恵比寿ガーデンプレイスにて特集上映されているエミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』をみてきました。破格の映画でした。
なるだけネタバレはなくしたいと想うのですが、前知識ゼロで観たい方はこのエントリは飛ばされちゃってください。どうしてもネタバレが入ってしまうと想うので…
ユーゴスラビアでレジスタンスを率いるマルコと仲間になったクロ。この二人を中心に物語は進んでいきます。時は第二次世界大戦の時代。ナチの爆撃で平和な生活は崩れ、反ナチ闘争を繰り広げたり、ナチの将校と女優のナタリアをクロが奪い合う、そしてその三角関係にマルコも関わって行って…
という第一部、これが魔法の様な青春時代のきらめきにあふれて、物語の始まりのジプシーブラスの突進から一気に惹きこまれました。オヤジ二人の話なんですけどね。『坂の上の雲』の戦争前の辺りのきらめきを想いだしました。
そして、第二部。この映画のタイトルにも連関する特徴的な章なのですが、ここが初見だとどこまでが現実でどこからが幻想なのか、場面は?そしてそもそもマルコの行った行動の理由が、そこまで腑に落ちなくて、ちょっと靄々はてなマーク浮かべながら見ていました。
しかし、第三部へ行って物語がシリアスへ突入し、再び戦火の時代へ。
3時間の上映時間中で登場人物が親戚位の身近さに感じ、戦争の非道に彼らが巻き込まれたときの衝撃は、『アドルフに告ぐ』というか、『あまちゃん』で東日本大震災が起きたときに近いものがありました。『あまちゃん』とは音楽の共通性を言う声もあるそうですね。
地上は平和になっているのに、地下では戦争が続いている意識だった二部から、三部ではアンダーグラウンドの人々は外の世界をみれたのに(何しろ地下で育ったヨーヴァンは太陽と月を間違える描写もありました)、その時ユーゴは泥沼の内戦に突入していた。この逆転構造に、心揺り動かされました。
そして、ラストシーン。映画中ずっとエネルギッシュに、今のことしか考えられずに生き抜いてきたキャラの面々が、全てが終わり過去になって、ようやく得られた穏やかな幸せの時間。ここら辺は、もう続くことがなくなったブランキー・ジェット・シティが、最後に突き抜けた楽しさのラストダンスを鳴らした時を想起するような、とびきり美しく感動する終幕でした。
自分は、このエナジーみなぎる映画を個人史と歴史が連関する物語の勢いにただただ感銘を受けたのですが、一緒に行った子に、「幾らでも深刻に描ける題材をあくまで“明るく”描いたのがとても胸に響く」と言われたのはなるほど!そうだよな…。と想いました。歓びも辛さも痛みも、全てひっくるめて懸命に生きた人々がいたユーゴスラビアの地、ユーゴスラビア人だということへの誇りを、描き方からもひしひしと感じました。
レトリックに頼らない台詞と画造りで、ファクトを積み上げることで辿り着く境地。その事実が組みあがる骨太なドラマ。まさにこれはユーゴスラビアの民族叙事詩なのだなぁ。登場人物のいい意味で自重しない、下品な場面でもからっとした感じも、『百年の孤独』にも似た人間味あふれる魅力を感じました。
しかし、国がなくなると言うのは、途方もない出来事なのでしょうね、映画見ても想像もつかないです。祖国がなくなるというのは。日本にはチトーの様な巨大な政治権力者もいなければ、国が消滅する自体を想像することは現状難しいですが、ユーゴと言う国があった、そこに懸命に生きる人々がいた、その民族と個人の歴史が、物語として結実した素晴らしい映画にいたく感動しました。クストリッツァの他作品もみたくなりました。
クストリッツァ特集上映は金曜まで。『アンダーグラウンド』、Youtubeでもみれるけれど、是非劇場で浸っていただきたいです◎
Underground. Subtitulada en castellano. Emir Kusturica 1995.