フィクション故に真実が現れる 演技と本心-カズオ・イシグロ 文学白熱教室から

随分前に録っていたカズオ・イシグロ 文学白熱教室(こちらに書き起こしがあります)をみました。

「何故歴史や事実の報告、ノンフィクションではなく人は小説を読むのか」という命題に、カズオ・イシグロと聴衆が論議を深めていきます。

それは"真実"がどこにあるか、ということと密接に関係していくことが解っていきます。
現実に会う人は、真実だけを述べているわけではなく、他人に、そして自分にも嘘をつくことがある。個人だけでなく国家単位でも嘘(幻想)を流布することがある。

カズオ・イシグロは
わたしが非常に興味を持っているのは人が自分自身に嘘をつく才能だ
他人に嘘をつくつもりがなくても本当ではないことを言ってしまう
そのような信頼できない状況はフィクションを書くにあたって非常に有効で
フィクションにピタリとはまる方法だと思う
と述べています。

"現実"は必ずしも"事実"だけではない。"物語≒嘘"が"現実"への解釈としてもたらされることが、現実に起きています。

そんな時、小説が比喩表現として、"真実"を含み、"真実"を現すことがあると彼は言います。物語は人々を欺くことも、真実を突きつけることもあると。そこでその人、その人が属する文化圏の、嘘のない姿を顕すことが小説の意義だ。私はそう感じました。

無論、小説は"作り事"です。しかし作りごとだからこそ、真実が求められ、真実を現すことができるというのはそうだなぁと思いました。『わたしを離さないで』もSFですが、SFというジャンルは一つ原理をずらしたときに、人間がどう生きるかが重要になるジャンルだと。『攻殻機動隊』もそうですが、SFは"技術水準が変わると本当になるかも"という思考実験でもあるなぁ、等と感じました。

この間私はNumber Girl好きなあの娘は大人になってったよという感傷的な文章を書いたのですが、この文章は私にしては珍しくフィクションというか、演技がかった技巧で書いた文章でした。そのフィクションの部分というのは、ロックへの心酔の部分で、私にとって実際のところロックな幻想や魂が失われつつある、その青春への憧憬というか、過ぎ去った"あの頃"から自分が変わってしまいつつあることを認めたくなくて書いたところが大きかったのです。

肉体的・社会的・感覚的に自分の中で"ロック"が薄れている今、その本心でなく、"こうありたい、こうあったはずだというロックに心酔した自分"を書くために、その部分以外はほぼ本当のことを書き連ねました。嘘、というか物語を書くためにはそこ以外は本心のファクトを積み重ねるのがいいと思ったのです。自然に見せたかったから。

"自然に見せているか"というのも、物語を書くときも読むときも重要な因子だと感じます。というのも、私はたいていの物語の展開に"そうはならないだろ"とは感じないのです。物語を聖典のように捉えるというか"その状況になったらトンデモな展開もありうるかもしれない"と比較的無批判に漫画でもドラマでも捉えてしまうというか。逆に"そうは動かないだろ"なんて感想を聴くと、"自分と他人は違うのに、同じような感性を持っていると想うのか!あるいはその人をそういう人だと分析できるのか!!"と思います。そういった意味で私は世間知らず、ということかもしれません。

"そのキャラクターがその状況ならそう動くんだろう"という目でみる人間として逆に不思議に思うのが、ハリウッドにしろ日本のTVドラマにしろ、毎回似たようなキャスティングで同じ役者が幾つもの役をやる状態をよくみんな受け入れられるものだな、ということです。

"この人はこのキャラの肉体"としてみたいというか。幾つもの人間を同じ人が演じるのは冷めるなぁ、なんて思いませんか?その点マンガとかはそのキャラの肉体はそのキャラだけのものだから、いいなと。或いは舞台の時代なら、そこまで顔がじっくり近くで見れたわけではないし、メイクもそれぞれで全然違ったでしょうから気にならなかったからかもしれませんが、TVや映画だと"作り物"感が強すぎて。"演技してる"ことを技量として評価する人もいれば評価しない人もいると思いますが、自分としては主役がまだ売れてない新人とかの方が好みではあります。

"演技"というのが苦手なのは社会人失格だなとも思います。社会で経済活動を行う上では"その職業の役"をいかに上手く演じられるかが、社会人としての能力の指標ではないかなと思うから。

と、ここまで書いて、やっぱり自分はまだロックに心酔している人間なのかもしれない、少なくともロック的な"本心を歌う、自分に嘘をつかずに真実を歌う"ことに囚われていて、うまく演技ができないのかもしれない、と思います。それが上手くエンジンになればいいけれど、今は歯車が上手くいかず、堕落へ流れてしまって、もはやロック的な正義からも逃げているという。もっとタフになりたい、と心から思います。

そして今の自分やロックの夢に醒めてしまっている自分も、またいるのだなぁなんて思います。ただ、自分が達成したい水準で創りたいものを作ることは、何よりも美しいことだなとは想います。そういった意味で鴎庵はフィクションを書く時でも、ノンフィクションを書く時でも、自分の本心や真実を裏切らないことを書いていきたいなと。そんなことを考えた一両日でした。
by wavesll | 2016-06-02 18:02 | 書評 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://kamomelog.exblog.jp/tb/25665832
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
<< 第60回酒と小皿と音楽婚礼 M... 荻上チキ・Session-22... >>