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ヨアキム・トリアー『母の残像』 ペルソナが剥がれる"本当の瞬間"の家族の肖像

「母の残像」予告編


c0002171_5375750.jpg伊勢佐木町のジャック&ベティでヨアキム・トリアー監督による『母の残像』をみました。大変に心揺さぶられました。

交通事故で死んだ戦場写真家の母と、残された父兄弟の物語。この三人それぞれに私自身を観た思いで。『カルテット』『人間の値打ち』等、昨今の人間ドラマの傑作群にこの作品も連なると想います。

何しろ役者たちの演技が上手い。イザベル・ユペールのキャリア・ウーマン然とした不敵な笑み、ジェシー・アイゼンバーグの賢く好感度の良い青年然とした顔、そして何より名演だったデヴィン・ドイルドの"難しい年頃の少年"の顔。「まさにどんぴしゃの顔つきをしてる」と惚れ惚れしてました。

しかし劇の終盤“それらはペルソナだったのかも”と想って。ペルソナが剥がされた顔。何とも名付けられない、粗く素の顔。それが映されます。

そんなものはみせずに済むならそれでいいだろうし見せたくないものでしょう。少なくとも社会生活を送る上では。ある意味一番ギャップがなかったガブリエル・バーン演じる役者の父親は職務を引退していました。

単なる"本音"とも違うペルソナが剝がされた"本当の瞬間"、それが印象的で。

半ばぶっちゃけというか隠し事なく話をする父、彼とギクシャクする弟。私自身弟とは上手くコミュニケーションが取れない人間で、「こういう奴あるある」とみてました。

しかし、好きな女の子に長文の告白録を渡そうとしたりとか、自分に一種の靈力があると想ったりとかをみてると「こいつは俺でもあったのかもしれない」と想って。そういった意味では世渡りが上手そうな兄が一番遠いのかも。

そして、女の子が自分の中での崇高な存在でないことを受け容れて、エゴを押し付けるだけから相手とコミュニケーションの度量を持つ、男へのステップを上るシーンも良かった。女の子の側にも純な良さがあったのも。

失った人からの残像は、自分の心が生み出した共に生きる想像。仲違いした人を夢見することもあるなと想ったり。人が生きていく上で溜まっていく精神的な残骸たち。そういうものを人間ドラマはデフラグしてくれます。心をさらってくれる、素晴らしいフィルムでした。
by wavesll | 2017-04-17 05:38 | 映画 | Comments(0)

LEGOムービー -レゴの楽しさとアウトプットの得意な人不得意な人双方向の理解の物語

The LEGO® Movie - Official Main Trailer [HD]


レゴランドのオープンに合わせて映画天国で流れた『LEGOムービー』。これがめちゃくちゃよくできていて。

主人公のノリとか、重苦しくなく終始みていて明るい感じがするとか、何より本物のレゴを使ったかのような映像などこどもが大好きになりそうな空気感に包まれながらも大人がみても面白い名作でした。

主人公はマニュアル人間で、作中で自由自在にレゴを組み立てるレゴの達人たちから「駄目な奴だ」とみられるのですが、その"普通の人間"という特性を生かしたハックで活躍します。

この映画はマニュアルに頼ってばかりの人間が自分の頭で考えられるようになるというドラマと、自在に活躍できている人達が自分たちがそれに驕っていることに気づき、普通の人の価値を尊ぶというドラマ、その双方向の理解が描かれているのが素晴らしく感じました。

どんな人たちも、生きる営みを積み重ねていて。すべての面ですべての人を凌駕している人はいなくて。個人個人それぞれでこの世界を航海している。ヒトは全知全能ではないからこそ、互いに貴ぶことができる。これは年を重ねるごとにその想いを感じます。

昨日の記事で「Webに何も書かずにROMるだけでフリーライドしてる人」についての複雑な気持ちを書きましたが、自己表現であったりアウトプットをしていない人でも、その内面には豊かな世界が広がっていることは自明で。逆に上手く話を引き出す技を習得出来たら私なんかは一皮むけるのになと常々想っているところです。

宮崎駿は作品として取り組むことにゴーを出すためには三つの条件がある、というようなことを言っていた。「それはつくられるべきものか」「それはつくるべきものか」「それは売れるか」という三つの問いにパスすることという言葉があったと聴いたことがありますが、この映画はまさにそういう感覚を与えてくれる『LEGOムービー』。


またレゴがメタ的にもレゴなところがいい。子どもも、かつて子どもだった大人も、そして大きなお友達も満足できる映画。これをみてちょっとレゴランドにも行ってみたくなりました◎

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by wavesll | 2017-04-13 06:11 | 映画 | Comments(0)

ウルトラお下劣映画『Pink Framingos』にドギモ抜かれた

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友達に紹介されたカルトムーヴィー『ピンク・フラミンゴ』をみました。

こんなお下劣映画はじめてみたwだってあんな〇〇〇がパクパクするなんて…www草茫々不可避w

このマツコデラックスの原型みたいな人は実在のドラァグクイーンのディヴァイン。この映画は「世界一のお下劣人間」とされるディヴァインに嫉妬し「我こそが世界一のお下劣だ」という夫婦が殴り込みをかけるというもうここまで書いた時点で「ファーwww」な内容w

敵役の夫婦の小悪党感とディヴァインの大っぴらなイカレっぷりの対比が面白く。他者を僻む小物と違って真の変態は自分自身で誰も満足感を得ることができ、誰かを攻撃することもない、ある意味完全生物なのだなと想って感慨深かったです。ラストも歴史に残るシーンだったと想いますw

またコメンタリーも興味深くて。
この狂った映画が計算でつくられているというのが味わい深い…と想ってたら許可なしで町中でストリーキングを撮影したり壁に勝手に落書きしたり冬山でクルマを燃やしたりやっぱり頭沸いてましたw

どこか『エル・トポ』に通ずるものがあるなと想っていたら、同じ劇場でロングランしていたそう。
自分の直接の知り合いを役者に使ったり、ちょっとフリークスな感じがしたり。
本当にインディペンデントな映画によって変態性の中にパンクや野性の摂理を見出す稀有な経験をしましたw

cf.
エル・トポ感想(ネタバレほぼなし) ー真にインディペンデントな神的旅路


漲るイメージによるイニシエーション体験フィルム。アレハンドロ・ホドロフスキー『ホーリーマウンテン』
by wavesll | 2017-03-07 07:17 | 映画 | Comments(0)

新海誠監督のユビキタスな映画表現のアニマ性

映画『言の葉の庭』予告編映像


雲のむこう、約束の場所 予告編 (The Place Promised in Our Early Days)


この数日は日本アカデミー賞からフジテレビで放送された『アナと雪の女王』まで、映画な週末でした。

中でも金曜の深夜にテレ朝で放映された『言の葉の庭』と土曜の昼にAbemaTVで放送された『雲のむこう、約束の場所』は印象深くて。

新海誠監督のフィルモグラフィーの時系列では『雲のむこう~』の方が先の作品で。
初恋、宮沢賢治的詩情、軍事SF、そして光や雲の風景表現。新海作品のエッセンスがあって面白かったです。

そこから時を重ね、表現が洗練された『言の葉の庭』は『君の名は。』の前作。
冒頭の雨水のアニメーションから真に美しい映像美が素晴らしくて。そして憂いを秘めた物語がまた非常にマッチした作品でした。時間も50分くらいで纏まっていて、非常に好みでした。

フィルムの流れを見ると、最初はヲタ的な色が濃かったものから、文芸作品の詩情まで匂いを変え、そして『君の名は。』では憂いからポジティヴへとメタモルフォーゼし国民的大ヒットを創る。新海監督は地力と野心があるなぁと想います。

そして興味深いのは、飛行機でみた『君の名は』も面白かったし、AbemaTVをPCでみても素晴らしさが伝わる、新海作品は画面を選ばない点。

日本アカデミー賞で『シン・ゴジラ』の映像流れていましたが、TVでみても全然わくわくしない。映画館のサイズだからこそのあの血沸き肉踊る昂りと恐怖。『ゼロ・グラビティ』もそうですが、こういう映画は劇場でみてこそだととても想います。

一方で新海作品の魔法は主に映像の美しさからきている印象で、ストーリーは結構ベタというか、寧ろ現実的な理と色濃い感傷をヴィジュアルが魔術へ持っていくと感じるのですが、PCや飛行機の座席画面でみてもその魅力が損なわれない、ヴィジュアルの面白さが画面サイズを選ばないというのは凄い、物語と共に本当にアニマが発動していると感じます。

ヴィジュアルの凄さと音楽の素晴らしさというと『君の名は。』は『アナ雪』との関連で語られるところもあるかと想いますが、TV放映された『アナ雪』は"え?こんなものなのか?"という感じではありました。

確かに氷のCG表現の卓越さは魔法的な域へ達していて、『レリゴー』も改めていい歌だなぁとは想ったのですが、ターゲット層(女児)ではなかったというのと、やはりこの映画も劇場空間がなせる技が胆なのかもしれない、と。

勿論、そういう作品だからこそDVD待ちではなく映画館でみたくなると想いますし、実際最近は声出し上映や、MAD MAX 怒りのデス・ロード BLACK & CHROME at 川崎チネチッタ LIVE ZOUNDのような爆音上映など、劇場ならではのプロジェクトが実現されていて面白くなっています。私などはそういうのでないとあまり劇場では見ない人間だったり。

ただ、その上で新海作品の持つ"画面サイズを選ばない凄さ"は映画にさらなる革命を起こすのではないか、すぐに考え付くのはスマホメディアの国民的"映画"作品をこの人は創る最初の人なのではないか、なんて考えた週末でした。

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by wavesll | 2017-03-05 22:28 | 映画 | Comments(0)

MAD MAX 怒りのデス・ロード BLACK & CHROME at 川崎チネチッタ LIVE ZOUND

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川崎チネチッタにて『マッドマックス 怒りのデス・ロード BLACK&CHROME EDITION』を観てきました。

一昨年にオリジナル版を4DXでみてから、1,2をみて。すっかり『MAD MAX』シリーズ自体のファンになりながらも、『怒りのデス・ロード』の真価を理解しきれないまま見てしまったなという思いがありました。

刺激だけを求めて観たら案外"刺激"という面ではそこまでではなくて…さらにWebで解説を読み込むとこの映画は男と女についての洞察のある映画であるという。"あぁ、それを知った上で観たら深味をしれたのに…!!!"と想いながらも、2回目をせっかく見るなら立川でやってる爆音でみたい、しかし横浜から立川は遠い…。とこれまで2度目を観る機会がなかったのです。

そこに『BLACK&CHROME』。白黒でミラー監督自らが"これがBESTだ"というエディション。さらに川崎のチネチッタがLIVE ZOUNDという轟音上映をやってると聴き、さらにはその評判もいいと!これはみるしかないと馳せ参じたのでした。

LIVE ZOUND版MADMAX、神話、鋼鐵の神話。立川の極爆は体験してないから比較できないけれど4DXより全然良い!砂嵐の音の圧で揺れる!初見時は"ロック推しは今やる意味ではないかもしれない"と想ったのですが"ロック=旧来の男社会の象徴"だったと。最早ノイズの域にも達する轟音は音楽体験としても比類なき感覚刺激でした。

LIVE ZOUND、本編が始まる前のCM枠の時は"あれ??バランス悪いか?"と想ったのですが其の位ガツンと来る爆音がMAD MAXにはうってつけ!LIVE ZOUNDで音楽LIVE映画や爆音系のライヴヴューイングがあるなら絶対選びたい!

鋼鐵の神話と書いたのは車両と銃弾とガソリンと水の映画であり、AIやインターネットな“ヴァーチャルな魔法”がないことで寧ろ神話性を強烈に高めている。"魔術なき神話"というのが現代ならでは。さらに白黒になったことで異次元感が増し、“ありえない名画”となっていました。

男と女、男が造る社会と女が造る社会。男の社会の中の女と、女の社会の中の男。汚い處も綺麗な處も描き切ったプロットは見事。その上でBoy meets Girlが"社会システムのもたらす幻想"への狂信から目覚めさせるのが美しかった。恋愛は日常に対して垂直に立つといったのは中島らもだったか。

アクションシーンが早回しみたいな速さだったり、モノクロで瞳輝が増してたり、ワイヴスが銃弾を詰めるシーンにバトルロワイヤル、ラストシーンの"新たな救世主"にナウシカ漫画版を想ったり。

そしてBLACK&CHROME最大のポイントはEDテーマ。絶対これでなくては。革命を遂げた時は“造り、治めることへの畏れ”が鳴らないと。最高のMAD MAX FURY ROAD体験でした。

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by wavesll | 2017-01-24 00:38 | 映画 | Comments(0)

この世界の片隅にatユーロスペース

渋谷ユーロスペースで『この世界の片隅に』を観てきました。
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EDでしみじみと、ぼろぼろと涙が止まらなかった。ユーロスペースには原作漫画の生原稿とかもありました。
感想を書きたいのですが、ネタバレなしで見て欲しいので、もうね、絶賛レポは出回りまくってるんだから何も言わずに映画を見て、それから感想読んで欲しいっすwみてから読んでくださいw

感想は予告編の後に。

映画『この世界の片隅に』予告編


広島の夢見がちな少女だったすずは、見も知らぬ青年に見初められ呉へ嫁ぐ。
戦時下の日常が淡々と、すずのキャラクターも相まって時にほんわかと描かれます。

戦時下、どんどん配給が厳しくなっていく様子、彼女たちは工夫して少しでも楽しみをみせようとしながら暮らすけれど、社会の切迫さは色濃くて。社会主義的な国、例えば北朝鮮やヴェネズエラ、キューバなんかでも今もそうなのかもしれないと想いながらみていました。

私は去年アピチャッポン・ウィーラセタクン 『光りの墓』をみて、軍というものが日常化している国の案外に危機が張りつめていない空気を想いました。一方で年始に見た七尾旅人/兵士Aでは戦争の最前線で死ぬ兵士の感情、総力戦のおぞましさを感じました。

そして『この世界の片隅に』。"戦時下の日常"で、あんなにもほんわか笑っていたすずさんの笑顔と人間性が崩れていく様が、今の平成の日常と地続きだった"呉の日常"の怖ろしさを味わされました。

そして戦争が終わって、孤児を拾うという人間性の回復が起きたのをみて、笑顔が戻ったのをみて。"あぁ、こんなにも愛らしい人でも戦争の中では人間性を失ってしまう…!"と頭が殴られた気がして。のんさんの声演の素晴らしさも相まり、本当の戦争の恐怖を覚えました。

またすずさんが幼馴染と一夜を過ごすとき、「好きだった」と告白しながら、夫を選んだシーンも響いて。

私も今まで生きてきて、淡い気持ちを持った女の子はいたけれども、今の彼女を選ぶだろうと。
DQ5やったときはビアンカしか考えられなかったけれど、今はフローラを選ぶ気持ちが理解できる。人生を重ねる事の、その重みを感じました。

この映画は『火垂るの墓』というより、『風立ちぬ』との位相づけられると自分では想います。

方や市井、方やエリートとして"あの戦争の銃後"にいた彼ら。
それでも、自分の能力を最大限に活用して"自分の美意識で戦争へ能動的に関わった二郎"に対し、"ただただ成すがままに戦争へ付き合って、そして裏切られるすず"。

『この世界の片隅に』には「この戦争は間違っている」というようなキャラは出てきません。みんな"好い人"で"自分なりの闘い方"をしてる。寧ろエリート層の方があの戦争の無謀さを高い知見から知っている。

市井の人にとっては戦争に巻き込まれたことは『仕方ないこと』だし『したいと想った犠牲』だった。
けれど、『自分がやりたくてやっていたはずの犠牲』でも自分への負荷・反動・傷は深く、"裏切られた"と想った瞬間にすずの怒りは爆発しました。

『したくてした犠牲』も火薬の澱は溜まり、すべてが終わった後で焔が燃え盛る。しかしその時にはすべては終わっていて、後の祭り。行ってみれば犬死の様な激昂。

だから、本当に大切なことは『己を大切にして、空気に流されて犠牲を差し出さない、誇りを持つこと』なのかもしれない、そんなことを、想いました。と同時に、日々の生活の丁寧で実直な"仕事"の細やかな描写がまた愛おしく想えた映画でした。

In This Corner of the World Trailer

物語を思い出してもうこの予告編見るだけで泣ける…(この海外版トレイラー、日本上映版にないシーンもあるのでお薦めなのですがネタバレ要素もあるので映画館で観た後でみるのがおすすめ)。何も言わずにこの映画をみてくれ!!!
by wavesll | 2017-01-18 22:06 | 映画 | Comments(0)

アピチャッポン・ウィーラセタクン 『光りの墓』―現実と霊性の間を描くまこと見事な手腕

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『光りの墓』予告編


季節外れのぬるい風を感じながら、渋谷イメージフォーラムで行われているアンコール! アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ 2016にて上映された『光りの墓』をみました。
『ブンミおじさんの森』でカンヌ国際映画祭パルムドールに輝いたタイの天才、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督新作。

タイ東北部。かつて学校だった仮設病院で原因不明の“眠り病”にかかった男たちが眠っている。
幾層にも重なる土地の記憶と愛の記憶。
素晴らしい映画体験でした。

まず序盤からフィールドレコーディングとして素晴らしくて。
年始に行った香港旅行でバードガーデンを訪ねたとき、「この鳥の声とチャイ語の柔らかな交ざり方が素晴らしい」と想ったのですが、タイの田舎の鳥や虫の声と、タイ語の真に柔らかな音感のマリアージュがまっこと好くて。セルゲイ・パラジャーノフの『アシク・ケリブ』を観たときの様に"BGMとしてこれを流したい"と強く想いました。

そしてこの映画にはタイという国の霊性が深く記されていて。
私は今までタイというとバンコクとかプーケットとかサムイ島のような、エネルギッシュな都市かリゾートの快楽や猥雑性を良くみていたもので。この映画に描かれていたタイの貌は初めてみたものでした。

実際にタイに住んでいた子の話を聴くと実際のタイはこんなにもスピリチュアルが平在する場でもないそう。

それを聴いてますます"この映画の様にタイを霊性的にタイの監督が描いたのが凄いな"と。更に凄いのがその描写がエキゾチックというのはあまりにもさりげない、ほとんど作為を感じないような演出の妙で顕在している点でした。

冒頭に書いた"フィールドレコーディング的"という演出は、音楽をほとんど流さずその場の音で映画を作っている点。さらにカメラワークが固定されていて、普通なら写すであろう人物の顔が映らない場面も数度あったり、途中で"これはドキュメンタリーをみている気分になる"と想いました。

時々挿入されるシーンでは舞台的な動きの演出があったのも面白い。アピチャッポン監督の舞台挨拶をみた子から聴くと、挿入シーンは「これは映画なんだよ」と伝えるために入れたそうです。

そういった静かな演出から、途中私は眠りに入りかけてしまいましたwアピチャッポン監督の映画は眠くなると言われているそうですが、この映画の「眠り病」はそれをメタ的に遊んでいるのかとも思いました。
その静的な映画の中で、しかし巧いなと思ったのは排泄や勃起というようなちょっとタブーに触れるような描写が、しかし品を壊さずにさりげなく入れてくること。これで映画の中で刺激を入れると共に異なる価値観へ這入るのに心を解いてゆく効果があると想いました。

この映画はかなり霊性的、というか見ようによってはかなりスピリチュアルな描写があるのですが、その霊性/スピリチュアルの扱いが本当に上手くてとても感心しました。
ともすれば"なんだこのスピ映画はwww"と言われそうな物語を成り立たせているのは現実と幻想のかなり技術的に高次元な捌き方にあったと想うのです。

この映画で出てくる「アフガン戦争で米兵を癒した器具」も幻想的ながら"本当に意味はあるのかはわからない"し、「FBIにもスカウトされたという霊能力者」と眠り病にかかった人との交信の内容が合っているかどうかも兵士からは語られません。つまり"全部嘘かもしれない"。でも、霊性の世界が心の中に存在していることが、ありありと描かれているのです。それが上手い。

スピリチュアルが"Evidence"を持つことなく、しかし現前している。非常に巧みな、おそらく高度な計算に裏付けられた演出だと想います。こうして顕わされることで、科学的現実と霊性的幻想の間が現れていたと感じました。

映画の中で瞑想のシーンがあるのですが、私はその場面で薄目で字幕を読みながら指示通り瞑想をしてみると、確かに霊性的に精神が感応した気がしました。

ヨガなんかもそうですが、スピリチュアルで括られる事柄って"体感的な効果"があるものが多くて、理性というより身体で感ぜられるところもあると想います。だからこそカルト宗教が悪用すると阿呆なインテリがコロっといったりして恐ろしいのですが。しかし"体感"は"存在する"。そんな部分もこの映画にはありました。

現在は科学万能であったり、年を重ねてくると"想像"の部分より"リアル/実際/物理的なハイクオリティ"を求めるようになってくる気がします。それは舌が肥えたり、"実際はこういうものだ"と知ることもあるかもしれません。ただ同時に、想像力の豊饒さを失っているのかもしれない。それは残念だ。そんなことを昔書きました。

等と言っている私も、フィクションよりノンフィクションが好きになったり、"現実に存在しているものしかみなくなる"ようになっていました。或いは数字を拠り所にしたり、"口だけなら何とでも言える"とかwBloggerがそれ言ったらおしまいだろw

確かに言葉はヴァーチャルかもしれません。だからこそ自由が存在するとも言えます。そこに"物語"のレゾンデートルがある。しかし、現存する最大の物語は『聖書』だと想いますが、現在の科学の見地を知ったうえで聖書の記述を全肯定するのはかなり無理があると想います。聖書を信じるのは"自然でない"。

一方でレヴィ・ストロースの『野生の思考』ではないですが、人間の等身大な身体の感覚と、現在の科学的見地が合っていなくて、心的作用として無理が生じているところが現在進行形で起きている気がします。科学が進んで幸福になるはずだったのに、寧ろ機械に人間が圧迫されてしまっているような。

そんな時に『次代の物語』に、例えば現代理論物理学の宇宙論がなれるかも、などと考えたりもしましたが、この態度は"エセ科学"扱いされかねないし、難しいところだ…と想っていたのです。

そして視る『光りの墓』に、"この現実と霊性の取り扱い方の誠実さは俺が欲していたものかもしれないな"と想ったのでした。

目に見えない、しかし"あると感じられる大切な/大切だった世界"、その宇宙の淵に触れられる、閉じた扉が開けられた映画体験でした。

ラストシーンでおばさんが目を見開いていたのは"目覚めようとしていたから"だと想いますが、<どの夢から目覚めようとしているのか>は私はまだ理解しきれていません。氷解するまで時を重ねられる、長い付き合いになる名画に出会えた気がしました。

今年はThe Paradise Bangkok Molam International BandだったりMonaural mini-Plugであったり、タイ音楽に興味がそそられた年でもあって。そんな年の瀬に、素晴らしいタイの映画であり21世紀の飛びぬけた感性を味わえたのは嬉しいことでした。

映画の中で映画館で起立し何も写されない画面に敬礼したりとか、王家との政治的なゴタゴタから『光りの墓』はタイでは公開されていないそうです。アピチャッポン監督の次回作も海外で撮られるそう。飛びぬけた表現者が政治の力で母国にいられなくなるのは悲しいことです。芸術の豊饒さはその国の精神の自由を現前させるなと思いました。
by wavesll | 2016-12-23 16:48 | 映画 | Comments(0)

『東京兄妹』 清らかな蒼い時間

初DVD化!!市川準&緒形直人『東京兄妹』ベルリン国際映画祭受賞の名作


映画『東京兄妹』をみました。
今も都電が走る、東京の小さな街で暮らす一組の兄妹の日常生活の風景をスケッチ風に描いたヒューマンドラマ。古本屋に勤める兄の日暮健一と写真屋で働く妹の日暮洋子は両親を亡くして以降二人で暮らしていた。健一には桂子という名の恋人がいたが、妹の将来を案じた健一は洋子が成人するまで結婚を待ってほしいと桂子に懇願する。呆れかえった桂子は健一との別れを決意。数日経ったある日、健一は友人で写真家の真を自宅に連れて来た。洋子は真が自分の写真屋にしばしば来店する客であると気づいて驚き、兄妹の環境が変わり始める…
という筋。

作中の清らかな品の貴さにまず心惹かれました。
日本映画の本流の美意識というか。現在私が見ていたTVやビッグバジェット映画がコミカルな大味だったり品に欠けるものが多かった印象のある中、本作の何気なくさりげない東京の情景の描写が今とても新鮮に感じて。

私も大塚や都電荒川線の地域を歩いてみたくなりました。永青文庫に春画店に行った際に都電に乗ったのですが、時のエアポケットに埋もれたような光景がそこにまだ存在していて。TOKYO NORTH デートなんかやったらほっこりしてしまいそうな予感がしました。

豆腐や風呂といった日常的で生活感のあるものが物語の象徴となるつくりにハッとさせられたし、うつり行く季節の中で兄妹の心の機微が色味を変えていくのがとても沁みました。

今も昔も清らかなものと下世話なものがあって、90年代というと邦楽のバブルの時期でしたが、劇中に出てくるのはクラシカルなインストゥルメンタルとチャイナ歌謡という音に、選別の眼を感じました。日常光景の音もとても綺麗に録られていて、とても美しかった。

音だけでなく所作も綺麗で。膝をついて襖を閉じる仕草に"ああ、この娘は兄にきちんと育てられてきたのだな"と感じさせられ、だからこそ恋人のフリーキーさやアプローチに惹かれたのだなと想いました。と同時に昔の知古に『ISに殺されそうな奴だ』と3人別々の機会に言われた身としては、生活を成り立たせる強靭さや"まともであること"の硬度に向かい合わないといけないなと、三村真をみて想いました。

芝居の美しさ、貴い気持ちにさせてくれる映画、大変愉しめました。この市川監督、08年にお亡くなりになられていたのは無念だったのですが、『ざわざわ下北沢』『BU・SU』、そしていとうせいこうの『ノーライフキング』なんかも撮っているんですね!これから観ていきたいなぁ。またこの映画を発掘しDVD化したDIG LABELの作品群も『もどり川』『ゴッド・スピード・ユー!BLACK EMPEROR.』など、生気あふれる映画が取り揃えられていて、凄い宝玉が隠されているダンジョンの入り口に立っているような気がしています◎

cf.
Godspeed You! Black Emperor's live at Shibuya DUO MUSIC EXCHANGE

by wavesll | 2016-11-15 20:16 | 映画 | Comments(0)

シネマ歌舞伎 『スーパー歌舞伎II ワンピース』をみた

c0002171_1244197.jpgシネマ歌舞伎 『スーパー歌舞伎II ワンピース』をみました。面白かった!

原作は空島篇で脱落したのですが、エースを救うための頂上戦争篇はハンターを読むためかジャンプで読んでいて。そこを題材としていたらかなり面白いだろうと想ったら期待に応えてくれました。

まず驚いたのはヴィジュアルの違和感のなさ。特に男のキャラ達はかなりのドンピシャぶりで。ゾロ、サンジ、ボン・クレーなんかはよくぞここまで仕上げたものだと想いました。

ルフィ、エースはヴィジュアルは原作と印象は違いますがスピリットは良く現れていて、実際に人間が演じる歌舞伎版ならでは良さがありました。そういう意味では白ひげはその最たるもので、原作を超えたのではという位の魅力を放っていました。個人的な最高潮も白ひげの叫びの場面でした。

逆に女性陣は、まぁこれは歌舞伎だから男が演じるのは仕方のないのだけれども、どうにも老けて色気なく見えたのは残念でしたね。弾ける艶があったらもっと良かったのだけれども。

このシネマ歌舞伎、舞台版のダイジェストというか、アマゾンリリーとインペリアルダウン、海軍本部での戦いの一部がナレーションでさっとカットされていて。特にアマゾンリリーでの一幕がないとラストのアマゾンリリーでのシーンが効いてこないなぁと想いました。舞台は休憩挟み5時間もの長さだったようですが、せっかくならFullで流してほしかったなぁと想います。

カット処理がされたという以外でも、そのテンポの速さ、情報量の多さには目を見張りました。ファンタジー漫画の中でもその世界観が凄まじいワンピースだけあって設定の嵐に頭がヒートアップ。

ガツンガツンの展開にちょっとくらくらでしたが終盤になるにつれ骨太なドラマが展開されて。白ひげの叫びとエースの想いにはぐっと来ました。泣いている観客の人もいたなぁ。火拳とマグマのバウトの紅旗の演出も見事で。シャンクスの台詞で映画が終わっても良かったなぁと想う位の満足感がありました。

最もアンビバレンツな気持ちになったのは、この歌舞伎随一の名キャラ、ボン・クレーについて。インペリアル・ダウンではおかまキャラが大量に出てくるのですが、単純にTVのオネエ的な扱いというか。バカ騒ぎ要員としての扱いにLGBTの人の誇りを傷つけはしないかなぁと大きなお世話を想ったというか。Twitterのフォロワーさんでゲイの人がいて、あの人がこれ見たらムッとしそうだなぁとは想いました。

少年漫画を読むとき、少年はみな自分を主人公に重ねると想います。劇中でルフィは「お前は仲間を惹きつける魅力こそが最大の長所だ」と言われ、「俺は仲間に助けてもらえなければ何も出来ねぇ」と言う場面がありました。その『ダイの大冒険』以来の勇者の特長、この"仲間との絆"という点こそがワンピースとドラゴンボールの最大の異なる点に思えます。悟空もルフィも底の見えないシンプルさを抱えた人物ですが、ルフィは悟空よりも仲間の存在を求めている気がし、それが現代のヒーロー像、少年が求めるものなのではないか。そんな気がしました。

そのルフィの最大のダチであるボン・クレー。まさに漫画からそのまま抜き出でてきたような熱演、そして最大の良キャラながら、オネエ系と言う馬鹿にされるノリを背負わせることに暴力性を感じるというか、"主人公以外の人間は主人公の為だけに存在しているわけではないよなぁ"なんぞと世間を通ると大きなお世話を焼いてしまうのです。まぁポリコレばっか唱えたり総花的な演出を言ったりして作品の勢いを失わせてしまったら元も子もないのですけれども。と、いうよりこういう色眼鏡を気にする私自身が一番差別的である、と逆説的に言えるかもしれません。

ルフィ達の"海賊"という、犯罪集団でありながら己の正義と自由を究めようとする生き方、コミュニティは現実の存在では一昔前は『爆音列島』に描かれたような暴走族が破滅を孕みながら担っていたように思えます。Blankey Jet CityのPunky Bad Hipにある
『新しい国が出来た人口わずか15人 それも全員センスのない単車の乗りばかりが揃ってる 古い世代の奴らは金で何でも買い漁った だけど俺たちは自然の掟の中で生きるケダモノの世代さ』
な世界軸。「俺たちの国境は地平線さ」を超えて少数精鋭で世の中を引っ繰り返そうとする若者集団は現在でいえばFacebookのような学生起業のITベンチャーかもしれません。

その上で、どちらかと言えばシステムを維持する側の苦心ぶりが分かってしまう世代となってワンピース歌舞伎をみて心動かされるのは、白ひげやシャンクスといった仲間を愛し慕われそして世界のシステムの中で独立した場を創ろうとする男たちの姿でした。

私自身は集団の中で上手くサーヴィスと任務とプライヴェートの立ち振る舞いを鼎立させるのが苦手な人間でしたが、それぞれ家族が出来たり、友達と常に一緒という環境を離れてムカシミタイニハアソベナイ今だからこそすべらずに済むような気が今しているのかもしれません。それは共に独立しながら生き抜いていく仲間への敬意からで。

カイジの鉄骨渡りでいうように、我々の人生は個々に天空を渡る57億の孤独(あかり)なのだと想います。

だからこそ一緒に生きる人達は特別で。と同時に私自身も宙に地に、海に、道を歩んだり、創っていけたら。その途中で自由運動の途中で旅を共にする仲間との場を創れたら。そんな事を想った劇でした。

ルフィは劇中で大きな挫折を味わいます。それはただシンプルに冒険を邁進するだけだったルフィの人生自体に破壊的な衝撃を与えるくらいの不可逆的な喪失でした。その痛み、その苦みに人生の味を感じると共に、そこから立ち直る彼の未来を見届けたい気持ちになりました。

『スーパー歌舞伎II ワンピース』、なんと来年新橋で再演されるそうです。それもみてみたいけれど、『スーパー歌舞伎II ワンピースII』もぜひみてみたい。楽しい時間を過ごせました。

cf.
超歌舞伎 「今昔饗宴千本桜」@ニコニコ超会議2016を観る

by wavesll | 2016-11-11 21:42 | 映画 | Comments(0)

武士の家計簿をみた -算盤の音響と時代の変遷を超えていく力

BS JAPANでやっていた『武士の家計簿』をみました。

『武士の家計簿』 予告


磯田 道史 / 武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新(新潮新書)を下敷きにしたこの物語、地味ながら面白く見れる佳作で。影響されやすい私はXperiaに早速家計簿アプリを入れてしまいましたw

上に書いた元となった新書がかなり面白そうで。

Amazonページに寄せた著者のコメント
東京・神田の古書店で、加賀藩士がつけた「家計簿」が発見された。饅頭ひとつ買っても記録した詳細なものである。天保13年(1842)から明治12年(1879)年まで37年分が残されており、金沢城下の武士の暮らしぶりが手にとるようにわかる。

家計簿をつけたのは加賀藩御算用者(おさんようもの)・猪山直之。藩の経理係であり、将軍家から前田家輿入れした姫様のそろばん役を務めていた。仕事が経理であったため、自分の家でも緻密に家計簿をつけていたらしい。彼は、年収の2倍をこえる借金を抱え、年18%の高利に苦しんでいた。妻の実家に援助してもらい、お小遣いも現在の貨幣価値で5840円におさえられていた。しかし、天保13年に一念発起して家中の家財道具を売り払い、債権者と交渉して借金の整理に成功。「二度と借金地獄に落ちるまい」と、それ以後、家計簿をつけはじめた。

その後、猪山家は家運が急上昇。江戸時代の武士社会では、猪山家のようなソロバン役人は低く見られていたが、維新の動乱期になると、会計技術者は兵站係として重宝された。直之の子、猪山成之は明治政府の軍事指揮官・大村益次郎にヘッド・ハンティングされて兵部省入りし、のちに海軍主計となって東京に単身赴任する。その年収は現代の3600万円にもなった。一方、金沢に残された成之の従兄弟たちは政府に出仕できず、年収は150万円。明治士族の厳しい現実である。

本書では、なるべく、猪山家の人々の「声」を掲載することにした。幕末明治から大正にかけて、激動期を生きた家族の肖像写真をそのまま見て頂きたいと思ったからである。
あなたは猪山家の物語に何を想われるであろうか。
大層面白い感じに聴こえませんか?映画を超えてそう。
「大きな社会変動のある時代には、『今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力をもっているか』が人の死活をわける(p.218)」
とのこと。古書店で一次資料を発見するエピソードも含め興味深い噺を読めそうで、倹約ついでにまたしても早速図書館に予約を入れてしまいました。

映画についてですが、世間体や体面の為に借金を重ねてしまう武家社会の現実に対して、家財を売り払ってでも借金取りと交渉したり、或いはArtやDIYの力で"貧乏の苦労"を"工夫の楽しさ"に変えていく猪山夫婦に生きる力を魅させてもらいました。

身の丈に合った、持続可能な人生のファイナンシャルプランは大事だなと思いました。そして生きる工夫に勤しむ人に「貧乏ったらしい」なんて蔑む人間の心のさもしさといったら無いなぁとも思ったり。

と、同時に、困窮を解決する策として倹約のみが照射されていましたが、”仕事を創って金を稼ぐ”という策も今を生きる我々としては観たかったなぁとも思いました。結局息子の成之は高給取りになるのですが、現代の物語で置き換えるなら起業家精神的なものを江戸時代に見出した話なんかもみてみたいです。

また映画をみて、フィールドレコーディング的な音響好きとしては加賀藩御算用者達が一斉に鳴らす算盤(ソロバン)の音が"これ良い音だな"と想ってw

そこで算盤の音響作品はないかと検索してみると、ASMRモノに混じってこんな作品がYoutube上にありました。

弾かれる音 ダイジェスト


服部麻耶さん(名古屋学芸大学メディア造形学部映像メディア学科3年)の作品で、
そろばんを使ったパフォーマンス作品です。
プログラミングによりランダムに映し出される数字を計算しそれによって弾き出されたそろばん特有のパチン、パチンという音をリアルタイムで録音、またそれを遅らせて再生させ増幅させています。
音を積み重ねるということでそろばんの音が迫ってくるような感覚が生まれ、感じたことのない空間を体験していただけたら幸いです。
とのこと。Yosi Horikawa - Bubblesを生でパフォーマンスしちゃったような素晴らしい演奏だと想いました。ほんとソロバンの音響作品があるとは流石だ◎

新書を読み終わったらまた追記したいと想います。今年公開された『殿、利息でござる!』も磯田さんの原作だそうで。そちらも機会があればレンタルしてみようかな。

cf.
Sports Fieldrecording スポーツ音響楽曲群

The Vegetable Orchestra・おみそはん・Yosi Horikawa・NANTAのお料理音楽
鉄道音楽III両集
Yosi Horikawa - Artとしてのサウンドスケープ
和田永のエレクトロニコス・ファンタスティコスがスゴい!
by wavesll | 2016-10-27 20:50 | 映画 | Comments(0)