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と、いうわけで島根県は出雲にいってましたw去年の11月に。
10月を神無月といいますが、出雲では神在月。

そして旧暦なので、太陽暦で霜月が太陰暦では神在月というわけだ。
本日、俺は出雲大社で八百万のカミガミを迎える儀式に立ち会った。

出雲というのは、神代のこの国の中心だった、縄文から弥生に移る過程で、権力は出雲政権から大和政権に禅譲された、この物語が描かれているのが古事記だ。

そのため現在の菊国家にとって二重亀甲剣花菱国家は、いくら「国譲り」が大国主大神から天照大御神になされたとはいえひとつ翳を落としている。ギリシアなんかだとウラノスもクロノスもゼウスらに殺されてるからやはりこの国は「和を持って尊しとなす」とゆうか「維新」な風土であることは確かなんだが、山陰地方は冷遇されている。

そもそもこの古来には葦原の中津国と呼ばれていた地域には都市国家が林立していた。中世に入り菊から葵に二権分立支配体制が完全に固定化されても琉球/隼人 エミシ/アイヌという異民族はこの地域に存在した。

ヤマトンチュの王権(おそらくは縄文人と百済などの渡来人の混血国家)と古代種との境目で、古きよき「カミ」が「守」に殺された様子を描いたのが「もののけ姫」だった。実際、東海道メガロポリス国家権域と、琉球/蝦夷の狭間、屋久島と白神山地がモデルとなっていた。

そして「千と千尋の神隠し」の舞台は、おそらく出雲だ。神々たちが休むまほろば、湯屋のモデルは道後温泉とされているが、おそらくこの「神在祭」もモティーフに違いないと読んでいた。

そして、俺の推論は意外なところから補強された。岡山から出雲へ向かう途中、水辺を線路がずーっと通っていたんだ。そして電鉄出雲市駅から単線で出雲大社前まで行く道は、真っ暗で、遠くにクルマか電車の光の筋がみえるようなさびしいところだった、『まるで千尋とカオナシがのった電車のシーンみたいだった』

そもそもカミとは何か。それは『仮想化された超存在』だ。伝説上の人々、死んだ祖先、大自然。これらに比喩表現の詩/史的ブーストがかかり人間の「上」に「かみ」が想像/創造される。 更に言えば現代的な意味でのGODとは、宇宙のSYSTEMそのものの比喩に他ならない。

出雲大社や三内丸山遺跡は巨大だった。巨人族の棲家といってもいい。巨人族といえば、北欧神話の神々にとってのライバルであり、ラグナロクで戦う相手だ。北欧神話はギリシア神話と対応する。そしてギリシアの神々もまた、古事記の神々と同じように人間味にあふれた『仮想化された人々』だった。

おそらく『巨人属』とは日本列島で言えばマンモスやナウマンゾウなどの巨大生物や山嶺、海原といった『ロギア/ゾオン系の存在の比喩』だったのかもしれない。古の昔にも、恐竜は死に絶え、小型の哺乳類がその後の覇者となった。これと相似の出来事が古代の世界各地で起きていたのかもしれない。

古代の神話に現れる共通の出来事というと『洪水』だ。おそらくはメソポタミアの辺りで実際に起きた水害が各地に伝播する過程でメタ化されていったのだろう。実はアメリカ大陸にも洪水伝説があるとかないとかwグレートジャーニーだな、情報のw

暗闇の中、白衣の国造宮司たちの神域への行列は千と千尋の神隠しを思わせ、そして夜間の祝詞、翌朝の真一文字の虹。龍蛇神教、出雲大社教の黒衣の有力者、おまつりで呼ばれた鬼丸。ジブリには詳しいがシータを知らない女子へのナンパ、誰が仕掛けたか分からない落石センサー故障による電車足止め。当時まだ赤モスがあり切符を鋏で切っていた出雲は不思議の国だった。

というわけで今回は特にこれといったオチもなく終わろうと思います。あぁ、あの時漫喫で満喫してる石井香織ちゃんの動画貼ろうかw

RADWIMPS おしゃかしゃま

by wavesll | 2011-02-07 12:41 | | Comments(0)
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