

先日みなとみらいへ行った時、新緑
の翡翠の様な緑をみて、「あぁ初夏が来た。俺は桜より新緑が好きだなぁ」と思いました。初夏、ナンバーガールに言わせれば"気付いたら俺はなんとなく夏だった"といった具合でしょうか。季節は廻り、今年も春が終わったのですね。今日から大型連休に入られた方もいらっしゃるかもしれません。荒吐も終わり、桜前線も札幌を越え、今年の春の日も逝きつつあります。
私は夏が大好きな人間なのですが、去年初めて秋の燃えるような落日と落葉が好きになったように今春、春の冷気が心地よく感じました。花冷えなんて美しい言葉がありますが、春は、肌寒いですね。その中にかじかんだ手を温め、やうやう来たる夏の兆しを潜在させる春の日。今年の春は殊に寒かった覚えがありますが、その皮膚感覚が霧散してしまわないうちに、春の冷気と温かみを伝える音楽で、このblogに春の記憶を刻み込んでおきたいなと筆を取りました。
このエントリでは2つの音楽を取り上げたいと思います。
Grandma Lo-Fi sampler (Sigríður Níelsdóttir)

まず一つはグランマ・ローファイ。アイスランドのレイキャビクで暮らしていたおばあちゃんが60後半から音楽に目覚め、70から多重録音を初め息を引き取るまでプライヴェートミュージックを創り続けた逸話、
ローファイおばあちゃんは映画にもなりました。このSoundcloudのサンプル音源も、テープのガチャっガチャっとしたブリッジも含め、穏やかに過ぎる健やかな春の日、あるいは雪解けの光を思わせてくれます。なんか青春っぽいかんじもちょっとして、すごく好きです。この音。
『渋響』pH:6.0/オープニング・御宿多喜本Live〜臨仙閣ノーカット完全版そしてもう一つは毎年信州渋温泉で4月に開かれている電子音楽の祭り、渋響でのパフォーマンス。これもでっら良いです。伝統的な神事の様なたたずまいと、現代の感性の音が交わって、霊性な力の場が生じています。個人的にはこんなエッセンスを東京五輪に持ち込んで欲しいなぁとふと思ったのですが、今の感じだとバブルの爛熟したマッチョなTOKYO2020になりそうなので無理かなぁなんて思います。
実際、この雰囲気はまだまだ寒い4月上旬の長野の空気があってこそでもありますものね。音の響きにも彼の地の冷涼な風が通っているように感じます。
春の日の音楽は、しゃきっと冷たくて、じんわり体を温めてくれるような心地よさがあり、優しさの中にちょっと厳しさがあるのが、なんかいいなぁと思います。これから始まる夏の、いい加減な感じも大好きなのですけどねw気がつけば鳥が鳴き、もう5時か。朝が来ました。新しい1日の始まりにこの2つの楽曲群を聴くと、初春、元旦の朝の様な気持ちで1日を始められるかも。
自分的には2月3月くらいまではなかなか2015年という時間の区切りに慣れてなかったのですが、あぁ2015年にも慣れてきたなぁと想ったらもう1/3が終わっているという(苦笑
光陰矢のごとし。残り251日を、善き日にしていきたいですね。流れを創って送り出してくれた春に感謝。