共に生きる

さて、人が他者と出逢った時に、自己と言うものは生まれるんだろう。

そして、3人以上の人々が集団を作った時に、社会と言うのは生まれる。

人間関係の中で人は様々なRollを演じるわけだけれども、それはボケであったりツッコミであったり、SであったりMであったり、攻めであったり受けであったりみたいな言葉で分類される2種類の大きなRollがあると想。

俺は基本的にはボケやM、受けの方が辛い立場にあるRollだと想。他者から要求される立場は基本的には本当の意味で強くないとできない。いじる側よりいじられる側の方が精神的に強いし、実は他者を攻撃する人って言うのは非常に不安定な精神状態で、おそらく獣としての人が弱った時に周りにストレスをぶちまけるのだと想。

逆に難しい立場にあるのはSやツッコミ、攻めの方だ。こちらのいじりには愛が無いといけない。本当の意味での信頼関係、やりすぎとやりすぎないの境目でぎりぎりまで逝く慎重さ、相手に華を持たせる度量の広さが、こちらのRollでは必要となる。SMプレイは俺はやったことはないが、おそらくSの方が高度な技術が必要となる。いいMというのはどこまでも尽くすけれども、見限った時はとてつもない反動をSに返す。そうならないように、Mに対して常に愛を示すというのがSには必要なんだろう。

俺は昔マルキドサド『ソドム120日』と言う本を読んだんだけど、正直見開き2ページの中で4回は吐きたくなるくらいのエログロスカトロの乱舞の描写だったwたぶん、サド公爵はSでありMだったんだろう。Mってのはすげー耐えられるから、Sもそれくらい耐えられるんじゃないかって期待しちゃうんだけど、普段Sって攻められ慣れてないから少しの刺激で臨界点に達しちゃうんだよねw

痛いことが気持ちいと言うのはM属性がある人しかわからないんだろう。Sの人は痛めつけるのが気持ちいいという力の行使の快楽しか知らないから、Mが反旗を翻すと途端にSは弱ってしまう。やはりいいSというのはMに形式的には勝ちを譲るSなんだろう。ここら辺は夫婦の構図と似ている。強く脆い夫が、弱くたくましい妻の掌の上で転がされている(ように妻が思っている)というクラインの壺な関係性が、夫婦関係にはある。そしてそれをみる子どもがいれば十分社会となる。

社会の範囲が、自分と子どもだけ、というのがモンスターペアレントな気がする。
世界に存在する人間は私と子どもだけとでもいうような傲慢さが、モンペからは漂ってくる。
それは教師や、他の子ども、他の親、近所の人々といった他者の尊厳を無視した甚だ不遜な態度だ。

モンペを嗤う<古き良き日本人>は多い。しかしこれが<島国根性>となると、理論上は否定しても、実際は島国根性丸出しな人が日本人には多い。というか日本社会そのものの病理だ。

俺は新聞も国際面を一番じっくり読むし、BSの世界のニュースを結構な頻度で視てるけど、多くの人はドメスティックな事柄にしか興味がないだろう。海外文化もよくてアングロサクソンくらい、興味があるのは。アジアじゃ中国くらい。欧州や東南アジア、南アジア、中東、中南米までアンテナが張った人はほとんどみかけない。

これが言っちゃ悪いがFラン大学卒ならば別にいいけれど、慶應レベルでもあまりに国際的な事柄に興味・関心を持てない人が多く見受けられるのは、俺としてはとても残念だ><話のスケールがちっちゃいというか、話していて面白みを感じられないような細々としたはなし<しか>できない人が多い。

俺は人からの苦言は大切にする方だし、人から誘われたことは時間と金が許す限りノってみる方だ。気力だけはいつも全開だからwで、自分としてはいじられキャラとしてその場を悦ばすために尽力してきた26年間だった。人の上に立たず、常に底辺で周りの人を支え続けてきた。で、去年ついにその強さが崩壊して周りに黒いマグマをぶち撒けてしまった><俺も弱かった。

しかしこれからはRollを変えて、他者に愛のある指摘をしたり、他者の資質を伸ばすアシストをしたり、他者がのびやかに居心地良くなれる場を提供したりという活動もしてみたい。もちろん、エースである力は鍛練しながらも、これからは周りにも点を取らせられるようなプレイヤーとして成長していきたい。

小春日和の雨夜にそう感じた。


あなたのやさしさをオレは何に例えよう / エレファントカシマシ

by wavesll | 2011-02-18 02:47 | 私信 | Trackback | Comments(0)
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