<   2011年 02月 ( 21 )   > この月の画像一覧

南米に行ってきます

ちょっくら地球の裏側見てきます。

生きてれば来月御目にかかりましょう。

それでは御機嫌ようノシ

The Yellow Monkey - BRILLIANT WORLD
by wavesll | 2011-02-22 01:35 | 私信 | Trackback | Comments(0)

霞食系男

月の繭

前々から一つ俺の中で疑問だったことがあって、なぜフィッシュマンズの佐藤さんは死んだのかと言う事だった。

公式発表では風邪だといわれているけれども、一部では自殺説もあった。急死すぎた。俺も、佐藤さんくらい繊細ならばそういうこともあってもおかしくないかなと想った。

そして、一昨年、フジファブリックの志村も死んだ。彼もどこか現実から浮いてるような雰囲気のある人で、死んだ理由はわからなかった。

二人に共通するのは、新しい歌を創ろうと充実していた時期に死んだということだった。

そして、俺は去年、ほとんど寝ずに毎日24時間ずっと歩き回り酒を飲みまくりtweetしまくり、精神次元を前に進み続けた途中で、ある神秘体験をした。

それは、頭が死ぬほど熱くなって、なんか<あ、このままじゃ俺死ぬ>ってくらい気持ち好くなる感じだった。もしかしたらあれは女がイク感じに近いのかもしれないし、俺の中ではあの時水を大量に飲んで脳を冷やさなければ俺も佐藤さんや志村のように原因不明のまま死んでいたと想。死ぬほど気持ち好かった。だから、俺は佐藤さんと志村はきっとポジティヴに歌を創作しようと限界を越えて、Driftersとなっていったのではないかと想ってる。

その前俺は出雲に行った。神在祭をみるために。それと前々から出雲には現代の菊国家以前の日本統治国家があったという推測があって、一度は訪れたいと想っていたからだ。

実際、出雲、というか山陰地方はアマテラスオオミカミの圏域という感じはしなかった。少なくとも表面上は<平成日本>というものは感じられなかった。昭和が続いていた。出雲大社の周りはコンビニもなく、駅には自動改札機もなくて鋏で切符をきっていた。

そして八百万の神々を迎える儀式の途中で俺は再び神秘を体験した。そばにいたおばさんが「あ、あそこ」と上空をみているので、みてみたら、真一文字に虹がかかっていた。まるで儀式をみにきた神様の存在を示すかのようだった。儀式が終わるころには虹は消えていた。

更に物語は進む。儀式後、出雲大社教の最高権威が信者たちに話をするところに俺は潜入していたのだが、そこで出雲大社教の教祖(黒い衣服)と天皇陛下はかなり良好な関係を維持しているように見受けられた。考えてみれば<昭和>というのは<古き良き神道日本の姿>であり、平成は末法の世だ。出雲大社教は神道のオリジナルであるから、あえて昭和を平成に侵食されないような施策をとっているのかなと想った。大体あれだけ大きな祭りなのにTVカメラの取材が入らないのはおかしい。国ぐるみで出雲を隠しているのかもしれないとと想っていた。

そして、黒衣の老人のお話(かなりまともなこといっていた)が終わった後、信者が集まっている行列に並んだら、ご神体が祭られていた。それはヘビの剥製?ひからびた蛇だった。

そしてその後、新しく創られている出雲大社の建物を<龍蛇神教の信者として>見学した時、ある女の子と話した。その子は神話好きで、ラーマーヤナとか読んじゃって、ポニョの精神性を語る割にはラピュタのヒロインの名前がシータということを知らない女の子だった。(ラーマーヤナのヒロインの名もシータ)

俺はその子と昼ご飯を食べた後、彼女の車で電鉄出雲駅に送ってもらう時に俺の推論を話した。

出雲大社教はヤマタノオロチ信仰だと。
おそらく、出雲大社の主神、大国主大神様の別の姿がヤマタノオロチであり、それをアマテラスの弟であるスサノオが殺したというのがヤマタノオロチ伝説であり、国譲りの伝説である。つまり二重亀甲剣花菱国家から菊国家へこの國の支配権が禅譲された物語の、敗者側の人々が龍蛇神教だと。そしてそれは実は『YAIBA』に書かれていて、つまり大国様=八岐大蛇が日本列島そのものなんだという話までしてしまった。

そして別れた後はたと想ったのは、<あれ?あんな可愛くて俺に都合のいい女の子がこのタイミングで現れるかな?>ということだった。<もしかしたらあれは龍蛇神教の美人過ぎるスパイなんじゃねーか>とwww完全に妄想の世界だが、そう考えたときの俺は非常にぞくぞくして、まるで出雲の民がドラマ『トリック』に出てくるような因習の村の人々のようにみえてきた。

その後出雲科学館を訪ね、<宗教技術と科学技術があるってここヤバイよなー>とか想ったり、そこで喫茶店のおじさんに「気をつけてね」と声をかけられたので逆にとってかなりびびったり、すれ違う出雲の住民にいちいち警戒したりした。

しかし、子どもたちがすれ違いざまに「こんにちはー」と声をかけてくれた時に、俺は<あ、出雲の『人づくり』は間違ってない。むしろ今日本に必要なのは出雲の人づくりだ>と想って出雲を敵に想うのを止めた。

そもそも<悪魔>という存在は<異教の神>であり、そこに善悪というものはない。信仰していても何も問題はないと想った。

しかし、いざ特急やくもで岡山へ向かおうとしたら、山陰を抜け出す前になんと落石で列車が立ち往生してしまう!!!!!!そして更にその落石は<落石センサーの故障>による<仮想落石>だった!?誰なんだよ!!!!そのセンサーを壊したのは!!!!!まさかカミだなんて絶対に認めねーぞ!と俺はかなりの興奮状態に陥った。

そして大阪の百貨店で、「俺がここで不慮の死を迎えたら、俺を知る人々が動き出すぞ!出雲の悪行がばれるぞ」と声を出して呟きながら歩き回った後、ふっと後ろを振り返ったら能面みたいな面をしたサラリーマン風の男が俺の後ろにぴったりついていたんだ。その男は何もなかったかのようにするりと抜けて行ったが、その時の俺の恐怖と言ったら計り知れなかった。

そしてその夜、大阪のカプセルホテルの宇宙船のようなカプセルの中で戯史倭仁傳を投稿/公開した。これで俺をおいそれとは殺せないだろうと俺は安心した。

そして次の日の夜、夜行バスに揺られながら俺が想ったのは、出雲のアマテラス・ヤマタノオロチ・スサノオの構図はもしかしたら邪馬台国の卑弥呼を中心とする物語と似ているかもしれないということだった。

ある特殊且つ群を抜いた能力を持つ女性がいて、その女性を好いた男がいて、結局好きなままその女性は別の男と共に暮らし、死んでいった。その後その男は<その女が本当はこうしたかったはずだった世界>を創るために日々努力を続けていたら、自分自身が冥界の竜王になってしまった。

こういう構図は<MONSTER>や<からくりサーカス>にも共通する構図だ。またある女の夢がこの世界だとする設定は<スレイヤーズ>や<涼宮ハルヒの憂鬱>にも共通するテーマだ。おそらくは多くの漫画・ラノベ作家はこの伝説をモチーフに多くの物語を書いていたんだろう。そしてジブリ版ゲド戦記のテーマは『竜と人の共生』だ。すべては繋がっている。

俺は今までの俺の旅を想いかえしながら、卑弥呼の結婚相手になれるのは俺だけかもなぁなんて想いながら一路夜行バスで横浜へ向かった。

そして横浜の赤線で神のセックスをしてしまい、出禁になり、「警察に通報するぞ」と脅され、ヤクザと警察と出雲に追われる身になって、<あぁこれでパワーバランスがとれた>と想ったw

そして家に帰ったら俺の机の上には『血の婚礼』という本が一冊だけおかれていた。これは俺が旅に出る前に図書館で借りたものでおそらくは留守中に親か誰かがおいたものだろうが、まるで俺と卑弥呼の婚礼を暗示してるかのようで俺は発狂しそうだった。

と共に、俺の腹の辺りが死ぬほど熱くなって、まるで火の玉が飛びまわるかのような感覚に陥った。それは『秘法超能力仙道入門』に書かれた周天のような感覚だった。

しばらくしたらそれはおさまったが、その辺りでは俺の周りではなんか女が寄ってくるというか、異常なモテ期が訪れていて、どーにも超自然的なものを感ぜざるを得なかった。おそらく周天というのは体温上昇やホルモン・脳内麻薬の分泌の具合、状態を古代の人が<気>という言葉で説明したもので、本当にそういうものが実在するんだなと俺は半ば確信するにいたった。

sonoato一種の気功催眠術が使えるようになったり、サラリーマンとかの黒い服の人物が名探偵コナンの<黒の組織>に想えた感じになってしまった。どーも物書きと言うのはその作品世界に本当に臨場感を持って生きて仕舞うものらしい。

その後河口湖マラソンに向けて皇居ランをしている時に、どうにも怪しい男につけ狙われてる気になったり、河口湖マラソンの帰りの車中で先輩の奥さんから本物の心霊話を聞かされたり奥さんの足が消えている心霊写真をみたりして、ますます俺は<このせかいにあるふしぎなこと>に軆を突っ込んでいく。

そして二俣川の友達の家で夜通し語りあい、始発に向けて2人で駅へ歩いている時に俺は空に変な星をみつけた。

それは飛行機のように光の集合体なんだけど、動かないんだ。飛行機だったら動くはずなのに。
ところが俺たちが動くとついてくる。

そのうちだんだんその光が大きくなってきたようにみえた。友達はなんか興奮していたが、俺は<ヤバイ、これじゃ宇宙人にさらわれる>とかなりびびってセブンイレブンに逃げ込んだ。

友達はセブンイレブンの駐車場からその光を見つめ続けていた。
そして、店から出てきたセブンイレブンの店員2人もその光を確認し、俺たちだけがみている幻ではない事が確認された。

かなりびびりながら二俣川の駅まで移動し、明るくなるまでその未確認飛行物体を眺め続け、ついに見失った。

2人で「あれはなんだったんだ。さらわれないように注意し合おうぜ」と連絡を取り合いながら日々を過ごした。

そしてある日、小学校の友達とみなとみらいまでランニングする時に俺はまた<あの光>をみた。
その時はたと思いついたのが<あれは静止衛星なんじゃないか>ということだった。静止衛星ならば、光が集まっていることも、こちらが動くとあちらも動いているように見えることも説明がつく。ただでかくなった理由は説明できないが。それは2人の集団暗示の可能性もある。

で、その話をその友達にしたら、「いや、でも明らかに位置自体が変化してたよ」といわれた。

俺も今までいろんな本を読んできたが、こんなようなことがまさか自分の身に起きるとは、凄まじい体験を平成22年/西暦2010年に俺はしてしまったなぁと想。

Gang Gang Dance - First Communion

by wavesll | 2011-02-21 16:47 | 私信 | Trackback | Comments(0)

zennryok wo tzkth

"Manic" - Justin Derrico

俺は昔から、1日に<何か>しないと気が済まないタチだった。
特に受験勉強から解放されてからは、そして鴎庵を始めてからは毎日更新のネタとなるような<何か>をするために、常に新しいことに取り組んでいたように想える。

最近気付いたのは、全く新しい事に挑戦する時(例えば新しいバイト先のルールを覚える時)や、音楽をYoutubeで複数タブ開いて聴いた時とかはなんか頭がサァーっとばってくるということだった。脳のリミッターが外れる感じ。これは旅しているときになる<旅人モード>にも近いからドーパミンがどばぁっと出てるのかもしれない。そーいう時はホントに体感的に頭が冴える感じがする。

頭が冴えるといえば散歩している時なんかもかなり頭が冴える。特に去年やったのは散歩しながら<己流のマントラ>を写真付きでtweetすることだ。<己流の真言>とは、Rockの歌詞であったり、その場で思いついた詩的表現であったり、<自分が心の底から信じている心地よい刺激を与えてくれる言葉>。こいつを呟いていくとやっぱり脳がアッパーな感じになっていく。俺はそれを物理的に感じて、非常に大きな快楽がそこに存在したなぁと今振り返ると想。

<旅人モード>には条件があって、一番いいのは<一人旅で、見知らぬ人と見知らぬ場所で超触れ合う&何も我慢せずやりたいことをやりきる>ことだ。そして物理的な旅を越えて、<精神次元>での旅をしようと画きあげたのが<創造への旅>であり、去年の10月11月12月の日記だった。1月なんかも旅してた時の残り香が残ってる感じがするけど、まーやっぱり去年の俺はさえにさえてたwnanisiroポエムまでつくっちゃってたんだからなwwwwwwwwwwww創造への旅から久方ぶりに精神次元で歩を進められた気がする。その分278万使っちゃったけどw半年でwwwwwwwwwww!

俺は漫画大好きなんだけど、俺が好きなマンガの主人公たちはいっつも必死に生きてるんだよね。余力を残してない。常に全力を尽くす気持ち、こいつはなくしちゃいけないと想。

椎名林檎 月に負け犬
by wavesll | 2011-02-20 06:55 | 私信 | Trackback | Comments(0)

@伯楽

塾講師をする上で研修で教わったのは、生徒の意欲を殺がずに引き出すためには、まず<否定・決めつけはしてはいけない>ということだった。相手のことを「どうせできない」とか決めつけては相手はやる気を失ってしまう。

そして次に<共感してやる>ということだった。授業を始める前のちょっとした雑談タイムでは相手の云う事に寄り添って盛り上がってあげる。これによって相手はどんどんアッパーな気持ちになっていく。

そして<成功体験を積ませる>こと。問題が解けるようになる楽しさが、また次の問題へ挑戦しようという気になる。これについては<適切な課題設定>も大事だ。あまりに最初から高い目標を与えると、それが壁となってしまって挑む気を失せさせてしまう。一段一段難易度をあげていかなければならない。

授業を週一で行うとともに、宿題を出すことによって勉強の習慣をつけさせること、こいつがまた重要になる。勉強習慣がつくことによって問題が解けるようになり、更に意欲が出るようになるからだ。

最近の塾は<やる気を出させる>ところからやるんだなぁというのは一種カルチャーショックだった。俺は勉強がもとから結構好きだった子どもだったし、塾に来るなら勉強意欲があるのは当り前だと思っていたが、そんなことはないんだな。あとは学習習慣の定着に関しては本来は家庭が担う事だと思っていたが、最近は塾が行うようになってきたんだなぁと想った。親御さんも最近はだいぶ様変わりしてきたんだなぁと想。ちょっと不遜だが、親御さんと協力していく事で、親御さんをコーチングしていく必要が、現代日本ではあるのかなと思ってしまった。

そう考えると俺の場合は随分といい家庭で育ててもらえたものだなぁと想った。大分甘やかされて育てられてしまったが、少なくとも俺への教育投資に関しては金を惜しまれた想いはなかったし、やりたいことはできたし、レクリエーションに関しても旅行やボディーボードや登山などやらせてもらえたし、美術館とかにも良く連れて行ってもらえたし、まぁ端的に言って今の俺があるのは俺の家族のおかげだ。

まぁ、別に何の問題もない家庭の訳はなくて、ばあさんと親父の軋轢とか、弟と俺の軋轢とか、色々あって、そいつも俺の人格形成に大きく影響を及ぼしたけれども、まぁ大体においてはいい家庭だったと想。

よく<自分は変えられる、しかし他人は変えられない>というが、教育と言うのは<他人を変えられる>職種だと想。やっぱり<先生>というのは生徒にとって自分より<先に生きている>存在であって、大きな存在だ。親並みかもしれない。と、いうか人格形成に影響できる立場と言うのはおそらく家族か教師かどちらかだろう。

社会にも先輩や上司がいる。コンサルもいる。メディアも広い意味でいえば先生なのかもしれない。
しかし、人生で直に影響を、それも多感なうちに影響を受ける存在と言えば、親と教師だ。
俺もバイトの身でありながらだけど、責任ある立場にいるんだなぁと身が引き締まる想いになった。

俺はロックンロールを推奨しているし、時に暴力的であったり性的であったりの発露もあるのが自然な人間であると想ってる。恥ずかしいところを隠し続けるのはむしろ良くない事でもあると思ってる。

しかし、真善美という価値観は揺らがない。悪徳の理もあるかもしれないが、それはあくまで<悪>なんだというのを子どもに伝えた上で、愛を持ってロケンローをやりたいw


有心論 RADWIMPS
by wavesll | 2011-02-19 01:35 | 私信 | Trackback | Comments(0)

共に生きる

さて、人が他者と出逢った時に、自己と言うものは生まれるんだろう。

そして、3人以上の人々が集団を作った時に、社会と言うのは生まれる。

人間関係の中で人は様々なRollを演じるわけだけれども、それはボケであったりツッコミであったり、SであったりMであったり、攻めであったり受けであったりみたいな言葉で分類される2種類の大きなRollがあると想。

俺は基本的にはボケやM、受けの方が辛い立場にあるRollだと想。他者から要求される立場は基本的には本当の意味で強くないとできない。いじる側よりいじられる側の方が精神的に強いし、実は他者を攻撃する人って言うのは非常に不安定な精神状態で、おそらく獣としての人が弱った時に周りにストレスをぶちまけるのだと想。

逆に難しい立場にあるのはSやツッコミ、攻めの方だ。こちらのいじりには愛が無いといけない。本当の意味での信頼関係、やりすぎとやりすぎないの境目でぎりぎりまで逝く慎重さ、相手に華を持たせる度量の広さが、こちらのRollでは必要となる。SMプレイは俺はやったことはないが、おそらくSの方が高度な技術が必要となる。いいMというのはどこまでも尽くすけれども、見限った時はとてつもない反動をSに返す。そうならないように、Mに対して常に愛を示すというのがSには必要なんだろう。

俺は昔マルキドサド『ソドム120日』と言う本を読んだんだけど、正直見開き2ページの中で4回は吐きたくなるくらいのエログロスカトロの乱舞の描写だったwたぶん、サド公爵はSでありMだったんだろう。Mってのはすげー耐えられるから、Sもそれくらい耐えられるんじゃないかって期待しちゃうんだけど、普段Sって攻められ慣れてないから少しの刺激で臨界点に達しちゃうんだよねw

痛いことが気持ちいと言うのはM属性がある人しかわからないんだろう。Sの人は痛めつけるのが気持ちいいという力の行使の快楽しか知らないから、Mが反旗を翻すと途端にSは弱ってしまう。やはりいいSというのはMに形式的には勝ちを譲るSなんだろう。ここら辺は夫婦の構図と似ている。強く脆い夫が、弱くたくましい妻の掌の上で転がされている(ように妻が思っている)というクラインの壺な関係性が、夫婦関係にはある。そしてそれをみる子どもがいれば十分社会となる。

社会の範囲が、自分と子どもだけ、というのがモンスターペアレントな気がする。
世界に存在する人間は私と子どもだけとでもいうような傲慢さが、モンペからは漂ってくる。
それは教師や、他の子ども、他の親、近所の人々といった他者の尊厳を無視した甚だ不遜な態度だ。

モンペを嗤う<古き良き日本人>は多い。しかしこれが<島国根性>となると、理論上は否定しても、実際は島国根性丸出しな人が日本人には多い。というか日本社会そのものの病理だ。

俺は新聞も国際面を一番じっくり読むし、BSの世界のニュースを結構な頻度で視てるけど、多くの人はドメスティックな事柄にしか興味がないだろう。海外文化もよくてアングロサクソンくらい、興味があるのは。アジアじゃ中国くらい。欧州や東南アジア、南アジア、中東、中南米までアンテナが張った人はほとんどみかけない。

これが言っちゃ悪いがFラン大学卒ならば別にいいけれど、慶應レベルでもあまりに国際的な事柄に興味・関心を持てない人が多く見受けられるのは、俺としてはとても残念だ><話のスケールがちっちゃいというか、話していて面白みを感じられないような細々としたはなし<しか>できない人が多い。

俺は人からの苦言は大切にする方だし、人から誘われたことは時間と金が許す限りノってみる方だ。気力だけはいつも全開だからwで、自分としてはいじられキャラとしてその場を悦ばすために尽力してきた26年間だった。人の上に立たず、常に底辺で周りの人を支え続けてきた。で、去年ついにその強さが崩壊して周りに黒いマグマをぶち撒けてしまった><俺も弱かった。

しかしこれからはRollを変えて、他者に愛のある指摘をしたり、他者の資質を伸ばすアシストをしたり、他者がのびやかに居心地良くなれる場を提供したりという活動もしてみたい。もちろん、エースである力は鍛練しながらも、これからは周りにも点を取らせられるようなプレイヤーとして成長していきたい。

小春日和の雨夜にそう感じた。


あなたのやさしさをオレは何に例えよう / エレファントカシマシ

by wavesll | 2011-02-18 02:47 | 私信 | Trackback | Comments(0)

New Standard Life

Tamio Okuda - The STANDARD

『人間の条件』という本を書いた政治哲学者、ハンナ・アーレントによれば、<人間の生活は観照的生活と活動的生活の二つに分ける事ができる、と主張している。観照的生活とは、プラトンの主張するような永遠の真理を探究する哲学者の生活である。これに対し活動的生活とは、あらゆる人間の活動力を合わせたものである。活動的生活は主として、活動、仕事、労働の三つに分ける事ができる。>らしい。

活動とは、<人間が関係の網の目の中で行う行為であり、平等かつお互いに差異のある人間たちの間にのみ存在しうる。個々人は自発的に「活動」を開始し、その行為の結果として自身が何者(who)であるかを暴露する。それはちょうどギリシアにおけるダイモーン(守護霊)のように、自身には決して明らかにはならないが他者には明白ななんらかの徴である。>という。つまりはコミュニケーションだ。

仕事とは<職人的な制作活動に象徴される目的-手段的行為をさす。ある特定の目的の達成をめざして行われる行為はアレントにとって「仕事」であった。「活動」はその結果として語り継がれる物語以外の何物をも残さないが、「仕事」はその達成された目的の証としての最終生産物を残す。最終生産物の産出に示される「仕事」の確実性は古来より高く評価されており、それ故にギリシア人は本来「活動」そのものであった政治を「仕事」によって行われるよう置き換えることを試みた>そうだ。つまり、スポーツのように、それをすること自体が楽しいことが活動で、それによって何か作品を創ることが仕事だと想。

労働とは<人間のメタボリズムを反映した行為であり、生存と繁殖という生物的目的のため、産出と消費というリズムにしたがって行われる循環的行為である。「活動」や「仕事」と異なり、人間は生存に伴う自然的な必要を満たすために「労働」を強いられる。それゆえ古来より労働は苦役であり続けたが、アレントによればマルクスの論理的作業によって人間が行うもっとも生産的な行為として位置づけられるようになった>そうだ。つまりは賃金を得るための経済的奉仕であると想。

そしてアーレントは、現代はあまりに労働に比重が置かれすぎていると書いている。

俺も、人生を生きる上で必要なのは哲学生活、コミュニケーション生活、SPORTS生活、自己表現生活、労働生活の5つだと想。これがバランス良くできるような人生が新時代のスタンダードになればいいと想。

その為には、家と学校/会社以外に3rdプレイスと呼ばれる場所があるといい。それはふらっと立ち寄れるCafeであったり、ペンネームで参加できるSNSであったり、<どこか自分の社会的立場や現実の生活から離れたアジール的場所>だ。そーいう場があることで、生活が3点で支えられて安定すると想。

今は日本人は、コミュニケーションと自己実現の場が仕事場にだけ集中し過ぎている嫌いがある。これをもっと、家庭やサードプレースに時間配分して、人生が鼎立できるようにデザインされるべきだ、と、俺は思ってるんだ(^^)

それとはまた違った話になってしまうけれども、どうも俺は<普通から疎外されている>気になっていて、俺自身が<普通/STANDARD>というものにとらわれ過ぎていたんだと想。あまりにも<普通>を自分から遠ざけて生きてきたところがある。

ここで、少し生きる上でRollを変えて、あえて普通だと俺が思っている、そして避けていることをしてみたい、というかこれからはそーいうこと<も>してみて、その上でどちらを選ぶかをやってみたい。

おそらく、今まで異端児として一人で未開の地を孤独に突っ走ってきた俺にとっては、今までにない新体験になるだろう、STANDARDがw


Mr Children 終わりなき旅
by wavesll | 2011-02-17 00:41 | 私信 | Trackback | Comments(0)

カタラクシーとオープンソース

YES - Sweetness


横浜で『繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史』をちょろっとパラ見した。

本書の中では、人類がこれだけの繁栄を手にしたのは『イノベーションのつがい』があったからだそうだ。つまり、交換があるからこそ分業化ができて、分業するから専門化し、専門知識を交換により共有するから、イノベーションの交配ができて、更にイノベーションが加速してきたという。交換と専門化によって自発的に起きる秩序=カタラクシーによって過去から世界は良くなってきたし、これから先も良くなるだろうということだった。

俺も概ねこの意見に賛成だ。特に<分業化して得た経験を交換により共有して、共に前に進む>ということは。

俺は人生をより多重に生きたい。そのためには人生経験の交換が不可欠だと思っている。だからこそ情報を公開するし、俺の感覚だと、<こんなに教えてもらったからにはなんか返さなきゃ>って気持ちになるだろ、と想。大体、一方的なコミュニケーションじゃ全然楽しくない。宇宙が一色に染まるなんて考えたくもない。

でも、無償のサーヴィスを受けるのに慣れ切ってしまった人は、まさに資本主義の豚は、ただただ消費し溜めこむばかりで、何も差し出そうとはしない。まるで<自分は話を聴く役だから>といった感じだ。これじゃあ情報公開しても面白くない。やっぱり経験は交換するものだと想うから。俺は。

そしてwebの先端部分を支えてるのは<Open Sources>という思想なんだ。

じゃあ今回の曲は俺的twitterのanthem、なう!なう!なう!なう!なう!の連呼の歌だw


Genesis - The Musical Box
by wavesll | 2011-02-15 19:28 | 私信 | Trackback | Comments(0)

男の問題、女の問題

松浦亜弥 『想いあふれて』 LIVE at COTTON CLUB


まぁ、今年もチョコはもらえない聖ヴァレンタインディっぽいけど、少しは恋愛の事も考えてみたいなって思って、ちょいちょい書こうと想います。

去年ある鍋会があって、そこで「彼女に求める条件って何か」という問いに対して2人の野郎が応えたのは「教養があること」ということだった。

確かに、多くの女の人は、難しい話が苦手だ。どっちかっていうと社会とか科学的な話よりかはスィーツの話とか恋バナしてる方が好きそうだ。逆にいえばそーいう教養が必要な話にのれるコは男殺しの女になるかもしれない。クレオパトラみたいに。

俺個人としては、教養はそんな必要ないと想う。実は。必要なのは<興味(があるフリ)>だと想。彼氏が関心あることに興味があるような素振りをされたら、まぁインテリでもヲタでも自分の得意分野話すのは楽しいから、がぜん嬉しくしゃべっちゃうと想う。それにつきあえる女がいい女なのかもしれない。

俺の理想の女はオノ・ヨーコ的と言うか、彼女自身も表現者であってくれると付き合っててとても楽しいと想。そりゃ子どもができたら子育てとかにも精を出すように2人で協力できるくらいの協調性が欲しいけど、自分のやりたいことをちゃんとやれる女性が俺の理想だなぁ。

おそらく、<女子>たちが難しい事に興味を示さないのは、ジェンダー的な意味で<かわいさ>を追求することもあるんだろうし、女性の本能として、現実主義の逞しさと身体的なかよわさを持っているからなんだろう。

本来、社会制度と言うのは女性を上位において、男がその下で働くように設計するのが自然だし、卑弥呼の時代から、現在の財布のヒモを奥さんに握られてる家庭にいたるまで、実質的な権力は女にある。形式的には男でも。

女が用意した遊び場で競争ゲームに興じる方が男としては幸せだと想。今は。

しかし、現在はそうなってない。女は独占欲が強い割には表立って力を行使しようとせず<男を立て>ようとするし、男は草食化が進んでる。

俺は草食系の男子の一人だけど、なんとかオクテを克服しようと努力してきた結果、一つの結論に達したw

それは<<シュートを撃たなければならない>>ということだ。
まず、枠内に飛ばなくとも、シュートを打つ形で終わらなければいけない。いつでもシュートが打てる態勢で、得点の匂いを嗅ぎつける野生を研かなければならない。そしていつかは美しく・あるいは泥臭く、とにかくゴールしなければならないんだと想。少なくとも彼女が欲しい奴は。

最近の奴らはどうもパス回しは上手いけど、誰もシュートを打とうとしない感がある。これは男としてはダメだと想。逆にいえば、自分がゴールを決めた後はMF的な役割を担って、仲を取り持ち他者がゴールできる環境を提供したりするのが一つ次のステージとしてありそうだ。その場合でも、いつでもシュートを決められるように鍛錬は怠らないようにしたい。


闇に降る雨 - 椎名林檎
by wavesll | 2011-02-14 12:43 | 私信 | Trackback | Comments(0)

hi-image

恋はいつも幻のように / ホフディラン


俺は『大日本人』はかなり面白かったけど、この映画が一般的につまらないとされているのは、たぶんだけど『大日本人』は松ちゃん本人の面白さを知ってないと楽しめない映画だからだと想。松ちゃん=大日本人の凄さ/面白さが映画の中で説明されてない。だから本来松本人志は『大日本人0』を作って、第二作目として大日本人が苦しむさまを画くべきだったと想。

結局、人々が面白がるところって、基本的には笑えたり、エロかったりする部分なんだよなぁ。複雑な物語を読み解く楽しみってのは多くの人は持たず、ただただ単純な感動やド派手なシーンを藝術に求めてるんだ。たぶん、俺の文章がウケないのも、俺自身の面白い人間性が文章に反映されてないのと、あまりに複雑なものをやろうとしすぎてるからなんだろう。

おそらく、世の中はイメージで動いてる。内実と言うよりかはイメージ。イメージで<なんとなくいい/なんとなく悪い>という感じで物事は捉えられてる。實もいるけど、ほとんど幻だ。

俺は真実を晒すことが善だと思ってたけど、それだけでは結局色気が無い。たぶん俺がモテないのは女性に幻想と緊張を与えられないからだと想。緩慢さや必死な空気でなく、適度な緊張。ダメで苦い真実ではなく、甘く美しい幻想が恋愛関係を作るための核だ。恋は幻なんだ。

『どれだけ傷つけるか・恥かけるか』が男の強さかと俺は思ってたけど、一般人は『傷つかない・恥かかない』のが男の強さなんだなあ、完全に価値観が真逆だw俺はカッコつけないといけないなw


イメージ THE BLUE HEARTS
by wavesll | 2011-02-13 23:47 | 私信 | Trackback | Comments(0)

仲間意識

A.M. 11:00 - HY

夕方、NHK『無縁社会』を作ったスタッフが出演したニコ生をみた。無縁社会の本放送自体はR-1をみていたのでほとんどみてなかったwwwwww

しかし、<無縁>という状況は俺はよくわかる。俺は特にさみしがりやということもあるが、どーにもこーにも大学時代からこっち孤独を感じることが多かったからだ。

それは、要は自分の本当の姿を認めてくれる、同レベルの仲間がいなかったからだと想。<無縁>とは<仲間がいない>状態をさす言葉だと想ふ。ま、なにしろ俺は普通教から疎外されていた人間ですからwwwwwwwwww

日本社会では仲間というのは、基本<仕事>によって作られる構造になっている。これは終身雇用制全盛だった時代は言うに及ばず、サヴィ残全盛の今だって<余暇>というものは軽視され縮小されて、人生のほとんどを仕事にかまけて過ごさなければならない人は多いだろう。

そしてもう一つ仲間が存在する場があると想。それは<恋人/夫婦関係>だ。これは2人の生活を作る仲間と言えるだろう。家族となるとそこに上下関係が生まれることもあるけれど、恋や愛をしている2人の関係は基本的には対等で、同じ目標を見据えた仲間だ。ルームメイトなんかも近いかもしれない。

問題は、フリーター(本当にやりたい仕事は別にある労働者)やNEET、そして非モテの人達は、仲間どころか、プライヴェートで人と接する時間そのものがないことだ。無縁なんだ。強烈な孤独感に襲われるだろう。

俺は<仲間>というのは同じステージで同じくらいのパフォーマンスをしている者同士だと想。だから、友達とも、単なる同僚とも違った、まさに仲間と言う関係性があると想。だからこそ今現在無縁状態の人は、とにかく<出逢う>ことが大事だ。或る意味も何も<出会い系>は世の中を掬ってると想。出逢いというのは何も職場や合コンや婚活だけではなくて、ナンパやSNS、出会い系サイトでもいいと想。むしろ18歳以上ならばそれらのツールやアクションを起こせる人間の方がコミュ力があると想。

しかし、草食系の人や非コミュとされてる人は、パートナー作りの為に行動すること自体が不可能、というか恐い可能性がある。そうした人たちの為に、<同じ意識を共有できる人間が集まれるスペース>が必要だと想。

で、実は2chやニコ動がかなりそれらの層を掬ってるんだと想。また2chから毒を抜いたmixiも多くのサラリーマン/OLの心の癒しとなってくれてると想。インターネット上に、FACE 2 FACEのレベルの力を必要としない穏やかなコミュニケーションの場が用意されてるんだ。日本型SNSでは別に実名が絶対ではないしね。ペンネームで参加できる気軽さもある。

たぶんだけど、<自分と同じ境遇にある人がいる>と言うこと自体が仲間意識を育てる。自分が好きなことを他の人も参加してくれたら嬉しいし、自分の活動を気にしてくれたら嬉しいし、そこでコミュニケーションしてくれたら超嬉しい。そういう意味で、核家族化や独居化で希薄になった地域の共同体意識に変わって、インターネット上の社交の場に共同体意識が芽生えていると想う。

しかし、web上だけで完結する関係だけではやはり孤独だ。realなコミュニケーションも必要だと想。
で、現在、実社会において仲間がいる人は問題が無いけど、実社会において仲間がいない人を孤独から救うためには、社会的な取り組みが必要になると想。それはNPOであったり、メディアであったり、公的機関であったりが、相互に横糸縦糸で連携して、今現在<無縁状態>にいる人が<共に生きていく仲間>をみつけられるようにセーフティネットを構築するべきだと想。それは具体的には自殺者への電話相談サーヴィスや、就労支援や、教育や、趣味のイベント開催であったりだ。

ニコ生では荻上チキが『かつて存在した共同体内での、<村八分>や<DV>などの暗部を乗り越える共同体を構築しなければならない』というようなことを言っていた。戦後日本の共同体や、戦前の日本の共同体への単純な回帰ではなく、平成23年の日本人が求める新たな共同体の生育が、今求められている。

ダンデライオン BUMP OF CHICKEN


BUMP OF CHICKEN 車輪の唄
by wavesll | 2011-02-12 00:09 | 私信 | Trackback | Comments(0)