Chemistry - You Go Your Way
色々考えたけれども、mixiでの俺の失敗について、このエントリで一つの結論を持ちたい。
俺はmixiで表現者仲間が欲しかったし、仮に日記を書く表現者仲間としてじゃなくても、俺自身の日記に関してイイネやコメントで感想や評価、反論を書くことで自己表現できる人が増えればいいなぁと想っていたのだけれども、それはほとんど叶わなかった。
それは、まず日記が画かれなかったのは、みな忙しいからだと想。仕事で忙しく、時間的にも気力的にも体力的にも、日記を量産できる状態にないからだと想。またそれほど他者と自分の経験を共有したいとも思ってないのだろう。日本人の多くはタテワリの秘密主義だしね。
そして俺の日記にコメントがつかなかったのは、俺が喧嘩売ったから、まず<褒める・共感する>という動作をしづらくさせたからだろう。俺は<可愛く>なかった。また俺としてはすかすかの理論のつもりだったけれども、ツッコミどころも少なかったようにみえたのか、論理のアラが発見しづらかったのかもしれない。反論の余地がなかった。よって俺の日記にはコメントがつかないんだ。おそらく生きる意識も全然違うから、共感もされないんだろう。
今まで俺は<<普通>>と闘ってきたが、別に俺自身が普通の感性を持ってないわけではない。むしろ普通の感性に<加えて>更に発展的な感性を想っているといった方がいいだろう。俺も大事に扱われたら嬉しいし、否定されたら傷つく、その上で求められることに応えることがカッコいいと想うから、きついことに耐えられたんだ。大学時代は。
去年からの俺はSとして全開で、大学の頃の俺はMとして全開だったように想える。Sの方が実は脆く、Mの方が逞しい。そしてSもMも相手を想うが故の行動だというのが、
愛と憎しみの業なんだよなぁ。
俺はこれからは自分の中のSとMを上手い具合に出し入れしながら中庸の濃度を目指していきたいなぁと想。0と1の間の虹色の中に艶というものはあるから。色恋にしても、友情にしても、時に相手を立てて自分より上に位置させてやることが、人間関係の潤滑油となるだろう。
また相手に期待しすぎるのも考えものだ。mixiの件だって、正直俺の日記をみるので精一杯の譲歩だったのかもしれない、彼らにとっては。俺としては逆に毎回みられるだけの場合は立ち読みされてるような感覚になったが。こればっかりはアレで、自ら経験しないと相手の気持ちはわからない。おそらく彼らには、毎日ネタを書き続けている人間の気持ちはわからないだろう。ウケてるかどうか不安になるのだ。ほんの一言、いいねといわれるだけでどれだけ励みになるかは、演った人間にしかわからないところだというのがほんとのところなのだろう。まぁ俺の言い方も悪かったし、もう終わったことをくよくよするのも止めよう、仕方がなかったことなんだ。お互いまだ若すぎた、余裕がなかったんだ。
普通、というかベタなことは、おそらく男女間ではより顕著だと想。俺だって女の子は普通に可愛くて、料理ができたりとか、優しかったりとかした方が普通にいい。ただそれに変、というか素敵なところがあると更に最高だが。女の子だって、男は普通にかっこいい方がいいに決まってるだろう。
あとは、普通に「かわいいね」とか「好きだよ」とか「この料理おいしいよ」とかよくいってくれることが嬉しいに決まってる。恋人がモテてると嬉しいかどうかに関しては、微妙だ。モテすぎて、浮気とかされたら、かなりムカつくのがベタな反応だろう。とにかく大事にお姫様みたいに扱われたいんだ。普通に。
ま、努力しますw
岡村靖幸 カルアミルク