<   2014年 11月 ( 4 )   > この月の画像一覧

インターステラー感想、2014年の日本の風景から

以下の文章には『インターステラー』についてのネタバレを含む記述があります。これから『インターステラー』を観ようという方はこのエントリは今は読まずに、ご覧になられた後でご笑読されることをお勧めいたします。



一昨日の夜、新高島の109シネマズにて『インターステラー』をみてきました。
今年は年初に『ゼログラビティ』という、映画館での新次元の体験を表現した宇宙映画がありましたが、『インターステラー』はそれとは一種真逆の、宇宙体感映画というよりも、宇宙という舞台装置を使って父と娘の人間ドラマによって感情を揺さぶる映画でしたね。

個人的には船橋のIMAX3Dでみた『ゼログラビティ』の宇宙体験に、衝撃度は軍配を上げたいですが、物語としての深みは『インターステラー』にありだなと、感じました。

宇宙に出てからの展開もとても良いのですが、心に考えさせられたのは時代設定が描かれる地上パートの部分でした。

今から1,2世代後の近未来。作物がどんどん育たなくなり、原因不明の砂嵐に脅かされる世界。人類のほとんどはトウモロコシ農家となり、科学の進歩という価値観は否定され、学校では月面着陸はデマだったと教えられ、主人公クーパーの父親の老人が「人口が60億程の頃の、新しいものがどんどん生まれてきた頃と今は全くパラダイムが変わったことを受け入れろ」と元パイロットのクーパーに諭す時代。恐らく、全世界の軍は解体され、全世界は人間同士で戦うことよりも、日々を生きることに必死になる、というか地球環境がもはや人間に適さない位になってしまいつつある不安の中で生きなければならない時代。

そんな時代にクーパーたちは生きています。この時代設定を見ていた時、これは『風立ちぬ』を更に先に進めた問題意識があるのではないかなと思いました。

『風立ちぬ』の主人公、二郎は同僚に「俺たちが造っている飛行機にかける予算が少しでも浮けば、数多くのひもじい子供たちに食べ物を与えられるかもしれない。しかし、それでも国は飛行機を作らなければならないのだ」と言われます。

この『風立ちぬ』のシーンは、科学の発展が、戦争によって起きるメカニズムがある事を示すと共に、"穏やかな夜"よりも科学の発展の方が、人は根本的にわくわくする生き物であるという真理を暗示する場面だと思います。

インターステラーで描かれる時代は、福祉重視派あるいはエコ思想の一部の人、平和を望む人にとって、一つの理想であるこの"自然に畏怖しながら生きる、戦争のない時代"でありながら、実際にそういう時代が到来してしまった場合に起きる"イノベーションと消費文明を知っている者にとってはどうしても感じざるを得ない閉塞感"を画いていて、うーんと唸らされました。この感覚は、もしかしたらベンジーが歌う"きせき"に通じるものがあるかもなとも感じました。

さて、ひょんなことからクーパーは人類の未来が託される宇宙への脱出計画に身を投じることになります。
閉塞感、将来の不安が纏わる場所からのEXODUSの物語が、心を打つのは、日本の今の若者がこの国の将来に大きな不安と閉塞感を感じている証左でもあるかもしれません。

宇宙での航海の部分は、SFらしく、"それっぽい概念"が"それっぽく"描かれていて、自分としては非常に楽しめました。

中でも"事象の地平線"が映像化されたこと、ブラックホール・ワームホールが今の学説に基づいてヴィジュアル化されたことは非常に面白かった。この映画はモロに『2001年宇宙の旅』を意識したつくりになっていますが、色彩あふれる『2001年~』に対してモノクロで表現されるこの映画の宇宙の描かれ方には、杉浦康平氏が創った『全宇宙誌』のヴィジュアルにも通じるものがあるなぁなどと思っていました。

私は経済学部だったので物理学はまるで無知ですが、相対性理論についてはブライアン・グリーン氏が書いた『エレガントな宇宙』で少しかじっていたので、そこら辺のこともそこそこわかって面白かったです。さらに言うと、『エレガントな宇宙』の続編『宇宙を織りなすもの』では"時間は凍ったものとして全ての瞬間がすべて存在している"というような記述もあったように思います。最後に辿り着く"5次元空間"の描写は、それを読んだ身からすると、"あぁこれ、凍れる時間仮説から描かれたものかもしれないなぁ"と思いました。

更に言うと、『エレガントな宇宙』を読んだ大学生当時に自分が妄想していた"精神も次元の一つである"というような思い付きと、今回ノーラン監督が作り上げたロマンあふれる作劇が共鳴する部分もあるかもなー、なんて一人ニヤッとしてしまいました。

全人類のことを考えているような人が、結局自分の欲望や身内のことを最優先してしまう物語。実際、この物語にはほとんど"外部"が出てきません。他国の描写はインド軍のドローンくらいですし、とことん"親子の情""愛する者との関係"だけがクローズアップされた物語。そもそも星や地球は人類が滅んだって存在するし、人間はそういうものなのだから、下手にいい子ぶった"自己犠牲な"行動をとるよりも、自分の愛が身勝手で醜いことを認識した上で、それでも手の届く人の為にできることをするしかないというテーマは『寄生獣』にも通じる、ただ生っちょろいうだけでない人生の真実があるかなとも思いました。

最後に、きっと娘が出来たらこの映画でボロンボロンに泣いちゃうんだろうなぁ。自分の人生が新たなフェーズに入ったら、また観たい、いい映画でした。

あと、これ見た人には『へうげもの』の作者さんが前描いた『度胸星』を読んでもらいたいなぁ、きっとニヤリとさせられると思います^^

きせき

いつの日か この街に きせきが舞い降りたら
アスファルト 道路がすべて 透き通った川に

閉ざされた工場 すべて森に変わる
愛などと 言うコトバ忘れ去れるほど


平和な世界が やってきたら きっと
僕は退屈で 生きてはゆけないだろう

生きてはゆけないさ


いつの日か この街に きせきが舞い降りたら
冷たい コンクリートビルディング なだらかな丘に

自分を無くしたすべての人々が花に
愛などと 言うコトバ忘れ去れるほど


平和な世界が やってきたら きっと
僕は退屈で 生きてはゆけないだろう

生きてはゆけないさ
by wavesll | 2014-11-30 22:22 | 映画 | Trackback | Comments(0)

深緑、その先

今年は初めて秋が好きになったと自覚できた年でした。

想えばこの数年、私は春から夏にかけての時期を最も好み、夏が過ぎたのちは"「夏は楽しかったね、いい加減な事、言っていた気がするよね」とベンジーが歌っていたなぁ"等とあの熱の影を求めて、寒冷な季節を歩いていました。

そんな自分が秋が好きになったのは、デング熱が去った代々木公園を歩いたら、夕映えの樹々が赤銅色に、滲黄に燃え枯れ、肌に凍みる風と足元の葉を踏みしめる感触が、たまらなく心に響いたからでした。

今年は人間的にも、社会との関わりとしても、学んだことが多くあり、その出会いと別れ、選択の結果を受け入れる事、と共に自分もまた"若葉"を自分の属性としてみなせないフェーズに、徐々に、しかしいよいよ漸く入ったのだなと想ったから、あの秋の夕が自分の心臓の襞に吸い付き、新たな楽章が鳴り始めているのだななんて想います。

今、自分にとっては懐メロとも違うのですが、生徒、学生の頃にリリースされた音源に、揺り動かされます。それも当時はあまり魅力を感じなかった楽曲に。

バンドの、彼らの当時の年齢に自分が近づき、心情の熱運動が、若葉から深緑、そして朱黄に変化していく過程なのかもしれません。

"別れ"の感傷を想起させる曲、あるいは夏の熱が冷えた後に鳴らす音。そんな音として今秋に良く聴いたのは『AJICO SHOW』でした。

Blankey Jet City解散の後、様々なバンドが組まれましたが、ベンジーがやった中で、現時点の自分が一番好きなのは、このあっという間に去っていったajicoというバンドです。

当時の中高生だった自分には、あまりにも大人で、渋すぎると感じていた楽曲が、今心地よい。どころかエンターテイメントとしてのサービスな甘さも特にギターに十分ジューシーに含まれ、舌も苦みが美味しく感じるようになったものなぁと感慨深く思います。

地元から共にやっていた仲間と離れ、社会の中で出会った人脈で組んだスーパー・バンドの化学反応。あっという間に散ってしまった深緑色した焔。この音が響く耳になったのは、俺にはまた豊かな未開地が開けた気がし、痛みも苦みも、幸福の一種なのだなと感じる晩秋になりました。

”Pepin”


”深緑”


ブランキーには再結成してほしくないし、少なくともあの三人で昔の曲やられたら、喜んでも悲しい。
きっとajicoもあれきりだから美しいのだと思います。

更に俺が老けて、丸くなって、柔らかくなってしまったら、その頃にはみなまろやかになってロックンロール鳴らすのかな、あるいは"楽しそうだからまたやろうぜ"みたいになるのを喜べるようになるかもしれません。それはちょっと見てみたい気もしますが、ナイフの切れ味が錆びるのを喜ぶほど、まだ自分はまろやかではないですね。でもベンジーが「またどっかで会おうぜ」って言ったのは、単純に嬉しかったです。
by wavesll | 2014-11-24 21:20 | 私信 | Trackback | Comments(0)

CITIZEN “LIGHT is TIME” ミラノサローネ2014 凱旋展

c0002171_22451130.jpg
c0002171_22453226.jpg
c0002171_22455013.jpg
c0002171_2246542.jpg
c0002171_2246196.jpg
c0002171_22463368.jpg
c0002171_22465465.jpg
c0002171_22471122.jpg
c0002171_22472575.jpg
c0002171_22473886.jpg
c0002171_22475280.jpg
c0002171_2248865.jpg

by wavesll | 2014-11-18 22:48 | 展覧会 | Trackback | Comments(0)

TOKYO WEEKEND

c0002171_3482092.jpg去る土曜にNHKホールでモーリス・ベジャールと東京バレエ団、ズービン・メータとイスラエルフィルによるベートーヴェンの第九のバレエを観に行きました。

ドイツ語での語りとドラム・パーカッションの打音が鳴り響く冒頭に一気に引き込まれました。というか、ここが一つのピークでしたw実際に第九が始まると、音のゲインが低くて、どうしても迫力が冒頭の打音に負けてしまうなぁと思いながら見ていました。男たちと女たちが自然の中で舞い、愛を育んでいく様子が顕されているのだろうと思ったのですが、バレエ初心者の自分は途中でダレて女性のレオタード姿ばっか眺めてました(苦笑

第九を全編通して聴いたのも初めてだったのですが、やはりクラシックは敷居が高いですね。クライマックス前まで草原を風が抜けるような、ただどこか格式ばったような、まぁこんなものか、そう考えるとペトリューシュカはPOPとして聴けたなとか、考えていました。また、ダンスの足音が聴こえるので、これをもっと印象的にしたらいいのでは?なんて考えました。

例えば動作センサーとライティングを使って、ダンサーの跳躍・着地時に床に波紋が生まれたり、草木が生えたりしてはどうか。あるいは巨大なタッチパネルのような仕組みを作ってダンスの足捌きによって音が奏でられるような仕組みを作ってはどうか?etc。

まぁそうなっちゃうと人工的って感じになってしまうかもしれませんが、今年の八月に見たギエムのボレロは動きがほんとアニメ的な魅惑にあふれていたというか。手足の長さで劣る日本人は別の技術と肉体を組み合わせて魔力を造ってもいいかなと想います。

しかししかし、歌が入ってからの第九の凄さには圧倒されました!うーん凄かった。字幕出してもいいかなとも思ったんですけどね。白・黒・赤・黄のダンサー(これは人種を表してるのかなとも思いました)が舞い、黄色のソリストが中央で生と死を思わせる躍動を魅せます。ソリストを周囲のダンスで甦らせるような振り付けにはちょっと天岩戸を想わされました。

そして家に帰ると、椎名林檎が蜷川実花・野田秀樹と東京五輪について話していました。
みていて「アチャー」とならない、恥にならない開会式にしたいと。
その為には誰かの強力なリーダーシップが必要で、ふわっと全部載せてぼやけた味になったら終わりだけれども、現実そうなりそうで怖い。というような話。

委員に名を連ねる蜷川からは「プレーヤーばかりでプロデューサーがいない」というような話も。ここに秋元が収まってしまったら恐ろしいなと思うと同時に、これがマンガなら敵である秋元が実は最大の助けになるみたいな展開ないかなwなんてみてましたw

東京五輪、TOKYOという都市が世界の都市と伍していくために、全国の精鋭が鍛えぬいて練り上げた価値を示す機会に、やはり日本に足りないのはきちんと責任を取り、未来のヴィションをぶち上げるリーダーなのですね。

次の五輪のセレモニーは前の五輪からの60年をみせると同時にこれからの60年をみせるべきであって、そこには当然、文化が流れ着き、改良されていく日本という国がもつミニマムとカオス・伝統と革新が双立する多義性であったり、一種の無国籍な現代文化の発信地である点を示すと共に、人口減少・少子高齢化の中で恐らく政府は移民政策を今後も推し進めるでしょうから、そんな中では『日本人が想う"人間観"』が示されればいいな。できれば新技術を使ったパフォーマンスのイノベーションによって示せるといいなと思います。

東京と地方を考える時間は今後どんどん増えていくでしょう。未来予測では東京圏の人口は今後も増え続け、地球1のメガロポリスとして君臨し、そして日本の地方からはどんどん人が消えていきます。

最近話題になったHi-Hi-Whoopeeの方の手記でも"インターネットで現実が加速するのは東京だけ、地方の自分の現実は何も変わらず醜い気持ちが溜まっていった"というような記述がありました。マイノリティがマネタイズできる位のヴォリュームで生活している東京という土地は、インターネット空間と同期して益々地方とのリアルイベントの量の差が広がっているのかもしれません。

一方で、一つ展望が開けるコトバを最近聴きました。

それは金曜に訪ねたヘンミモリちゃんの個展でのサイトウケイスケさんとのトークでの一幕。

山形にずっと暮らしていたサイトウさんにとって東京は相当思い入れのある土地であって、SadsやNumber girlの歌うような狂った凍える都市だった。でも来てみたらみんな温かいし、楽しいし、創作の刺激をうける街だと。同じ山形の美大を出たヘンミさんに「東京についてどう思う?」と聞いたとき、

ヘンミさんは「転勤を繰り返し様々な場所に住んでいたので土地に思い入れはない。石巻にも。東京も"なんか東京っぽい場所だな"くらい」と答えていました。

その答えを聴いたときに、土地から自由になることがみな出来れば、この国はもっと輝けるのかもしれないと思いました。その為には仕事と住にかかる金が安くなることと共に、移動の勇気が持てる志が大事なのではないか。「全ての人がしばらみなく自らの意志で住む場所を選ぶ自由」を得たら、更に都市集中が起こるかもしれませんが、IT・ICTの力でそれを解決する創新の場は、今、地方にチャンスが広がっていると思います。なにしろ日本には東京の9倍の"東京以外"がありますから。

c0002171_22345245.jpgそんなヘンミさんの作品。写真を加工してプリントしたもの。こういう作品を並べることが出来るアートスペースがやっていけるのも、東京らしいですね。"地元の自分"のイメージから現実で脱することが出来る、というのも確かに東京の魅力ですね。
by wavesll | 2014-11-10 04:26 | 小ネタ | Trackback | Comments(0)