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梅棹忠夫『知的生産の技術』読書ノート

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梅棹忠夫『知的生産の技術』を読みました。

昨晩の外山滋比古『思考の整理学』読書ノートから間髪入れずに読んだため、その共通点(というか『思考の整理学』の種本がこれではないかw)と相違点が良く分かりました。

以下、心残点と感想を。

はじめに

学校は情報を教え過ぎる癖に知識の獲得の仕方は教えない。技術論が大事。もっといえば情報の時代の今日(1969年)コンピューターのプログラムの書き方が個人的な基礎技能になる日が早く来るかもしれない。

インターネット時代を予見したマクルーハン『メディア論』、シンギュラリティの時代にどう生きるかを示唆した『思考の整理学』に続き、ここにも未来視が。時の試練を越えるものには未来の価値観が含まれているのかもしれません。

本書はハウツー本ではないと書かれていますが、結構実際的なHow toが書かれていました。

野帖

メレジュコーフスキィ『神々の復活』ではレオナルド・ダ・ヴィンチは手帳に何でも書き込むとあった。わたしも手帳に「発見」を書いた。「発見の手帳」をつけると「二重発見」をチェックできるし、発見達の相互連関をみつけることができる。

野帖(フィールド・ノート)としてカードを開発して情報を整理した。カードはコンピューターに似ている。どちらも「忘却の装置」である。資料の整理は規格化が肝心で、体系的な管理システム構築により「時間」の捻出というより生活の「秩序と静けさ」がつくれる。


ここら辺のカード式情報管理法は「思考の整理学」にも書いてあったし、詳細なファイリング法も描いてありましたが、今はEvernote等で代用できる気がします。実際、BlogやTwitterを情報管理のツールとして有用で。

そこら辺のアプリ論は『知的生産の技術』の各章を、現代の視点から(シゴタノ!)に詳しいです。

とはいえ、電気を必要としないシステムってかなり強靭だとも思いました。

読書技術

i. 本ははじめからおわりまで読む。これが「よんだ」。一部だけ読んだものは「みた」。

ii. 読んだ日付や基本情報などの「読書の履歴書」をつくる

iii. 一気に読む

iv. 傍線を引く

v. 読書ノートをつくる。その際に一旦一気に読んだ後、つん読して、もう一度短時間で読む「読書二遍」が有効。

vi. 「その本の著者にとって大事な所」と「自分にとって面白い所」の二重の文脈で読む

vii. 読書にとって大事なのは著者の思想を正確に理解する事もあるが、それによって自分の思想を開発し、育成すること。それが創造的読書。

vii. 本は何かを「いうために読む」のでなく「いわないために読む」。引用するのが多いことは、それだけ他人の言説に頼っていて、自分の想像に関わる部分が少ないこと


読書技術についてかかれた部分が本書で一番有用でした。特に読書ノートを作る際に、自分と著者の間で化学反応した「自分の文脈」を大事にするというのはキュレーションサイトが色褪せたイマに非常に有効な提案だなと想いました。

文章の書き方

i. ローマ字で日本語を書くと日本語の分かち書きが身に付き、日本語理解が深まった

ii. 手紙の形式の周知の必要性

iii. 日記は、時間が立つと「他人」になる「自分」との文通で、魂の記録だけでなく宮廷貴族の昔から自分の為の業務報告もある。

iv. 原稿の書き方は、きちんとしたルールを訓練しないといけない。

v. 行動家は文章嫌いなきらいはあるが、文章は才能より訓練。文芸的な文章よりもビジネス的な文章の方が必要とされる場合は大きく、わかりやすさが大切。国語教育の設計しなおしが必要。


文学と異なる実際的な文章メソッドの話は山田ズーニーさんの『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 に詳しいです。

この『知的生産の技術』は『思考の整理術』だけでなく、『伝わる・揺さぶる!文章を書く』や斎藤孝『三色ボールペンで読む日本語』の父となった大樹に感じて。その樹形図の流れを視ることで、これから私たちの世代がいかに古典を現代へ転置していくかについても興味深く読むことができました。
by wavesll | 2017-05-30 21:39 | 書評 | Trackback | Comments(0)

外山滋比古『思考の整理学』読書ノート

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外山滋比古『思考の整理学』を読みました。心に残った處を列記していければなと。

1. グライダー人間と飛行機人間

本や教師に引っ張ってもらって飛ぶグライダー人間は自分で考えてテーマを創れない。不格好でも自力で飛翔する飛行機人間となれないと、コンピューターに仕事を奪われる。

伝統芸能では師匠が教えてくれない秘術を盗み取ろうともがく内に門人はいつのまにか自分で新しい知識を習得する力を持つ。惜しげなく教えるのが決して賢明ではない。


これは耳の痛い話で。私自身も職場で「君は自分で課題をみつけられない」と言われる人間で。大学の頃ESSで「考えさせるスタンス」の人材教育に反感を持ったりもして。借り物でないオリジナルな知見を拓いていく術を知りたくてこの本を手に取ったところもありました。

2. 朝飯前

朝起きた時が一番頭が働く。また朝は夜より楽天的になれる。朝飯を抜いてブランチにすれば"朝飯前"を長くとれるし、昼寝して起きれば夕食までにもう一度"朝飯前"をつくれる。

これわかるなー。頭がはっきり働くだけでなく音楽を聴くにも一日で一番よく音を愉しめるのは朝一番に聴いたときに感じます。それにしても朝飯前を長時間X2でつくるとは中々にハードコアだw

3. 見つめる鍋は煮えない

自分でテーマを掴むにはインプットしたものを寝かせて発酵させる必要がある。そして寝かせて時間をかける時に"今か今か"と意識しすぎてはいけない。寧ろ意識を他の問題に飛ばしたりして、無意識に持っていくのが吉。中国の欧陽脩は良い考えの生まれやすい状況を馬上、枕上、厠上といっている。

これも良く分かる。自分も読書が一番進むのは電車内だったり、旅の帰りの新幹線の夜間の車内で一番想念が湧く気がするし、アイディアに詰まったとき逍遥すると解が湧いてくることが結構あります。

4. 情報のメタ化=整理・抽象化が重要

一次情報を昇華させることで普遍的な真実へ。これは仕事でも非常に大切な事ですね。俯瞰の必要性というか。

5. 書き留めると忘れられる

ノートをとって、寝かせることで、時の中でふるいにかけられ整理される。また、人間もそうだが情報も周囲との関係性で活きたり腐ったりするから、ベストな場所で醗酵させるといい。

そもそも昔は博覧強記が優秀な知とされたが、PCが発達した今、創造的人間として活躍するためには頭の中を整理し自由な思考スペースをつくるのが重要。その為には書き留めることが忘却を活かしてくれる。


これもBlogやってると凄く肚に落ちることで。書くことで脳から外部ストレージに情報を移せるというか。その上でも忘れないことは時の試練に耐えたものだと分かるという話もその通りだなと想いました。

6. とにかく書いてみる

論文、報告書、レポート等を書く際に「もっと想を練らなくては」としていたらいつまでたっても書けない。寧ろ書くことで筋道が整備されることがある。書きだしたら一字一句を遂行するより一気呵成に一旦終わりまで書き上げるといい。

書くと纏まるのはその通りで。頭の中では大長編の大作でも、案外書き出してみるとサクッと短かったり。これは「不安を感じる時は書き出すと案外大したことない量だ」という話とも繋がる気がします。

7. タイトルは短く、テーマはワンセンテンスで

これはWebのSEOとは相反するかもしれないけれど、膨らむ余地のある題名は味があっていいですね。

8. アイディアは褒められて伸びる

アイディアの想念はすぐ潰えてしまうから、ネガティヴなことを指摘する相手には(たとえ知的能力が高い相手でも)アイディアを話さない方がいい。逆に自分から相手に水を差すこともせず、ピグマリオン効果を狙うのが吉。みえすいたお世辞でも価値がある。


相手は話題に出しても価値を理解できる場合は稀。批判的意見を出すのが相手の為と想う人間も多いし、そういった相手に意気を折られるなら関わらない方がいいし、逆に相手が求めてない情報を押し付けることは相手の為でなく自分の為という意識も持つといいと思います。

9. しゃべることでアイディアが発展する場合

知的会話がアイディアを発達させることがある。なるべく縁の薄いことをしている人が集まって談笑するとセレンディピティの触媒作用が起きる。声に出すとアイディアが発展する。近親交配だと弱体化するから、異なる分野の混血が新領域を切り拓く。逆にとっておきの思考はしゃべることで内圧を下げない方がいい。

旅先での旅人の間での会話がケミストリーを起こすのは此れ故か。異分野のフュージョンというとベビメタなんかもそうですよね。また喋ることでベントされてしまうのも実体験あります。

10. 本やメディアを通じた「第二次的現実」でなく生の「第一次的現実」の知恵を大切に

学生は本をベースにした知恵しかないが、社会で働く上ではメディアでなく実体験の第一次的現実から知恵を抽出させる術が大切となる。飛行機型人間は汗の匂いのする思考が大事。ことわざは第一次的現実の知恵ともいえる。

今夜、岩合さんのプロフェッショナル仕事の流儀をみて。最近、スローな番組や雑味のある気の抜けた写真に私は魅力を感じます。岩合さんの写真は鮮やかだけれど、自然みがあって。うま味を煮詰めた情報にだけ触れていると現実の淡々とした味を生き抜けない気がするのです。TVドキュメンタリーも味濃いのだろうけど。

時間をかけ、ともすれば平板な生の状態から凝縮しないと自らの手で「旨み」を創れない。一方で「旨み」を味わう側では誰かが既に煮詰めているものを食べた方が刺激的。メディアと第一次的現実双方を上手く連携することが必要で。読書やメディアで学ぶだけでなく、現実の実体験から抽象化により身体を持った知見を得る重要さはものの見事にハラオチしました。変な話だけど筋トレとかいいのかも。

それにしてもここら辺の話はマクルーハン『メディア論』にも通じる未来視だなぁ。

11. 3種類の知的活動

I. 既知のことを再認する(A)
II. 未知のことを理解する(B)
III. 全く新しい世界に挑戦する(C)

読書に於いてBの域に行くには解釈が必要で、Cの域へ行くには何度も体当たりする必要がある。A読みからBC読みへ行くには文芸作品を解釈しながら読むことが有意義。漢文の素読なんかもCにいい。


確かに既知を再認するだけのAの読書と違い、学術書なんか読むと脳がフル回転してぐったり疲れる感があります。逆に自己啓発本やビジネス本なんかは「そうそう、自分もそう」と想うのが好い、なんて話も聴いたことがあります。

12. コンピューター

最高のグライダーであるコンピューターの前では従来のヒトの仕事は奪われてしまう。
人間らしく生きていくことは人間にしかできないという点ですぐれて創造的、独創的。コンピューターが現れてこれからの人間の変化、"機械的"・"人間的"概念の再規定が求められる。


シンギュラリティが現実化している昨今、この先見はまさに今取り組むべきイシューだと頷きました。

前に「マンガはあまりにも演技がはっきりしすぎていてそれに浸かると現実のヒトの表情に鈍感になる」や「ロックンローラーの詩に触れていていると普段合う人の言葉が淡すぎるように感じる」等と書きましたが、"人為"でなく"自然"に目を向けることで寧ろ抽象的な旨みを生み出せる飛行機人間になると本書を読んで再認しました。

思考のフレームワークとして、時の淘汰を加速させるために忘却を促すというものは目から鱗で。こうして書いたからきっと次の本へすぐに進めると想いましたw

と、いうことで梅棹忠夫『知的生産の技術』を読みましたw!

梅棹先生のこの本は外山先生も参考になさったと想う位に似通う所がありました。

その上で『思考の整理学』のオリジナルな点も分かって。特に『「忘却」が「整理」である』という点を掘り下げたところが大きかったのだなぁと。

『身体的な思考』を取り上げたのも慧眼だったと思います。朝飯前が脳が働くことに加え、最後の辺りで出てくる「第二次的現実」が氾濫する現在に、寧ろ身体的・ことわざ的な知が思考に実体を与えるという話はインターネットとヴァーチャルリアリティーが日常化した今こそ読まれるべき指摘だなと想いました。

ちなみに余談ですが、漫画界の未来視・士郎正宗の『攻殻機動隊』を日本で実写化するとしたら『科捜研の女』のキャストでやって欲しいです。ってかハリウッドのビッグバジェットに勝つにはこれしかない。沢口靖子って素子っぽいし。

cf.
[書評] そろそろ、人工知能の真実を話そう(ジャン=ガブリエル・ガナシア)(極東ブログ)

by wavesll | 2017-05-30 00:02 | 書評 | Trackback | Comments(0)

M. マクルーハン『メディア論』 内容でなく表現形態こそがメディアをメディア足らしめている

Yukihiro Takahashi & METAFIVE / split spirit (Vimeo)
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マーシャル・マクルーハン『メディア論 人間の拡張の諸相』を読みました。

彼は"メディア"を通り一遍な見方ではなく、"人間の拡張としての環境媒体"と捉えます。彼のメディア観はこのWeb時代に於いて益々先見の明を感じるというか、
「われわれはその中枢神経組織自体を地球規模で拡張してしまっていて、わが地球にかんするかぎり、空間も時間もなくなってしまった」
という端書きをはじめとして、士郎正宗『攻殻機動隊』1巻を読んだ時のような未来視のヴィジョンを感じました。

とは言え、文中で出てくる言葉の定義が不明瞭な所も。のっけから「外爆発」、「内爆発」って何?となったし、マクルーハンの提唱した「HOTなメディア」「COOLなメディア」というのも、「TVがCOOLで映画がHOTなのの違いは高精細かどうかだけ?」とか今の視点で見るとちょっとはてなとなったり。しかしこの粗いながらもフロンティアを滑走する感覚はまさにクールな面白味がありました。

中でも面白かったのは"メディアはメッセージである"というアイデア。
これはメディアをメディア足らしめている力の源泉は、その"内容"でなく"表現形態"であるという話。

テレビの内容は映画であり、映画の内容は小説であり、小説の内容は書き言葉であり、書き言葉の内容は話し言葉である、メディアをメディア足らしめているのは内容ではないと。

その中で、例えば本は一人によって書かれた個人対個人の告白という形態ですが、新聞は記事群のモザイク状の集合体で"公の集団意識への参加"を発生させる形態である。そして新聞を新聞足らしめている源はその"コンテンツ"ではなく、"モザイク状の表現形式"と"配送やキオスクでの販売によって毎日みんなが読んでいるという環境 / システム"にある。と。

私がこの考えに非常に得心が言ったのは、"WebのCGMサーヴィス"なんかは正にそうだと想ったからです。TwitterをTwitter足らしめている、InstagramをInstagram足らしめている、FacebookをFacebook足らしめているのは"そこに書かれている内容"ではなく、"そのプラットフォームがどんな形態を持っているか"であり"どれだけの人が参加しているか"だと。これを1964年に上梓したマクルーハンの先見の明に舌を巻いてしまいました。

メディアを"人間の拡張"と唱え、ヒトは"拡張した己自身に自惚れる"と唱えたマクルーハン。彼のメディア論が面白いのは"どんな五感が使われているかによっての分類"にもあると思います。

彼は"そもそも西洋文明が発達したのは表音文字であるアルファベットがあったからだ"と説きます。そこに於いて音(聴覚)と文字(視覚)と"言葉の意味"が峻別され、そのディバイドから文明が形づくられていったと。

先ほどの"メディアは形態である"に通じる話ですが、私も昔「マンガは視覚と意味のメディア、音楽は聴覚と時間のメディア、アニメは視覚・聴覚・時間・意味のメディア」とか文学部の文化論の講義に潜ったとき思ったものでした。確かに西洋文明は"何かを分割すること、その分業"によって形づくられてきた印象があります。

マクルーハンは文字文化は分化を推し進めてきた一方、オートメーション・電気は統合を推進すると述べています。光の速さで地球が狭くなり、Global Villageが生まれる、と。そこでは五感が統合された、参加が促されるCoolなメディア環境があるだろうと。

まさに今インターネットによって"国際的な世間"が生まれつつあります。そしてそれに伴う軋轢も生じ、Brexitやトランプ大統領誕生、欧州での極右政党の躍進が起きている。そんなグローバル化へのバックラッシュの中で"マクルーハンならばどんな未来を視るだろう"とも想うし、単純にスマホやVRゴーグルについての彼の見解を聴いてみたいです。

マクルーハンは我々の技術が環境になることによって心身自体も影響を多大に受ける、そして芸術家のみがその中で平衡感覚を失わず「パンチを逸らす」術を提示する、と説きました。そんなVisionが今世界のどこかで生まれているのかもしれません。我々がゆく未来は、今萌芽している。その蠢きに五感を澄ませたい、そう想いました。

目次

ペーパーパック版への序文

第一部
はしがき
1 メディアはメッセージである
2 熱いメディアと冷たいメディア
3 加熱されたメディアの逆転
4 メカ好き  感覚麻痺を起こしたナルキッソス
5 雑種のエネルギー  危険な関係
6 転換子としてのメディア
7 挑戦と崩壊  創造性の報復

第二部
8 話されることば  悪の華?
9 書かれたことば  耳には目を
10 報道と紙のルート
11 数   群衆のプロフィール
12 衣服  皮膚の拡張
13 住宅  新しい外観と新しい展望
14 貨幣  貧乏人のクレジット・カード
15 時計  時のかおり
16 印刷  それをどう捉えるか
17 漫画 『マッド』――テレビへの気違いじみた控えの間
18 印刷されたことば  ナショナリズムの設計主
19 車輪、自転車、飛行機
20 写真   壁のない売春宿
21 新聞   ニュース漏洩による政治
22 自動車  機械の花嫁
23 広告   お隣りに負けずに大騒ぎ
24 ゲーム  人間の拡張
25 電信   社会のホルモン
26 タイプライター 鉄のきまぐれの時代へ
27 電話   咆哮する金管か、チリンとなる象徴か
28 蓄音機  国民の肺を縮ませた玩具
29 映画   リールの世界
30 ラジオ  部族の太鼓
31 テレビ  臆病な巨人
32 兵器   図像の戦い
33 オートメーション 生き方の学習

訳者あとがき
メディア研究者のための参考文献

cf.
マクルーハンと「メディア論」をソーシャル時代に改めて考えてみる (新聞紙学的)

by wavesll | 2017-05-19 19:47 | 書評 | Trackback | Comments(0)

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第4週 「死」を見つめて生きる

c0002171_13211266.jpg三木清『人生論ノート』@100分de名著 第1週 真の幸福とは何か
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第2週 自分を苦しめるもの
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第3週 ”孤独”や"虚無"と向き合う

ETV、100分de名著で取り上げられた三木清『人生論ノート』視聴記も、今回がラスト。

執筆直前に妻を亡くした三木、戦争直前、死が近い時代に三木は希望についても説きました。最終回は死と希望について三木が伝えたかったことを読み解きます。

死について

近頃私は死というものをそんなに恐ろしく思わなくなった。年齢のせいであろう。以前はあんなに死の恐怖について考えまた書いた私ではあるが。

この数年の間に私は一度ならず近親の死に会った。そして私はどんなに苦しんでいる病人にも死の瞬間には平和が来ることを目撃した。


昭和14年、三木はこの時41才。2年前に妻を亡くし親類や友人を立て続けに見送った頃。この一節には死から目を背けず死の恐怖に惑わされずに生きたいという三木の想いが込められていた。

死について考えることが無意味であるなどと私はいおうとしているのではない。死は観念である。

誰もが生きている間には自分の死を経験することができない。死を経験したときには死んでいるから人はいない。だから我々が死について考える時は"観念"として考える他はない。

ただ実際には難しく、死は人生に入り込み、生の直下に死はある。

死の恐怖が薄らいだのはなぜか?→確率の問題。生きていて死んだ人に会える確率はゼロだが、死ねば会えるかもしれないと考えたから。"そうあって欲しい"という要請からこの考え方に三木は到達。

同時に後に残す者たちに三木はこう言っている。

執着するものがあるから死にきれないということは、執着するものがあるから死ねるということである。

「執着するものがあるから死ねる」というのは"人間はそんなに立派に死ななくてもいい、執着するものがあって死んでもいい"。潔く死ぬのが美しいという時代に、悔いを残して死んでもいいという勇気のメッセージ。

私に真に愛するものがあるならそのことが私の永生を約束する。
想いを残した人がいるということは死後自分が還っていくべき所を持っている。

折に触れて思い出してもらえればその時自分は永生を約束されている→この根拠は自分自身が妻を忘れていないという愛からではないか。

妻の死の一年後、その一周忌に追悼文集を編集し、「幼きものの為に」という自身の文章も載せた。

やさしい言葉をかけたこともほとんどなかったが今彼女に先立たれてみると私はやはり彼女を愛していたのだということをしみじみと感じるのである。

彼女の存命中に彼女に対して誇り得るような仕事のできなかったことは遺憾である。

私が何か立派な著述をすることを願って多くのものをそのために犠牲にして顧みなかった彼女のために私は今後、私に残された生涯において能う限りの仕事をしたいものだ。

そしてそれを土産にして、待たせたね、と云って彼女の後を追うことにしたいと思う。


『人生論ノート』が刊行された翌年、三木は徴用されフィリピンで従軍する。そこでの戦争体験は彼の哲学を大いに変貌させるはずだった。しかし帰国した三木に言論発表の場はなく、娘と疎開する。

そして昭和20年3月、逃亡犯だった友人を匿ったという嫌疑で逮捕される。敗戦後も釈放されることなく、9月、獄死する。

もし私が彼等と再会することができるーこれは私の最大の希望であるーとすればそれは私の死に於いてのほか不可能であろう。

共産党員だった友人を匿えば身の危険が伴うのは分かり切っていたが、人間として三木は友達が助けをもとたときに救わないはずはなかった。

敗戦後も釈放されず毛布に付いた疥癬にやられ独房で一人死んだ三木。「三木は死ななくてもよい命を落とした」。

三木は戦争に往った数少ない哲学者。その経験を生かした書作を残せたはずだった。

三木は人間の生命と歴史における過去を重ね合わせ、その意味についてこう述べている。

過去は何よりもまず死せるものとして絶対的なものである。この絶対的なものはただ絶対的な死であるか、それとも絶対的な生命であるか。

死せるものは今生きているもののように生長することもなければ老衰することもない。そこで屍者の生命が信ぜられるならば、それは絶対的な生命でなければならぬ。

この絶対的な生命は真理にほかならない。


死=過去(歴史)と同等に考える歴史観を三木は持っていた。"死"が絶対的であるがゆえに"過去"もまた絶対的である。

過去を自分の都合のいいように利用し解釈する危険性を指摘している。"歴史修正主義"を三木は厳しく指摘している。

歴史を改ざんしようとすることは歴史を尊重していないこと。人間の"死"を尊重することは"歴史"を尊重することでもある。

雑誌「文学界」における最後の連載は「希望について」だった。

希望について

人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。

偶然の物が必然の必然の物が偶然の意味をもっている故に人生は運命なのである。希望は運命の如きものである。人生は運命であるように人生は希望である。

運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである。


戦時下にあっても三木は最後まで絶望することなく人生論を書いた。

三木は個人、個性が失われつつあった時代に自分とは何か人間とは何かを問い続けた哲学者。そして最後まで人間の可能性を信じていた人だった。

もし一切が保証されていたら希望すらありえない。希望こそが生命の形成力である。

絶望することは簡単で、絶望しない人生を選んだのが三木の生き方。

「私は未来への良き希望を失うことができなかった」

国家全体が戦争へ向かって言論弾圧しても考えることを止めない、"言ってもしょうがない"にならない。精神のオートマティズムに巻き込まれると抜け出すのは至難の業。

三木がこれを書いた時代と現代は通じる感覚がある。しかしそういう時代に生きているからといって絶望する必要もないし生きている意味はないわけではない。

三木清は終生理想主義者だった。理想だけが現実を変える力があると三木は書作を通じて語りかけている。
by wavesll | 2017-04-27 15:30 | 書評 | Trackback | Comments(0)

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第3週 ”孤独”や"虚無"と向き合う

c0002171_11145499.jpg三木清『人生論ノート』@100分de名著 第1週 真の幸福とは何か
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第2週 自分を苦しめるもの

に続き、100分de名著 三木清『人生論ノート』視聴記。解説は岸見一郎氏です。

哲学者三木清は『人生論ノート』の中で私たち人間は虚無の中に生きるのだと説いた。
海のような広大な世界で、人間は自らを形成して生きてゆくのだ。第三回は虚無や孤独と向き合うことで"人間とは何か"を考える。

虚無について
"虚無"は"ニヒリズム"ではなく、"人間の条件"。
虚無だからこそ我々は生きていく価値があると三木は考えた。

どんな方法でも良い、自己を集中しようとすればするほど私は自己が何かの上に浮いているように感じる。いったい何の上にであろうか。虚無の上にというのほかない。

自己は虚無の中の一つの点である。この点は限りなく縮小されることができる。
しかしそれはどんなに小さくなっても自己がその中に浮き上がっている虚無と一つのものではない。

生命は虚無でなく虚無はむしろ人間の条件である。

けれどもこの条件は恰も一つの波、一つの泡沫でさえもが海というものを離れて考えられないようにそれなしには人間が考えられぬものである。


虚無を大海に例えるなら私たち人間は一つの泡のようなものでしかない。しかし如何に小さな存在であっても海がなければ泡も存在しない。

つまり海は泡が存在するための条件であり、虚無は人間が存在するための条件なのだ。

さらにとてつもなく広大な世界で生きるために、人間には形成力が必要である。

生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である。

そもそも何もないことを押さえて、"無いからつくっていく”。これは前回の虚栄の話に通じる。

泡のような人間という存在、海があまりに広大過ぎて生きていくことに絶望するような徒労感・無意味感に襲われる。

しかし我々は"存在する"という事実から逃れられない。だったら何とかして虚無を掻き集めて自分自身で生きていく"意味"を作っていかないといけない。だから虚無からの形成力という話になる。

人生は形成である
"虚無"を”世界”や”宇宙”に置き換えてもいい。たとえ無意味に見える人生であっても誰かによって決められるわけじゃない。自分で形成して行くしかない。

しかし社会が変容したことによって現代人の自己形成は難しくなったと三木は述べる。

昔は生まれてから死ぬまでに出逢う人間は百人ほどで、限定された社会。しかし今は無限定な社会にヒトは住んでいる。顔も名前もわからない人たちとの関係。

ヒトは"私とあなたの間"に人間を作る。しかし現代は個性を形づくる関係が無数にある。

結果人間は無限定なアノニム(匿名)な存在になる。多くの人と繋がっているのに人は孤立していってしまう。

虚無との向き合い方を三木はこう説く。

今日の人間の最大の問題はかように形のない物から如何にして形を作るかということである。

三木は虚無から何かを形づくる力を構想力と名付けた。そして構想力の為には混合の弁証法が必要だと説いた。

弁証法とは本来、矛盾や対立を統一するやりかた。しかし三木は矛盾や対立を抱え込んだまま混合させるやり方を提示する。

その為には秩序が必要となる。様々な要素の配列や組み合わせを適切に位置付ける。それにより人間は虚無から脱出できる、と。

混合の弁証法:異質な考えを排除せず、すべて受け入れていこうという考え方。

秩序について
どのような外的秩序も心の秩序に合致しない限り真の秩序ではない。
(略)
秩序は生命あらしめる原理である。そこにはつねに温かさがなければならぬ。


秩序とは上から押し付けたり機械的に切り捨てるものではない。秩序には温かさが必要。

さらに三木は国歌の秩序もどうあるべきかも考察した。

第二次世界大戦が始まった頃、三木は近衛文麿を中心とした研究会のブレーンとなり政治の世界に足を踏み入れる。日中戦争をなんとか終結させられないか、時代を生きる哲学者として三木は積極的に国策研究に関わった。

しかし戦争は泥沼化。昭和15年「昭和研究会」は解散。敢えて体制に加担しファシズムや軍国主義に抗してきた三木にとっては大きな挫折だった。

その翌年に三木は『秩序について』を書き上げる。

外的秩序は強力によっても作ることができる。しかし心の秩序はそうではない。人格とは秩序である。自由というものも秩序である。

外的秩序という言葉で三木は国家の秩序を考察する。為政者は自分に都合の良い秩序を強制しようとするが、心の秩序に合わないものは真の秩序とは言えない。

三木は形成の思想から日中戦争を傍観することをせず政治に関わった。

三木は上からの押し付けでは真の秩序はできないと説いた。が、軍部の独走を止める事は出来なかった。

三木は色んな価値を認めるという意味の"価値多元主義"の危うさに気づく。現代の例でいうと「ヘイトスピーチも言論の自由である」と言われれば誰も止められない。

土台になるべき価値を認めなければならない。その「価値体系」の大切さ。

混合の弁証法の話も含め、"価値体系"と"価値多元"は別なのか?→すべての価値を受け容れるのは危険。

人間存在の尊厳を大切にすることを土台としていられれば、多様な価値を内包できる。しかしそれがないと人間は無秩序なアナーキー(虚無主義)に陥る。

何も価値観がないところに新しく強力な価値観を植え付けることは簡単。子供たちに特定の価値観を植え付けることは容易。批判能力がないから。

秩序の根源には「人間の尊厳」を認めるという価値体系が必要

虚無を認識しながら自分で価値観を形成していかないといけないと対で理解していないと容易く扇動されてしまう。「ニヒリズムは独裁主義の温床である」。

一方昭和15年に三木は『孤独について』を発表する。

孤独について

孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。

三木は"孤独には美的な誘惑があり、味わいがある"と書き、決して"孤独を乗り越えよ"とは言わなかった。寧ろ"たった一人であることを自覚し、孤独に耐えることは生きる上で大切なことだ"とした。

感情は主観的で知性は客観的であるという普通の見解には誤謬がある。むしろその逆が一層真理に近い。

感情は多くの場合客観的なもの社会化されたものであり、知性こそ主観的なもの人格的なものである。

真に主観的な感情は知性的である。孤独は感情でなく知性に属するのでなければならぬ。


三木は孤独を大切なものと説く。大勢との間に「孤独」という隙間を持てる人は迎合しないことでもある。

「孤独は感情でなく知性に属するのでなければならぬ」戦争へ向けてみんなで熱狂していた時代に孤独を説いた三木。孤独のうちにいられることが"強さ"。

知性に属する孤独。知性は煽ることが出来ない、でも感情は煽ることが出来る。

孤独だけが個人の人格、内面の独立を守ることが出来る。不屈の闘志が、この本にはある。

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第4週 「死」を見つめて生きる
by wavesll | 2017-04-27 15:17 | 書評 | Trackback | Comments(0)

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第2週 自分を苦しめるもの

c0002171_10473978.jpg三木清『人生論ノート』@100分de名著 第1週 真の幸福とは何か

100分de名著、三木清が太平洋戦争前夜に書いた『人生論ノート』を岸見一郎さんのナビゲートでおくる第二週。今回は虚栄心、怒りと憎しみ、嫉妬についてです。

虚栄心とは

虚栄は人間の存在そのものである。人間は虚栄によって生きている。虚栄はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである。

人間は生きる上で不安や怖れを抱えている。そこから少しでも目を背けるために自分以上の自分を造り出そうとしている。

全ての人間的といわれるパッションはヴァニティ(虚栄)から生れる。

いかにして虚栄をなくすることが出来るのか。創造的な生活のみが虚栄を知らない。創造というのはフィクションを作ることである。フィクションの実在性を証明する事である。


三木は「虚栄と付き合うには」と三つの方法を提示している。

1. 虚栄を徹底する
仮面をかぶり続けて虚像を演じきる。一生仮面をかぶり続ければそれが本性になる。

伊集院も"芸名である伊集院光としてこうありたい、こう思って欲しいとすることがある、それは嘘を吐くというわけでもない”と述べた。私もハンドルネームでの発言で逆に引っ張られたりします。

パーソン(人間)の語源はペルソナ(仮面)

2. 虚栄心を小出しにする
ささやかな贅沢をする。日常生活で虚栄心を少しづつ満足させる工夫をする。

小出しだと虚栄もボロが出ない。その程度の虚栄ならば徹底できる。

そこそこの虚栄は必要だ

3. 創造によって虚栄を駆逐する
「創造的な生活のみが虚栄を知らない。創造というのはフィクションを作ることである」

「人生とはフィクションを作ることだ」
人というのは孤独ではいられない。他の人の評価を絶えず気にする。でもそういう気持ちから作られる人生は虚栄。自分の意志で人生を創造していけば虚栄を駆逐できる。

虚栄と言っても全てが駄目ではなく、今ある自分よりもより上を目指す、そのために努力をする、向上心とも言える。

嫉妬について

どのような情念でも天真爛漫に現れる場合、つねに或る美しさをもっている。しかるに嫉妬には天真爛漫ということがない。
(略)
愛は純粋であり得るに反して嫉妬はつねに陰険である。嫉妬こそ(略)悪魔に最もふさわしい属性である。


愛と嫉妬は似ている。術策的で持続的な点において。そのため長続きして人間を苦しめる。愛があるからこそ嫉妬が生まれる。嫉妬がさらに想像力を働かして心を忙しくさせてしまう。

「想像力は魔術的なものである。ひとは自分の想像力で作り出したものに対して嫉妬する」

愛と嫉妬は厳密には区別できない。

嫉妬の対象
1. 自分より高い地位にある人

2. 自分よりも幸福な状態にある人

3. 特殊なものや個性的なものではなく、量的なもの、一般的なもの


つまり嫉妬は平均化を求める傾向がある。

相手を低めようとする。自分を高める建設的な努力をしないで相手を貶めようとするのが平均化。

今もSNS等をみるに日本の社会全体が平均化を求める傾向がある。誰かが幸せになることを許さない、みんな平均化を求めている。

それに対抗するには”個性を認める”こと。自信がないから嫉妬する、他の人のようになりたいと想う。"この自分を認めるということ"から始めるしかない。自分を認めることで他者を認める事が出来る。

自分を変えようとする努力を止めたときに変われている

怒りについて・憎しみについて

世界が人間的に、余りに人間的になったとき必要なのは怒であり、神の怒を知ることである。今日、愛については誰も語っている。誰が怒について真剣に語ろうとするのであるか。切に義人を思う。義人とは何かー怒ることを知れる者である。

今日、怒の倫理的意味ほど多く忘れられているものはない。怒はただ避くべきものであるかのように考えられている。しかしながらもし何者かがあらゆる場合に避くべきであるとすればそれは憎しみであって怒ではない。怒はより深いものである。


腹が立った時に内に篭って憎しみつづけるよりもカラっと怒った方がマシだ

社会の利害関係や不正に対して公憤を覚えるのは必要だ。←戦前の空気に対しての想い

怒り:突発的、純粋性・単純性・精神性、目の前にいる人に対して

憎しみ:習慣的で永続的、自然性(反知性的)、目の前にいない人(アノニム)に対して

怒りには目の前の人への怒りの理由がある感情。しかし憎しみには理由がない。元々の理由は分からず、憎しみを持続するために憎むようになる。憎しみは匿名の相手に向けるもの。ヘイトスピーチなど個人でないものへの反知性的なもの。憎しみから抜けるには知性的であれ。

偽善について

偽善者が恐ろしいのは彼が偽善的であるためであるというよりも彼が意識的な人間であるためである。

偽善者が意識しているのは絶えず他人であり社会。彼らは他者の評価や社会的な評判だけを意識して求められた役割だけを果たそうとする。つまり善悪の価値基準を他人に任せて自分で判断しない=精神のオートマティズム

道徳の社会性というが如きことが力説されるようになって以来いかに多くの偽善者が生じたであろうか。

これが発表されたのは昭和16年8月。数か月後の開戦を前に翼賛体制の重苦しい空気が言論界にも立ち込めていた。

今日どれだけの著作家が表現の恐ろしさをほんとに理解しているか。

偽善者は往々にして権力に阿り、他人をも破滅させる。三木のメッセージは言論人への警鐘だったのかもしれない。

"道徳の社会性"とは個人よりも社会が優先される考え方。個人の幸福を唱えてはいけないという時代背景の中でこの言葉が使われている。

もう一つは倫理が上から押し付けられる時勢を念頭に置いている。一人一人が納得し時に疑問、否定をしないといけないのに道徳の押し付けがされる時代は非常に危険。

異を唱えない人たち=”偽善者”
言わなきゃならないことを言わないことを反省し、自己保身でなく言わなければならないことを言う表現者としての責任を決して忘れてはいけない。

言論者・表現者の責任は”〇〇を言った責任”が意識されがちだが、"言わなかったことも「責任」"

三木が戦争前夜の空気の中でこの本を発表した事。表現の仕方を考え詰めて発表したことは貴い。三木は思想を理由に殺された。

思想や信条を理由に殺されることがつい数十年前に日本で起きたことを我々は忘れてはならない。これから同じことが繰り返されぬために言うべきことを言う勇気を持たなければならない。

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第3週 ”孤独”や"虚無"と向き合う
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第4週 「死」を見つめて生きる
by wavesll | 2017-04-27 15:02 | 書評 | Trackback | Comments(0)

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第1週 真の幸福とは何か

c0002171_10454236.jpg三木清『人生論ノート』(青空文庫)

好きでよく見ているETV「100分de名著」でアドラー研究者で著名な岸見一郎さんの解説により三木清の『人生論ノート』が取り上げられ、大変滋味深く番組を観ました。

三木清氏自体への説明は
哲学者・三木清が『人生論ノート』に至るまで(NHKテキストView)
三木清 人生論ノート(松岡正剛の千夜千冊)
あたりをご覧になっていただいて、ここでは『人生論ノート』は戦争の不穏な暗い時代に三木が「怒」「孤独」「嫉妬」「成功」など私たち誰もがつきあたる問題に、哲学的な視点から光を当てて書かれた一般向けの哲学的エッセイとして書いていたとだけ触れておきましょう。

このエントリでは番組で取り上げられた三木の思想と伊集院などの解釈等を記したいと想います。

幸福について

今日の人間は幸福についてほとんど考えない。(中略)幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。

国家総動員法の下、個人が幸福を追求することが許されない時代。

幸福の要求が今日の良心として復権されねばならぬ。と三木は説きます。

三木がこれを書いたのは個人より社会を優先しようとするファシズムの下、幸福への要求が抹殺されていた時代。
しかし現代も「自分幸せでーす」みたいなのって言いづらい。同調圧力により個人の幸福が蔑ろにされているという状況は今日にもある。

三木清は逮捕され投獄され、大学を追われ在野の哲学者として『人生論ノート』を書いた。

幸福は徳に反するものでなくむしろ幸福そのものが徳である。
我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか。


あの時代、自己犠牲や滅私奉公が徳とされていたので、幸福=徳は危険な思想。しかし自分が幸福であることは"利己主義"ではない。例えば介護について。自分を犠牲にして介護するから徳ではなくそれを全うするから幸福ではなく、自分が幸せでなければ人を幸せにすることすらできない。

成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった

三木は成功は"過程"であり、幸福は"存在"であるといっている。「こういう目標を達成出来たら幸せになれる」というのは成功を求めている。しかし何かを達成出来たら幸せになれるのではなく人はもうこの瞬間に幸せであるという考え方。これが「幸福は存在である」というもの。

必ずしも成功と幸福は繋がっているのではなく、幸福とは各人にとって"オリジナルなもの"。
「絵にかいたような幸せ」と「本当の幸せ」は別。

成功は"量的"なものと三木は言う。そして幸福は”質的”なもの
誰もが真似できないオリジナルな幸福を持っている。それを追究すべきで、誰もが求めそうな幸福を追い求めてはいけない。

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。

しかし真の幸福は彼はこれを捨て去らないし捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。

この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。


刹那的な幸福、いつわりの幸福をコートを脱ぐようにためらうことなくいつでも脱ぎすてられる人が本当の幸福なんだと三木は考えている。でもいつわりの幸福は脱ぎすてられるけれども、絶対譲れないものがある。それは”人格・命"である。それが真の幸福。

心筋梗塞で仕事を失い、ベッドの上で逡巡したとき、自分が生きてることが幸福なんだと想えた時に、どんな困難でも耐え抜き生き抜けると岸見さんは想ったという。

"幸福感"と"幸福"は違う。高揚した感じ、情緒的な感じ、感覚的な感じではない。真の幸福は熱狂を醒ますもの。幸福とは"知性"で考えるもの。感性で捉えるものではない。

自分自身の幸福とは何かを考え抜かなければならないし、それを放棄してはいけない。
三木は戦争の末期に投獄され、敗戦しても解放されず、獄死する。しかし彼の言葉は今も活きています。

三木清『人生論ノート』@100分de名著 第2週 自分を苦しめるもの
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第3週 ”孤独”や"虚無"と向き合う
三木清『人生論ノート』@100分de名著 第4週 「死」を見つめて生きる
by wavesll | 2017-04-26 21:10 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)

ジェローム・スピケ『ナディア・ブーランジェ』 クラシックからポップ領域まで20世紀音楽教育の女傑の生涯

c0002171_3535192.jpgナディア・ブーランジェの名を知ったのはエグベルト・ジスモンチを通して。

フランスでナディアに師事したエグベルトはナディアから"ブラジルの音楽を活かしなさい"と伝えられ、ブラジルに戻った後先住民と共に暮らしたりしてインスピレーションの背骨をつくったという逸話。

同時期にピアソラにも嵌ったのですが、ピアソラにタンゴの道を薦めたのも彼女だと知り、そこから色々検索してみると音楽教育を通して20世紀の音楽に巨大な結果を残したことを知りました。

そんな時に本書『ナディア・ブーランジェ』を知り、彼女の足跡や人となりを読みたいと手に取ったのです。

彼女に厳しく音楽を叩き込み大きな影響をもたらしたロシア人の母ライサと、彼女がコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)にて師事したフランス人音楽家のエルネストの間に生まれたナディア。夭折した妹のリリも稀有な音楽家でした。

ナディアの人生には輝かしい芸術人・文化人の交友関係がありました。
父エルネストの交友関係にはサン=サーンスやジュール・ベルヌなどがいたし、ナディア自身もフォーレに学び、モーリス・ラヴェルとも同じクラスで、後年は公私ともどもストラヴィンスキーと交友を持ったナディア。20世紀のパリにどれだけの才能が集まっていたかが鮮やかに描かれていました。

そして交友関係からもナディアの人となりが伝わるというか、彼女はセレブリティと睦まじくするのが好きで。野心を持っている人間が好きな印象。彼女自身も野心的に自分の才能で栄光へ向かって邁進しましたし、教え子には圧倒的な才能か圧倒的な金銭を求めました(圧倒的な富裕層のおかげで才能あるものに授業料免除を行えたという側面もあったようです)

彼女の教室は数多の音楽人を育てましたが、そのスタンスを表す言葉があります。

「あなたは自分自身でないといけません。いたずらに影響を受け、同調することは危険です。ドビュッシーの人格は強烈でしたから、周辺の人々に影響を及ぼし、多くの人たちの自己形成の妨げになりました。彼らは、自分たちが『ペレアス』の続きを書いているのだと思っていても、実際は並行和声を並べるだけでした。そして、他の人たちは『春の祭典』の反復和声を作ってばかりいました。つまり、二番煎じをしていただけなのです」

教え子たちのアイデンティティを認め、才能と個性を伸ばすことに一心に情熱を傾けたナディア。
アストル・ピアソラに「これこそあなたの分野です。交響曲などやめて、タンゴにあなたの力を注ぎなさい」と述べたのは有名なエピソード。

さらに『ラプソディ・イン・ブルー』などで稀有な才能を発揮していたジョージ・ガーシュインから教えを請われても、寧ろその教えが彼の個性の妨げになると"自分の音楽を書き続けるべきだ"と説得したことからも彼女の哲学が見て取れます。

彼女は20世紀の人物。世界大戦はやはり彼女の人生へ影を落としました。WW2中アメリカへ逃れた彼女が再びパリに帰ってきたとき、親交のあったサン=テグジュペリやポリニャック公爵夫人、ポール・ヴァレリーはこの世から消えようとしていました。

92歳で死ぬまで、音楽教室、指揮、講演など夥しい仕事をとてつもないエネルギッシュさで行ったナディア。Wikipediaには彼女の教え子が列記されています。クインシー・ジョーンズやフィリップ・グラス、レナード・バーンスタイン、ミッシェル・ルグランなど綺羅星のようなミュージシャンの育ての親。現代に続く音楽の龍脈が、そこにありました。
by wavesll | 2017-04-08 05:09 | 書評 | Trackback | Comments(0)

欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第9章~最終章 書き起こし

欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第1章~第3章 第4章~第5章 第6章~第8章

後編「欲望の資本主義2017 ルールが変わる時」(Dailymotion)

第9章 数 リスク 不確実性

ルチル・シャルマ(モルガンスタンレーインベストメントマネジメント投資ストラテジスト 25年にわたり各国を調査 情報を分析『The Rise and Fall of Nations(国家の盛衰)』はアメリカでベストセラー)
「ケインズ主義は金融危機の後喧伝されたよね。でも私が見る限り状況はやや『ねじれて』いるね。ケインズが過去に言ったことが誇張されているように感じるよ。たとえばもう危機から7~8年経って経済は回復しているのに財政赤字を続けていいとはケインズは言わなかったはずだ。」

トマス・セドラチェク(チェコ総合銀行チーフエコノミスト 経済学者 24歳のとき初代大統領の経済アドバイザーに抜擢 チェコでベストセラーとなった著書『善と悪の経済学』は世界15か国語に翻訳)
「ニセのケインズ主義だね。ケインズの半分だけを見てもう半分を忘れている」

シャルマ
「たしかに予算を黒字にするのはいつだって難しいものだが、ケインズを引き合いに出して赤字を正当化している。もう危機から7~8年も経った。たしかに近年では弱い経済回復だが長い歴史の中で考えれば今は決して弱い経済ではない。

君の言うように人々はケインズを都合よく解釈しているよね。どの国も成長するためにケインズの理論を『悪用』している。いくつかの国はケインズを悪用して経済を崖から突き落とそうとしている。ケインズの名前を出せば負債額はOKだと都合よく解釈してね」

セドラチェク
「もし『危機はいつ終わるか?』と聞かれたら『負債を返し切った時だ』と答えるよ。車の事故を起こしたとして死ななければ最初の危機は終わるが壊れた車のローンを払うまではたらしい車を買えないよね。それとGDPの成長率を測ることにどんな意味があるんだ?ほとんどナンセンスだ…」

シャルマ
「中国で起こっていることにみんな気付いていない。中国は6%かそこらの成長率をいまだに続けていると皆思っている。でもその成長率を維持するためにどれだけのお金を注入しているか…本当に君の言う通りだよ。

2007年のアメリカの住宅バブルのピークにはアメリカは1ドルの成長を得るため3ドル負債を増やしていた。今中国は1ドルの成長を得るために4ドルも負債を増やしている」

セドラチェク
「クレイジーだね」

シャルマ
「まったくだ。『中国は6%も成長している!すごいじゃないか』って?『他の国は2%くらいなのに6%はすごい』と。だが中国が莫大な借金をしていると知ったら大問題に突入しようとしているのが分かるよね。だから私の最大の関心ごとはアメリカじゃない、中国だ」

上海の市民1
「資本主義はいいと思います。経済市場が活発になるから」

上海市民2
「月収は10年前から3500元のままで上がっていません。でも不動産価格は4~5倍に跳ね上がりましたよ」

上海市民3
「中国は国の政策が行きづまるといつのまにか方針が変わるので先が読めなくて不安があります」

この星は欲望で繋がっている 市場の網の目に覆われた 私たちの住む資本主義の世界

シャルマ
「ウォールストリート的思考はあまりに短期すぎる。四半期ごとにホットな流行を追いかけ人々は熱狂している。まるで他に大事なことはないみたいにね。今だったら皆が皆トランプに取りつかれている。トランプはどんな政治をするか?それはどんな影響があるか?とね」

恐れるな リスクを取ってお金を増やせ 数字が踊る 人々が踊る “未来というものは絶対に予測できない。神でさえ未来を知らない”

第10章 不確実な世界へ

資本主義社会のリスクを見事にコントロールしたはずのあの男 だが意外なことにこんなことも言っていた

わたしたちの未来についての知識は実に曖昧で不確実なものだ -ケインズ

セドラチェク
「世界は本質的に不確実なのに『来年は2.4%成長するだろう』と皆が信じて投資したりするのは未来は不可知なものだという自然な感覚を失っている。

たとえばサイコロをふる時『1』が出るのはおよそ6回に1回だと知っているよね。起こることの確率を分かっているのがリスクだ。でもサイコロの面の大きさがバラバラでその割合も知らなかったらどうだい?

現実世界ではサイコロの形さえ分からないような状況がよくある。しかも過去にふられたことがなかったりね。初めてで一回限りの出来事だとしたら…これこそがケインズのメッセージだった」

ケインズは警告していた 不確実性はリスクとは根本的に違う、と たとえばルーレットの確率や人の寿命 明日の天気予報はさして不確実とはいえない

不確実なものとはヨーロッパで戦争が起きるかどうか 20年後の銅価格や利子率 ある発明がいつ陳腐化するかなど

こうした事柄を予測するための科学的根拠はない 私たちは単に知りようがないのだ


セドラチェク
「過去に起こったことがない状況をどう考えるか?たとえばトランプ大統領のようにね。これはリスクではなくまさしく不確実性だ。物理学にたとえるならケインズが現れる前は経済は『機械』のように考えられていた。ケインズは”No”と言った。『経済は機械ではない』『不確実性がある』『限られた世界しか見ていない』とね。

現実は機械のようじゃないと。ズレやゆらぎがあって時計の様にはいかないんだ。つまりリスクは計算が可能だ。だが不確実性は計算することはできない。リスクと不確実性を混同したら危険な世界が待っている」

シャルマ
「悪銭(イージーマネー)が問題だ。金融危機の後 収入や資産の格差が増大した。それは悪銭(イージーマネー)と関係があると思う。いま世界に悪銭(イージーマネー)が漂っていてそういうものが不確実性とリスクの区別をわからなくさせてしまう」

カネがカネを生む それはあの時始まったのか 時がカネを生む魔術 利子 欲望の資本主義の果て

シャルマ
「私はあまり信心深くないんだが、いま私が強く惹かれているのは禅の思想だ。どういう意味かというと…投資においても人生においてもいい精神状態でいることがとても大事だ。

私は新著の第一章の題名を『儚さ』とした。永遠のものなど何もない。すべては過ぎ去っていく。私がいつも心に留めているルールだよ」

セドラチェク
「確かにそういうものが経済で求められているのかもね。私たちが作り上げてきた世界では経済でも政治でも既存の理論や支配層が崩壊しつつある。私たちは待ち望んでいるのかもしれない。天動説から地動説へのパラダイムシフトのようなものをね。あるいは物理学を変えたアインシュタインみたいに…

禅的思想はもしかするとこの世界を統合できるかもしれない。資本主義が根ざしている他の宗教ほど攻撃的じゃないからね。そのような未来もありえるかもしれない」

最終章 未来へ

安永竜夫(三井物産代表取締役社長 2015年「32人抜きの社長就任」として話題に 発展途上国のインフラ開発への投資など新事業を開拓)
「資本主義を日本が受け止めてる過程というよりは僕は寧ろ欲望の資本主義の先を行ってる資本主義じゃないかと思うんですね。それは要するに持続性があり人に優しい資本主義って何かっていうことを我々は考えている」

原丈人(デフタパートナーズグループ会長 アライアンス・フォーラム財団代表/内閣府参与 ベンチャー企業育成のための政策提言や新技術をもちいた支援など国内外で活動)
「21世紀、2000年以降はあるべき資本主義、本当に人類社会がこれからも反映していくための資本主義は会社は株主の物だっていう考え方から会社っていうのは株主も重要な要素だけれども会社を成り立たせている社員、仕入れ先、地域社会、顧客、地球も含めた、こういうのを社中というのですね。

この社中全体のおかげで会社が反映しているわけだから、上げた利益は社中に対して還元していく。こういう資本主義の事を『公益資本主義』という風にいいます」

安永
「私は『お前らはジャングルガイドだ』って言ってますけども。新しいマーケットを切り開いてマーケットチャンネルをつくりあげてくってのいうのは商社ならではの仕事の醍醐味でありますし、これから経済成長に向かっていく国っていうところにどういう風に我々が貢献していくのか仕事をつくっていけるのか。これはもう、まだまだ世界中にそういう国はあります。

日本の中に閉じこもっていても日本的な資本主義は決して進化していかないと思うんですよ。」


「お金で何とかしようと、お金を回して経済を復活させようというのは雰囲気は変わることが出来てもこりゃ絶対無理なんですよ。だから日本の場合には科学技術を使ってイノベーションを起こして。人類社会に対して一番必要なものをつくりあげていくと。そしてこれは大変な富を生むと私は考えています。

全世界の人を幸せにしながら、尚且つ日本自身も社中への分配と中長期の投資で中産階級層が豊かになっていく国づくりが私の頭の中では出来るという風に考えています。」

安田洋祐(大阪大学准教授)
「それだけの底力があると」


「十分ありますね。もう日本のまだまだ個人金融資産も1700兆円以上あるんだし」

蓄えた富 使えば新たな富を生むことが出来る でも事はそう簡単ではない ケインズは人々の底に潜む欲望を見抜いていた

セドラチェク
「ケインズ以前はマネーは単に交換のための『道具』とみなされていた。だがケインズはマネーの交換以上の機能に気が付いた。つまりそれ自体が欲望の対象物なんだ。マネー自体が価値を持ち貯めること自体が価値を持つということだ。

人々はお金を貯めたがる。何かが起こった時のため、用心のためにね。そのうちに貯金することが目的かしていく。お金はあらゆるものと交換可能だからこそ人はお金を貯める。それゆえにお金が効率的に回らず経済に大問題が生じることがあるのだ。

アインシュタインはそれまでの物理学をひっくり返し世界の見え方を変えた。経済学ではまさにそのようなことが求められていると思う。新たなケインズがね。」

安田
「ケインズの話と後はケインズ以前の経済学者が言っていたことを非常に数学的に精緻な形でまとめた一般理論というか市場の理論ってのがあるんですよね。それの次のステップというのが来るかどうかも分からないですし、少なくとも今、見つかってはいないという状況だと思うんですよね。

色んな方と対談させていただいて、自分は経済学の専門家なわけですけれども、結構普段自分がやっている研究の話っていうのが実はそういった経済学の外にいる人も含めて新しく経済をある意味見通している人たちと、フィットするような部分があるなって感触がありましたね。

なんかまだ少し『グランドセオリー』じゃないですけれどもね。大きい理論をみつけることができるんじゃないかなって期待が若干芽生えたりもしましたね」

小林喜光(三菱ケミカルホールディングス取締役会長)
「かつてリーマンショックもあったようにまた同じようなことを繰り返す危険がある。長期的にサステナビリティ(持続性)が極めて危険な状況にある。やっぱり最後の頼りはイノベーションとか社会システム全体の変革するとか。今までの延長線上の人類の歴史と全く違う生き方、全く違うことを思い描く経済学がいるんじゃないか」

セドラチェク
「たしかに未来には労働や雇用において大きな問題が起こり多くの人が影響を受けるでしょう。懸念しているのは経済というものが非常に抽象化しつつあること。人間の欲望も物質世界から中小世界へ移っていく。インターネット時代、新しいフロンティアをどう考えるかというのは大きな課題だと思います」

小林
「2045年シンギュラリティ(AIが人の知能を超える時)が来るかもしれない。そうなればもうほとんどAIであり頭脳もロボットであり人間っていったい何なんだっていう、ほとんど人間以上の人間が出来ちゃうっていう。何をもって人間というのか何をもって幸せというのか?」

スコット・スタンフォード(シェルパ・キャピタルCEO 元ゴールドマン・サックス社員 2013年ベンチャー投資企業を設立)
「情熱の源はお金ではない。それはテクノロジーへの愛だ。」

ジョセフ・スティグリッツ(コロンビア大学教授 2001年ノーベル経済学賞受賞 アメリカ大統領経済諮問委員会委員長 世界銀行チーフエコノミストなどの要職を歴任)
「究極の皮肉は資本主義はお金の追求によって支えられているのにそれだけでは前進しないということだ」

セドラチェク
「我々は『神』を生み出した。自己調節機能があり富を分配してくれ市場をコントロールしてくれる『神の見えざる手』。だが言いたい。『神は死んだ』。

私たちが生きているのは今まで信じていたものがもはや信じられなくなった世界だ。だが社会の『舵』は私たちの手の中にある」

神なき時代 ルールは変わり続ける これからも 欲望の資本主義

欲望は満たされることを望まない 欲望は無限だ



『欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき』をみて

cf,
アダム・スミス 著, 山岡 洋一 訳 『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』 読書メモ

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第1・2章 第3・4章 第5章 第6章 第7・最終章
by wavesll | 2017-04-05 21:52 | 書評 | Trackback | Comments(0)

欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第6章~第8章 書き起こし

欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第1章~第3章 第4章~第5章

後編「欲望の資本主義2017 ルールが変わる時」(Dailymotion)

NYウォールストリートの金の牛のオブジェの前で

トマス・セドラチェク(チェコ総合銀行チーフエコノミスト 経済学者 24歳のとき初代大統領の経済アドバイザーに抜擢 チェコでベストセラーとなった著書『善と悪の経済学』は世界15か国語に翻訳)
「これは有名な資本主義のシンボルだ。こんな街中に荒々しい牛なんて奇妙だろう。この牛が本物だとしたら危ないと思わないか?あばれ牛を『飼いならす』ことはとても難しい」

ヒト、情報、お金 あらゆるものが時空を超えて行き交うこの世界 いつか一つになる そんな気がしていた だが
“ケインズの原則を全く無視している” “反グローバル化は確かな流れだ” 逆流がはじまった? “インデペンデンスデイ “フランス共和国万歳” 引き裂かれる世界 深まる混沌 “今まで信じていたものが信じられない時代だ” 今、何が起きているのか

第6章 サイレントフォース

安永竜夫(三井物産代表取締役社長 2015年「32人抜きの社長就任」として話題に 発展途上国のインフラ開発への投資など新事業を開拓)
「まず我々が認識しておかなければいけないのはグローバル化の流れをつくり牽引しその恩恵を最大限受け取ってきたのは一番にアメリカだっていうことですよね。で、ヨーロッパも日本も同様にグローバル化の流れの中で我々は自由貿易を享受しその中で利益を上げ国の富を増してきた。アメリカにとってはそれは一部の富裕層に偏ったと。

グローバル化の流れの中で当然その製造拠点というものが自由に移動するようになり、そこでは産業構造・産業の成長過程の違うステージにあるアメリカの一般的な働き手とメキシコや或いはアジアの働き手がステージが違う地理的に離れているのに時空を超えて闘わなきゃいけなくなった訳ですね。

で結果的にどちらが得かっていうことだけで判断するとメキシコに工場を移転した方がいい、アジアに工場を移転した方がいい、っていうことがどんどん起こった結果として雇用の空洞化が先進国の中で起こってしまった。この空洞化の不平等を感じた人たちがまさにトランプさんに投票したということだという風に認識しています」

トランプ
「貿易協定を見直し雇用と産業をアメリカに取り戻す」

ニューヨーク モスガンスタンレーインベストマネジメントにて

セドラチェク
「ポストトランプの時代だね」

ルチル・シャルマ(モルガンスタンレーインベストメントマネジメント投資ストラテジスト 25年にわたり各国を調査 情報を分析『The Rise and Fall of Nations(国家の盛衰)』はアメリカでベストセラー)
「いま世界で『アンチ・エスタブリッシュメント(現代の支配層)』」の大波が起こっている。

興味深いデータがあるよ。10年前には現職議3人中2人が選挙で当選できていた。だがここ1年半ほどは現職の3人に1人しか当選できなくなった。ブレグジットにせよアメリカ大統領選にせよ『アンチ現職議員』『アンチ現在』の波が世界経済を襲っていると言える」

セドラチェク
「1年ほど前にある記事を書いたんだが…『スターウォーズ』は観たかな?『フォースの覚醒』だね。ある力(フォース)』が目覚めつつあると感じる。それはなにやら暗くて…閉塞感というか帝国主義的で尊大な『フォース』だ。ヨーロッパでもアメリカでも強烈にそれを感じる。

興味深いのはそのフォースは言葉や記事にもならず、主張すらしない。知性的な表現はまったくとらない。矛盾した言い方だがあたかも存在しないかのような…とても静かな力 サイレントフォースだ。

たとえばデモは知性に基づき声を上げ欲するものが明らかな表現だ。だがこのまだ名もなき新しい現象…『アンチエスタブリッシュメント』でもいいが…規制の権威の否定だけでなく『アンチ知性・学問』のようにも感じる」

シャルマ
「ロシアにこういうことわざがある。『歴史を無視すると片目を失う 歴史ばかり見ると両目を失う』とね。歴史に囚われたくはないが歴史における遠近法は大事だ。

二つのことを言いたい。世界経済においてはグローバル化と反グローバル化は繰り返す波のようだ。一度起きた変化は長く続くことに気が付いた。歴史を振り返るならば100年前にグローバル化の大波があってその後に反グローバル化の波が続いた。その反グローバル化はおよそ30年間も続いた。

つまり波はなかなか立ち去らないのだ。現在の反グローバル化がすぐ終わるとは考えにくい。いま起きている反グローバル化の波は強まる一方だと思う。反グローバル化の流れはトランプ現象やブレグジット以前から始まっていたからだ。

反グローバル化には3つの兆しがある。貿易・資本の移動・移民だ。すべてあの金融危機の直後から減少し始めた。以降逆流はずっと続いていて自然に変わるものではないはずだ」

ヨーロッパが一つになる それは儚い夢だったのか 押し寄せる市場の波に壁をつくる動きが広がっている

パリ政治学院にて

学生1
「イギリスのEU離脱、イタリアの動向、トランプ大統領誕生…いま僕らは『国民主権の回帰』を目の当たりにしている。フランスでも他の国でも国民は現状にうんざりしているのだろう。フランス、イギリス、イタリア、アメリカで今のままでは何も変えられないことに国民が気付いた。

失業者は大幅に増加し国によって違いはあるが移民問題が生じている。経済や政治の問題を変えるため国民は権力を取り戻そうとしている」

学生2
「今の経済システムのままでは資源が枯渇するだけではなく社会も枯れていくと思う。資本主義はプロテスタントの禁欲の精神が人々に富の蓄積を許したことで広まった。だが富の蓄積には際限がない。今や元の禁欲の精神は失われた。資本主義の欲望によって破壊されたんだ」

学生3
「富を蓄積するためたくさん働くか 慎ましい生活を送るか。それは人の自由だと思う。だが1億円ものボーナスを出している企業には規制が必要だと思う。それは社会の風潮がおかしくなっている原因のひとつに感じる。

『社会の信頼』を守るには人の欲望に限度をもうけるべきだ」

飽くなき欲望がお金を増殖させる それは大きなリスクを孕んでいた 潮目は既に2008年のリーマンショック・世界金融危機の時に変わっていたのか


第7章 危機後の世界

セドラチェク
「世界経済はどうなっていくのかな?あなたは世界に対してたしかな感覚を持っているよね。あなたの本などを読むとまるで各国に触れる『地球の指』を持っているかのようだ。」

シャルマ
「今起きていることで何より重要なのは成長できている地域は一つもないということだ。あの金融危機が起きる前のようなペースではね。

僕の本では世界を『BC』と『AC』で分けてるよね。危機以前(Before Crisis)と危機以後(After Crisis)だ。危機以前の時代より速いペースで成長できている国はまったくない。西欧だけじゃない。インド、中国、ナイジェリア、南アフリカ、ブラジル…どこでも。世界経済はスローダウンしている。

なぜなのか…理解は十分ではないが私はこれからかなり長い期間続くと見ている

ここで歴史を振り返ってみたい、現在だけを見るのではなくてね。いま人々が不安に思うのは2008年以前の時代とばかり比べるからだ。たしかに1950年~2008年は世界経済の成長率は毎年4%と高いものだった。重要なのは経済発展の全歴史を見渡した時こんなに急速に世界経済が成長した時代は他に例がないということだ」

世界の成長率 今だけを見るか 過去まで遡るか スケールの変化は景色を変える

シャルマ
「生産性が大きく上がった1870年~1914年のグローバル化時代さえ世界の成長率は2~2.5%に過ぎなかった。3%を超える成長をできたことなど過去に例がない。

2008年までと比べてなぜこんなに成長スピードが落ちたかもたしかに重要だ。だが歴史的に見れば世界は今でも急速な成長をしていると言える。1950年~2008年はさておきね」

原丈人(デフタパートナーズグループ会長 アライアンス・フォーラム財団代表/内閣府参与 ベンチャー企業育成のための政策提言や新技術をもちいた支援など国内外で活動)
「私は日本の事はそんなには知らない。っていうかまぁ日本の大学を出てからはアメリカ・イギリス・イスラエルを拠点に動いていますんで。外国にいる日本人という立場で日本を客観的に見て言いますね

70年代、80年代ぐらいまでは日本ってのはですね。米国とかヨーロッパでつくられるサイエンスやテクノロジーを小さく軽く安く薄くという方向が決まっていたんですよ。だからトップはそんなに判断しなくてもミドルだとか下の人たちがボトムアップでしっかりやっていけば会社ってのは発展したんですね」

安田洋祐(大阪大学准教授)
「じゃあマネジメントがある意味いい加減でも企業として発展することが出来た」


「私も79年からスタンフォードにいましたけど『The Art of the Japanese Management』というリチャード・パスカルとかね。日本的経営を非常に称える、アメリカもそうなるべきだって本をビジネスクラブで教えてましたよね。

でもそのお手本の日本も90年代になってきてそして2000年になっていくと、先端を走ると。こうなると方向性を決める役が必要となるじゃない。ここの訓練が十分にできていたのかというとこれはちょっと疑問があります。」

シャルマ
「いくつかの要因が1950年~2008年の世界経済の急激な成長を後押ししたと考えている。それらのファクターは危機後の世界には二度と戻ってこない。もっとも重要なのは人口統計データだ。1950年~2008年 世界人口の急増によって空前の労働力の増大が起こった。

だがいま世界人口の増加率には急ブレーキがかかり労働人口つまり労働力も同様だ。いわば『人口減少の爆弾』だ。以前は急速に人口増加していた国もそのペースは急激に落ちている。インド、中国など多くの国でね。

もう一つ重要なのが負債がピークに達したことだ。経済成長の原動力の一つは実際は国の借金だったわけで…」

セドラチェク
「GDPをGross”Debt(負債)”Productだね」

シャルマ
「世界の負債は1980年~2008年に増大した。それ以前はそんなことなかったが金融機関の規制緩和 低金利 低インフレ…1980年~2008年 それらが原因で負債は急増していきいよいよ巨大な負債のサイクルがピークを迎えたようだ」

セドラチェク
「直面する問題をあつかうための新たな経済モデルが必要だとは思わないか?従来の伝統的なモデルでは現在のデフレーション一つとってもほとんど触れられていない。理論的可能性としてあっただけでね。だから途方に暮れてしまう。教科書で学んだことが通用しないまったく倒錯した世界になってしまった。マイナス金利 巨額の負債…」

理論が追い付かない 現実の混沌

第8章 グローバルか ナショナルか

資本主義の世界を独自のアングルで捉える男の目には 何が映っているのか

安田
「あなたは経済にとどまらず幅広い見識から世界を分析していますね。どうやら経済学はお嫌いのようですが…」

エマニュエル・トッド(歴史人口学者 フランス国立人口統計学研究所 所属 旧ソ連崩壊 金融危機 イギリスEU離脱などの予言を的中)
「いや まあ そうだね。基本的には経済学は嫌いだ。支配的な学問としてふるまう限りはね。経済学のシンプルな原理ですべてを説明できるという考えには大反対だ。人の歴史はもっと複雑だ。家族制度 世界史 教育 宗教 集合心理…だが経済学はごく限られた範囲しか見ていないようだ」

安田
「経済学をお嫌いな理由のもう一つは多くの経済学者がグローバル化や自由貿易を推進する考えだからですか?あなたの本を読むとグローバル化に疑念を持っているように感じます。最近では『グローバルファティーグ(疲労)』という言葉を使っていますね」

トッド
「フランス語を英語に直訳しても意味が通っているでしょう。いま世界が需要不足に陥っているのは自由貿易が各国の経済を押しつぶし人々の収入の低下をもたらしたからだ。需要の不足 成長の低下は繰り返し経済危機を招くだろう。

私は保護主義の再来には問題を感じない。保護主義は各国の人々の給与を上げ経済成長を促すだろう。そうなればいずれ貿易が再び活発になるはずだ。今は貿易は停滞し成長は鈍っているが私には未来はポジティブに思える。

経済学者たちは世界をありのままに見ていないのではないか。世界は国家の集まりだ。安定や変化を導けるのはあくまで国という単位だけだ…」

安田
「しかしもしすべての国が自国の利益を追求したら、つまり各国が関税を上げて自国経済を保護したら世界経済に悪影響が起こりえますよね…」

トッド
「分からないじゃないか。経済学者たちは歴史をあまり知らないだろうが19世紀末のヨーロッパでは保護主義の時代があった。ドイツが始めて他国が追いかけたがその時は悲劇的なことは何も起こらなかった。各国の国内需要は増加し貿易は止まったりはしなかった。それどころか国々は豊かになり貿易は加速していったんだよ。

アメリカのエコノミストの頭の中は『世界の』需要のことばかりだ。自由貿易が需要を押しつぶしているという事を彼らは認めようとしない。それはケインズの原則を全く無視していることになる。

今朝買った『エコノミスト』を読むと世界の貿易収支を見てみると実に多くの国が貿易黒字を求めているのが分かる。例えば中国は黒字。日本も黒字に転じた。ヨーロッパは世界で元も貿易黒字額が高い。韓国も黒字 タイも黒字だ。

各国が貿易黒字ばかりを求めれば世界の需要の取り合いになり需要不足になって当然だ。今ケインズが生きていてこの『エコノミスト』を読んだら”世界はクレイジーになってしまった”と言うだろう」

やはりあの名前が 20世紀の巨人 ケインズ

ジョン・メイナード・ケインズ
「素晴らしいことにイギリスのビジネスマン 製造業者 失業者にとって明るい時代がやってくる。」

彼は考えた 社会の安定のため最も恐れるべきは失業者の増大 危機を回避するには国は借金をしてでも仕事をつくる そしてお金という血液を市場にめぐらせる 成長が止まったと嘆かれる今 彼の思想が再びもてはやされている だが

欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき 第9章~最終章
『欲望の資本主義2017 ルールが変わるとき』をみて


cf,
アダム・スミス 著, 山岡 洋一 訳 『国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究』 読書メモ

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む

欲望の民主主義 世界の景色が変わる時 第1・2章 第3・4章 第5章 第6章 第7・最終章
by wavesll | 2017-04-05 21:27 | 書評 | Trackback | Comments(0)