人気ブログランキング | 話題のタグを見る

VALUE

「万物は流転する」
ご覧いただいたようにこの言葉は矛盾をはらんでいます。この言葉が正しいのなら、「万物は流転する」という概念は不変ですから。つまり、この言葉は物質にのみ適用できるということになります。

概念がデジタルデータとして物質を伴うことなく存在できるようになってから、あるいは、情報という概念が共有されるようになってから、価値と時間の関係の認識には変化が起こりました。

いわゆる「希少価値」というものはデジタルコピーの前で意義を失いました。
人間をはじめとした生物、物質は寿命という制限の中でしか存在できませんでしたが、データは永遠に存在します。

つまり、希少価値(=寿命)という幻想は取り除かれ、本質的な価値が認識されやすくなったということです。

時間のない世界、永遠の世界に生きるとき、人は全てとなります。赤ん坊であり、少年であり、青年であり、中年であり、老人であり、愚者であり、賢者であり、正義であり、悪です。境界はありません。時間がないのだから。全ては完全です。そして完全な価値がそこに現れるのでしょう。

あるいは物質もそうなのかもしれません。質量保存の法則が示しているように、表層的な形は変えながらも、本質は変わらないのかもしれません。

万物は流転する、されど総体は変わらない。

また、概念が指し示すものは恣意的に変わるし、あるものを指し示す言葉は変わることもあるけれども、実在するものは変わりません。

万物は流転する、されど本質は変わらない。

しかし、果たして概念だけが物質を伴うことなく存在することがあるのでしょうか?矛盾するようですが、いや、完全に前に書いたことと矛盾しますが、デジタルデータも何かしらの記録媒体を必要とするし、それを感じるためには五感が必要なのだから、肉体と精神は分けることができないと言えるのではないでしょうか?つまり、肉体を伴わない精神や、精神を伴わない肉体は完全ではないと。ここでいう精神とは「意味」という意味なので、物質にも常に精神があります。

だから、本当に大事なのは行為だといえます。身体(肉体と精神)を使った行為。口だけきれいごとをいっていても価値はありません。あるいは不完全だから価値はない。行為にこそ価値があると思います。そして多くの人は行為に価値を認めるのだと思う。

もちろん、行為を行う前に、どんな行為を行うかを考えない行為は不完全であり、行為を行うときに、肉体を使わない行為は不完全です。

下に書いたように、人間は理論(精神)に分不相応な実験(肉体)しかもっていないために不完全な行為しか行えていません。価値がある行為は理論と実験がイコールでつながれる時のみですから。

これは今まで実験が軽視されてきたともいえるし、理論のほうが楽だったともいえるでしょう。しかし、だからこそバランスを取り戻すために、実験(肉体)の研鑽が今必要とされているといえます。

「万物は流転する」
ご覧いただいたようにこの言葉は矛盾をはらんでいます。この言葉が正しいのなら、「万物は流転する」という概念は不変ですから。しかし、万物は流転しています。つまり、言葉だけで、カラダを伴わなければ、価値がないのです。
by wavesll | 2005-03-29 15:44 | 小噺 | Comments(0)
<< 彼我のこと -傘がない Str... 歴史 >>