実際に不可思議な現象を体験した時に大きく動揺すると想います。それで一気に意識が変わってしまうこともある。クンダリーニ擬きを使ったオウム真理教の洗脳に理系エリートがどんどん嵌ってしまったことからも、"不思議なことはある。でも現実は現実で実際に機能している"くらいの意識の方が予想外の事態にしなやかに耐えうると想います。まぁ、あのUFOは静止衛星か何かを見間違えたのだと思いますが。

さて、UFOの言い訳もありましたが、ネット上の世論(ほとんど悪い冗談としか思えませんが)の"本音"と較べて植松容疑者の思想がそう突然変異種とは想えません。

その上で、誰にでも繋がる公の議論として話したいのは、この事件の本質は日本国憲法における"基本的人権の尊重"と"最低限文化的な生活"のラインの問題だということです。

人には能力に差がある、しかし人として生きる権利が保障されなければ、社会は混乱する。いつ自分が弱者になるか解らない状況では経済も回らない。セーフティネットは重要です。勿論、社会保障費で国がつぶれては元も子もなく、現状介護の人件費が異様に低いという問題はあります。誰が費用負担するかは考えなくてはならないし、健康増進や待遇改善は成し遂げなくてはなりません。それでも人々はその社会を助け合って支えている。この憲法における人権という問題のコンセンサスが、この事件の奥にある本質だと想います。そしてそれは、決して刃ではなく、言葉と市民としての誇りによって漸進的に確かめ、改善していくべき事柄だと私は想うのです。

現状この"理想"が"現実の不満"に脅かされつつあります。この相模原のブレイビクのような殺戮もそうだし、欧州では移民への憎悪が巻き起こり、極右が台頭しています。民主主義の持つ意識決定のスピードの緩慢さより強権的なリーダーシップが、世界各地で求められている。

何事も生真面目に考えがちな人間は0か100で考えがちで、100%の善が達成できないなら、100%の悪の、欲望の本音のままにやってやろう。そう思う人もいるかもしれません。

しかし100%の善もない代わりに、100%の悪もないと想います。その場のノリで露悪的になったとしても、"落ち着いて顧みればそこまで悪くなくてもいい、もうちょい善いことを俺は望んでる"、なんてことありませんか?

私は年を食って唯一いいかなと想ったことは、精神が緩くなり、曖昧さを許せるようになれたこと。完全な正義ではないけれど、悪を含む部分は零ではないけれど、それでも"そこそこベターに良い人をやってきたい"。そう本心から想える自分からの、植松容疑者や彼の思想が本音に響く方々への私信でした。

by wavesll | 2016-08-02 18:01 | 私信 | Trackback | Comments(0)

政財界の裏金、それぞれの仕事、そして公共の良心-NHKスペシャル 未解決事件 file.5 ロッキード事件より

NHKスペシャル 未解決事件 file.5 ロッキード事件第一部~第三部をみました。
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田中角栄の首をとることになる戦後最大の疑獄、ロッキード事件。
米国ロッキード社から丸紅や全日空を通じて政財界に金がばら撒かれ、田中は5億円を丸紅から受け取ることで、航空機トライスターの導入を決めさせた事件。

しかし番組は更に闇に迫ります。当時新聞で報じられながらも確証が得られなかった昭和の怪物児玉誉士夫を通じて21億円がばら撒かれたことに加えて、当時日本で自国製造しようとしていた対潜哨戒機の計画を白紙にさせて、米国のP3Cを収入させることを通すために動いていたことを、検察の人間が持っていた内部資料、児玉の部下日吉修二の証言、元米国高官の証言、田中角栄の証言テープ、米国側の資料、事件に関わった丸紅社員の証言、当時の捜査官の証言から迫ります。

当時右翼青年が児玉邸に飛行機で突っ込んだことをみたり、大規模なデモが起きるのをみると、昭和の日本は荒々しい熱があったのだなと想います。それは逆を言えばシステムが出来上がってない、あるいは政財界の腐敗の酷さが今以上に酷く民衆から捉えれていたということでしょう。

児玉は国士と言われていたのに、何故米国企業の秘密代理人として暗躍したのか?番組では「日本の再軍備化を後押しさせるため」と匂わせていました。戦後自民党の悲願でもあった日本の再軍備(と国際的に大国の地位を占めること)の為に米国依存を高めることは。結果の為にはプロセスは問わないということでしょう。しかし人間は弱いもの。志は現実に負けます。児玉は死期近くに「自分はCIAの対日工作員だった」と告白しています。

政財の世界は魑魅魍魎。アダム・スミスは金を"他人を好きに使用することができる力"と称しましたが、児玉は自分の計画を進めるために金が必要だったというのも大きかったでしょう。そしてそれは金権政治で腕力をふるった田中角栄も同じ。当時の丸紅社員の証言では、「P3Cは高額だから、それを入れることで口銭が丸紅に手に入る。儲かるから進めた」というようなことを言いました。米国にしても、当時から現在までで1兆円を超えるP3Cの売り上げを日本に押し付けたかった。金を求める為の血みどろの陰謀が張り巡らされる、それこそが正義という闇が拡がっていました。

ロッキード事件における日本の属国性、アメリカとの実力差には忸怩たるものがりますが、政治の世界はスポーツではなく、全手段、全精力を傾けて交渉を行っていくべきだと想います。例えば沖縄を金で買い返還させたのなんか美味いやり方だったし、なぜエリツィン時代に北方領土でできなかったのか、と想います。単に自民党憎しで批判をあげつらうマスコミは、弊害もあるのだ。とKrzysztof Kieślowski 『Amator』 ― 1情報発信者として想う覚悟無きメディア行為の暴力性で思ったのですが、金と権力は吹き黙ると腐ってゆく、今回NHKがやったように闇に光を当てることはメディアの重要な役割なのだなと想いました。

と同時に、仕事というものは単に金というパワーを手に入れる為だけでなく、公の理想を達成するために行うという志がないといけないのだと想いました。組織における正義で、ロッキード事件で暗躍していた者たちは動きますが、再現ドラマでは検察は「あなたには良心がある」と落としていきます。組織人でなく、個人としての自由と良心のもとでは正義が変わる。ポジショントークを超える良心に人は準じるべきなのではと想うのです。

勿論、それは理想論で、実際は政財界はパワーゲーム。そのパワーの根源は経済の金の力であり、もっと言えば安全保障の軍事力。この部分をアメリカに握られていたら、日本は自主独立なんかできず首根っこ掴まれてるなと想うと共に、そのおかげで経済的繁栄を戦後70年続けてこれたことも事実。『日本教の社会学』読書ノート1 日本は民主主義でも自由でもないでも語られていましたが、自由というのはとてつもない犠牲と努力の上に成り立つものなのだと想います。

無論これまで見てきたように、政治家・官僚もそれぞれの利益を負うものであって、"理想的な公の正義"は現実、雲をつかむような話です。ロッキード事件の捜査が進んだのは角栄と三木総理の確執があったし、この番組ではちょっとしか触れられていませんが、検察自体も恣意的な捜査をする。東京都知事を例に出すまでもなく金の問題を抱えない政治家はいません。米国を見てもトランプは論外ですが、ヒラリーも裏工作をする灰色の政治家。それでもサンダースがヒラリーを支持したように現状でよりマシな行動をとっていくしかない。

その為の公共データベースを構築するうえで、メディアが闇に光を当てること、歴史の教訓を探ることは大事なのだ。そして闇に光を与えることで被害を負う人がいることを勘案しても出すべき情報かどうか、自分の私利私欲でメディア暴力を振るってないかを自問しながら、それでも出すべき膿は出すのが職業メディアの公共性なのかもな…と想いました。そして政治家も、法を犯しても成し遂げたいことがあるならば、自分の腹を切る覚悟がないといけない。生ぬるい態度のなぁなぁは国を暗黒に陥らせるのだと想うのです。

日本人はあの頃より、人物スケールが小振りになっているのかもしれません。そういう時『シン・ゴジラ』が描いた"個より群体として実力を発揮する日本人像"は一つの道を示唆していますが、現実には政治のリーダーに強い個体を求める動きが畝ってきています。何かを決定することは何かを捨てること。それでも極から極へ行くのではなく、一番良いと思われる地点を探す平衡感覚を持ち続けたいものです。

川井憲次 / ラビリンス, 未解決事件のテーマ

by wavesll | 2016-08-02 04:26 | 小噺 | Trackback | Comments(0)