今日は躰の回復の為に綱島で酸素カプセルやるつもりだったんだけど、どうも骨系の痛みだなと言う事で特売日だったマツキヨでピップエレキバンEXを買って足にはったら痛みがほぐれてきた。磁力の力ってあるんだなー。
ドラッグストアの商品って凄いね。物の理と化け学の極み。今は<貼る鍼>とかもあるでやんのwぱねーwwバイト先薬局系にしよっかな♪
BYTHEWAY最近の、というか大学で挫折して以来の俺のテーマは『サステイナブルな生き方』、継続可能、再生可能なWAYを捜し求めてる。
そもそも、現代人って『頑張りすぎ』だと想。
例えば中世と比べて、仕事率って尋常じゃないくらい上がってる。機械文明が発達したおかげで、Psychoな世の中になってる。だいたいPersonalComputerってそもそも凄いよ。今のPC一つで、第二次世界大戦の頃の全米の計算機の演算能力を軽く凌駕してるんだからwはっきりいって、中世レベルの暮らしをしとけば何の苦労もなく<今なら>人類はやってけると想。
ところが、古代と比べても吾ら地球の科学を操る猿は、未だに馬車馬のように働かされている。<何か>に急かされている。俺はその<何か>の正体はホッブズのいうリヴァイアサン。つまりは太宰の言う『世間』だと想。<<社会というシステムが、本来は主人であるはずの人間を、酷使してるんだ>>。
家の中にいてはその家の外観はわからない。外国に行って解る母国の良さ/悪さがある。構造の内部、組織の中の人間の思考では、構造を俯瞰することはできない。
何故人は、いや多くの『場に縛られた農奴は』、一つの組織にしか属せないんだろう。
学校も、サークルも、会社だって、複数を同時並行でやったっていいはずなのに。組織内部でしか通じないスキルばっかり育てて、組織への忠誠心をあげてばかりで、組織が自分のアイデンティティになってしまって、『どこでも通用するポータブルスキルを獲得しようと努力しないのは何故だろう?』??
俺は無駄に頑張るのが嫌いだ。精確に言うと楽しい事なら全く無駄とは想わないが、苦行に対して頑張るのはもうこりごり、鬱にナcchauからね。
だから河口湖マラソンでも、沿道の人が「頑張って」というのに対して「いやもう疲れたよw」「既に筋肉痛w」「正直、俺は頑張ってる」といい続けたw
極めつけは40km過ぎたあたりで「あと少し!頑張って」といってきやがったから「俺はもう頑張った!」と言い放ったwwwwww!
頑張る必要なんかない。一所懸命になる必要なんかない。辛くなれば逃げればいい。空想の中にでも、ヲタ趣味の中にでも、リストランテなどのサーヴィスの中にでも、音楽、文学、映画etc...いくらだって<道>はあるのに、「ここで踏ん張らなきゃ終わりだ」なんてやっちゃって、想いつめて鬱になったり最低最悪自殺しちまう『真面目君』もいる。
頑張る必要って、あるの?俺、頑張らずにフルマラソン6h以内で走れたんだけどwwwww
要はさ、愉しい楽しいで、色んな事を修業して、基礎力をあげて行けば、気がつきゃ昔の己ができなかったことも<色んな事のトポロジー的応用で>できるよーになるんだってばよw成長曲線は逓減するんだから。様々な事にマルチタスクで挑んだ方が、結局は局地戦でも勝利につながる。
『土地にしばられず、那由多にトVOWゼ』