Dumb Type-S/N六本木アートナイトで夜を明かしてきました。ドラビデオXヨーコのレーザーと舞踏とノイズのサイバーでプリミティヴなステージや、サモトラケのニケの複製など、面白い企画が点在していたイベントでした。ただ、私は今回が初めてだったのですが、このイベントを佳く知る連れはちょっと今回は派手さが足りないかもと言っていました。
そんな中、自分もその子もメインと考えていたのが
ダムタイプの作品のTOHOシネマズ六本木での上映会。池田亮司などを擁するマルチメディア・アート・パフォーマンス・グループ、ダムタイプの主要作品5本が、一本1000円で上映されたのです。
私は恥ずかしながらダムタイプは今回で初めて知ったのですが、非常に良かったです。2本とも刺激を受けましたが、なかでも一本目の『S/N』には感銘を受けました。
上に挙げたYoutubeではかなり抽象的でとっつきづらい演劇作品の様にみえるかもしれませんが、実際にはかなりの台詞の量がある演劇で、深く心を揺り動かされる感動がありました。
作品の大きなテーマの一つにセックス、ホモセクシャルそしてエイズがあり、95年という時代背景が大きくうかがえました。何と真に迫る演技なのだろう、HIVポジティヴの同性愛者そのものにみえると想ったら、後で彼は本当にそうだったと聴き、ますます切実な表現だったのだなと思いました。
同時期にあった96年の『RENT』、98年の『神様、もう少しだけ』のように、90年代はエイズは危機的な病であり、物語として表現者を刺激する存在だったのだなと思いました。劇中では「この国ではホモセクシャルをみることは珍しい」というようなセリフもあり、エイズが克服されつつあり、おねえ系がTVを席巻し、渋谷区では同性結婚がみとめられようとする2015年とは隔世の感があるなと想いながら、しかしこの劇で描かれる赤裸々な性と生の姿、その心は現代でも大いに観客の心を揺す振ると思いました。また日本では未だに、先進国唯一性感染症が増えている国でもあります。
この劇を見て、この後で見た
ORでもそうなのですが、すっくと立ったその表現姿勢が今見ると非常に新鮮に感じました。観客におもねらないその表現手法は、可処分時間の奪い合いからあまりに消費者優位になってしまった2015年と比べると、20年前は随分攻めた表現がアーティストに許されていた自由があったんだなと思いました。
またそうした誇り高い表現がアメリカ的というか、それ以外でも感じたのですがNYを感じるというか、日本人が創った米国的な価値観でも正当に評価される感じに、いいなぁと想うと共に、東西冷戦が終わり超大国を謳歌していた当時のアメリカは輝いて見えていたなぁとか、今は日本人はニホンサイコーになっていて、アメリカへの憧れはやっぱり落ちたよなぁとか、そういった面でも時代を感じました。ただ個人的にはこういう表現が今現在プレゼンスを失ってしまっているのは、日本の衰退を意味しているのではないだろうかとも、思います。
劇中で「未来のラヴソングはどんなものだろう?それは男女間のセックスファンタジーを越えたものかもしれない」と語られていました。その問題意識がありながらも95年ではヘテロが血を交換し、女が男のモノになる現状が描かれていましたが、考えてみると現在は"あの頃の未来"なのですよね。今のラヴソングはなんだろう?
セカオワのダーゴナイトかな。確かにあの曲はエロスではなくフィリアを歌った歌でしたね。色んな意味でサイバーな鋭さを持っていた90年代から、オーガニックでゆるくなってきた日本を顕している象徴的な歌ですよね、ドラゴンナイトは。ネオテニー化というか。
劇場を映していた為、観客の後頭部がみえていたのも、映画館と地続きな気がして、音も大きくて良かったし、見れて良かったです。欲を言えばデジタルリマスターしてもらいたかったな、文字潰れてしまっていたし。ただあまりに手弁当感あふれる運営だったので、欲を言うのは厳しいのかなと、ゆるい15年の私は思ってしまいました。
本当に幸せな表現とは、本当に幸せなセックスとは、何だろうかと、大きな示唆を与えてくれるソリッドな作品でした。S/Nというと
S/N比を想いましたが、あるいはSex, Normal, Strange辺りの頭文字も含ませてるのかなと思いました。