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美しく醜い子どもの国アメリカ

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高校時代の僕に多大な影響を与えた予備校世界史講師の諸岡先生が慶應で絶対にとるべき講義だといっていた鈴木透先生の著作、『実験国家アメリカの履歴書』を読みました。

そこから浮かぶアメリカのイメージは、一言「子ども」。そりゃだって建国231年じゃそりゃそうだ。大人がなぁなぁにすますことをイノセントに否定したり、自分の感情を抑えられずに暴力を振るったり、失敗しても自分の将来に希望を持っていたり、自分と違う存在を受け入れられなかったり、差別をしたり、理想をひたすらに求めたり、アメリカはまるで子どもです。

古来からあった国家という枠組みをその後に出てきた技術や哲学を利用してもう一度組みなおしたのが合衆国とソ連で、今はEUがそれをやろうとしているのでしょう。いわば国家2.0ですね。

日本は皇紀2667年を誇る大人の国ですが、62年前にガキ大将に喧嘩で負けて無理やり2.0どころか10.0の憲法だけ押し付けられました。自らから出てきた考えではないからルールと現実の乖離が凄まじいことになっています。九条は戯言で、剣術は殺人術だと思います。しかし、大人が子どもの夢をかなえてやるのは素晴らしいことじゃないかなとも思います。ただ、単純に子どもの真似をしているだけでは大人としての責任を果たしていないので大人らしく振舞う必要があるでしょう。

しかし合衆国の持つ実験精神は見習うべきところも多いです。
今法律がどうなっているか知らないのでうかつなことをwebにかけないけれども、次の参院選、日本国民も一度や二度の失敗を恐れず、実験してみても国は滅びないかもしれませんね。
by wavesll | 2007-06-30 07:32 | 小噺 | Trackback | Comments(0)

『ギルガメシュ叙事詩』 彼が成し遂げることは全て風に過ぎない

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古典を読もうと思い立ちB.C.2000年以前に紡がれたメソポタミア文明の名著『ギルガメシュ叙事詩』を読みました。

ウルクの王であるギルガメシュの活躍を描いたこの本、アッシリアのニネヴェやヒッタイトのボアズキョイで見つかった粘土板に楔形文字で描かれていた物語ということで途中で平気に「以下30行欠損」とか何度も出てくるツワモノでしたが、逆にメタ的にも読書を楽しめました。

予想してたとおり面白かった。まるで『JAM』『世界の終わり』を聴くような感触でした。

古代メソポタミアは西欧世界の原型の一つなのだなと強く感じました。後に旧約聖書で『ノアの箱舟』として継承される洪水伝説や、生と死をめぐる冒険、蛇によって盗まれる永遠の命など、メソポタミア文化圏の端っこにあったイスラエルへの影響が容易に想像できる要素が多々ありました。

余談ですが暴君であったギルガメシュはウルクで結婚した夫婦の初夜の前に奥さんの処女を必ず食っていたそうです。これがかの深夜番組のネーミングの元なのでしょう。

僕が最も心を引かれたのはこの物語が白と黒の2大主人公制を採用している点でした。
乙木さんが説明しているように、『HUNTER X HUNTER』や『デスノート』、『コードギアス』など白黒2大主人公を採用する物語はゼロ年代の潮流です。その元祖が『ギルガメシュ叙事詩』といえると思いました。

簡単なあらすじ。

知と権力の王ギルガメシュに対抗するために神に作られた野人エンキドゥは、ギルガメシュに送られた聖娼によって人間らしさを得る(ここらへんが文明ってのは邪なものなんだということを現していて良い)。

ウルクに来てギルガメシュと殴りあった後、彼らの間には友情が芽生え、共に西の森の怪物フンババ(フワワ)を退治しに行く(ここら辺は『もののけ姫』にもつながる神殺しの話)。

その結果見事凱旋し、ギルガメシュは女神から夫にならないかと誘惑されるが神になることを断り、怒った女神によって送り込まれた天牛をエンキドゥと共に殺害。しかしそれによってエンキドゥは神の怒りにふれ衰弱死させられてしまう。

最愛の友であったエンキドゥの死に衝撃を受けたギルガメシュは、死の恐怖から逃れるため大洪水を生き延びた賢人ウトナピシュティムに会うため東の冥界へ旅立つ。

ウトナピシュティムから死は誰にも逃れえぬことも予見することも出来ない神の暴力的なまでの絶対だと諭されるが、最後に若返りの草を受け取る。しかし持って帰る途中で草を蛇に食われてしまう(その結果蛇は脱皮する。)。


この物語を動かすエンジンがギルガメシュとエンキドゥの2人です。彼らの友情と冒険が、メソポタミア人にとっての「死を前にした人間の生の問題」をあぶり出します。

英雄的人生観、永生希求、現世的享楽主義、神への奉仕による人生観が示されるけれど、叙事詩はそのどれも絶対の正解とはしません。全ては相対化されます。彼(=人間)が成し遂げることは全て風に過ぎない。ギルガメシュは全てを探求しようとしたその軌跡だけが残るのだという、ボールをこちらに放りっ放しの終わり方をするあたりも『HUNTER X HUNTER』に似てるなと思いました。

興味をもたれたヒトは一回読んでみるといいと思います。日本語訳があるので楔形文字が読めなくとも問題ないっす(^^)
by wavesll | 2007-06-20 03:18 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)

『おとなの進路教室。』を読んで思ったこと。 仕事観と価値観

c0002171_223347.jpg山田ズーニーさんの『おとなの進路教室。』の単行本を買って、読みました。

その中で最もぐさっときたのが『勉強?それとも仕事?』という一連のコラムと『目が肥えている』というフレーズでした。

(山田さんのコラムはほぼ日で読むことが出来ます。勉強?それとも仕事?のシリーズの文章はこちらから読めます。)

『勉強?それとも仕事?』という問いがつきつけているのは、社会人が持っている仕事に対する姿勢を理解しているのか?ということです。

僕はこのコラムの中にいるRさんそのものでした。「自分を知的に高めたい」。これを仕事でもやりたいとして、結局、仕事でも第一に自分を喜ばそうとしていたのです。

ズーニーさんの仕事の定義は「人を金を支払ってもいいと思うレベルまで喜ばせること」です。身内でも、「人類」でもない一人の他者をどのような形で喜ばせられるのか?自分がやりたいことをするということも、やりたいことだからずっとやりきれる。つまりずっと他者を喜ばせられるということなんだと改めて目を見開かせられました。

では、そういう観点に立ったとき、僕は何が出来るのでしょう。何をしたいのでしょう?何の価値を社会に提供して生活をしていきたいのでしょうか?

話は変わって、ズーニーさんはこの本のほかのコラムで、「今の自分の言葉で話すこと」の重要さを説いています。今自分がいるところ。その立脚点からでた表現は切実で、他者に迫ると。

しかし、都会の子供の立脚点は「自分が仕入れた情報」らしいです。その情報と情報の整合性を追うだけで、オリジナリティのない表現・疑問しかできないと言います。

情報がありすぎるというのも確かに困ったことです。自分の中にふつふつと沸くマグマも、先人の素晴らしい言葉で先に明確に表されていたりすると、自分の中でしぼんでしまうこともあるかもしれません。少なくとも自分のオリジナルの表現が出ずらくなりそうです。

もっというと、全てが相対化されて、倫理だとか価値観だとかが非常に揺らぎやすい社会に今、我々は否応無しに生きているといっていいのだと思います。

超情報化社会ではインプットとアウトプットのギャップが非常に激しくなります。自分自身と比較されるのは、同じような能力の人ではなくて一流のプロ。これは一面では成長を加速させるかもしれませんが、一面では自分から価値を創造すること、表現することへ尻込みさせていると思います。誰だって最初は上手くいかない。しかし目は非常に肥えている。どうせ満足いかないのなら最初からやらないほうがましなのではないか。と考える人も少なからずいると思います。というか僕自身がそうです。

一方で表現の可能性を広げながら、一方で表現の可能性を潰す。放っておくとクリエイティビティーの二極化はどんどん進んでいく気がします。下手でもやってみるところから始まるんですけどね。

そしてインターネットは情報の価値に関しても人々の価値観を一変させていると思います。

ウェブに溢れる文章はほとんどがタダです。画像もタダ。場合によっては音楽や映像もタダで手に入ります。どんどん情報に対する価値観が従来から狂っていっていると思います。

自分で楽器を弾いたり、演技をするわけでもないのに、僕はプロの音楽や、ドラマを見て、こんなもんかと思ってしまいます。まぁ、肥えてしまった目から見ると「こんなもん」でも、それを自分が作れるかといったら全然そうではないのです。実際に劇作りに参加してみて、一つのドラマを作ることがどれだけ大変か、カラダで知りました。ましてや面白いドラマといったら非常に難しい。一流のプロの提供するハリウッド映画が1,800円というのに、規模の経済があるとはいえ、自分自身ではどれほどの価値を生み出せるでしょうか?

金銭という価値尺度で言っても、情報の受け手としてどんどんかつての正常値からずれている気がしてなりません。そしてそれはこの先仕事人となったとき、自分に跳ね返ってくるものだと思います。自分がBtoBではなく、コンシューマーを相手に表現活動をするとしたら、自分の表現のタダの中身以上の価値を作らねばなりません。いやBtoBでもそうか。そしてその上で、仕事になった上で本物を追求しないといけないんですね。

現実で重要なのは「本物を見抜く力」「本物を作る力」「本物をまとめて、価値付け・パッケージングして、届ける力」ではないでしょうか。特に最後のものが今消費者が求めているものだと思います。そういった情報を届ける仕組みを創造できる力に今、仕事として最も興味があります。

システムを作ること。そのためにチームの一員としてコミュニケーションを加速させること。まだ就活頑張るぞという気力を感じつつ、この本を読了することが出来ました(講義中にねw)。また読み返さなきゃ。


P.S.
ちょうど本の話。そして仕事観の話ということでLingua furanca.のテラシィさんのエントリにトラックバックしてみました。
by wavesll | 2007-05-07 22:10 | 小噺 | Trackback | Comments(2)

黒夜に光

c0002171_1373435.jpgもうすっかり空気がしっかりしてきて、街の灯かりが一番きれいに見える時分になりましたね。
そろそろ色んなことしっかり俺もしなきゃなーと、今を大事にしねーとなーと思うわけです。とりあえず季節を感じようかと帰り道にマックに寄ってグラコロ食べてみました。



c0002171_116261.jpg未明に観た『ナイロビの蜂』は傑作でした。日本での予告編は真実のラブストーリーという面が強調されていましたが、アメリカのトレーラーのように、この作品は第一級のサスペンスでもあります。

妻の死の真相を探る外交官が見る闇は、ケニアだけでなく国際的な広がりを見せ、底が見えない深さを持っていた。ちょっとわくわくしてきませんか?

ケニアを始めとする鮮やかなアフリカの風景に冒険心をくすぐられるもよし、テッサの魅力に浸るもよし、巨悪に立ち向かう男の物語としては『MONSTER』を超える面白さといっても過言ではないです。お勧めです。

c0002171_1365387.jpgTVの上に置いてあった『新編 銀河鉄道の夜』を読んでみました。
宮沢賢治の童話には、いじめられる存在が良く登場します。ジョバンニもそうだし、よだかや、窯猫もそう、ゴーシュもそう。子供を描こうとすると、いじめはさけられないんだなと思いました。
そして賢治の作品は、単なるハッピーエンドではなく、悲しさを残して終わります。それは賢治自身が、人生に対して至極当たり前に、すべて上手くいくはずはないと思っているからなのかな。と思いました。
昨今は気を病む子供が多いといわれますが、気休めを言われるより、『よだかの星』を読み聞かせたほうが何倍も意味があるのではないかな。と思いました。
しかし何でこんなに賢治の文章は奇麗なんでしょうね。どこか洋楽を聴いてる感覚というかエーテルを飲み込んでるような気持ちになりました。

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で、今夜は渋谷O-WESTで開かれたHIFANAがオーガナイズするイベント、『ZAMURAI 5』に行ってきました。お目当てはTuckerHIFANAで、それぞれ超絶演奏をやらかしてくれたんですがそのほかの面子もキてました!

ボイパで会場を鷲づかみにしたAFRA & INCREDIBLE BEATBOX BAND。去り際の車のパフォーマンスも最高でした。

そして客の脳天まで貫通するビートをかき鳴らしたDJ KENTAROは「DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPS」という毎年行われるDJの世界大会の2002年度覇者です。

こっからTuckerの流れが一番熱かった。ってかTucker凄すぎ!一人でバンド演奏するわエレクトーンの上で倒立するはしまいにゃKAT-TUN流すはセットに飛び込んで壊すわパワーウェイブみたいなエレクトーンの打ち方するわその変態プレイに会場が沸くわ沸くわ!激熱でした。

そのほかにも、MITSU THE BEATSが出てきたり、いかにも悪そうなラッパーが出てきたり、最後のHIFANAなんてセッションしまくりーのコラボまくりーの、シタールまででちゃう始末で最高にフレッシュな夜でした。合間のお笑いマジシャン二人組みもかなり面白かったwっつーかコレだけの面子、ほんとに東京のシーンの上澄みを掬っててよく俺コレ観ることができたな超ラッキーじゃん!って感じでした。
by wavesll | 2006-11-18 01:03 | 私信 | Trackback(2) | Comments(0)

輪郭

銀座シネパトスにアレクサンドル・ソクーロフ監督が昭和天皇を描いたロシア映画、『太陽』を見に行きました。

多くのひとに見てもらいたいと思える映画でした。

イッセー尾形演じる天皇陛下は非常に気持ち悪いし、延々と続く薄暗いトーンの連続に眠くなるかもしれません。白状すると、かなりうつらうつらして重要なシーンを見逃してしまいました。これがロシア映画の洗礼ですかね。

けれども、ロシア人の手によって、あの時代の、あの場面が非常にうまく切り取られていました。
とにかく映像が美しく、幻のような情景を眺めるだけでも価値はあります。本来なら日本人に作ってもらいたかったけれども仕様がないですね。

今上天皇のお父上は当時、神でした。
あまりにも弱弱しく描き出される現人神。
その座を捨て、人間宣言をする裕仁様。

たった一世代前までこの国には神がいたという現実に、改めて愕然としました。
裕仁様が皇太子殿下に手紙をしたためるシーンがあり、今との繋がりを感じました。

あと、もうひとつ見てもらいたい理由としては、この映画、かなり笑いが起こるんです。
イッセーとか佐野史朗とかがたぶんアドリブでやってる場面とかはめちゃくちゃ面白いw。
あと、個人的には昭和天皇の口癖「あっそう」がかなりツボだったので、みなさんにこの映画をみてもらってこの面白さを分かち合いたいです。

海洋生物の研究者で、「進化論」のダーウィンの像を机の上に飾る天照大神の子孫の裕仁様。
ご自身のことをthe emperorと呼び、Iと決しておっしゃられないところに、天皇という機関でいなければならない運命と、生身の精神との葛藤を感じました。

決して史実どおりに作られたわけではなく(たとえば、四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世に など波風の 立ちさわぐらんは開戦前に詠まれたもので、映画のように終戦間際に詠まれたものではない)、あくまで一人のロシア人の手によって紡がれた物語であっても、太陽の輪郭を捉える一歩には確実になっていました。

現在、史実はどう捉えられているのだろうと、読売新聞8/13号と8/15号に掲載された「昭和戦争」検証記事を読みました。

読売は張作霖爆殺事件からポツダム宣言までの出来事を「昭和戦争」と呼称し、この戦争の責任の所在がどこにあったのかを日本人自身の手によって明らかにすることが現在不可欠という考えに基づいて長期にわたり昭和戦争の戦争責任に関する特集を続けており、この2日間の記事はその総まとめでした。

13日は昭和戦争を「満州事変」、「日中戦争」、「三国同盟・南進」、「日米開戦」、「戦争継続」、「特攻・玉砕」、「本土決戦」、「原爆・ソ連参戦」の8つの時期に分け、それぞれの時期で責任の重い人物が挙げられています。

15日では特に責任が重いとされる東条英機と近衛文麿に焦点が当てられ、ほかにもその他指導層や軍官僚、メディアや天皇の責任について触れられていました。

その中で天皇は立憲制の枠の中で、実質的な権限はなく、責任はなかったとされています。この時期に天皇が政治に関与した3つの事柄、田中義一内閣の総辞職、二・二六事件の反乱軍に対する討伐命令、そして終戦の「聖断」はどれも平和を求めての行動だったとされていました。

読売のこの記事には、メディアの責任にも触れながら東京裁判でA級戦犯とされた正力松太郎に言及しないなどといった批判もありますが、あの戦争を日本人の手で定義づけようとすることは必要と思いました。

それと共に自分の無知さを実感し、読売史観とは別の視点も知る必要があると思いました。

そこで、今年生誕百年となる坂口安吾の『堕落論』を読みました。

彼の著作の中でもっとも有名な『堕落論』は文庫版で11ページの文章で、1946年に発表されたものです。文庫では堕落論の前後に書かれた小論がまとめられています。今回読んだのは角川文庫版と新潮文庫版でした。

その中で感じたのは、坂口氏は同時代人だということです。例えば『日本文化私観』の中での日米野球でベーブルースを見たという逸話や聖路加病院まで歩いたという逸話や、カタカナが多用される文面は現代の文章を読んでいるのと違和感がありません。
同時代の太宰や小林秀雄につっかかる様などはまるでblogの記事を読んでいるかのような感覚をうけました。

戦後の社会に蔓延る倫理観を一度捨て、真にリアルな生き方をするところから人間ははじまると説いた『堕落論』を始め、彼の論のテーマには戦争や、天皇というものが選ばれていました。

天皇は最高権力者といっても祭られているだけで、実際はなんの権力もなく、時の権力者がその意思を滑らかに社会に振るうための道具であると断じた『天皇小論』や、戦争はこれまでに社会に多くの利益をもたらしたという見解を示しながらも原爆以後の世界では、もはや戦争をやるべきではないとする『戦争論』は、60年前にこんな考えがあったのかと驚かされました。もはや武力衝突ではなんの解決も起こらず、政治・外交の手によってのみ世界の問題解決進められるべきだという言葉は、いまだに戦火の絶えない21世紀でも大きな意味を持つ言葉だと思います。

また『歴史探偵方法論』に沿って語られた天智天皇の後の天武天皇と内親王皇子の確執は読み応えがあり、天皇というシステムが作られる過程を探るのは、平成の現在から昭和を振り返るのよりはるかに難しいと思われるのですが、自由に(もしかしたらトンデモかもしれないけれど)展開される論は読んでいて非常に好奇心をかきたてられるものでした。

市井の人間として、戦中においても人々は案外バイタリティを失わなかったという述懐は、昭和という時代にひとつの輪郭を与えてくれました。

天皇を知ること、昭和を知ることは取りをなおさず日本を知ることであり、いくつもの「真実」をつなぎ合わせて自分なりの像を描くことは、続けていきたいです。

関連
玉音放送
月刊デラシネ通信-【特別寄稿】 「太陽」
読売新聞の戦争責任総括(nutrocker)
読売新聞の戦争責任総括(2)(notrocker)
で、正力松太郎や緒方竹虎の戦争責任は? (マスコミ不信日記)
松岡正剛の千夜千冊『堕落論』坂口安吾
by wavesll | 2006-09-07 02:09 | 小噺 | Trackback | Comments(0)

淡いピンクの曇り空から射す光と雨

Silvet
旅したい
あてもなく
道端のモーテルに泊まって
朝までやりまくる

手を伸ばし 空中にふれる ここはどこ そうさ君の近く
それだけでいいだろう

シルベット 夢を見るのさ 涙流すな 

シルベット

旅したい あてもなく バックシートに眠る君の顔に
夕日がふれてる

風が吹いて 水がなびいて そこに映った君の空が
揺れている すすきの中を歩こう

シルベット 夢を見るのさ 
シルベット 一人ぼっちのシルベット

すぐにむかえに行くよ だからシルベット

武野紹鷗というヒトがいるらしい。鴎つながりでなんとなくシンパシー。最近東横線で「入茶」という書をみかけるがあれはいいね。
「茶会人」というのを「社会人」と関わりのある(裏か逆)言葉として提唱したい。

マイケルジャクソンの底知れぬ魅力については今までさんざん語られてると思うけど、ジャクソン5時代のビデオを見ると、彼が常に完成と進化を繰り返してることがわかるね。
ABCのはじめの「ポポンポンポポーウ」の声のすばらしさといったら!I want you backで見せるこの世の全てを悟ったかのような、サリンジャーの『テディ』のような顔をいったら!凄すぎる。

舞城王太郎『阿修羅ガール』を読んだ。大学に入ってから、弟が良く本を読むようになって、これもあいつが図書館から借りてきたうちの一冊だ。「そこそこ面白い」らしいこの本、なかなかどうして面白かった。
面白さを一言で言えばキッチュ。芸能人やインターネット巨大掲示板の祭りが超攻撃的な女子高生の語り口とともに驀進する。
『2時ピタ』と『ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ』(Chiquititaは名曲!)と『水戸黄門』を流しながら読んだ。
いや、確か最初は『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』がつまんなくて、『キッズウォー』を流しながら読み始めたんだ、たしか。
舞台も流れもぶっちぎるこの勢いが、三島賞をとらせたのかな。罪と罰に関する考えは、共感するところがあったけど完全に同意もしきれない。

久々にモスにきたらナンが始まっていた。
あたらしモノ好きの血がうずいて金もないのに『ナンタコスアボガド』(580yen)を注文してしまった。
いやー、うまかった!チェダーチーズとタコスとアボガドがまったりとしつつもさらっと食える旨さを紡ぎだしていて、夢中で食った。また食おう。

Youtubeによって再発見したのが、TVの面白さだ。やはりTVは最大のエンタテイメントコンテンツであるなぁ。
例えば電波少年のこの企画なんてめちゃめちゃ面白い。まぁこれは今じゃとてもじゃないけどできない気もするけど、考えてみればたった10年前だし、実はまだまだTVの可能性ってあるんじゃないか。インターネットと融合することでもっと面白くなる気がほんとにする。その意味ではみのもんたの動画をサンプリングしたこのビデオなんか、好例になりそうだ。
お笑いのネタというのは短いし、配信にむいてると思う。
一昨年のスキキャンで俺が言ってた「チェーケナー」の元ネタである中山功太 in R-1ぐらんぷり2005と、今年のR-1での動画なんかはちょっと長尺だけれど、例えば無限大で見て感動した脇を鳴らすなんてのはぜんぜん携帯とかにも配信できそうだし。つーかホントやりすぎコージーはおもれぇなw
アメトークなんかもエガちゃんがよくでるから好きだ。

こないだ同期と一緒にカラオケいって、PEPSIMANの歌とか歌ったんだけど、これも含めてほっとんど懐メロ縛りみたいな感じだったんだよな。家帰ってから懐メロの動画をYOUTUBEで探して貼り付けるエントリなんてのを作って、午前4時までYoutube巡回なんて馬鹿なことしたんだけど、懐メロってなんなんだろうな。例えば今回は『壊れかけのレディオ』とか『星のかけらをさがしにいこう』とかは外したんだけど、それは前者は時期がちょっとズレるってのと、後者はなんというかスタンダードすぎて懐メロな感じがしないって感じなんだよね。
懐メロって、その世代が音楽に目ざめたファーストインパクトの3年間くらいの流行り曲って感じがする。なんというか、音楽の流行って5,6年で一周しちゃう気がするから、最初のインパクトは二回目以降はない気がする。あと、懐メロって「あー、思い出すあのころの自分」って感じで、そのときの記憶とかなり密接に関連してる気がするなぁ。
中高生の頃からは、俺も聴く音楽は変わってきてるからなー。それこそ、MooT BooXLeのシンセサイザー即興演奏パフォーマンス みたいな電子のインスト系とかGHOST DOG - ビックビートの若大将みたいなマッシュアップに今は興味あるから、最新の歌モノ邦楽チャートにはもうほとんど興味ないんだよな。やっぱり同じ地点にはずっとはいられないのかもしれない。

電車内での女子高生の会話
「ね、あの人。。。」
「たしかに中田に似てるね」
「でも。。。できない感じだよね」

ついに赤の他人に中田に似てるといわれてしまったwwwwwww
しかもいいともの関根さんみたいなコメントつきwwwwww
いったい俺は何ができないんだと窓に向かってにやけたwwwww

クジラの島の少女(Whale Rider)を観た。男と女、伝統と新世代、親と子、祖父と孫といった二項対立が糸のように束ねられながら、ニュージーランドの美しい島の風景の中で物語は進んでいった。

こんなじいさんとは絶対仲良くできないなと思うのだが、主人公のパイケアはそんなじいさんと島と伝統がすきになっちゃったんだからしょうがない。結末は良かった。

自分の下の世代に何か伝えるってのは、難しいよな。それと同じくらい、自分の上の世代とつきあうのも難しい。
でもそれが綿々と続いてきたんだなと思うと、人間って凄いなと思った。

しっかしさ、パイケアちゃんみたいな真っ直ぐな子が阿修羅ガールのアイコみたいなこまっしゃくれた娘になって、しまいにはナタリアみたいになっちゃうのかな?女ってのはほんと取り扱い注意だよな。
いや、つーかね、ワールドカップもおわったってのに真昼間からこんなエロ動画みてたんだけどさ、悲しくなっちまったよ。こんなにかわいいこがこんなビデオに出てるなんて。 チンポくわえてるところを映されて、金もらって。 世の中なんか汚いことばかりだ。 金さえありゃいいのか。 それでぬいてる俺はもっとsuckだ。幸せは金の中か。BMWとドンペリの泡の中なのか。そりゃ違うだろう。
かといって非モテはバーチャルを夢見るなんて方向には行きたくないよな。花沢先生もアンリアルのない現実で奮闘する男を今は描いているし。ヘロインを打って恍惚とするのもまだ先でいいや。でもこーいう趣味の良いパッケージの薬は欲しいな。ま、考えすぎだ。世の中もっとシンプルでまっとうだきっと。

イラク原子炉爆撃事件とか見る限り、先制攻撃したって拒否権使ったって、負けなきゃ正義な気がするな。歴史の意義なんて生きてる人間には関係ないことだと思うし。

話したいときに話す相手がいないぜ
誰にも電話がかからない

モーターサイクル・ダイアリーズ(diarios de motocicleta)を観た。フーセル(チェ・ゲバラ)とアルベルトの旅を映したこの映画、良い映画だった。
地平線の向こうまで続く一本道。異国の地での女の子とのイイコト。砂漠での貧困。思想家との出会い。およそ旅が持つ面白さをほとんど見ることができた。
また二人の人間性がほんといい。自分をありのまま主張してるのがいい。フーセルの馬鹿真面目で正義感が強いところとか、アルベルトの陽気なとことかいいかげんなとことか、二人の女好きなとことか。
ゲバラに興味が出た。
あと、南米のヒトはトマトみたいだな。
干しトマトみたいにしわくちゃのヒトもいれば、みずみずしいヒトもいて、酸味がきいてる。 世界は繋がってるんだよな。旅に出たい。
by wavesll | 2006-07-15 05:38 | 私信 | Trackback(1) | Comments(2)

都会の民は愚かで邪悪か

c0002171_8372034.jpg星川淳著『屋久島の時間』 を読みました。彼は1995年の時点で屋久島で13年暮らしている人物で、半農半文筆活動をしている方です。
確かに、彼はエコロジーな精神でもって彼なりに努力して日々を「まっとうに」生きていました。すばらしいとは思いました。

しかし、僕はネガティブな人間なので、こういうネイティブに生きる人の話を聞いていると、どこからか「お前らみたいな生活は悪だ。馬鹿だお前らは。私たちのような暮らしが正しいし賢いんだ。」といわれているように思えてきてしまいます。

僕みたいな市民は生きることが許されないとでもいうのでしょうか。彼は、近代的な生活は破滅へのプレリュードを奏でていると言っています。まっとうに、自給自足の生活をすれば、人間も自然と共に暮らせると彼は説きます。

僕は彼の話を聞いて、彼のいうような生活をしたら、人口は減るだろうなと思いました。人一人一人、自給自足で生きていくとしたら、都会のように人口密集など出来ません。1750年(産業革命)以降続いてきた人口急増と都市化の流れは逆転し、人口は近代以前に戻らねばならないのではないでしょうか。そして、その世界で暮らせる人間の数は今より確実に小さい。彼は、僕からすれば選民思想の持ち主です。僕のような都会の民には生きる権利すら認められないのでしょうか。

人間だけが、他人のために食料を栽培する生き物でしょうか?女王蜂のために働くハチもあるいは他人のために働いているかもしれません。でも自己の種の絶対数を増やすために作物を育てる生物は人間だけです。彼はその人間の人間らしさすら否定しているように思いました。

共有地(コモンズ)の悲劇という言葉をみなさん聞いたことがあると思います。ハーディンはこの中で、子供を生む自由を規制するべきだと述べています。最適人口に収まり、破滅へ向かわないためには「人口の増加の自由」という共有地を放棄せねばならないと彼は述べます。僕は、たしかに人間は欲望を手放すことで新しい自由を得ることができるとは思いますが、そんなみんながみんな悟った世界が幸せだとは思えません。機会費用のほうが大きくなってしまうと思うからです。

ここまでかなり<自然・近代以前・悟った人々>批判をしてきたのですが、星川氏に関しては、正直頭が下がります。彼は生半可なナチュラリストではないからです。10年以上前からパルプの大体作物としてケナフを栽培し、自然に負荷のかからない小型水力発電で生活するという徹底振りには敬服しました。その上で、その態度すら傲慢なのではないか(基本的に人間全体が傲慢なのですが、ナチュラリストの方々は「自分たちは違う」と考えられそうなので)と思い、このエントリを書きました。

地球が有限である以上、拡大成長という麻薬の量は規制されなければならないのは当然の認識として持たねばならないと思います。その上で、人間の、そして地球の幸福をどう実現していくか。考えていかねばならないなと思いました。
by wavesll | 2006-05-13 08:54 | 私信 | Trackback | Comments(2)

『人文地理学 -その主題と課題-』感想

杉浦章介 松原彰子 武山政直 高木勇夫 著 『人文地理学―その主題と課題』を読みました。

人文地理学とは、経済地理学や社会地理学など、事物と表象からなる地理的世界の中における人間を研究する学問で、この本はそのイントロダクション的な内容になっています。

なぜ地理学の本を読んだか、と問われたとき、読んでいて感じたことから理由を述べると、より現実に近い学問だからです。たとえば経済理論を考えたとき、需要や供給、生産物や投資といた変数に、時間と空間という変数のベクトルが加えられることにより、より立体的でリアルな理論を構築することができます。

また「環境」というものを学ぶ際には地理学は避けては通れないだろうなと思い、図書館でこの本を借りました。

この本では、序章の人文地理学史に始まり、自然科学、社会科学、政治学、哲学などとリンクした、人文地理のさまざまな側面を知ることが出来ます。

中でも僕が一番心引かれたのは、アメリカにおける柳田邦夫のような人物である、J.B.ジャクソンの景観論でした。

彼は「常景(venacular landscape)」という言葉で普通の人々にとっての日常的な実感や、生活を表したり、多様な景観の中に潜む「景観のイデア」を示唆したりしていました。

彼の著作『景観を読む(Reading the Landscape)』から伺える彼の景観に対する問題意識は、景観とは社会的な生活の場であり、象徴であるということです。
景観を知るにはそこに棲む人々の生活を知らなければならないし、社会も景観の一部であるので、景観を変えるには社会変革をせねばならない、と彼は述べています。

また、本書の中で示される地球のトランスナショナル化やグローバル都市という概念は、人口減少の時代に突入した日本が生き残る道も示唆しています。つまり、労働力と消費市場を海外に求め、「日本にかかわる人々」を増大していくという道です。
また、そのためには日本は世界に通じるプロフェッショナルな知的サービスが行える人材を集め、日本全体をグローバル都市にしていく必要があります。その土壌整備に人文地理学が貢献できる領域は広いと思います。

また、新たな地理領域であるサイバースペースを考えたとき、ウェブの世界の水先案内人の端くれである身としてはいつか、『教科書に載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』のような「歴史」の供述とともに、「空間」的にネットの世界を図示したいと思います。それは例えば、mixiGraphのような関係性から作られた地図になるかもしれません。

「人間のいる風景」を研究する学問である人文地理。これからますます面白くなっていくだろうな。この本を読んでそう思いました。
by wavesll | 2006-04-26 06:39 | 書評 | Trackback | Comments(0)

『人文地理学 -その主題と課題-』備忘録

c0002171_19275650.jpg杉浦章介 松原彰子 武山政直 高木勇夫 著 『人文地理学―その主題と課題』を読みました。

この本は序章から始まり、全部で14章に分かれており、それぞれ
序章 人文地理学のものの見方と「ヴィダルの学統」
第1章 自然・環境・人間
第2章 地球環境と人間 -気候変化と海岸線変化を中心に-
第3章 災害と人間 -河川を中心に-
第4章 科学的探究と空間の世界
第5章 立地と空間システム
第6章 空間行動と相互作用
第7章 「トポス」と「人間のいる風景」
第8章 都市化する世界と地域
第9章 「世界の中の地域」・「地域の中の世界」(1) 分業と集積
第10章 「世界の中の地域」・「地域の中の世界」(2) グローバルとローカル
第11章 情報技術と地理的世界の拡大
第12章 グローバル化の世界における「国民国家」
第13章 政策科学としての人文地理学
となっています。

このエントリは各章を省みながら心に残った文章を書きとめておくという目的で書きます。

序章 
人文地理学史

「いつまでも変わらぬこと」を研究する古い地理学者
「そのうち消えてなくなる美しいもの」を研究する人文地理学者

空からのパノラマ 地表を見る眼
垂直的な眺め 水平的な眺め
地図 フィールドワーク

地図は地理学的想像力の産物

第1章
ダーウィンの進化論により、地理学は人間社会のあり方を決定付ける本質的要因は自然環境そのものの中に存在するのではないかということを再発見し、統一性を回復した

「自然・人工物・人間」系

地理的環境
利用可能な環境
知覚される環境
行動環境

『沈黙の春』と環境の揺らぎ

第2章
気圏
水圏
岩石圏
生物圏

海進
海退

地球温暖化

第3章
水害
ハザードマップ

第4章
1950年代後半から1960年代に起こった科学的方法論に依拠する「空間のものの見方」がそれまでの人文地理学研究のあり方を一変させた「計量革命」

「形態の中に見いだされる諸要因の総合化」ではなく、「個別的な対象の形態を生み出すメカニズム、すなわち形を作り出すプロセスの究明」
formsでなくpatternsという視点

「地域」・「場所」に変わる科学的で中立的且つ普遍的な「空間」という概念

形式科学 経験科学
論理的に可能なもの 経験的知識の体系化

地理学の厳密科学化

都市化や高度大衆消費社会の登場
コンピューターの進化
貧困や分配の問題 人種差別や人種問題 国際分業制 地球環境問題

形態学的な眼 幾何学的な眼

第5章
地表にはなんらかの立地上の秩序が観察されるという認識

農業的土地利用モデル
中心地から同心円的に利用され方が変わってくる

工業立地の原理
立地の三角形 最小費用モデル
力学モデルのアナロジー

ハイテク産業の立地傾向
大学や研究施設のプールへの近接性
イノベーションや労働の柔軟性を阻害するような強い組合活動の盛んな地域を避けること
ベンチャーキャピタルと起業化風土の存在
高い生活の質が得られる
高品質な通信と交通手段

中心地システム

フラクタル分布の自己組織的成長

第6章
パーソナルスペース アクティビティスペース

時空プリズム 時空パス バンドル 時間収支

人口移動
プッシュ要因 プル要因

人口移動の法則
ほとんどの移住者は短い距離を移動する
長距離移住者は大都市を移住先として選ぶ
多くの移住は段階的に起こる
地方から都市への移住が多く見られる
移住の流れはその主流を補うような逆流を生み出す
移住者の多くは大人であり、家族単位での国際的な移住は少ない
国際的移住者には若い男性が多い


第7章
地理学とは地球という対象物、社会の中の自発的な行為の主体、棲家としての場所をまとめあげるものだ

Topophilia

場所固有の精神やパーソナリティ ゲニウス・ロキ

a sense of placeは個人的であると同時に集団や民族中心的である

日常景観 John Brinckerhoff Jackson

空間と場所は両立できる

ランドスケープ

常景(vernacular landscape)

数多くの景観について探求を重ねれば重ねるほど、それらの景観には、すべてに共通する特徴が存在すること、それぞれの警官の持っている本質は、それぞれの独自性ではなく、むしろ他の景観との類似性であるとますます思われるようになったことである
景観には原型となる景観が存在する
根源的理念(primordial idea)としての景観

景観は人間の生活に根ざしている。それは眺める対象ではなく、人間一人ではなく、多数の人々によって棲まわれるものに根ざしている

景観はひとつの統合体、あるいは全体として理解される。そこでは、人間の共同体とその環境は一体化されており、人間は自然の変わることのない一部である。そして、それは、都市も田舎も含まれる

それゆえに、景観を理解するためには、生き、生活するということや、そこに棲むものの立場から理解しなければならない。そして、景観を評価、判断するには、まず、それが人々の生活や働く場所として、理解され、さらに、生物的にも社会的にも、また肉体的にも精神的にも、人々の欲求に答えているのかということに思いを致さなければならない

景観の原初的で且つ意味のある単位は、ここの人間の居住する棲み家である。住居こそ、人間にとって最も根源的な自己アイデンティティーを与えるものであり、人間が棲み家をどのように秩序付けるのかということが、その他のもの、共同体や地域、そして都市を作り出していく、そのやり方の原点である

生活という意味で景観を理解しようとするならば、人間の日常生活とその環境にまず着目する必要がある。ありふれた日常のものこそ、人々の生活を知る手懸りである

すべての景観は象徴的である。それは社会そのもののあり方を反映であると同時に、理想の実現を目指す営みの地表上における表現である

それ故に、景観は常に変化にさらされ、変化を繰り広げるものといえる。それは社会そのものの反映であるためであり、より望ましい景観を求めて景観を改変しようとするならば、そうした景観を創り出している社会そのものを変えてゆかねばならない

風土は自然的であると同時に文化的であり、また風土は主観的であると同時に客観的でもあり、さらに風土は集団的であると同時に個人的でもある

「人間のいる風景」とは何か

第8章
居住地域 非居住地域
エクメネー アネクメネー

近代以降、世界の各地においてエクメネーが拡大を続けてきたばかりか、それを上回るペースで人口が増大し続けてきたこと
このように増大する人口にとってのエクメネーは都市的なものになってきたこと
その結果、都市的なエクメネーは、絶対的にも相対的にも、エクメネーを代表するものとなったこと

人間・人工物系

郊外化 田園都市

輝く都市への批判

ノスタルジックな「本物性」を逆に利用した商業主義的都市開発が、1980年代以降、世界中の大都市の景観を大きく変貌させてきた

荒廃した都市中心部を再開発し、活気を取り戻すような開発をgentrificationと呼び、本物性が喧伝された

都市部のルネッサンスとマンハッタン化

時間による空間の圧殺

過剰蓄積になりそうな剰余価値は、空間の圧殺のために、建造物として交通インフラや通信インフラ、エネルギーインフラとなって、将来における更なる資本蓄積を可能とするように使われることもある。

ケインズ派の都市 公共事業

第9章
空間的分業

社会的なものと空間的なものは互いに密接に関連しているばかりでなく、相互の規定しあうものである

分業は新たな社会的関係、すなわち階層的管理や下請け制度に見られるような社会的関係を生み出した

「生産の空間的構造」は「生産の社会的構造」でもある

自己完結型企業・地域モデル
複数同形工場型モデル クローン型
部分特化工程型モデル

全体の中での場所・地域の意味

規模の経済性 規模に関する収穫逓増
外部経済性 集積の利益

大量生産方式から伸縮的専業化と呼ばれる多品種少量生産方式への移行が必要

新産業空間
テクノポール
伸縮的蓄積過程

企業の経営上の現実
供給者
顧客
競合他社
関連業界団体

産業クラスターモデル

マーシャル型
ハブとスポーク型
衛星基盤型
国家下支え型

第10章
グローバル・リンケージ

多国籍企業=多国内企業=複数同形工場型
資源抽出産業
市場へのアクセス
最終消費財の生産

対外直接投資の増加
貿易構造の変化

トランスナショナル企業(TNC)
国際的な空間的分業を推し進めている企業

企業内物流

比較優位だけではなく、競争優位によって戦略的に構築

国境を越えた生産・物流ネットワーク

グローバルな可能性の中で生産のシステムを構築すること
フラグメンテーション
生産工程を細分化し、その細分化された工程ごとに最適立地点を選択し、空間的に分散した各工程を全体として、サービス・リンクスによって結合し、統合すること

情報都市(Informational City)

グローバル都市(Global City)
東京、ロンドン、ニューヨーク
TNC等の戦略的意思決定機能
金融サービス機能
プロフェッショナル・サービス機能 国際会計・監査サービス 国際的法務サービス
産業横断的 指令と統括機能をサポートするもの
社会的統合
非専門的労働力も同時に集まってくる

企業活動における価値連鎖全体の革新
企業が、いかにしてイノヴェーションを継続的に生み出すように技術と組織を再編してゆかなければならないかという現実

クラスター
特定分野における関連産業、専門性の高い供給業者、サービス提供者、関連業界に属する企業、関連機関(大学、規格団体、業界団体等)が地理的に集中し、競争しつつ同時に協力している状態
地理的基盤(プラットフォーム)
フラグメンテーションの進展は、ローカルな場における経済活動の結合を再編すること

スピルオーヴァー(波及)効果 シナジー(相乗)効果

経路依存性
場所や地域の歴史的経緯によって革新の方向付けが行われること

ロカール
人々によって日常的に体験され意味づけられている時空間の一部
ローカルでもあり、非ローカルでもある

人間の自由な意思の元における行動(social agency)と社会構造(social structure)は相互に規定しあいながら、それぞれの場所や地域によって相違する姿で立ち現れ、展開していく

地域とは、ある特定の場所や狭域を指すばかりでなく、地域外の様々な影響力にさらされ、地域がいと深く結ばれ、相互に依存しあう存在である

地域は「世界の中の地域」としてと同時に「地域の中の世界」としても理解されなければならない

第11章
地理情報システム(GIS)

情報社会の地理学 サイバースペースの地理学
インフラの分布

距離の死

エッジシティ

情報コンテンツ産業
それ自体が独立したひとつの産業であるというよりも、様々な情報サービス産業と密接に結びつくことによって価値を生み出す経済クラスターとしての性格を持つ

知識集約産業の立地
能力を持った人間が、どのような土地で働きたいと考えているかが重要

サイバースペース
サイバープレイス
スマートプレイス
ハイパープレイス

第12章
「国家」を基本ユニットとする世界の構成は1648年のウェストファリア体制から

ナショナリズム
国家 国民 民族

民族自決の法則

地政学

核心地域 外縁・島嶼三日月地域
軸域 縁域

政教分離 法の支配

三権分立

領域性
国家主権
対内主権 司法管轄権とその強制力の及ぶ地理的範囲の両者を同時にあらわすこと
対外主権

ゲリマンダリング

夜警国家 大きな政府

国家は国民に貴族と自己同一性を与えるもの
「トポス」の創造者、管理者

国家から市場へと権力・権威が移行してきたことが、恐らく、国際政治経済の分野における、20世紀広範に起こった最も大きな変化であった

生産様式
資本主義 国家主義

発展様式
工業化主義 情報化主義

TNCやNGO等による「下からの」国家機能への影響力の増大
超国家機関に加盟することで「上からの」主権の制限にも直面

国家はグローバル化する世界の中に新たな役割を見出すことができるようになる

トランスナショナル化がもたらす国家の変容や文化のハイブリット化

「今」、「ここにある」世界と未来を考える

第13章
地 神霊の降下するところ 地勢の起伏の状
理 すべて条理のあること
地理 土地の利用を図るに際して、土地の起伏の条理にかなっていること

風水

水害地形分布図
ハザード・マップ

地域(Region) 周囲の地理異なるものとして判別できる、自然的あるいは人工的な特徴を持った地表の任意の地域
自然地域(Natural Region) 砂漠 熱帯雨林
人文地域(Human Region) 都市 商業地域
内生的地域(Endogenous Region) 地域編成原理に従って自立的に形成
外生的地域(Exogenous Region) 社会の目的に合致した指標によって人為的に区画

地域の構成要素
自然・環境
生活・社会
産業・経済
歴史・文化

地域政策 都市政策

政策形成過程
基本構想 
基本コンセプト 政策課題
基本計画
ゾーニング 整備の方向性
実施計画
具体案

夢(Dream) 
構想(Vision)
計画(Plan)
事業実施(Project)

『人文地理学 -その主題と課題-』感想
by wavesll | 2006-04-25 19:30 | 書評 | Trackback(2) | Comments(0)

醜聞

遠藤周作の『スキャンダル』を読みました。『海と毒薬』でも使われた勝呂という苗字を持つ、遠藤周作を投影したような作家が主人公の作品でした。

一言でこの作品を述べれば、悪を見つめる作品でした。醜悪な快楽を認める作品でした。マゾヒズム・サディズムを盗み見るようにした勝呂は最後に自分自身に悪を見つけます。

汚いものを愛する心は、僕自身はとてもよくわかります。正直共感しました。しかし、それはあくまで倒錯であると思います。少なくとも社会に生きる人間としてはそう思わざるをえません。

しかし、本当にそうなのだろうか?と、思わず覗き込んでしまいたくなる気持ちに、この本を読んでなりました。
by wavesll | 2006-04-11 18:41 | 私信 | Trackback | Comments(0)