2017年 07月 04日 ( 1 )

世界へ懸ける人、日本で懸ける人、この國の仕事観・労働社会環境へ思馳せるTV3番組

 山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
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NHKBS1 柔道とJUDO~世界で進化する柔の道~を視ました。

現在、世界に広がるJUDO.

東京五輪無差別級で日本を破ったオランダのヘーシングも、世界選手権で日本を破ったフランス柔道も、戦後GHQに禁止され職にあぶれた柔道家が世界へ活路を見出した結果。

日本の閉鎖空間の中で牛後と燻るならば、海外で鶏口となった方が活きる。これには国内電機企業が不遇にした技術者が韓国へ行ったのを彷彿とさせられました。ヘーシングを鍛え技に力で勝つ柔道を作り上げた道上伯はその先駆けだったのだなと。

ロンドン五輪で金が獲れなかったのは世界各地でサンボやチダオバやモンゴル相撲など現地の格闘術が加味された新たな柔道が生まれていたから。

日本から飛び出した柔道指導者はフランス柔道育ての親である粟津正蔵をはじめとして個性教育を大事にするようです。コロンビアの女子選手を教える柔道家は「勝つことが恩返し」という。ワールドスタンダードになるとはこういう事。

それに対して日本柔道代表の井上康生監督は「異常な」レベルの鍛え方を目指して異種格闘も組み込みながら修業しています。先頭を走る伝統は革新をし続けなければならない、世界が追いかけてくる、追い越さんとするトップランナーの立場の厳しさがありました。

その後みた日曜美術館の萬鉄五郎回。藝大に首席で入学しながら、泥を被ってでも己の求める画業を突き詰めた芸術家。

当時先端だった後期印象派を追いかけてた頃は魅力をそこまで感じなかったのですが、故郷に帰り土に根差した辺りからオリジナリティーがぐんぐん出て。冒頭に載せた『裸婦(宝珠を持つ人)』など凄まじい域に達していました。

藝の道って、死ぬまで研ぎ続けることができる。黒田清輝展@東博を観た際も西洋列強に"坂の上の雲"を日本人は追いかけた感慨がありましたが、本当の個性は先端を越えた先の、心身の底からにじみ出てくる、人生そのものの藝で。

真似ぶことから研鑽は始まりながら、守破離の境地へ達した先に本当の藝術の開拓があるのだと。自分のアイデンティティと、その分野の先端の土地の技を合わせた美がそこにありました。

と、同時に日本ではこういう異端はかなり白眼視されたこともあったそうです。国外へ流出した柔道家たちに日本が脅かされることもそうですが、この國の全体主義的な"空気"が日本を弱めることにもつながるのではないか、そんなことを考えさせられました。

また地球規模でみれば、柔道が広がったこともそして逆に西洋絵画の技法が広まったのも人類の幸福量を上げたと想います。

そう思っていたところに、第26回FNSドキュメンタリー大賞 ノミネート作品 透明な外国人たち 彼らに支えられた街TOKYOは重く響きました。
東京で生活する中でよく見かける外国人労働者。そこにいることが当たり前になりすぎて、なのに、彼らのことを何一つ知らない……。彼らはまるで透明人間のように、“見えない存在”なのかもしれない。

中でも技能実習制度の外国人たちの職場は、日本の若者の働かない場所。彼らはなぜ日本に来て、どういう思いで生活しているのか? クリーニングと総菜製造。二つの現場で働くベトナム人を取材した。やがて一人が突然の失踪。再び巡り合った時、彼が語った失踪の理由は意外なものだった……。
経済格差を利用し、年収の数倍の費用を払って日本にやって来たアジアの人達を貧困に落とし込んで使役する仕組み。

番組の中で"大人になってもらわないと"という言葉がありましたが、現状の苦しさを耐え抜くことが大人なのだという"空気"は日本人自身もどん詰まりに疲弊させているのではないか。それを強く想わされました。

これからAI化によってホワイトカラーが減っていくと、肉体労働者の比率が上がっていくとしたら。そうした時ブルーカラーの待遇を良くするのではなく外国人とロボットと競わせ、奴隷人民層をつくるか。"社会を成り立たせる"って何でしょう。

トリクルダウンが虚妄だったことが暴かれた今、国際競争力を奴隷依存のダンピングでなくイノベーションと自由闊達な"人間原理"から"成り立たせられないか"。意思決定層がみている景色と、下で働く人たちがみている景色は違うかもしれないけれど。

この番組のナレーションはなんと向井秀徳だったのですが、覆面リサーチボス潜入みたいな試みが階層の架け橋な仕組みとしてあったら冷凍都市にもぬくもりが少し発生するのかな。。

少なくとも現状の風土を変えなければ、日本は海外の人から働くに魅力的な土地から外れていくと想います。

グローバル競争の中で個人として出来ることは何か?度量の大きな社会なんてのは実現が難しいこの自己責任な割にきりきりいわれる國内を相手に疲弊するのは得策ではなさそうか?世界規模にニッチを見出しオンリーワンになるまで道を究めるのも一策か?

『草枕』冒頭を心に標しながら、そんなことを考えました。


cf.
◆『欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき』をみて

◆欲望の民主主義 世界の景色が変わる時をみて
◆三木清『人生論ノート』@100分de名著
◆『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む
◆『嫌われる勇気』は読まずに、関連文書を読む ~自己欺瞞を超えて <アドラー心理学に触れて>
◆アダム・スミス 著, 山岡 洋一 訳 『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』 読書メモ
◆マット・リドレー 『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』 交易と創新による10万年の商業史
◆常に最大の効用生産性を発揮するのが幸福なのか -ザック・リンチ/ニューロ・ウォーズを読んで
◆『日本教の社会学』読書ノート1 日本は民主主義でも自由でもない
◆パリ白熱教室 トマ・ピケティ講義 第1回(dailymotion)
by wavesll | 2017-07-04 20:34 | 私信 | Trackback | Comments(0)