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いつまで経ったって"十分な時間的余裕"なんてやってこない

中高の頃、私はそこそこ勉強はできたのですが運動はからきしで、でもその癖負けん気が強いもので例えばバレーボールの授業の時に全然想うようなプレイが出来ない時に「3週間みっちりバレーだけを特訓させてくれれば俺だってバレーが上手くなるというのに」とか思ってたのですが、結局勉強やら遊びやらやってたし、放課後体育館は勿論バレー部が練習してましたから、バレーの特訓をする機会は作れませんでした。

さて、あれから10余年、私は相変わらず"十分な時間的余裕"を欲しがってます。遊びたいし仕事もしたい、体も鍛えたいし、休みたい。今だってHDレコーダーに録ってある『デート』特番をみたいけれど、DOMMUNEのMontreux Jazz Festival Japan回も見逃せないし、ほんとはニュースだってcheckしなきゃだし、秋だからランニング始めようとか言ってたのにやらないうちに明日から天気悪くなるみたいだし、24:30位には就寝しとかないと明日の仕事に響くし、そうこうしている内にTVっ子の私のHDレコーダーには今夜も『世界の果てでホーチ民』最終回とか『怪獣散歩』とかディープアイドル番組とかが予約録画され、それを見る時間を創ろうと思ったらそれを見ている時間に他に見たいコンテンツが生産されるという。

更に更にblogやtwitterを読み書きするのも楽しみの一つである自分…どーする!?俺!?CDをゆっくり聞く時間も作りたいし、日本文学全集の宇治拾遺物語も読みたいし、自分自身のデートだってやりたいし…どーする!?どーする俺!??

ひとつだけ今言えるのは、いつまで経ったって"十分な時間のある時"なんかやってこないということです。この世にある無量大数な選択肢から、己自身の選択に悔いが無いようにする、くらいしかできないのだなぁと思います。

これは仮に職を失ったとしてもそうです。ニートになってもそう。何しろ全然自慢になりませんが自分、ニートやって引きこもってた時期は、朝4時から9時までBS1の国際ニュース見て、寝て、午後ロー観て、2chみて、相棒みて、ラジオ聴いて、、みたいな生活やってましたが、延々メディアを漁り続けることで傷をいやすというか、後には何も残らなかったけれど、とにかくすることが無いという事はないです。

「それは金が無いから。金があったら時間を金で買えるよ」という人もいるかもしれません。しかしまた自慢にならないのですが、自分は一度、会社辞めた後半年で200万くらい使ったことがありまして。その時はその時で三軒茶屋のホットヨガに通ったり、上海万博行った2週間後にイタリア行ったり、毎日毎日外へ出かけるは消費しまくるはでゆったりした時間なんかなかったですよ。金があればあるだけ楽しいことに消えてきますから。宵越しの金を持てないバブルな浪費野郎だったわけです。結局あるだけ時間と金を使い果たしてもやりたいことは尽きなかったです。

ただ、金を使いまくってた時と金が無くてTVばかり見てた時、どっちが楽しかったかと言ったら断然金を使いまくってた時、でしたねー。(当たり前かもしれませんが)。今はお金を掛けなくても色々楽しめるとはいえ、金を使うこと自体が持つ脳内麻薬を出す何かはありますよね。また金がかかるというハードルがあることである程度質も上がるし、満足度は高まるかもしれません。

さて、これまで
世の中で日々生産されるコンテンツを消費するには週五フルタイム勤務では無理。また時間が出来たって、金が出来たって、十分な時間的余裕なんか生まれない。結局トレードオフにしなければならない効用より、自分が選んだ人生の選択に悔いを持たないようにしなければならない。金を使うと脳内麻薬出るから自分の選択に確信が深まる。
と話してきたのですが、そもそも論で、現代はエンタテイメントの日々の生産量が異常なレベルにある、或いは情報摂取量が異常なレベルにある、ということもあるかもしれません。

ブライアン・イーノ、現代のアートやカルチャーはその意味が取り違えられていると語る
という記事でイーノは

そもそも芸術や文化というのは、個人が「かなり極端でどちらかというと危険な感情を体験するための安全な場所」を提供するものであり、芸術や文化がこれまで受け入れられてきたのはそうした精神状態をすぐにオフにできるからで、さまざまなアートはこういう形で人々にとっての刺激になってきたのだとブライアンは説明する。

芸術や文化が、こうした意味でとても重要な働きをしてきた一方で、「アートとは別にやらなくてもいいことのすべてを意味している」とブライアン・イーノは述べ、生活していく上では二次的なものに過ぎないと説明しているが、こうしたアートの基本的な性格が最近ではどうも取り違えられやすくなっていると指摘している。

近年、芸術や文化が過剰に評価されていることは、イギリスの現教育相ニッキー・モーガンの発言にも表れている、とブライアンは指摘する。モーガン教育相は「STEM科目(※自然科学、技術科学、機械工学、数学のこと)と較べていい職に就けないから、芸術や人文科学を専攻しないのは賢明だ」と語ったが、彼がSTEM科目と芸術や文化を同一線上で語っていたことにこそ、芸術や文化の本来の役割や目的を見誤っている発想が見受けられる、と述べている。

「こうしたもの(自然科学、技術科学、機械工学、数学など)が重要だというのが一般的な概念なのです。経済を動かしているのはそういうもので、そういうものがあるからイギリスは大国となってきたのであって、それがわたしたちのGNPやらあなたたちが持っているものやらを大きくしてきたのです」とブライアンは説明する。

「その一方でアートというのは、あればとてもいいものなのですが、言ってみれば贅沢品や趣向品みたいなもので、しっかりした仕事場でみっちり働いたあとで、帰宅して息抜きにやるようなことなのです。ですから、芸術や文化をまるで経済行為に繋がるものとして考えるのは新しい発想だということです」


と語っています。本来的に、芸術というのは経済活動とは一線を画した行為ではないか、という指摘はオザケンの"政策芸術"批判にも繋がる意見だと思いますし、ITのもたらしたCGM時代、アーティストが作品で稼ぐことはますます難しくなっている現状があります。またこのエントリ的には、文化に溺れることの不健全さというか、余暇で逆に疲弊し本分に悪影響が出るという事の不毛さもイーノは示唆していると思います。

だんだん論旨がもごもごしてきてしまったのですが、この時間が足りない時代にどうすればいいのか、無理は承知で対策を考えてみるに

1.選球眼を持つ
自分の価値観をはっきりさせると、取捨選択に理由をつけられ納得しやすくなる

1'.自分が一番やりたいことはやった上で、他人から評価されることもやる
YOLOですから悔いなく自分のやりたいことは鉄の意志でやるべきですが、他者から認められることは脳内麻薬に直結する承認欲求をみたしますから、バランスは大事に。

2.タスクを管理する時間割を造る
業務・学習・運動・余暇についてそれぞれ30分づつは毎日やるとか期限を区切って目標を立てる

2'.ある程度の時間の塊をしないと閾値を超えない
フローとしての楽しみも大事ながら、ストックとして後々に役立てるには、細々とした時間の使い方より時間の塊が必要

って感じですかね。書いてて「それができる精神力があるなら既にできてるよ…」と思いましたが(苦笑
もっというと、最高の時間の作り方は、他人を働かして利益を上げる生き方ですよね。経営者になって事業が軌道に乗れば一番いいのだけれど。個人的には社会にパラダイムシフトが起きて、週休3.5日くらいになるイノベーションが起きたら最高、起こしたい、なんて思いますけどね。うだうだ書き綴ってしまいました。定期的にこういうの書いてますね自分。相変わらず「時間さえあれば」と思ってます。上に書いたことをまずは自分でやれよ、ですね(苦笑 ここらで御開きです。
by wavesll | 2015-09-30 23:59 | 小噺 | Comments(0)
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