東博に
「生誕150年 黒田清輝 日本近代絵画の巨匠」展へ行ってきました。

展示は初端の『婦人像(厨房)』から驚きの高水準。『アトリエ』の抜けるような光。『少女』のコントラスト『七面鳥』の暢気さ。『洋燈と二児童』の濃い美。
黒田の師ラファエル・ロランの『フロレアル(花月)』『思春期』の裸婦の美しさ。留学で彼が影響を受けたアレクサンドル・カバネル『フランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの死』、ジャン=フランソワ・ミレー『羊飼いの少女』、ジュール・バスティアン=ルパージュ『干し草』、ジュール=ブルトン『朝』、クロード・モネ『サンジェルマンの森の下草』、アルフレッド・シスレー『モレのポプラ並木』、ピエール・ビュヴィス・ド・シャヴァンヌ『聖ジュヌヴィエーヴの幼少期』。やはり西洋絵画は西洋人が書いてこそ本質を持つ気がしてしまいました。如何に黒田清輝が上手くても、普通の上手さでは、足りない。酷い見方だとは思うけれど…。
日本に戻った黒田が描いた『舞妓』、『横浜本牧の景』、『大磯』の風景。『大磯鴨立庵』、『昼寝』の赤。『東久世通禧公肖像』。日本を描くことでオリジナリティが生まれて面白い。そして『湖畔』。油絵で日本の心を、こんなにも薫らせることが出来るのか。『木かげ』の光。『裸体婦人像』、『春』、『秋』の甘美なヌード。『野辺』、『花野』。『赤小豆の簸分』の自然派から影響を受けた農村の生活描写。『桜島爆発図(噴煙、噴火、溶岩、降灰、湯気、荒廃)』なんてのも。連作『雲』が良かった。
黒田清輝に関連した日本画家の山本芳翠『花化粧』、小林万吾『門付』、青木繁『日本武尊』、中村弘光『裸婦(霧)』、藤島武二『静』も良かった。
そして戦災で焼失した名画『昔語り』の下絵『草刈り娘』・『僧』・『舞妓』・『仲居』・『男と舞妓』・『男』がスナップ画として、それら単体でも素晴らしかった。ラストは今も論議を呼ぶ『智・感・情』。ミステリアス。当時の日本女性としてはありえない7頭身ながら、普段草鞋を履いているであろう足。服装でなく肉体で日本を表現するとは。見事。
渡欧時の作品には複雑な思いというか、良い絵だけど日本人がこれを描く意味は?と想い、日本に戻ってからの絵は“洋画というツールで日本の風景を変換した”様にみえましたが、明治期。ああこの人も『坂の上の雲』の人なのかと。夏目漱石が評した絵もありました。グローバル化に直面しもがき、日本人というアイデンティティを世界に挑戦する上で求められた明治。まるで、今の様。
というより、明治期に形作られたシステムが今解体され、再びドラスティックな変化が(明治期の様に)起きているのでしょう。第二の開国がインターネットによって起きたとしたら、今は第二の文明開化の時期と言えるかもしれません。双方向の文明開化。
今回の文明開化は、海外に挑戦するスポーツ選手やミュージシャン、企業家など、多岐に渡ります。その大先輩にあたる黒田さんの功績は、確かにその後の日本画壇のレベルを見ると筆致に物足りないところはあるし、西洋画というジャンルにおける先行者利益の人だと想います。しかしその“切り開いた”行動力、未知へ突き進む胆力こそ、彼の真骨頂の一つ。挑戦者は批判を恐れてはならない。
そうして見る『湖畔』。31歳での作品。彼は、西洋を身につけ、日本の新しい水準を示した。遥かなる高みにいる同い年。俺は相変わらずデラシネ…。その絵に描かれた女性は後の妻、照子さんだといいます。どこか同期をみるような、『お前はのうのうと何やってんだ!?』と言われたような。特別な展覧会になりました。
その後、常設展等も観てきました。
虎の陣羽織
歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人之一個・清河県系之産武松』
円山応挙『虎図』




玉杖石製品

埴輪 猿
三彩多口瓶
押出蔵王権現像

慶長小判・大判
上村松園『焔』
大智勝観『聴幽』
曾山幸彦『試鵠』
太刀 青江守次
脇指 金房政次
太刀 長船長光(号 大般若長光)
太刀 粟田口国安
頼光大江山入図大花瓶
唐織
藤棚図屏風
白猪空穂
黒韋肩白威胴丸
黒糸威胴丸具足
模造 樫鳥糸威鎧
紺糸威筋兜
南蛮胴具足
太刀 備前一文字弘
黒漆打刀
当麻曼陀羅図
両界曼陀羅図
聖徳太子絵伝
大般若経 巻第四百六十五 断簡
須恵器 子持高坏

根付

喜多川歌麿'『山姥と金太郎 杯』
歌川広重『薔薇に小禽』
蹄斎北馬『出陣図』
写真禁止のものも、目茶苦茶素晴らしかったです。福田平八郎『漣』の現代性、『制吒迦童子』の眼差し、この二つは黒田清輝入れても今日のベストでした。『黒綸子地唐草入大葉文様小袖』、竹内栖鳳『絵になる最初』、『古筆手鑑 浜千鳥』etc etc...素晴らしかった。
黒田清輝展は15日まで。特別展のチケットで常設展もみれるので、おすすめです◎