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今井孝『起業1年目の教科書』:動き出しは軽やかに。間口はライトに。そして関係構築には最大限に力を注ぐ起業指南書

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今井孝『起業1年目の教科書』を読みました。
起業というテーマですが、生活全般の”生産性”をあげるような指南書だなという印象を持ちました。

以下、”おっ!”っと想った所を取り上げてみます。

・ありきたりのアイディアで勝負する
・なんでもいいから「最初の一歩」を踏み出す

「画期的なビジネスしか成功しない」ことはない。ありきたりのアイディアでビジネスは十分成功する。最初はパクリでもなんでも小さいところから始めてみよう。

最初から成功するやりかたを知っていて何かを成し遂げた人はいない。「必ず成功する一歩」を探し始めたら踏み出せなくなるので結果を求めず色々やってみる

・夢はなくてもいい
・リスクを取らずにスタートする
・最初は目移りしてもいい
・考えが堂々巡りしてもいい
・健全な下心を持つ

最初から大上段に夢を語ったり、「大きな損害」を引き受けたりしないで「失敗してもギリギリ受け入れられる範囲での最大の挑戦」をする。

『起業家になる』ことを今の状態から徐々に徐々にシームレスに移行していけばいいし、行うビジネスも目移りしながらちょっと手を出して試行錯誤すればいい。

頭がもやもやしているのは脳が情報処理しようとしている証。そういう時は一旦考えなければならないことを書き出してみると客観的に自分を見れる。

社会への奉仕は素敵だが起業家は「リターンを得よう」位が丁度いい。

・世の中に求められているかは気にしない
・ビジネスモデルは後から考える
・身近な人は応援してくれないものと考える

売れるかどうかは売ってみないと分からない。周りのネガ意見に惑わされない。自分の熱意が一番の成功要因。やることを決めたら最初はお金になるかを気にせず価値を磨くことに集中する。

・まず時間を確保する
・今の仕事を8割の時間で終わらせる
・今の会社でテストする
・いつでも復活できる条件をつくる
・退職するまでに伝説を作る

「朝30分だけ起業時間に当てる」とか短時間に集中して時間を取ってみる。その為に「早く終わらせよう」と「仕事を終える時間」を意識するだけで業務はかなり時短できる。効率化のコツは相手の立場で考えて求められるアウトプットを明確化すること。

また「会社で働くこと」を全否定しないで今の会社で色々練習したり事業に失敗しても人生は続けられると想うと色々楽。大失敗でも大成功でも会社にいるうちに大きな挑戦をするのは素晴らしいこと

・お金の不安を最小化する
・テスト用の予算を用意する
・失敗の回数を決めてスタートする

家賃の低いところに引っ越したり生活の固定費をまず計算し、なるだけ圧縮する。逆にビジネス投資は損をある程度見込んで行ってみる。

すぐに結果が出なくても失敗せずに初回で成功させようとするより2,3回テストして失敗する方が成功への近道。失敗に対するメンタルを強くするには「失敗の数」を数えること。100回失敗して改善すれば成功しないことはない。

・5分で目標を仮決めする
・わがままな目標を立てる
・愛のある売り上げ目標を立てる

どうせ目標は変わる。実際に目標に向けて行動しないとわからないので仮に決めてやっていて違っていたら変える。

その際に「起業の成功=家庭がボロボロ」とか無意識に浮かぶデメリットに対して「デメリットが起こならない、両獲りな目標」を立てる。

『年商300億円へ大きくしなければ』とか『~しなければならない』となった時点で経営者は負け。事業にとって納得感のある売り上げ目標を立てる。

そのために「それだけの見込み客がいるのか?」「それだけ営業する時間がるのか?」等の制約を洗い出し適正な単価と数量を測る。

・おおらかにお金の流れをみる
・数字に弱くていい
・お金以外で安心を手に入れる

起業すると金の流れが速くなり焦るが、収支をみる期間を1年や3年など長くとるとかなり落ち着ける。そして経営に必要なのは「正確な数字」でなく「判断できる数字」。大局観が大切。

ゆったりとした時間を過ごしたり家族のだんらんにはそんなにお金はかからない。必要なものを見極めればお金はそれほど必要でない。

・お金をかけずに試作してみる
・オリジナル商品にこだわらない
・絞り込めなくてもよい
・商品開発に他人を巻き込む
・スキル不足を回数で補う
・売れている人をバカにしない

1ヶ月で1回テストするより1ヶ月で3回テストした方がいい。その為に最初はしっかりとした商品を創ることよりキモの部分だけ詰めて何度もフィードバックを受けるといい。

成功している人ほど人の力を借りるのが上手い。周りからのアドバイスを完全に理解できなくても取り入れてみるといい。

最初は他人の商品を扱ったり下請けをしてビジネス基盤をつくったりスキルを磨くのもあり。

絞り込むものを探すことに絞り込むようにし、やりたいことは色々試して納得して絞り込む。

ベテランが1回で上手くいくなら、ビギナーは10回やればいい。

多くの場合、本物志向の人が作る商品は初心者には難しい。裾野を広げるためのマーケティングはとても大切。

・最初は「将来の自分」を売る
・ウリがなくても始める
・安い値段でも最高の仕事をする
・まず仲間を増やす
・最初の1件を大事にする
・応援をしっかり受け取る
・有力者にかわいがってもらう

お客様はそこまで完璧を求めていないことも多い。ビジネスの当初はお客様が育ててくれる。スキル不足が怖いと思う人はお客様との関係を短く観すぎているのかも。

起業当初はウリに拘らず目の前の仕事を一歩ずつ進める。最初のお試しの時に期待を越えてビックリさせればその人は広めてくれるかもしれない。

営業力とはグイグイ説得する力というより「応援される力」。セミナーや交流会でゆるい人間関係をつくると仕事につながるかも。

リピートと口コミのためにも起業してはじめて仕事が取れたらその1件に集中しお客様が満足できるまでやりきるとニーズをつかめたり仕事の流れを一通り経験できる。

仕事や人脈はチャンスにも繋がるがそこから先は自分の実力。成長する機会を頂いていると考える。

・自分の都合で価格を決める
・商品を提供するのではなく、価値を感じてもらう
・価格を上げる理由をコツコツ作る
・値引きはいつでもできると知っている

ビジネスが上手くいかないのは価格が安すぎる場合が多い。安いお客様ほど文句を言う。価格をしっかり設定して商品を磨き価値を伝える工夫をすれば最後にはビジネスは上手くいく。

その為には伝え方や演出に力を注ぐのは大事。洗練ではなく野暮でも”こんな価値・工夫・労力があるという情報”を伝えるといい。そうした価格を上げる理由を一つ一つつくり自信をつけて提供する。小さな改善たちが品質を高めていく。

値下げは最後の手段。理由のない値下げはしない。

・接近戦に持っていく
・商品がなくても情報発信する
・最初は効率を度外視して集客する

起業初心者はスキル、知名度、実績などが足りないからそれらで比較されるような場所(WEBや雑誌広告)でマーケティングや営業を行うのは効率が良くない。

直接会っての営業、お礼の手紙や電話、ちょっとしたプレゼントを持っていったり、距離感を測りながら熱意や人柄で人間関係を築く。

その一方でSNS等を使って世界観に共感してくれるお客様と繋がるといい。とにかく本気で成功させたいのであれば、効率なんて関係なく手当たり次第にできることを試してみる。

・反応を正しく把握する
・100点が無理なら部分点を稼ぐ

しっかり売れている人は「対面営業だったら10人に1人は買ってくれる」「紹介なら3人に1人が話を聴いてくれる」「メルマガやダイレクトメールの反応率は1000人に1人」と反応率を把握しそれに応じた計画を立てて行動を消化している。

契約が取れない時でも紹介だけでもお願いしたり詳しく話を聴いて改善点を見つけようとしたり何とか40点、50点へ持ってこうとする。なんとかすることを楽しんでいるうちに大成功に出逢える。

・最初はあえて厳戒まで忙しくしてみる
・1日を記録する
・地味な作業から価値を生み出す
・エネルギッシュに働ける時間を増やす

起業した最初の3年は何でも試して限界に挑戦。「このスピードは無理だ」と決めているのは自分の常識でやってみると出来ることが多い。そして限界を超えてただ効率化するだけでは無理だという時期には働き方を考えるタイミングかも。

起業するとあっという間に時間がたつのでやったことを「マーケティング」「商品づくり」「業務改善」など目的別に書き出すといい。そして1人で考えている時は最も価値を生み出している時。

また自分の身体の弱点を認識して日頃からケアする。疲れる前に休み、最もパフォーマンスの良い状態で仕事に臨む。

・やる気のない前提で1日の計画を立てる
・今日一日の仕事に集中する
・準備の時間を減らす

人の気力・体力は有限。詰め込みすぎてもスケジュールは破綻するので「自分の精神力に頼らないスケジュール」を立てると計画の進み具合が劇的に捗る。

「本を1ページ読む」とか一番近くの手の届きそうなゴールだけ見るように大きなゴールに到達する為に逆算して「日々やること」を見つけることが大切。

そして作業量が多すぎる時は相手の視点になって自己保身のための準備万端ではなく、「お客様がいかに満足してくださるか」を大事に必要な準備を明確化する。

・チャンスにはまず乗ってみる
・お金を使う基準を持つ
・1割の成功を活かす
・「必ず元を取る」と決める

他の人が躊躇して上手く行くか分からない時こそチャンス。早いタイミングならば何度もやり直しできる。

お金を使う基準は根本的には「見込まれるリターン」で判断。機会損失まで含め、「10の投資に対し10以上のリターン」と10の内9駄目でも残り一つで取り返せるならOKと、歯科が出ない事より何もしなかったことを無駄と想う。

そして投資が回収できるかを他人に委ねず自分で積極的に回収する。特に人間関係の価値は計り知れない。

・「助けてくれる人リスト」を作る
・ITに弱くてもいい
・情報をスピード処理する「箱」を持つ
・売れてない時から人に任せる
・こだわらずにチームを作る
・人に頭を下げる

起業家とは1人ですべてを行う人ではなく、足りないリソースを周りから集めて社会に役立つビジネスをやり遂げる人。例えば日々の仕事に難しいITスキルは必要なく、恐怖心さえなければいい。

インプットする際、例えば「ビジネスモデル」ならば「集客方法」「提供価値」「課金方法」の3つをみるなど「箱」を持ち処理高速化。

経営者の仕事の本質は「売る仕事」。それに注力し思い切って人に仕事を委託するとビジネスのスピードが上がる。

自分と同じレベルを探すと一章見つからない。委託費用を計算する際は仕事単体でなくトータルでの売り上げがどう増えるかを観る。「できること・できないこと」をきちんと連絡したり1人で抱え込まず早め早めに相談する。

チームで作業するには自分自身の価値観を洗い出すことから始めるといい。

そして本気でやりたいビジネスなのであれば頭を下げることくらい平気なはず。誰かに認められるより自分が自分を認める方が先。


本書に通底するテーマが”とてつもなく素晴らしかったり、どこにも恥ずかしくない品質でなくてもビジネスは成功することが十分ある”というもの。最初から完璧を求めすぎず。動き出すハードルを下げることが肝要と説く。

動き出しを軽くして、間口はライトに。しかし関係構築にはマキシマムに精力を注ぎこむ。ここら辺は見城徹 藤田晋『憂鬱でなければ、仕事じゃない』に通じますね。自分が価値を感じたものをフィードバックを受けながら、頭を下げながら、社会に具現化する。

私なんか自分が心血注ぐモノほど他人に任せづらいとか関係構築の重要性への注力とか理解は出来ても血肉とならない部分はまだまだありますが、「適正な価格で売る」みたいなところは腑に落ちました。起業本だけどブロガー本としても読めるかも。

自分の硬直した思考をほぐす、いいマインドセッティングになりました。

by wavesll | 2017-11-16 19:37 | 書評 | Trackback | Comments(0)

見城徹 藤田晋『憂鬱でなければ、仕事じゃない』 極端なまでに仁義を通す仕事心得本

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友に薦められた一冊。

幻冬舎の見城氏とサイバーエージェントの藤田氏がタイトルとなった『憂鬱でなければ、仕事じゃない』や『小さいことにくよくよしろよ』等、ハイヴォルテージな仕事論を語る一冊。

サクサク読める分具体的な掘り下げはそこまでないけれど、ホリエモンの『多動力』に比べれば内容は大分あったなと。こういう読書はエナジードリンクみたいなものですね。

見城氏はかなり体育会系的にがっつり語るのに対し、藤田氏がソフトに補助線を引く構成は読み易かったです。

要約すれば「小さなことにも手を抜かず人の機微にきめ細かく対応し、極端なまでに圧倒的な努力をして争いに勝つ結果を出せ」ということ。仁義を通すことの重要さが語られ、何か裏技を駆使して旨い汁を啜るというより、正面突破をガンガンガンガンガンガンやるという感じ。

『パーティーは無駄』という章には「パーティーではコミュニケーションの閾値を越えない」と思うので共感し、カラダを鍛えることの重要性を説く章なんかは私自身「精神力の8割は体力」とも想うなど共感しつつ、仕事で何度か鬱になった人間としては付いていけないと感じるところも多々ありました。

しかし結局は真っ当な努力を動き続けることの大事さが語られているのには感銘を受けて。

タカタといい神戸製鋼といい日産といい、日本のものづくりへの信頼が大きく崩れる今は『真面目、真っ当』が馬鹿にされ過ぎたか、ズルが『ハック』と持て囃されすぎたかとも想います。

「こんなにも尽くしているんだからこれくらいの汚点見逃してくれよ」という感情があったかもしれませんが、社会は良い点よりも悪い点が強く印象に残ります。積み上げた信頼のポイントも、不快さを撒き散らしては水の泡。最低限への社会的、公的仁義は通さねば評価が無碍になります。

「お客様は神様です」でのサービスのダンピングで囚人のジレンマのように日本社会はなっているように感じながらも、かといって削ってはならないところと削れるところの見極め、変革・進化へのシフトの選球眼が崩れては不味い。そうした今、本書の説教は響く気がしました。

無駄な因習からの解放と品質保持、そして創新の鼎立には人的資源が足りないのか。”価値を生むとは他者に真似できない水準で走り続ける事”と、ふむ。

私は仕事に走り続けるだけが人生でなく、心身を養いメンテナンスすることも営みを持続可能にするための労働者の仁義だと想いますが、それも含めて“正しい努力、正しい苦労の方向性”を示し、説明責任と結果責任を負う、そんな未来視の指導者が今この国には必要かとも想います。

『天使のようにしたたかに、悪魔のように繊細に』などには気持ちの良い応対をする人間の下には情報や人々が集まってくる実感があり、自分の中で再発見が多い読書となりました。『ヒットは地獄のはじまり』等は「それを結局力業で捻じ伏せるだけか」とも想ったりもしましたが、丁度いいカンフル剤になりました。

cf.
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む

アダム・スミス著 村井章子+北川知子訳『道徳感情論』ー"もしアダ"が書きたくなる稀代の"いいね論"
by wavesll | 2017-10-12 21:37 | 書評 | Trackback | Comments(0)

梅棹忠夫『文明の生態史観』 國はその土地に住む人の欲するように成り立つ哉

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梅棹忠夫『文明の生態史観』を読みました。

梅棹さんは元々理系畑の人で。『ホモサピエンス全史』や『銃・病原菌・鉄』のように、科学的視座からスパッと一刀両断する論理が心地よかったです。

この本は非西欧の立場から世界の文明史を捉えた論文で、物な論点の一つは「日本は西洋とは平行して高度資本主義社会へ進化した」「ユーラシア大陸の両端は封建制からブルジョア革命を経て自立発展した高度文明社会である第一地域で、ユーラシア大陸の中央は帝国による専制が起こる第二地域」と"遷移"というモデルを使って解くというもの。

ユーラシアの真ん中には砂漠地帯があり、その傍らにあるオアシス・ステップ地帯で四大文明は生まれるが、ユーラシアの真ん中では暴力の嵐が吹き荒れ、文明の進歩がその時々破壊される。

それに対しユーラシアの両端は森林地帯で、開墾の必要性から最初期は文明はなかったが、第二地域の帝国をモデルとしたイミテーション国家が生まれ、その後地政学的に温室のように文明を発展させることが出来た。

というのが論旨。この本では東アジアで日本のみが第一地域であると語っていました。

しかしそこから60年の月日がたった今ではシンガポールや韓国を始めとしてAsiaが発展し、ちょっと梅棹さんの論は色褪せた部分はあるなと読みながら想いました。

しかし読み進めると東南アジアに関する論も語られ、ユーラシア世界を日本、西欧、アラブ・地中海、ロシア、インド、中国、そして東南アジアと東欧にわけてモデル化していて。

南北アメリカ、オーストラリア、アフリカが捨象されているのは残念ですが、西洋の視点に対抗する東洋からの視座だというのは意義深かった。

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今「東洋」と書きましたが、この本のもう一つの論点は「Asia・東洋とひとくくりにできない多様性がこれらの地域にはある」というもの。

そもそもこの本は梅棹さんのインド・パキスタン・アフガニスタン"探検"から生まれたものですが、インド地域までくると人種も違うし文化・文明も東アジアからは大きく変わるという気づきが根底にあったようです。それは西欧ともまた違った文明で。

そこでインド、アラブ・地中海地域を「中洋」と梅棹さんは名付けます。この視点は確かに大きなことで。無論西欧人から言わせれば、ヨーロッパもひとくくりにできないでしょうが、Asiaの多様性はその比ではない。

その上で「Asia」という共通意識を利用することは良くても、フラットな視点では事実を著わすべきだと梅棹さんは書いています。

彼の地政学的な論旨は、ともすると優生学にもつながる危険性があると僅かに感じたのですが、その土地の自然条件や文化地理的な位置から、そこに暮らす人たちが成していく社会には一定の法則がある、という観点は面白い。

その土地の人達が欲するように国は成していく、というのは、中国の共産党や、アラブの部族社会の中では専制的な政治体制でないと回らない、といったことは21世紀に於いても実行力のある論だと想いました。

本書では傍論ではありますが、文化的インテリについて語った章も面白かった。

なんでも日本の文化インテリは、政治家でもないのに政治家的な意識を持っている、政治家になれなかった人種が多い。

これは江戸時代の武士という文化的且つ政治的な実務家の流れが、近代に高等教育が普及し、文化インテリが増えて政治からあぶれたことに由来する。

今は政治と関わるのは文化インテリというより、実業インテリや技術インテリの比率が大きくて、寧ろ文化インテリは後進的、保守的な位置づけになっているが、科学技術や社会の暴走を抑えるブレーキとして機能はしている。

そもそもこういった政治志向を持った文化インテリは第一地域に広く存在し、例えばフランスなんかにもよく散見する。

といった具合が『文明の生態史観』の反応に対する講演で語られていて。さらっと云っちゃう辺りが理系学者っぽくて好きでした。

また"この時代は海外を旅するだけでも大きな価値があった頃なんだなぁ"という憧憬もありました。今はインターネット社会で、海外旅行も限られた人のみが出来るわけではないから、昔の方が"旅人"に価値があったのだな、と。

大航海時代というか、世界が既知で埋め尽くされ小さくなる前の、Asia旅記としても非常に面白く読めた本書。日本が如何に「平行進化」したかが語られる「近代日本文明の形成と発展」も収録。同じく梅棹さんの『知的生産の技術』と合わせてお薦めです。
by wavesll | 2017-07-27 20:34 | 書評 | Trackback | Comments(0)

アダム・スミス著 村井章子+北川知子訳『道徳感情論』ー"もしアダ"が書きたくなる稀代の"いいね論"

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アダム・スミス 著, 山岡 洋一 訳 『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』を読んでから、"次は『道徳感情論』だな"と考えていて。訳の読み易さから日経BP アダム・スミス (著), 村井 章子 , 北川 知子(翻訳) 『道徳感情論』を手に取りました。

「人間というものをどれほど利己的とみなすとしても、なおその生まれ持った性質の中には他の人のことを心に懸けずにはいられない何らかの働きがあり、他人の幸福を目にする快さ以外に何も得るものがなくとも、その人たちの幸福を自分にとってなくてはならないと感じさせる」

"人間は自己利益を追究する生物だ"という『国富論』に対して、"ヒトは共感によって行動する"という『道徳感情論』、実際に読んでみると現代においては極めて優れた"いいね論"であり、『もしもいいねが欲しくてたまらないSNSユーザーがアダム・スミスの『道徳感情論』を読んだら』という二匹目のどじょうを狙いたくなるネタ満載のクラシックでした。

アダム・スミス教授は、確かに"ヒトは共感するもの"と書いているのですが、"何を良しとするか"について極めてシビアな共感の条件を挙げています。

例えば"怒りや悲しみ、憎しみに人は共感するどころか怒っている人に不快感を覚える"だとか、"喜びには比較的共感しやすいがそれは嫉妬心がない場合に限り、大きく儲かったとかよりも些細な喜びが共感を集めやすい"だとか。

中でも心に残ったパンチラインは”隣人が愛せる以上に自分を愛してはならない”。「汝のごとく汝の隣人を愛せよ」から更に進んだ、客観性の極致がこの思想にはありました。

"いいね"をもらうだけでなく、"自分が他者にいいねする"事についてもスミス教授は示唆を与えています。"いいね"を大盤振る舞いしても有難がられず、根拠がきっちり相手も理解できる時に恩賞を与えるのが効果的だと。

ここら辺は私自身は異論もあって。常にポジ出してくれる人は嬉しいし、幸せの閾値を下げると当人もよりHAPPYになるのではと実感から想いました。

アダム・スミスはかなりエスタブリッシュメント寄りな論客で。権力と財力がある人をヒトビトは尊敬するし、そうした貴族が素晴らしい流行を生み出したりする、寧ろ革新勢力は世の中の秩序を乱すことも往々にしてあるし、という論を述べています。

貧乏人が資産家・権力者を目指すのは犠牲にするものが大きすぎる、なんて話は現代社会では馴染まない考えにも感じました。ちょっとスミス教授は保守的にすぎる感もありました。

そして『道徳感情論』の思想の大きな特徴は"『自然』を受け容れる"ということ。
共感の心の行き届く範囲も、遠い地の大災害よりも自分の些細な傷の方が大きく感じるのは自然だと。

陰鬱な哲学者は"全世界で悲惨な暮らしをしている人がいるのに幸福を享受するのは罪だ"というけれど、それは"自然"から求められるところではない、というアダム・スミスの論。

スミスは本書で"自然"を神だとか本能と言った意味で使っていると感じました。神の見えざる手ならぬ"自然の見えざる手"が人間心理を情操していくと。アダムスミスの保守思想は、"神が創ったこの"自然"世界を肯定する"という宗教心から生まれているように想います。

"自然"からすれば、何かの"いいね"を言うことは善だけれども義務ではなく、されなくても文句は言えない。
胸中の第三者の視線に応えることが素晴らしい姿勢で、そこに応えている限り、自分自身を誇れるというスミスの思想は強靭な人間工学だと感じました。

人間工学という意味では、スミスは"美の感性"についても語っています。
人の感性はみなれた慣習や流行に影響を受けるし、一番美を感じるのは、平均値・中庸の美だと。

確かに石原さとみなんか見ていると色んな女性の表情が宿っているというか、イデア的なものに美を感じる仕組みが心にはあるのかも、なんて思いました。

アダム・スミスが"いいね"という人間は思慮深い人間、適切さのある人間、他者には寛容で慈悲深く心動かされ、自分のことには微塵も動揺しない人。

また、自尊心や虚栄心は不快さを他者に感じさせることもあるけれど、多くの人はその人の自己評価以上に敬意は払わないから、卑屈な態度よりかは自尊心や虚栄心のある方が好ましいと述べています。

徳への愛、真の栄誉を得ることは偉大なる目標だとスミスは言います。

最大に"いいね"がされる生き方は称賛や褒められることを欲するのでなく、称賛、褒め、"いいね"に値する人間になることを欲するべきだと。これもまた真理ですね。

この読書では数奇なセレンディピティも感じて。訳者後書きを読むとこの本は『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』を訳した山岡 洋一さんの葬儀時に村井さんが名乗り出で、その遺志を継いで行われたプロジェクトだったとのこと。

日経BPの『国富論』もそうだったのですが、本書も非常に読み易く、こうした志のある翻訳書は日本の宝だなと想いました。

経済学とは価値観の学問だという想いをより強くする、社会哲学の書、堪能しました。
by wavesll | 2017-07-13 19:01 | 書評 | Trackback | Comments(0)

今出せる最適解へ駆け続けろ:細谷 功『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』

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細谷功『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』を読みました。

個人的に「フェルミ推定」、名前は聞いたことはあったのですがどういうものかを知りたかったというのと、ここ一ヶ月で外山滋比古『思考の整理学』梅棹忠夫『知的生産の技術』、そしてショウペンハウエル『読書について』『思索』『著作と文体』を読んで、"書籍哲学者"でなく"自分で考え抜く力"が自分には足りていないと想い、その為にフェルミ推定という思考のフレームワークをインストールするのは有効かもしれないと考え読了した次第です。

さて、いきなりですが、<「日本全国に電柱は何本あるか?」を制限時間3分で、電卓・PCを使わずに求めよ>と言われたら、どんな答えを出せますか?

これがフェルミ推定、その典型的なクエスチョンなのです。すぐに求められない解を手持ちの少ないデータから求めること。ノーベル物理学者エンリコ・フェルミが良く課題に出したことから名を冠しました。

さて、私自身はこの問いを見て、「そもそも電柱が一般的に何メートルおきに立っているかのデータが欲しいな、それがあればそれで日本の面積で割って出せるのに」とか考えてるうちにタイム・アップ。これは"知識編重型"な思考法だそうです。

この解法の一例としては
1. 単位面積当たりの本数を市街地と郊外に場合分けして総本数を算出する
2. 市街地の代表的な電柱配置を「50m四方に1本(1平方km辺り400本)」、郊外を「200m四方に一本(25本)」とモデル化する
3. 日本の総面積は38万平方mだが、これも東京-博多間が1200kmなのを知っていたら大体1500kmX200kmと計算して30万平方kmと推定できる。
4. 市街地と郊外の面積比は「日本の国土の3/4が山間部」なので、2割ほどが市街地と推定
5. (38万平方km*1/5*400)+(38万平方km*4/5*25)=3000万本
6. 最後に現実性検証を行う。電力会社とNTTの出している数字から、日本の電柱の数は3300万本とのこと。

さて、シャーロック・ホームズばりに鮮やかに解が示されたのですが、著者はこのフェルミ推定により"地頭力"が測れる。といいます。

地頭力とは
1. 仮説思考力
①いまある情報だけで最も可能性の高い結論(仮説)を想定し、②常にそれを最終目的地として強く意識して③情報の精度を上げながら検証を繰り返して仮説を修正しつつ最終結論に至る思考パターン

2. フレームワーク思考力
①対象とする課題の全体像を高所から俯瞰し、相対座標ではなく絶対座標としてズームインで説明できる全体俯瞰力
②とらえた全体像を最適の切り口で切断し、全体をもれなくダブりなく(MECE)適切なセグメントに断面をさらに分解する分解力

3. 抽象化思考力
①対象の最大の特徴を抽出して「単純化」「モデル化」した後に②枝葉を切り捨て抽象レベルで本質的な一般解を導き出して、③アナロジーからそれを再び具体化して個別解を導く思考パターン

だと言います。
社会人の能力の方向性は<知識・記憶力のZ軸>、<対人感性力のY軸>、<地頭力のX軸>があり、今の時代は知識はすぐに陳腐化するのに加え、インターネットによりコモディティ化したことから、地頭力と対人感性力が肝要だと。

この本を読んで最も想ったのは、ここでいう地頭力というのは「仕事を70点でこなし続ける身体性」に感じました。完璧に仕上げることに執着せず、決められた時間内に70点のざっくりした結果を出し続け、その時点時点でベターな軌道修正を加えていく仕事術。

その精神的なタフ度に感嘆すると共に、ついつい"大切なモノゴトが零れ落ちやしないか"とか"自分が満足する水準まで仕上げたい、そして結局『本当に正しいか』まで仕上げたい"と想ってしまいました。

しかし確かに「検索エンジン中毒」「情報コレクター」「完璧主義」「猪突猛進」「セクショナリズム」「経験至上主義」な思考回路は仕事の処理には障害になることも多々あるなと。

知識型(What型)でなく問題解決型(Why型)の知的好奇心を持った人間が重宝されるのも理解できるし、文中に紹介された「三分間事業シミュレーション」で街中で自らフェルミ推定の問題を作成して、店で商品を観たときに「これを何人の人が買っていくら儲かるだろう」とか、ラーメン屋で「どれだけ売り上げがありそうか/どれだけ経費が掛かってそうか」を考えるトレーニングをすると脳力が鍛えられそうだなと得心する点が多々ある読書でした。

また合理的に考え一般化していく地頭力(X軸)と、感情に訴え相手の特殊性によりそう対人感性力(Y軸)は真逆のベクトルを持ち、「Think Rationally, Act Emotionally」が大切だというのも本当にクリティカルな指摘だと感じました。

フェルミ推定の問題集として現役東大生が書いた 地頭を鍛えるフェルミ推定ノート――「6パターン・5ステップ」でどんな難問もスラスラ解ける!も軽く読んでみたのですが、フェルミ推定をするにも、世の中の様々な事象の"数字"に強くなることが結果的に地頭にも繋がっていて、それには「三分間事業シミュレーション」などを行い、日々出逢う事柄を意識的な目でみることが基礎体力を上げるのだと。

フェルミ推定は納期の期日が決まっている仕事を営続してく為には本当に有用なアティチュードに感じて。"今出せる結果を出す"ためにポジティヴな書と読めました。
by wavesll | 2017-06-16 07:15 | 書評 | Trackback | Comments(0)

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時をみて

BS1スペシャル「欲望の民主主義~世界の景色が変わる時~」前編 (dailymotion)
BS1スペシャル「欲望の民主主義~世界の景色が変わる時~」後編 (dailymotion)

NHKBS1で放送された欲望の民主主義 世界の景色が変わる時をみました。

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第1・2章 第3・4章 第5章 第6章 第7・最終章

今、民主主義が危機に瀕し、排外主義や"新たなる王"を求めるように見える近年。

番組の中で政治学者のリチャード・J・サミュエルズによって『民主主義』はこう定義されています。
「礼節のある対話と受け入れられた規範のもとで行われる「政治的競争」…それが民主主義です。

国民一人一人がリーダーを選び、リーダーに公共政策に対する責任を問える仕組みです。一人または特定のグループに権力が集中しすぎないようにするためのプロセスです。

そのために必要なのは法律です。法による支配と権利の保障が必要です。特に集会、言論、信仰、報道の自由…少数意見の保護は不可欠です。

これらが揃い、なおかつ大衆の信頼があれば民主主義がうまく機能していると言えます」
また都市地理学者のクリストフ・ギリュイはこう言います。
「民主主義とはまず権力を持たない人に権力を与えることです。投票とは経済的にも文化的にも顧みられない人が…投票において富裕層や重宝されている人たちと平等になることです」
今の安倍政権の腐敗を思わざるを得ませんが、同時に先進国で格差が広がり「フリーライド」に寧ろ下層の人々の間で大きな拒否感が生じていることを感じます。

民主主義が今までの政治制度で一番ましなのは、共同体内での意思決定における一票の重要性が誰しも平等であること。機会平等であること。そして、それで選ばれたリーダーは法を守り、公に貢献すること。

この「機会平等」に加えて、「最低限文化的な生活」が保証される為に再分配が為されないと、民主主義は機能しないのではないか、そう想いました。

エリート層は自らが稼げるのは自らの研鑽によると想っている、というのも思い込みかもしれませんが、安定した社会と消費者/労働者がないとエリートもエリートでいられない。社会の構成員はみな社会のステークホルダーであるという真実が民主主義の土台だと想います。

そしてグローバルな生存競争に負けた人々がルサンチマンを破壊衝動へ転嫁させていることを思うと、寧ろエリート層の安全の為にこそ再分配は重要であると思います。

フランスでは移民2世や3世が、差別を感じたり貧困だったり、社会の理不尽を受けてテロへ走ると聴きます。それは日本も裏表の関係で、毎年2万人超が自殺している現在、自殺的な発散が他殺的な発散になれば"安全圏にいる競争に勝利しているマジョリティ層"もその危機に問題意識が向くのかもしれません。

また一般意志の示し方として、デモをどう捉えるかについても考えさせられました。

日本は全体主義的な国で、何故か支配層の権力を高めることこそが国際競争で生き残る術だと考える人もいて、"うだうだ言ってないで手を動かせ"という潰し合いが大きな国に感じます。

しかしデモとは何も国家に反逆する事ではなくて。厳しいサポーターや物言う株主の様に"より良い公共"を創るための合法的な行為であり、選手/選良は厳しい声に応えるから貴いのだと思います。

それを共謀罪などで自粛させるという行為は公共の利益を大きく損なうことになります。

中間層の没落が、社会から余裕と誇りを失わせ、弱いものがさらに弱いものを叩く今。本当の強者・権力者に対抗する力・方策を民主主義者が提示しなければ、民主主義を次のステップへ進めることは出来ず、自由も平等も博愛もない自然状態の社会があらわれるのではないか、"自然な競争の結果の階級化"にどう対応するかが現代の問題、そう感じました。

cf.
『欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき』をみて


欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第1章~第3章 第4章~第5章 第6章~第8章 第9章~最終章
by wavesll | 2017-06-08 04:58 | 書評 | Trackback | Comments(0)

ショウペンハウエル『読書について』『思索』『著作と文体』ーWeb時代にも通ずるWriting/Readingリテラシー

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ショウペンハウエル『思索』『著作と文体』『読書について』を読みました。

<読書とは他人にものを考えてもらうことである。一日を多読に費やす勤勉な人間は次第に自分でものを考える力を失っていく>で有名な本書ですが全編に貫かれるのは悪文への怒り。「言葉はヴァーチャルなお遊び」なんて思考に鉄槌を食らわせる。Web時代の議論を先取りしているように感じました。

『思索』における"読書は他人の思考で自らの思考ではない"という"書籍哲学者"への批判は私も実感があって。2chTV実況を読み耽った時分<感想すら人任せって危なくね?>と思ったものでした。

私は自由時間はWebTV本メディア漬けな人間なのですが、だからこそ旅の夜、静寂の中で思索が湧出するのはメディアの濁流から脱してるからだと想います。

「他人の言うことを鵜呑みにせず吟味し得心行かなければ乗っかってはいけない」というRT拡散への戒めのような言葉。

<「世間から思想家であると思われること」を目的に、名声の中に幸福を求めるのは偽物で、自分自身のために思索するのが本物の思想家>という承認欲求モンスターへの指摘。

こんな感じでWeb時代にもあらわれる情報へのリテラシーが描かれてるのを読むと"人類って変わらないモノだなぁ"としみじみと。ショウペンハウエルは「不朽の名作だけ読め」といい、その不朽振りは数百年単位というのもさもありなん。

では「時代精神をあらわしたFRESHさ」をどう扱うか。新鮮さが風化した後に残るものも、フレッシュな質感のある作品も私は好きです。ただトレンドは追いかけるものではなく、その時代に生きることで自然と馨りづけられるものなのではないか、最近はそう思います。

ともすれば狭量、偏屈をこじらせているとも読めるショウペンハウエルの箴言は『著作と文体』でさらに華々しく筆がスパークしています。その指弾は「新刊本以外は読もうとしない民衆の愚かさ」にも。ハウエル師匠キビしいw

「作品を評するときに作品自体を語るのではなく作者の私的環境や作品の元となった実際の出来事を探ることの滑稽さ」。作品論と作家論の混同、私もついついやってしまうなこれは。「"文脈論"論争」もそうだけどメタ視点を語るのは心理主義、か。

ただ「作品における着想の元の出来事や人を知りたい」って欲望は"複製でない生の1次情報に当たりたい"って欲望ではないかなと思います。音楽にはライヴがあって、劇には舞台があって。美術には展覧会がある。では文学・詩は情報の世界だけのものなのか?

「書籍のモノ性・コト化」は現代的課題でもある気がしますが、ショウペンハウエル師匠はそもそも金銭のために書くことを批判しているのでこの発想も歯牙にもかからなそうw

Web時代においても燦然と輝くショウペンハウエル師匠の論説ですが、コピペ剽窃や素人雑記が夥しく生み出される現代に放り出されたら発狂しそう。「価値ある天才にこそ時間と金が遣われるべきだ、大衆は低級なものばかり読む」は正しいけれど、みなさん誇り高き阿呆だからその正論じゃ動かないでしょうね。

と想っていたら「匿名、偽名は卑劣漢」となw!匿名の批評家は「不肖この私めは」、「臆病狡猾なこの私は」、「卑しき素浪人の私は」と名乗るべきとなwやっぱりこの人の論はWeb時代にこそ輝きを放ち、そして当人が現代に生きていたら憤死すること間違いなしだw

また文章の価値を論ずるとき、書かれた対象が珍しい買ったり価値ある材料だから評価されるのか、それとも凡庸な材料を非凡な調理で逸品としてるのか、との指摘も大きく響きました。

私自身はモチーフが珍しい絵なんかも好きなのですが「筆力・調理力」と「取材力・選球眼」の違いは峻別されるべき、か。そう考えると「編集力」って両方の領域にも想えます。そして確かに素材をそのまま持ってくることは筆力としての評価とはまた違ったものだなと思いました。

さらに師匠は「修辞でデコレーションこねくり回すのは朦朧とし凡庸」と断じ、「考え抜かれた、主張すべきものを所有し、それを素直に書くのが美点」と説きます。

思索を重ね理論が醸造されていることはレトリックに頼らずともすらりと書け、内容がない時ほどレトリックで誤魔化しがちなのは確かですね。

明瞭なれど含蓄が深いというのは時がいかに醸され凝縮されているか、理論があるかで。玲瓏な言葉で飾り立てるのはインスタントな行為とショウペンハウエル。ここら辺はシンプルな機材でグリッチノイズを創るミュージシャンに似ている気がしました。

確かに理論があると脳が熱を帯びますが煩悩に囚われている私は表現にも淫したいなとも思いました。

そして『読書について』。
外山滋比古『思考の整理学』の「グライダー人間」の記述にも繋がるこの指摘。

確かに、受動的なインプットに依存しては血肉とはならないし、何かを生み出すというのはインスタントな行為ではなくリアルで一種平坦な生の環境から葡萄酒を醸造するようなところがあり、楽しい楽しいだけではつるりとしたものしか生めないとも思います。

さらにこの一編は世の中の書籍のほとんどは畸形児のような悪書で、良書を読むための条件は悪書を読まぬことだと記します。

これは「知るだけで素材として価値がある」のか「それを道具として使うことに価値がある」のかとも繋がる話だと感じました。と、同時に「文筆」が必要とされる"仕事"なのか?とも想いました。

やりたいことをやった結果善きコトを成す、では足りなくて、必要とされた時に必要とされることを為すのがプロだとしたら、現在の活字飽食の時代、個人の無作為の、金も承認すらも求めない文がビッグデータで解析されジャストに集配されればそれでいいのでは、と。

ただ現在のCGMは商業メディアを基にしたものが多いので、一旦供給を絶ったら飢餓感が生まれるのか、それとも古典を掘り下げる方向へゆくのか。とは言え、現状プレイヤーよりもプラットフォームの胴元でないと"金を産める仕事"ではないようにも想います。

その意味で、匿名記者を抱える出版社・編集部を痛烈に批判したショウペンハウエルのように、今の時代の"文責"はプラットフォームに向けられてしかるべきなのだな、と。

昨今のキュレーションメディア騒動もそうだと想うと、またしても"人類100年前も1000年前も基本、心や騒動は変わらない"し、その点でクラシックな名著を読めというショウペンハウエルの論は色褪せていないと改めて思います。

そしてショウペンハウエル、怒りすぎてて"師匠w"って言いたくなるけど、この熱さを読むと決してペシミストではないなと想うし、今の冷笑的なWeb世界を打破する気概はそこにあるのではとも想いました。
by wavesll | 2017-06-07 07:15 | 書評 | Trackback | Comments(0)

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時をみて 第7・最終章

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第1・2章 第3・4章 第5章 第6章
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第7章 今 民主主義とは?恐怖を越えて

マルクス・ガブリエル:哲学者
「私たちは再考し始めねばなりません。なぜ民主主義と呼ばれる形態を選んだのか?

そもそも民主主義は情報の特定の形なのです。」

民主主義は情報処理?

ガブリエル
「民主主義とは人間の行為を組織化する方法です。”真実を得る方法”、”うそつきの政府を暴く方法”そう思う人々が混乱を招いています。

真実を中立的に判断することです。今私たちが直面しているさまざまな問題が感情的な判断から引き起こされています」

”感情的でない”民主主義?

ガブリエル
「民主主義の機関はあらゆる形態の政府と同じ巨大な情報処理システムです。

7000万人の人口を有し、さらに増える可能性もある…フランスほど大きい社会システムはそれ自体どう動いているのか?誰一人として理解していないのです。

では政府は何をするのでしょう?その仕組みを理解している者がどこかにいるという錯覚を生み出し維持するのです」

全てを理解している者がいるというのは”錯覚”?

ガブリエル
「私が思うにテロリズムとは自分たちや国民に”恐怖”を造り出すことで統治するものです。それが”テロリズム”の意味です。

かつてない恐怖心が増している…極端な恐怖と不安には当然ながら大抵根拠はありません。恐怖を感じるべき者を探してしまう…根拠のないその視線が恐怖を作り出すのです」

「根拠のない視線」が恐怖を作り出す

つくりだされる恐怖、その強大なる力に動かされていた一人があの「万人の万人に対する闘争」を唱えたホッブズだ。

著書『リヴァイアサン』は今から350年以上前、宗教戦争や度重なる内戦のさなかで書かれたものだ。

いつ終わるとも分からない戦乱。暗く、陰惨な時代。迫りくる生死を分ける恐怖を背景に生まれた人間観がそこにある。


シンシア・フルーリー:精神分析学者
「ホッブズの”社会契約”の考え方はよくご存じでしょう?
”決して恐怖無しで済まない”、”恐怖は社会契約の基礎だ”と言っています。」

恐怖は”社会契約”の基礎

フルーリー
「≪人間は人間にとって狼である≫のですから、この恐怖を”水平”でなく”垂直”のラインに利用することをホッブズは提案したのです。

”互い”をでなく”リヴァイアサン”を恐れることで平等だというのです」

万人の、万人に対する闘争の世界をホッブズはこう綴る
持続的な恐怖と暴力による死の危険…人間の生活は、孤独で貧しく、つらく残忍で短い

抑圧への恐怖は、先手を打つか、助けを求めるかにいつも人を駆り立てる。
なぜなら人間が生命と自由を確保する道は他にないのだ… 『リヴァイアサン』ホッブズ著

恐怖の上に成り立つ国家、民主主義とは生き延びる欲望の集合に過ぎないのか?だが

ガブリエル
「『リヴァイアサン』は政治理論ではなく大虐殺を正当化するものです。」

リヴァイアサン=大量虐殺の正当化?

ガブリエル
「ホッブズはアメリカ先住民も西洋文明のルールの中にあると思いたかったのです。”文明はもろいものだ 彼らを見よ”それがホッブズの主張です。

相手を”彼ら”、”未開人”と思った瞬間、人は”彼ら”を全滅させる一歩手前の衝動にある。自分たちの文明に同化させるか、抵抗されたら殺すか…このどちらかだと言っているのです」

選択肢は二つ 同化させるか 殺すか

ガブリエル
「しかしその後 人々は本を読むようになり残虐な人間性を自覚し…それは政府に管理されるべきだという考えが当たり前になりました。

ですが それも間違いです。政府は人間の残虐性を管理すると同時にそれらを増しているのです。政府は≪自然状態≫を克服などしてはいません。

元々そんなものはないのです…私たちは≪自然状態≫では善人でも悪人でもないのです。」

自然状態とは、正義も、悪もない、世の中とは。

≪自然状態≫では善人も悪人もいない


ガブリエル
「多くの人々が現在シリアをあたかも自然状態に戻ったように思っています。生きるためにもがいているとメディアで報道されるからです。

ですがあれは明らかなる”戦争”です。戦争とは自然状態ではありません」

戦争≠自然状態

戦争は自然に起きるものではない。起こされるものなのだ。

奇しくも、人々を革命へと導くこととなったあのルソーも戦争についてこんな言葉を残している

戦争は人と人との関係ではなく、国家と国家の関係なのであり、そこで個人は人間としてでなく、市民としてでさえなく、ただ兵士として偶然にも敵となるのだ 『社会契約論』ルソー著

「人々を守るための大いなる力も、誤った社会契約においては、争いの渦へと導いてしまう」ルソーはそう警告していたのか。この時代の激流の中、今、再び問う 民主主義とは


最終章 世界の景色が変わる時

ガブリエル
「民主主義は 手続きや制度の中で普遍的価値観を実現する試みです。その意味は私たちがまだ民主主義を実現していないということです。

民主主義は未だに 常にこれから実現されるものなのです。今の民主主義を正しい規範と思ってはいけません。」

マルセル・ゴーシェ:政治哲学者 / 編集者
「自由…この言葉の本来の意味は自らの運命を決定する力です」

自由とは「自らの運命を決定する力」

ゴーシェ
「我々はそれぞれに結びついています。真の自由はそこにあるのです。個人それぞれの領域で提供できる以上により高度な目的を決定するため互いの自由を結集することができるのです。

私にとって民主主義とは…これは知識人として発言しているんですが、それは理想の世界であり…同意できないことについて議論することこそ面白いのです」

民主主義は「議論」

ゴーシェ
「民主主義は人類による文明の最高の形態です。人類とはいろいろな種の人々から成り立っています。民主主義とはそれを克服する手段なのです。

違い 対立 矛盾 根本的な多様性から創造的なものが生まれるのです。それが人生の魅力です。その結果 文明は発展し、私たちを集結させてくれるのです」

フルーリー
「度を超えた個人主義は最終的に民主主義を危険な状況に陥れます。課題はむしろ≪個性化≫を確立することです。≪個人主義≫に非常に似ているようで少々意味が異なります」

「個人主義」ではなく「個性化」

フルーリー
「自己を確立するのを断言するのではなく、私は他の人とは違うけれども公共的なことにも参加するということです。

自分自身の特異性や才能を明確にしつつ他人と共に”集団的物語”を築くということです」

他者と築く「集団的物語」

吉田徹:北海道大学教授
「我々は恐怖心に駆られて いつも何かを失うかもしれない、もしかしたら隣の人は狼になっちゃうかもしれない。常にマイナスの感情に動かされる。あまりこれは望ましくないこと。

それをどういう風にプラスの情念に変えて安定とか平和を確立するかを問われなければならない」

”感情の民主主義”を越えて

吉田
「一つは相手を尊重するということ。何を言うか、何を言ってるかで正しい間違っているを判断するのではなくて、その人がその人であることを尊重することから議論を組み立てていく。

人間は理不尽な思いをするのが一番つらい。他人を傷つけたい、誰より自分を傷つけたいと思う時はこの世の中や自分の人生は理不尽だと思うことに端を発するのだと思う。

その理不尽さを和らげるような、或いは理不尽さがなくなるような社会をつくってくということが人々が幸せに暮らしうる最大の条件の一つだと思う」

理不尽を和らげるための議論

ガブリエル
「民主主義とは”反対派の共同体”です。異なる意見を意見として認められればあなたは民主主義者です。

民主主義が機能するのは普遍的価値を受け入れた時だけだと認識すべきです。他人や他の種の動物の苦しみを理解する人間の度量にかかっているのです」

民主主義は「人間の度量」

ガブリエル
「自分があの人だったかもしれないと認識すること。地中海で溺れている女性や飢えている子どもは自分だったかもしれない…それが全ての倫理観の原点です。

決して忘れないでください。科学 技術 信教の自由の時代に私たちは生きています。もし民主主義の価値観が世界で崩壊したら、かつてない規模の戦争を目撃することになります。

民主主義を守る価値は確実にあるのです。今のところ 人間がみんなで生き残るための唯一の選択肢なのですから…」

外からも内からも忍び寄る恐怖 しかしその正体は紛れもない私たち自身なのだ。

ジャン=ピエール・ルゴフ:社会学者 / 作家
「私は預言者ではありません…私たちが置かれている状況を明確に理解する事が何よりも大事だと考えます。

政治家も知識人もありのままの世界について考える責任…そして≪可能な選択肢≫を提示する責任があります。≪可能な選択肢≫を明確にし≪無理のある選択肢≫を拒否することです」

ヤシャ・モンク:政治学者
「解決策は民主主義からの撤退ではなく、グローバリゼーションの撤退でもありません。自由民主主義を再活性化しグローバリゼーションによる衝撃を緩和する…そうした新しい政策を採択する事です。

グローバリゼーションが国内にもたらす影響に対応するのです。それが今やるべきことなのです」

広がり続けた 欲望の資本主義の前に 立ちふさがろうとする、国という壁。
だが、壁の中でも欲望は渦巻く。見えない敵に怯えて


ガブリエル
「民主主義は欲望の経済と明らかに関係しています。私たちはこの恐怖の経済を乗り越えなければなりません。どうすれば乗り越えられるのか…≪民主主義の最大の価値≫を思い起こせば乗り越えられるはずです」

そして今、フランスは選択の時を迎えている。世界の景色は変わるのか。民主主義が今、試される。欲望の民主主義。

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時をみて

cf.
欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第1章~第3章
 第4章~第5章 第6章~第8章 第9章~最終章

『欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき』をみて
by wavesll | 2017-05-31 22:41 | 書評 | Trackback | Comments(0)

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第6章

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第1・2章 第3・4章 第5章
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第6章 二つの「革命」

建国よりフランスが掲げてきた「自由」「平等」「博愛」

マルクス・ガブリエル:哲学者

民主主義の倫理 他者への想像力とは

ガブリエル
「民主主義と呼ばれるものの基本的価値観はここパリで18世紀の終わりに定義されました。言わばルネサンスの成果です。もっと具体的に言うならもちろん平等 自由 連帯です。

これらは基本的価値観で民主主義が人間社会で推し進めるはずのものです。問題はそれが真に意味するものです。この問いに答える唯一の方法は哲学にしかありません。

古代ギリシャでの創造と破壊においても哲学は基本的なものだったのです。18世紀にはヨーロッパでも同様のことが起きました」

民主主義の創造と破壊

ジャン=ピエール・ルゴフ:社会学者 / 作家

ポピュリズム隆盛の仕組みは…混沌から秩序へ?

ルゴフ
「私にとって政治とは一種の文明です。私にとって政治とは一種の文明です。さまざまな流れがあります。保守主義的な見方もあれば人間への悲観的な見方もあります。

さらにそもそも人間には永遠に破壊的欲動があるとも言えるでしょう」

破壊的な欲望

ルゴフ
「特に政治における大きな危険の一つは純粋主義です。この”人権”の概念には純粋主義の面がありました。しかし人権とは民主主義的な価値からのみ成立しているものではありません

それにも関わらず…この人権の概念が広く共有されていると考える”大きな幻想”があったのです」

幻想…?

ルゴフ
「その幻想とは”誰もが善人で思いやりがあり悪は人間の中には無く外にあるのだ”、”悪が生まれるのは悪い社会と悪い制度があるからだ”という考え方です。

善人を作るためには自分が認めた国家から指導されれば良い…この思考は既にフランス革命の時に含まれていたのです」

世界の民主化に大きな影響を与えたフランス革命はある男の残した言葉が礎となっている

ジャン=ジャック・ルソー ルソーは社会契約の重さについて言う

単なる欲望の衝動に従うことは奴隷状態だ。自然状態から社会状態への移行。その時、本能と正義が、欲望と権利が入れ替わり、自分のことだけ考えていた人間は、初めて理性の声を聞く -ルソー

理性の声を聞いた人間は一般意志の存在に目覚める。個人の欲望を抑えて、常に公共の利益を目指すのだ。

「主権とは、一般意志の行使に他ならない」

一般意志を求めて、絶対王政下の市民たちは反旗を翻した。アンシャンレジーム、すなわち、当時古いと思われていた王の支配の体制を変革。近代国家を誕生させたのだ


ダニエル・コーエン:経済学者

経済格差への抗議?庶民にとって民主主義とは

コーエン
「”一般意志”という考えは18世紀の観点で考えるととても興味深い。ルソーはどうすれば王の権力に対抗できるか考えていたのです。

まず王の権力がある。この権力に対して”一般意志”という概念をぶつけたのです。

まだ民主主義ではないけれど 途上にある中で一国における最高権力とは何か?根本的な疑問を発したのがルソーです」

王の権力に対抗できる最高の権力

コーエン
「しかし 今日この考えを使えば不幸なことに悪い結果を導くでしょう。”国民”、”人民”という概念を用いるとその多くポピュリズムに行き着きます。

”国民 人民の名において”と語るのです。しかし"人民"は既に存在せず。もし仮に存在するとしても王に対抗する観念としてだけだと思います。

また一人の人間が民衆の言葉を代弁する事にも不安を覚えます」

人民が燃え上がったフランス革命。だが、その有り様は当時痛烈に批判した男もいた。エドマンド・バークだ。

アイルランド出身の哲学者にして、政治家。彼が捉えていたのは人間の性だ。いたずらに現状からの変化ばかりを求めてしまう、人間という生き物。

実際、急進的な革命後のフランスは恐怖政治が巻き起こり、あざなえる縄の様に逆行する動きが生まれる。

我々の本性の抱える大きな過ち…それは、次から次へと飽くことなき欲望の追求の果てに手に入れた全てのものを失うしかないことである -バーク

時に、純粋な夢は 破壊的欲望へと形を変えてしまうのか?そして歴史は繰り返すのか?

マルセル・ゴーシェ:政治哲学者 / 編集者
「思考や感情、欲望…実はどれも一緒です。何かを欲望するのは思い描くことができるから…人は情緒的な理由で思考を維持します。理性的な理由ではないのは明らかです」

思考=感情=欲望?

ゴーシェ
「フランスはとても矛盾した国です。無政府主義かつ権威主義の国ですから。時期によってその"針"は大きく振れます。

絶対自由主義の大きな動きがはっきり表れ広がっていったのは68年からです。これはフランス社会を大きく変えてしまいました」

ルゴフ
「一つ目の革命はもちろん民主主義を誕生させた革命です。しかし私にとってもう一つの革命 68年の「5月革命」は1789年のフランス革命と同じくらい重要な意義を持っています。

どちらも民主主義全体に関係した重要な問題をはらんでいます」

フランスにとって忘れられない、もう一つの革命。それは戦後最大の危機とも言われた1968年の5月革命だ。

教育制度の改革を求め、パリの学生たちが起こした暴動。それがきっかけで、政府に不満を抱く労働者や市民たちも加わり、町中が破壊される事態となった。

この動きは日本をはじめ、豊かさを享受し始めた世界の国々にも広がっていった。だが、その急進性から人々の支持を徐々に失っていく


ルゴフ
「第二次大戦後 特に60年代、世界は急速に変化し大きな変貌を遂げました。そしてフランスはある時期に何もかもが停止するのです。

この革命は経済と科学技術の発展の時代…言わば”栄光の時代”に起きました。新しい歴史的状況で育ち戦争を知らない若者世代が消費社会に反発したのです」

消費社会への反発

ルゴフ
「誰もがこの革命について語りました。”我々がいる社会は何なんだ?”と…マルクス主義をベースとする多くの分析 批判が沸き起こりました。

そしてもう一つ68年の革命について問われたことがあります

”近代国家はなぜ必要なのか?”、”どこを目指すべきなのか?”」

近代国家はなぜ必要なのか?どこを目指して?

ゴーシェ
「1968年 街はとても荒れていました。私は21歳でした。政治運動にのめり込んでいったのは15歳の頃です。"左翼"の”反スターリン派”で…

68年は私が15歳からの活動の意義を確認するための年でもあったのです。しかし想像したようにはうまくはいかず その後政治哲学を学び始めました。

まさに民主主義についてです。私を大きく成長させました」

ルゴフ
「68年の5月革命の≪不可能な遺産≫はさまざまな概念を根本的に変えました。教育の概念など今までの歴史が完全に断絶され、重要な慣習、文化などが捨てられ…

個人の自立性ばかりが強調されたのです。その一方で”支配と圧力”の同義語のような権力や国家制度のヴィジョンが表れたのです。

国家体制と個人の間に生まれた新しい関係が民主主義国家の中心で発展することになりました。」

個人と国家の間に生まれた新しい関係

ルゴフ
「同時にこの影響は分断も生み出しました。社会的階層における分断、新しい層と大衆層の分断です。

近代化への変化からグローバル化から完全に取り残されてしまった階層と”すばらしい!あそこに向かって進もう”と現代へ向かって先端を行く社会階層と2つの対極にある階層が生まれたのです」

学生たちの反乱が鎮圧され、革命の火が消えると共に、消費社会の論理が雪崩れ込む

この時から既にグローバル資本主義への助走は始まっていたのか

加速化する欲望の資本主義

もはや経済の論理ばかりが社会の争点となる

富める人、貧しい人 人々の両極への分断を深めていく…

急速に変わりゆく世界情勢もまたフランスを自由主義経済へとのめり込ませていく

欲望の資本主義が世界を覆った末に、見えてきた 風景

歴史は終わらなかった。人々の分断と共にテロや難民と言った新たな問題を招き寄せていくこととなる。嵐をしのいだ後に、本当の嵐がやって来るとは、人々はこの時まだ気づかなかった


欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第7・最終章

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時をみて

cf.
欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第1章~第3章
 第4章~第5章 第6章~第8章 第9章~最終章

『欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき』をみて
by wavesll | 2017-05-31 21:43 | 書評 | Trackback | Comments(0)

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第5章

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第1・2章 第3・4章
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フランスが抱える、民主主義の苦悩とは?

吉田徹:北海道大学教授
「例えばフランス人というのは4人に1人が遡れば移民系の国だとされています。そういった多様な国を1つフランスという大きなパッケージに纏め、色んな人がパリという非常に小さい街の中で肩を押し合いへし合い生きていく。

その中に色んな摩擦が生まれ、その摩擦をどういう風に解消していくのか。その象徴的な空間が地下鉄でもあるかもしれません」

どこまで多様性を受け容れられるのか?今、あのフランスが揺れている

ルペン
「移民の受け入れは市民を危険にさらす。テロリストが隠れているのだから…」

度重なるテロへの恐怖 アフリカや中東からやって来る難民たち 歴史的な混迷の時代を迎えたフランスに、今押し寄せる新たな波とは…

ルゴフ
「我々の歴史の中にはどの文明にもあるように闇のページと栄光のページがある…」

ギリュイ
「欧米の民主主義の大きな問題は人々と真剣に向き合わなかったことにあるのです…」

生きるため、切実な欲望を抱えやってくる人々に、フランス建国の理念はどこまで耐えることが出来るのか…?揺れるフランスで、世界の知性たちと考え、民主主義の今をみる。

第5章 内なる敵 外なる敵

吉田
「かつては向こうの左岸とこちらの右岸、革新と保守ですね。或いは労働者とブルジョアっていうのが対立でその間をセーヌ川が隔てた。ところが今、時代が推移してパリの郊外とパリの内部で新しい分断性に移り変わってきている」

パリ市街を分かつように流れるセーヌ川。北側が右岸、南側が左岸だ。一本の川を挟んでそれぞれの文化を育んできた。ブランドショップが立ち並び、買い物客で賑わう右岸。学生たちが集い、カフェで語らう左岸。

右岸はお金を使い、左岸は頭を使う、という言葉もあったほど。異なる思想がせめぎ合うことでバランスが生まれていた。古き良きフランスは、いづこへ。


マルセル・ゴーシェ:政治哲学者 / 編集者

瀕死の民主主義?国境なき経済圏の病とは…

ゴーシェ
「グローバリゼーションは貿易だけでなく”人間の行き来”にも関係するのです」

人間の行き来

ゴーシェ
「英EU離脱の余波は大きく、移民問題は極めて慎重な問題となり抗議の声が高まっています。欧州連合のおかげで人々は国家権力は大したことはできないと感じています。しかし同時に欧州連合も何もできないとも思っているのです」

吉田
「なぜ機能しなくなったのでしょう?」

ゴーシェ
「それが今ヨーロッパの一人一人に問われる最大の問題だと思います。とても難しい問題です」

欧州最大の問題

クリストフ・ギリュイ:都市地理学者

国民の分裂?グローバル都市と地域の二極化

ギリュイ
「今日のフランスでは移民問題はとてもデリケートな問題です。私たちフランスは多文化共存モデルを穏やかに築けるだろう、世界で一番賢いのだから…

アメリカやイギリスとは異なるタイプの多文化共存モデルの確立を想像していました。しかし現実は違いました」

多文化共存のワナ?

ギリュイ
「残念ながら≪共和国同化主義モデル≫と呼ばれるモデルは消え去ったのです。なぜか?多文化共存社会では他人と交わろうとしないからです。つまり同化しないのです。

他人は敵のままである…とまで言いませんが、距離を置くのです。これはフランスの至る所で見られます。これがフランスや欧州で見られる現実…アイデンティティの緊張関係の根本です」

フランスの苦悩は、都市の周縁部から噴き出している

吉田
「パリの郊外よりバンリューと呼ばれているところなのですけれども、基本的にパリで働いている人たちでもパリ市内に住むだけの余裕とか所得がない人が住んでいる場所になる。

いわゆる移民系と呼ばれている人たちが多い。ここが市役所なんですけれども自由・平等・博愛って言葉が掲げられているけれども空虚になんとなく文字が見えるのが哀しいですね」

パリの少年「ニーハオ!」

吉田「僕たちは日本人だよ」

パリの少年「あー日本のテレビだ フランス!」

吉田「君はフランスが好きなんだね?」

パリの少年「好きだよ」

吉田「フランスを誇りに思っているんだね。大人になったら何になりたい?」

パリの少年「営業マン」

吉田「なんで?」

パリの少年「大好きな職業だからだよ」

吉田「君は?」

パリの少年B「スポーツ関係で働きたい」
パリの少年C「僕はケバブ屋で働きたい…冗談だよ、ほんとはパン屋だよw」

経済や文化の違いから生み出される、移民たちをめぐる問題。溝を深めていく分断の現実の中、その流れにあらがう人の証言だ

ナディア・レマドナ:コミュニティー支援活動家
「私はパリ郊外で暮らしています。2005年 郊外で最初の暴動が起こってから私は個人的に救済をするようになりました。暴力はひどくなり 緊張が高まっています。

改善の兆候はまったく見られません。年を追って郊外にいる若者たちは誰のことも信用しなくなっています」

今から12年前の秋、パリ郊外で起きた移民たちによる暴動事件。北アフリカ出身の若者たちが警官に追われ、変電所に逃げ込み、死傷したことがきっかけだった。

人々は警察に反発。失業・差別・将来への不安など積もり積もった不満が爆発。暴動はフランス全土へと拡大していった。


レマドナ
「フランスはとても変わりました。実際、何が変わったかというとこの過激化です。若者たちはかつてのフランス…私や私の両親たちが愛していたフランスを知らないのです。

多くの移民労働者を受け入れたこと。多くの人々が外国から来ていること…それはフランス人自らが受け入れたことを忘れてはいけません」

私たちが愛したフランス

吉田
「我々は郊外に住んでいる貧しい移民系のフランス人だから、むしろ差別されているんだ、という風に彼らは感じてしまう可能性はあるわけです。

そうすると移民とか郊外は怖いんだという目線がつくられていくことになって結局分断がひどいものになっていく」

社会から受け入れられない、その怒りが争いを生み、居場所がない、その不安が悲しみを生む。愛されたい欲望が空回りし、生まれる、捩じれ。

ドミニク・レニエ:政治学者
パリ政治学院で教職、政治改革基金ゼネラル・ディレクター

忘れられた理念 自由を奪いあう 自己と他者

吉田
「「自由 平等 博愛」のスローガンがフランスの街のどこに行っても見えました。この精神はどう変わっていくのでしょう?まだ残る場所はあるのでしょうか?」

レニエ
「重要な問題ですね。「自由 平等 博愛」の精神は存続し続ける可能性はあるでしょう。フランス革命からとても大切にされてきたものですから。

しかし20年前からこの3つの理念への信念の衰退 精神の薄弱化が見られます。

今日 目にすることが多くなったのは国内のコミュニティーでの分断の感情、分裂…同じフランスの中でも外国人のように感じる分断さえあるのです。

実際、それを目の当たりにしたのがシャルリー・エブドで起きた悲劇です。フランスでフランス人がジャーナリストを殺害した…それも彼らの気にくわない内容を出版したから。

メディアが出版すべきだと信じたことを出版する自由を認めなかったのです。ある種の”基本的価値観”が分断されたことを感じました」

基本的価値観

シンシア・フルーリー:精神分析学者
社会の深層にある心理を分析 パリ・アメリカ大学でも教鞭をとる

社会の危機を回避する道は?他者を排除する人々…

フルーリー
「ルネ・ジラールの重要な研究論文においてはっきり説明していますが政治共同体とは通常”二つの動き”によって成立していると言います

一つ目の動きは”外部の敵”と呼ばれるものでもう一つは戦うべき”内部の要素”が必要となるのです」

「外なる敵」と「内なる敵」

フルーリー
「多くの場合、外部の敵としての恐怖の対象はテロリストに集中します。そして内部の敵としての対象は公然と非難されている人たち…失業者、難民、移民なのです。

社会はこのように成り立っているのです。惨憺たる状況です。」

他者への不信が、本来 敵になるはずのない敵を次々と生み出していく。フランス人が失いつつある、基本的価値観とは…?


欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第6章 第7・最終章

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時をみて

cf.
欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第1章~第3章
 第4章~第5章 第6章~第8章 第9章~最終章

『欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき』をみて
by wavesll | 2017-05-31 21:15 | 書評 | Trackback | Comments(0)