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鳥人間コンテストと佐野エンブレム炎上に想う"主役"噺

Fishmans - Long Season


昨日から一転、今日の昼辺りから夏が戻ってきましたね。
帰宅しTVをみると鳥人間コンテスト。この番組、毎年楽しみにみています。
そこで描かれる大学生(今年は社会人チームもいて盛り上がったけれど)の姿を見ると、大学時代に関わった四大学英語劇大会を思い出してしまいます。
自分はまるで駄目なプロップ員でしたが、あれがあるとないとでは大学時代の景色がまるで変りますから、自分にとって学び舎でやった一番部活っぽい活動は、四大でした。
今年の鳥人間コンテストには日大の去年のパイロットが、今年のパイロットの為に練習に一日も欠かさずに付き合って、留年になるという非常に大学生らしいエピソードがあって思わずいいなー大学生wとなってしまいましたが、TVに映る本番以外にも、参加している人たち全員にドラマがあって、それまでの数ヶ月、いや鳥人間ではチームによっては数年の準備期間があって、その人間模様の土台の上に、しかし勝負の結果が本番一発で出るのが、夏の暑さを更に熱くさせますね。

特にパイロットの両脚にはチーム全員の願いがかけられる。鳥人間の主役ですから。チームのヒーローになるか、ルーザーになるか。敗者にもその後の人生があるし、其れまでの積み重ね次第で寧ろ今回負けたとしてもその先輝いていく人もいるのでしょう。中でも優勝した東北大学のパイロットには、『ピンポン』の台詞のように"ヒーロー見参、ヒーロー見参!"と想わされるような画でした。本人の暑い、痛い、辛いという苦しさに関わらず、チームメンバーから寄せられる期待・希望。その想いの重みを寧ろ輝きに変えてしまうのがヒーローがヒーローたる所以なのだなぁ等と想いながら見ていました。

結果、未だ40km完走者は現われず。また来年も兵どもが琵琶湖に集うのでしょう。新記録を打ち立てるために。

人は集団の中で、主役とそれを支える人に分かれます。特に学生くらいまでは、エースとそれ以外という構図は結構あったりして、そこで理想と現実に苦しむ人がいたり、逆に自分はシテではなく、雲のジュウザのように気ままにやるんだぜーなんて人もいるのではないかと思います。自分もそんなタイプで大学時代はふらふらしてました。旅している時が一番自分らしい時間な気もしましたね。特に一人旅。一人旅では否応なしに自分が主役だし、旅人という気ままな立場は、私には非常に自分らしい立場だなぁなんて考えていました。

人はいろんな場面でいろんな役割を演じます。ある時は主役を務めた人も、また或る時は脇に回ることもあるでしょうし、その逆もまたしかり。とはいえ、「自分こそが主役なんだ」って瞬間を味わう時は、人生に必要ですよね。私にとってはそれは一人旅の時であったし、或いは恋愛もそうかもしれません。自分の行動が生む結果に自分一人で向き合わなければいけない時。そんな"ホントの瞬間"が、人生に誇りを与える気もします。

勿論、社会人として、仕事にその熱を持つ人も多いでしょうし、勿論の事社会人ならばその意志は当たり前でもありますよね。自分の仕事で成長を目指すのは。また人によっては家族を持つことも、大人の階段を上る大きなステップになることもあるでしょう。子供が生まれたらしばらくは子供が主役になるかもしれませんが、父や母の立場は人を強くもするのではないでしょうか。知った風な口をきいてしまいました。これこそ"外野がヒーローに勝手に期待を述べる"ですよね(苦笑

閑話休題、先日のSEALDs DOMMUNEで「SEALDsはリア充、ネトウヨは非リア」という話を聴いて、そしてここ数日の佐野さんの五輪エンブレムでの騒動を見た時に、2chの人たちの黒いマグマはこの先どうなっていくのかなぁなんて思いました。

自分が想うネトウヨ2ちゃんねらーのイメージって、学生時代とかに主役になれず、寧ろいじられキャラだった人たち、「自分はいわゆる普通の幸せ(≒リア充)からは離れた人間なんだ」という人たちが、リアルコミュニケーションでは得られなかった歓びを、ネットによって自分は安全圏にいられる状態で攻撃できる人間を"いじる"こと、黒い思いを発散することで得ているイメージです。

この現象には両面あって、いわゆるリア充とされている人間の罪というか、彼らが踏みにじった人たちからの反撃という面と、2chにいる人は結局のところ主役としての歓びはネットで誰かをこき下ろしても感じることはできないという面。実際、2chも高齢化が進んでいたり、面白いものを書いていた人たちはSNSやらblogに行ってしまったという話は、自分はスレで良く読みます(あ、申し遅れました、私は2chのヘヴィーリーダーです。書き込みはしないけど毎日読んでます)。

何かの記事で、辛い時に暗い歌を聴くと辛さが和らぐという話を最近読んだのですが、調子に乗ってる奴を見ること自体がムカついて、冷笑と炎上が趣味の人も似たような昏さがあるのかな、なんて考えたり、いわゆるリア充の人間だって悩みや苦しみはあったり、完璧なリア充など存在しないよな、といってもルサンチマンが消えるわけもないよなとも想ったり。難しい話ですね。

ちょっと想ったのは、現実の場面で辛い思いをする人は、真面目で優しくて、他者と対立することを避けてしまう傾向があるのではないかということです。リアルで主張できずに溜まった黒いマグマをネットで晴らす。佐野さんの件で「これじゃこの国は調子に載ったら完全にひきずり私刑される」などと言っている"リア充の知的生産者"の方々には、根本治療として中高で"ケンカの仕方"を授業で習わせるのを提案するのはどうでしょうか。対立してもきちんと自分の意見をいうメソッドを叩きこむというか。

この国はとかく空気を読ませようとする同調圧力に塗れた土地ですが、だからこそ"主張の仕方"を広くコンセンサスとして国民全員が持てれば、こうしたネットの澱みが少しは晴れるのではないかな、なんて思います。"主張する"ということは"自分が主役である誇りを示す"事でもありますしね。そういう根本治療を提案せずに「これだからちゃねらーは」なんていうのは、ちょっとお前ら調子に乗ってるからもっと引きずりおろされろ、なんて思ってしまいます。

逆に言うとリアルで物を言いずらい雰囲気を感じている人たちも、案外主張したら通ったりすること、ありますよ。また世界は広いから、本当に居心地の悪い場だったらとっとと切って次の場へ行くのもありなのではないかな、なんて思います。自分はやっぱり自分の人生の主役ですからね。

5月の初夏から今月下旬くらいまでかな、このロングシーズンに、ひたむきに生きた人たちは、そのひたむきさが集団の中で主役だったとしても支える側だったとしても、もうすぐ来る秋に大きな収穫が得られると思います。自分もいい収穫物が得られるよう、精進していきたいなぁ、我々は"LIFE"の主人公ですものね。

Fishmans: Season

by wavesll | 2015-09-02 22:26 | 小噺 | Comments(0)
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